2022/07/07 - 2022/07/07
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nomonomoさん
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この旅行記スケジュールを元に
ひさしぶりに松本城にきました。以前は渡れた埋橋が渡れなくなっていました。残念。
今回気付いた松本城のよさは,借景です。雄大な松本の空が背景に広がっているのです。この景色がいつまでも続くことを祈りましょう。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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松本城が見えてきました。
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史蹟。
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近くへ行きましょう。
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埋橋と。
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たしか、埋橋は、以前、渡れたような記憶があります。
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天守。
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うつくしい。
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以前来たときは,この埋橋は歩いて渡れました。その後,通行禁止になったのでしょう。
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案内。
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きれいなお城です。
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お城の姿もよいのですが。
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背景がまた,とっても,いいですね。
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松本から見る山々です。
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雄姿。
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うつくしい。
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日本の風景。
国宝松本城 名所・史跡
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背景がいいですね。
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いつまで続きますか。
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ずっと、廻ってきました。
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松と。
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お堀と。
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史跡。
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松本城の概要
昭和5年(193O年)11月 9日指定 指定面積 約93,000平方メートル
松本城は北東から南西に緩やかに傾斜した扇状地上にある平城です。戦国時代の初めに
守護大名小笠原氏の支城としてこの地に深志城が築かれ、1550年に甲斐(山梨県)の武田氏
が小笠原氏を追放し、深志城を信濃支配の拠点としました。武田氏滅亡後、小笠原氏が深志城
を取り戻し、名を松本城と改め、城郭と城下町の整備を進めました。小笠原氏が関東へ移った
後の城主石川数正・康長父子により、天守の建築(1593年~1594年)などの整備が行われ、
近世城郭としての松本城の姿が整えられました。
松本城の範囲は、総堀に囲まれた内側を指し、総面積は約39万平方メートルあり、その約
3分の1を三重の水堀が占めています。総堀の内側に三の丸、二の丸、本丸が配置され、
三の丸は家臣の屋敷地、外堀で囲まれた二の丸は二の丸御殿、古山地御殿、蔵などが置かれ、
内堀と外堀に囲まれた本丸には天守と本丸御殿(1726年焼失)がありました。
天守は、明治維新の際に市民の尽力により取り壊しの危機から救われて現存し、国宝に
指定されています。本丸、ニの丸、内堀、外堀・総堀・西総堀土塁の一部は史跡に指定され、
天守と一体となって城郭の姿を今に伝えています。 -
おとなり。
松本市立博物館 美術館・博物館
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太鼓門。
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二の丸へ。
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二の丸跡。
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図面?
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太鼓門枡形の由来
城の入り口を固く守るためには様々な工夫がなされた。その典型的なものが枡形門で、石垣・土塀を四角に囲って、内と外に門を二重に
構えたものである。松本城には、大手門・太鼓門・黒門の三つの枡形門があった。
太鼓門は、天守築造後の文禄4年(1595)頃に石川康長によって築造され、それから270余年後の明治4年(1871)11月、旧物破壊の風
潮の中で取り壊されたままになっていた。第2次世界大戦後になって文化財保護の思想が高まり、松本城国宝保存工事、黒門の復興等を経て、
平成11年(1999) 3月、128年ぶりに太鼓門枡形が復元された。
この門の名称の由来となった太鼓楼は門台北石垣上に置かれ、太鼓や鐘がおかれて様々な合図が発信され、また櫓門の脇には、築造者の
官名に因む、重量22.5トンの巨石、「玄蕃石」を据え威風堂々とした枡形門を形造っていた。一般に城の重要な門には、威厳をそえるため
巨石を据えることが多かった。この玄蕃石も同様な意味を持つものである。
石川康長のころには天守を中心として本丸・二の丸(内曲輪)を「御本城」として整備拡充し、三の丸(外曲輪)には武士を集住させるため
の武家屋敷を建設し、五カ所の城戸(柵門)はいずれも櫓門に変えられた。 -
太鼓門。
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「玄蕃石」
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おほり。
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堀。
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太鼓門。
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太鼓門枡形(たいこもんますがた)
太鼓門耕形は、奥の大きな一の門、手前の小さな二の門、一の門と二の門の間の枡形から構成されています。太鼓門は三の丸から二の丸へ入る正門で、
一の門正面の石垣には「玄蕃石」とよばれる大きな石が据えられています。門は朝6時に開けられ、タ方6時に閉められました。太鼓門北側門台上に、
藩士召集の合図や時を知らせるための鐘と太鼓を備えた「太鼓楼」があったことから太鼓門とよばれました。
太鼓門は、江戸時代初めには完成していたと考えられています。明治4年(1871)に取り壊され、現在の門は平成11年(1999)に復元されたものです。
一の門・二の門・周囲の塀に囲まれた枡形は、攻め入った敵兵の動きを封じ、周囲から攻撃するためのものです。また、堀を渡る土橋は、門側の幅が狭
くなる「鵜の首」とよばれる形をしており、敵兵の進攻を遅らせるためのものといわれています。太鼓門枡形のこうした特徴から、正門として、また戦い
に備える門としての姿をうかがうことができます。 -
全景。
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絶景です。
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きれいなお城です。
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すばらしい。
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天守閣。
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パノラマで。
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埋橋と共に。
中央公園 公園・植物園
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松本インターを下りて、松本城へ。そして、市内観光。最後に、浅間温泉(右上)へ。
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