2022/04/15 - 2022/04/17
289位(同エリア335件中)
ちゃおさん
1800トンの九州郵船の大型フェリーは時間通りに郷ノ浦港を出港し、一路対馬に向かった。乗船時間は2時間10分、2時40分の到着予定だ。台風の影響で外洋は少し波が高く、荒れているとの事前の情報だが、これだけ大きな船だと多少の高波でも安心だ。1泊2日、正味1泊1日の壱岐観光だったが、壱岐の概略を掴むこともでき、ほぼ十分だろう。もう少し見てみたい行きたい場所もあったが、限られたツアーの中では贅沢は言えない。司馬遼太郎がやって来た40年前とは、それ程大きくは変わっていないだろう。猿岩とか原の辻、多少観光客用に整備されたかも知れないが、当時、彼が見た情景はほぼ同じ形で目にした筈だ。
司馬遼太郎はこの島に限らず、どの地方の「街道」を旅行する際には、出版社の編集員、地元の案内人、学者先生の解説者等々を従え、何人かのクルーで周っていたので、その土地の名産、歴史、風光明媚など、ふんだんに見聞きすることが出来たが、阪急の一般的なツアーではそのような贅沢は許されない。昨日のガイド地元出身の大島さんなら知識も豊富だが、福岡の添乗員ではカラキシダメだ。「街道をゆく」を読んで来た自分の方がむしろ知識はあるかも知れない。その「街道をゆく」は、司馬の書いた歴史観光案内で、その旅行案内をミステリー調に仕上げたのは内田康夫の「浅見光彦シリーズ」だ。飛行機の苦手な光彦青年は、愛車のソアラで全国各地を旅行した。そうした小説を読んで、旅心に誘われは読者は全国に沢山いただろうし、そうして旅行に取りつかれた一人が自分だ。
今回は知人の大さんの勧めもあり、事前に「壱岐・對馬の道」を読んでやって来たのだが、その壱岐で特に印象に残っているのは「散村」と「触れ」という、この島独特の集落形態で、ビューホテルでの昼食後、ガイドの大島さんにこの点と頁岩の2つを聞いてみたが、余り知らないようだった。この島で、生まれ育ったとはいえ、30そこそこの若い女性には、江戸時代からの行政割や地質については観光案内とは関係なく、それ程の関心はないのだろう。
「散村」はこの島を特徴づける集落形態で、この島が江戸時代以来、平戸藩の支配下にあり、集落を分散させることにより、集落間を競争させ、より多くの稲作収穫、石高の増大を図ったようだ。当時も今も長崎は平地が少なく、ここ壱岐が今でも県内最大の米作地になっている。「触れ」とはお触れ、お触書の意で、今でいう隣組制度。上からの通達を下部に伝達する最小範囲の集落で、今でもこの島には「触」という地名があちこちにある。それにしても分からないのは「沼津」という地名。昨日泊った壱岐島荘の前の道路は郷ノ浦ー沼津ー勝本線という県道だったが、この「沼津」については、更に謎だ。
- 旅行の満足度
- 4.5
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