2022/04/29 - 2022/05/05
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ミズ旅撮る人さん
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高知県の龍河洞を出て、南国(なんこく)ICから高知道に入って北上。
松山道を西に向かって、いよいよ伊予の国愛媛県です。新居浜ICから出て
県道47号線を南下すると、かつて世界でも有数の銅鉱山であった別子銅山を
探索することの出来る「マイントピア別子」があります。
ここは、鉱山の坑道をはじめ、発電所や貯鉱庫跡などの施設を見ることが出来る上に、
砂金採りやバーベキュー、産直市にレストラン、キッズパークがあり、
別子温泉「天空の湯」まであります。
単なる鉱山見学ではなく、一大レジャーランドなのです。
本館から坑道入口までは、なんとかつての鉱山鉄道を模した機関車と客車で移動します。
坑道の中は、前半は採掘の様子を再現したものですが、
後半は体験型遊学パークとなっていて、遊園地のような場所になっています。
湧水体験などは大人がやってもおもしろいです。
GWは芍薬(しゃくやく)の季節でもあり、鮮やかな芍薬畑を楽しむことも出来ました。
別子銅山は広大な鉱山で、「マイントピア別子」から更に山奥に入った所に、
「東洋のマチュピチュ」と称された「東平(とうなる)」地区があります。
是非とも訪れたかったのですが、なんと直前(3/19)になって土砂崩れのため通行禁止
となり、3ヵ月経っても、いつ復旧するのかわかりません。
涙を呑んで断念しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
高知道を北上しています。高知道は四国山地を突き抜けるので、
トンネルに次ぐトンネル。この成川トンネルは22本あるトンネルの
15本目です。瀬戸内側と隔絶した感がありますね。 -
「マイントピア別子」本館です。
「マイン」は鉱山や坑道を表し、「トピア」は「場所、風景」を意味する古代ギリシア語です(凡例ユートピア)。
ここに来るまで「マイント・ピア」だと思っていました。
宮城県栗原市鶯沢の「細倉マインパーク」や、
石川県小松市尾小屋町「石川県立尾小屋鉱山資料館」に併設されている、
昔の坑道を利用した「マインロード」など、「マイン」という名称は
鉱山観光施設で使われています。
尾小屋には、尾小屋鉄道の蒸気機関車が保存されているので、
2021年に訪れています。
「マイントピア別子」は、最後の採鉱本部が置かれていた
端出場(はでば)ゾーンと、
最盛期の拠点であった東平(とうなる)ゾーンがあります。
銅山のテーマパークとして1991(平成3)年に開業しました。マイントピア別子 名所・史跡
-
本館の入口には、電飾で縁取られた蒸気機関車と客車があります。
客車は駐車場などにいくつかあり、休憩所として利用されています。マイントピア別子 端出場ゾーン テーマパーク
-
本館の2階には鉱山鉄道の乗り場があります。
本館側の駅名は「開運駅(はでば)」です。
端出場(はでば)地区の名称も併記されているので、
駅名が2つあるようなものです。
20分毎に発車しています。
料金は鉱山観光に含まれており、大人1,300円です。 -
この蒸気機関車は住友別子鉱山鉄道で走っていた
「別子1号」をやや小さく復元したもので、モーターで動きます。 -
別子銅山は、栃木県の足尾銅山(82万t)に次ぐ日本第2位の産出量(65万t)があり、日本三大銅山の一つでした。
住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を次々と興して
発展し、日本を代表する巨大財閥となりました。
機関車の側面にも住友のマークが見えます。 -
外観は蒸気機関車でも、運転席はこうなっています。
なんとマイクまで。ほぼ電車ですね。 -
鉱山鉄道で実際に走っていた蒸気機関車の車輛は、
松山道を挟んで北側にある「別子銅山記念館」の玄関前に
静態展示されています。こちらは2019年末に訪れています。
現物は重さが違いますね。ちゃんと住友マークが付いています。 -
2019年3月1日、観光列車がリニューアルされ、
カゴ車や人車が連結され、より本物に近い列車となりました。
編成は、別子1号・カゴ車・人車・一般客車・バリアフリー客車・
銅婚客車・電気機関車です。銅婚客車って何? -
この車輛は、カゴ車・人車と呼ばれるもので、
鉱夫たちを坑道の中に運んで行きました。 -
「開運駅」から「幸運駅」までは約5分。
鉱山観光列車は、時速10kmでゆっくり走ります。
「端出場隧道(中尾トンネル)」を抜けると「打除(うちよけ)鉄橋」を
渡り、すぐに「幸運駅」に到着します。 -
「幸運駅」にも、「打除(うちよけ)」と復記されています。
無理にLuckyとか、Good Luckなどにしなくても、
歴史ある「端出場」と「打除」でいいと思うのですが。 -
駅舎を通り抜けると橋があり、川向こうに煉瓦造の坑道入口が見えます。
-
約333mの「観光坑道」の絵地図です。
内部は江戸・近代・遊学パーク体験、の3ゾーンに分かれています。 -
「東洋のマチュピチュ」と称される「東平(とうなる)ゾーン」
(標高:約750m)は、「端出場(はでば)ゾーン」(同約150m)から
約11km離れた場所にあります。
何故マチュピチュなんでしょうね。マチュピチュには実際に行ったことがあるので、類似点は何一つない事がわかります。
※市道「河又~東平線」通行止めのお知らせ(2022年3月19日から)
落石の影響により、東平ゾーンへの通行路となる
市道「河又~東平線」が通行止めとなっております。
一般車両が通行不可となるほか、弊社が催行する「東平行き定期観光
バスツアー」を中止、東平ゾーンは臨時休館となります。 -
