2022/06/29 - 2022/06/29
173位(同エリア354件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記238冊
- クチコミ54件
- Q&A回答0件
- 805,665アクセス
- フォロワー16人
この旅行記スケジュールを元に
北海道の入植史を
歴史的建造物と内部展示を通して伝える施設。
親、子、孫と、世代を繋いで道民が訪れるスポット。
官民両方の視点で、和人の開拓使を学べます。
半日かかりのスポットなので、全編後編に分けました。
後編はコチラ↓
https://4travel.jp/travelogue/11765708
- 旅行の満足度
- 5.0
-
新札幌駅。
札幌と空港を結ぶエアポート快速も停車します。
バスターミナルは大規模で複雑。
10番乗り場から発着とわかっていれば、迷わずに行けます。
旭川方面に接続する森林公園駅も経由します。
運行しているJR北海道バスは、交通系ICマネーも使えて便利です。新札幌駅 駅
-
新札幌はちょっとした副都心。
飲食店は何でもそろいます。新さっぽろアークシティ ショッピングモール
-
エントランスは旧札幌駅を再現した建物。
村内は広いので、荷物は忘れずに無料コインロッカーへ預けましょう。旧札幌停車場 名所・史跡
-
開拓使札幌本庁舎(復元)
明治維新を成し遂げた新政府は、北海道の実効支配には遠く及ばない軟弱政府。
まずは開拓使という役所を東京に開設し、和人を入植・原野の開拓・産業の確立を推進することにしました。北海道開拓の村 美術館・博物館
-
札幌を主都に定めて、明治6年に本庁舎を完成、6年後に焼失。明らかにロシア寄りの建築が興味深いです。明治15年に開拓使は解散し、三県時代を経て明治19~昭和22年まで北海道庁に受け継がれます。
-
入植
戊辰戦争後の明治2年に入植したのは、旧幕府軍として戊辰戦争を戦った武士たちです。藩主は県令にスライドしましたが、藩士は賊軍。明治2年の会津藩・仙台藩を筆頭とする東北諸藩の藩士が入植。 -
屯田兵制度(明治7~34年)
ロシアとの国境も未画定の状況で、北海道は圧倒的に軍事力が不足しており、徴兵制度で軍隊を編成するための人口も不足。というわけで、平時は土地の開墾、有事は国防に当たる半農半兵を募集して任務に当たらせました。明治9年に士族への家禄支給を終了して、失業した士族の再就職先としての受け皿にもなりました。 -
団体移住
上記の移住も含めて、団体移住が初期の主力でした。他にも、開墾会社、理想郷を求めた宗教団体(キリスト教諸派・新興宗教)、地域農民、旧藩士などです。後者は、出身地の地名が今も残ります。 -
一般の単独移住
圧倒的多数です。動機は天災・人災等に巻き込まれて土地を失った人や小作農といった人。農業従事者が圧倒的です。現在の北海道の人口は約600万人です。 -
旧浦川支庁舎
北海道庁の支庁の一つ。1919年築。14の支庁に分かれ、現在同じ区分で9つの総合振興局と5つの振興局に。 -
札幌に現存する旧北海道庁庁舎
北海道の開発を担当する国家機関。一方で民選の道議会の下で道民の地方自治を遂行する地方公共団体的側面を合わせ持つ特殊な組織でした。 -
旧開拓使工業局庁舎(1877年築)
国の重要文化財に指定。明治初期の木造洋風建築で、内部も見学可能。 -
工業局(明治6-15年)
開拓使の中で開発全般を担う役所。
橋・道路・運輸、庁舎・学校・公共施設の建設・維持、建材(伐木・採石)調達と土木工事等を担った。そして器械場(工場)の経営も。 -
物産局
開拓民の生産物を加工する工場を建設・運営した。西洋の技術が導入された。農産物・水産物・生活用具に大別される。 -
札幌に建設された工場村
技術伝習のウエイトが大きいので、実験村的景観。
その後、生産地にも工場が建設された。
官営工場は明治23年までに、すべて民間に払い下げられます。 -
鮭鱒の缶詰
輸出して外貨獲得が本命なので、商標登録など商法も絡みます。 -
鹿肉の缶詰工場
明治9年に開設するも、明治12年2月の豪雪と翌週の暴風雨でエゾシカが激減したため(「明治12年エゾシカ大量死」)あえなく頓挫。物産局の事業はことごとく失敗します。 -
麦酒工場
唯一の成功例。工場棟の増設が続きました。当時は、木樽に詰めて卸し、白い陶器に注いで小売りしました。 -
ビール売り捌き所の札
