2022/04/15 - 2022/04/17
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ちゃおさん
今の人にとっては、右京さん、と言ったら「相棒」の緻密な刑事、杉下右京を思い浮かべる人も多いだろう。昔の人にとっての右京は、京都の右京、を思い浮かべるかも知れない。今日の壱岐島最初の訪問先は、その右京ではなく、左京の鼻。この左京鼻がいつ頃からこのように呼ばれ始めたのか、ガイドの説明もないし、「街道をゆく」にも出ていなかった。ここからは自分の勝手な想像だが、この「左京鼻」は都大路、京の都の「左京」から来ているのではないかと思った。
この島を俯瞰すると、南北にやや広がった楕円形をしていて、その形はどことなく京の都の俯瞰図に似ている。その楕円形の島の中で、この「左京鼻」がある場所は、都で言えば丁度左京区に当たる場所。この左京鼻はそこから来たのではないか、と思った。そう名付けられたのも相当に古い時代、勿論戦後の観光ブームでこの離島まで観光客が押し寄せてきた時代よりも遥かに古い昔の時代。多分この島の酒造り集団が都に上り、酒の神様、松尾大社を創建した頃にまで遡るのではないかと思う。松尾大社は右京区の下の辺の桂川近くに当たる。その地理的関係で、京の左京に当たるこの部分の海中から突き出た岩礁を鼻に見立て、左京鼻と名付けた。しかし同じ海中から突き出た岩礁を右京区に当たる部分では「猿岩」と呼び、こちらの左京では「鼻」と呼ぶ。その違いまでは想像も付かないが、猿も鼻も単純な造形を表現しただけのものだろう。「猿岩」が「右京猿」と呼ばれないのも、この名前が戦後の現代になってから名づけられたからではないか・・。
「鼻」の見える海べりは樹木が一本も生えていない草地の先にある。海からの風が強いので、樹木は生えず背の低い地衣類位しか生育できないのだろう。海べりは断崖になって、荒海が岩に押し寄せ波頭が飛沫を上げている。「鼻」は陸地から100m位の海上に黒々した岩肌を見せ、荒波に洗われている。昨日「猿岩」で見たと同じような玄海の荒海の中に立つ自然の造形。こうした海岸線では良く見かける岩礁ではあるが、観光資源の乏しいこの島ではこうした自然の産物を殊更引き立て、観光化しているのだろう。断崖の一番先の方に小さな赤い鳥居が見えた。鳥居だけで祠はないようだ。自然神。この荒海と断崖を自然の神と見立て、崇拝する原初神道の名残かも知れない。初期の頃の大神神社(三輪大社)がそうだった。風も強く、足も疲れ、かなり遠いその場所までは行くのは止め、遙拝だけにしておいた。
- 旅行の満足度
- 5.0
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