マスコットキャラの「銅太(どうた)くん」がヘルメットをかぶり、
つるはしを持って待っています。 -
坑道入口です。明治の煉瓦造りが再現されています。
-
橋から国領川の上流を見ると、渓谷が望めます。
赤い橋が帰りに渡る橋です。 -
坑道の中に入りました。足元だけにしか明かりのない暗い坑道を
少し上って行きます。 -
「江戸ゾーン」が始まる前に、別子銅山の歴史を紹介しています。
最初の坑道である「歓喜坑」、第一通洞(1,021m)、かご電車が運行
されていた第三通洞(4,000m)、第四通洞(10,000m)の説明です。 -
それぞれの入口が模型で現わされています。
「端出場」は、第四通洞です。実際にはそれぞれが数㎞離れています。 -
「四阪(しさか)島の歴史」が簡単に書かれています。
1895(明治28)年に住友が四阪島を買収。
1905(明治38)年より精錬所の操業を開始しました。
四阪島は、愛媛県新居浜市の北北東約18kmに浮かぶ5つの島
(家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島)の総称です。
現在、家ノ島には住友金属鉱山の子会社四阪製錬所の工場があり、
全島が住友金属鉱山の所有となっています。
但し、島に住んでいる人はおらず、工場の従業員は定期船で
新居浜から通っています。 -
以下は「住友グループ広報委員会」のHPからの抜粋です。
「製錬所から出る亜硫酸ガスは、酸性雨となって周辺の山々に降り注ぎ、
木々を枯らし、ほとんど禿げ山同然となっていた。
明治32年(1899年)の台風直撃時には、保水機能を失った山肌が、
激しい山津波を起こし、別子山中の銅山施設は壊滅的な打撃を受けた。
明治27年に別子銅山支配人となった伊庭貞剛は、赴任した別子で
荒廃した山々を見て、即座に「別子全山を元の青々とした姿にして、
これを大自然にかえさなければならない」と決意。
大造林計画に着手した。薪炭を石炭燃料に代替することを画策。
同時に別子の山々に毎年100万本以上の植林を開始した。」 -
四阪島で精錬所の操業を開始したところ、煙害はかえって広範囲に
広がる結果となり、越智郡のみならず周桑郡、新居郡、宇摩郡と、
東予地方ほぼ全域が被害を被りました。
この問題は、1939(昭和14)年にアンモニア水による
中和工場が完成して、ようやく解決しました。 -
四阪島の最盛期は大正末期で、この時期は人口5,500人を
超えていました。1973(昭和48)年の閉山を受け、
1977年には、一部の工場関係者を除く島民は島を離れました。
2010年10月に住友金属鉱山から株式会社四阪製錬所として
分社化しています。
長崎県の端島が軍艦島として有名ですが、日本国内には、
似たような鉱山の島がいくつかあります。
同じ長崎県の池島などは、団地ばかりが目立つ端島よりも、
鉱山施設がたくさんあって、興味深いです。
2018年に訪れた時の旅行記を書いています。
現在、四阪島は関係者以外立入禁止ですが、
かつての施設が多数残っているようで、訪れてみたい場所です。 -
現在の気温14.3℃。数字を見ると寒そうですが、
GWだったので快適な気温でした。 -
江戸ゾーンが始まります。
1690(元禄3)年、標高1,000mを超える別子山村に発見された
露頭を手がかりに、住友が採掘を開始しました。
1695年には、別子銅山山中に2,700人が暮らす鉱山町が
形成されていました。
1876(明治9)年、外国人技師を雇い入れ、大規模な改革を行い、
1893(明治26)年には、鉄道も整備しました。
ドルショックの影響で、1973(昭和48)年に別子銅山は終掘します。
全期間の産銅量65万tは、足尾鉱山に次いで国内2番目でした。 -
歓喜坑の再現。
1691(元禄4)年に開かれた別子銅山の最初の坑道。人々はこの
将来有望な銅山の坑口に立って、前途を祝福し、抱き合って
歓喜したところから、この名が付けられたそうです。 -
負夫(おいふ)と堀子(ほりこ)
坑口の上には、銅山の守護神が祀ってありました。
背にかずらで編んだ籠を背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(堀子)は
さざえの貝殻で作った明り取りを手にして坑内に入りました。 -
湧き水の引き揚げ
鉱石を採ると、石の目を伝って水が溜まり、採鉱が難しくなりました。
そこでこの湧き水を昼も夜も、坑外へ汲み出す作業が行われました。
これを、後半の体験ゾーンで実際にやって見ることが出来ます。 -
これだけの大掛かりな作業となると、実際の採掘と変わらない
たいへんな労働力が必要だったことでしょう。 -
坑口と風呂場
別子銅山では、歓喜坑を出るとすぐ共同浴場があり、たいへん便利に
作られていました。銅山で働く人々は、その日の作業を終えると、
湯を使い、疲れを癒しました。
かつての日本は混浴が当たり前だったんですね。 -
砕女(かなめ)小屋
運び出された鉱石は、砕女と呼ばれる女性たちによって、
金槌で1寸(3㎝)角くらいの大きさに砕かれ、
色の濃淡によって選別されました。 -
銅の精錬
選別された銅は、多くの工程を経て製錬されました。
それは別子だけでなく大阪にも送られて、ようやく製品となったのです。
製品銅は、輸出用の棹(さお)銅、また国内向けの板状にした丸銅や
丁銅と呼ばれるもので、それぞれ形が変えられていました。
「別子銅山産銅鉱石(含銅硫化鉄鉱)成分」が置かれています。
成分が多い順に、硫黄・鉄・銅・ケイ素(シリカ)・ヒ素・コバルト・鉛・マンガン・アンチモン・アルミニウム等です。
硫黄と鉄で9割を占め、その残りの1割の中から
銅を採り出していたのですね。 -
銅の精錬工程の化学反応式を手書きで著わしてあります。
化学記号好きには、たまらなくおもしろい内容なのですが、
何故手書きなんでしょう?