開拓使物産局醸造 冷製。もしもラガーではなく常温のエールを導入していたら、今も生き残っていたのでしょうか? 冷たくて、コクよりも喉越し重視という日本人の嗜好にマッチしました。
開拓使のお雇い外国人はアメリカ閥。アメリカのビール産業はドイツ系移民が持ち込んだものです。 -
民間払い下げ前の商標
黒ラベルの起源は、官営時代なのですね。 -
入植史に登場したグループの住宅をトレースします。
まずは、伊達市(胆振地方)にあった明治15年築の旧岩間家住宅。
仙台藩は戊辰戦争で東北ブロックの幕府軍の盟主でした。
仙台藩亘理領24,385石の領主伊達邦成は自ら家臣団を率いて、現在の伊達市に入植。 -
入植から10年以上経ったせいか、上級家臣の家にも余裕が。
写真は客間で、旧領主邦成が訪問した時にだけ使用されました。
農家なのに、典型的な武家屋敷のスタイル。 -
建坪は40坪以上。見た限り、東北の民家という景色です。
-
外観
石置き屋根は、ここは北海道だという事を痛感させます。 -
屯田兵の住んだ家(1895・M35)
空知・上川への入地が促進された後期のもの。
前期は主に札幌周辺に入地しました。 -
かなり粗末に見えますが、当時の日本の民家と比べると恵まれた造り。宿舎のみならず、農具、台所用品、寝具まで官給でした。その代り、数年で開墾の成果を残すことが課されました。
屯田制度は、ロシアのコサック兵(制度)を大いに参考にしました。 -
6畳間には兵服と銃台に銃が。北辺の防衛要員だったことが窺えます。
農業を行いつつ、軍事訓練も怠りませんでした。
屯田兵が実際に戦場へ送り出されたのは、西南・日清・日露戦争です。 -
旧菊田家住宅(1893)
現地に隣接する江別市西野幌を開拓。稲作農家らしく、藁ぶき屋根が印象的。 -
菊田家を含む新潟県人の移民会社組織「北越の殖民社」。同郷同士で助け合えるのはメリットです。
-
旧浦河公会会堂(1886・M19)
明治13年に入植した赤心社は、キリスト教徒が多く、信者が集まり合う崇拝の場を建てました。 -
内部。
北欧東欧の木造教会を思い出します。 -
開拓小屋
いままで紹介した民家は、入植後5-10年以上たって生活が安定し始めた頃に建てたものです。
入植当初、彼らはこのような「小屋」を建てて開拓に励みました。アイヌ先住民の家屋と同じ建築構造です。 -
内部
当時の苦労がしのばれます。 -
旧樋口家住宅(1897)
富山から移住した稲作農家。現地から直線距離で2kmほどの小野幌に建っていた。 -
水稲は元々熱帯の植物。北海道に定着するまで品種改良等が重ねられました。
写真は燕麦。満州でも平気で育つ寒地向け作物。 -
粟
-
稗
こうした雑穀も栽培されました。
というか、明治大正期は、日本中で普通に栽培していましたが。 -
ハッカ
お雇い外国人が推奨した商品作物の一つ。北見地方で栽培。 -
除虫菊
夏場の蚊は、伝染病を運ぶ大敵。 -
漁村ゾーン
室町時代以降、和人は豊富な海産資源を求めて移住しました。
ここでは、鰊漁で栄えた小樽の青山家が展開します。 -
漁家住宅(鰊番屋)
ニシン漁に携わる季節労働者の宿舎。
瓦や意匠に富む透かし彫りなど、文化的なパーツは出身の庄内地方産のものを使用。 -
労働者は、こんな空間で集団生活を送りました。
-
背部は明治37年の小樽大火を教訓に、軟石製の壁を設置。
-
秋山家
焼尻島でニシン漁を営む。先述の青山家と違い、こちらは家族経営。
洋風の寄棟屋根。 -
親子2世代が住居する一般的な家族構成。
漁期には数名の出稼ぎ者が滞在した。 -
内部はこんな感じ。
-
ブレイクタイム。
北海道の食文化に触れられる食堂です。
後編へ続く。
https://4travel.jp/travelogue/11765708開拓の村食堂 グルメ・レストラン
-
おまけ
6月下旬~7月上旬にかけて、黄色と橙の花が道内で咲き誇ります。
黄色は西洋タンポポ。橙はコウリン(紅輪)タンポポで、戦後サハリンから侵入した外来種。とても素敵な景色なのですが、実は環境問題をはらんでいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
この旅行で行ったグルメ・レストラン
厚別・豊平・真駒内(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
48