もっと図解入りで、大きく書けば興味を持たれると思います。
実際の作業風景に、ここで鉄と銅が分離されるなどの説明を加えれば、
その作業にどんな意味があったのかを、本当に理解することが出来ます。
そうした説明を行っているのが、世界遺産の石見銀山龍源寺間歩(まぶ)です。
こうした施設によくある事ですが、来館者は化学記号も知らず、
化学反応を理解していないから説明してもわからないだろうと
一方的に思っているようです。
化学の好きな人、専門知識のある人、いろんな人が来ると思います。
採れた鉱石にどういう作業をすると、何が起こるのか、
知的好奇心を満足させる展示がないので、
ただ、ふ~ん、大変だったんだねで終わってしまうのです。
単に掘削の様子を再現するだけのありきたりな展示から、
脱却して発展して欲しいものです。日本人の化学に対する興味が
薄いのは、当の科・化学者たちにも責任があります。
※「製錬」の文字の下には小さく、5~500円硬貨の組成が
書き込まれています。「CuFeS2(黄銅鉱)」の上に伸びた
矢印の先にある「SO2」が大気汚染の元です。 -
棹(さお)銅の製造過程
江戸時代、オランダ・中国へ長崎から輸出された銅製品。
長さ約23㎝、幅約1.5㎝、重さ263~300gで、
東アジアの貨幣や、銅線、銅板、銅細工品の原料となった。
美しい赤紫色が外国で珍重された。
人形の持つ「やっとこ」に硬貨が挟まれていますが、
これは観光客のいたずらです。本来は、型に流し入れて
棹状に成型した銅を挟んで採り出すために使います。 -
棹銅の純度
銅99.29%、鉛0.35%、ニッケル0.23%・・・
この棹銅の品位から近世に於ける精錬技術(南蛮吹き他)の素晴らしさが
推測される。現在の電気分解による電気銅の品位は99.99%以上である。
棹銅の99.29%から99.99%へは電気分解が必要。
日本は、かつて化学技術の先進国だったのです。
もっと喧伝してもいいと思います。 -
粗銅改め
山で作られた粗銅は、山役人の立会いの下、作られた量を計られました。
当時、銅山税として、生産量の13%が幕府に納められていました。 -
前半の江戸ゾーンが終わりました。
この先は、中盤の近代ゾーンとなります。 -
明治以降に近代化が進んだ別子銅山の様子を、
巨大模型や映像で再現しています。 -
ボタンを押すと、動くようになっているのですが、
残念ながらどれも動きませんでした。 -
鉱山町に住む人々の様子が、楽しそうに再現されています。
炭鉱夫というと、暗いイメージがあったりしますが、
秋田県鹿角郡小坂町にある「小坂鉱山事務所」の展示によると、
日本国内でも早くに町が電化され、娯楽が発達し、鉄道が走り、
鉱山町の住民は、最先端の生活をしていたようです。
長崎県の端島でも、そうした説明がありました。
だから人々が急激に集まったのです。 -
ちゃんと鉱山鉄道の模型もありました。動くと良かったのに。
-
ジオラマの先には「注意!!」と書かれた看板があります。
「この坑道は火薬庫として利用していました。
立坑は火薬が爆発した時の爆風の抜け穴として掘られました。」
300年近い歴史の中で、こうした防災設備が確立して行ったのでしょう。 -
「旧別子地区」
1691(元禄4)年の開坑から明治32年まで銅山の中心地であった。
1899(明治32)年8月28日の大水害により、
別子地域は濁流に飲み込まれ、諸施設は壊滅的な打撃を受けた。
この山津波(土石流)による死者は513名、中でも被害の激しかったのは見花谷社宅で、死者370人、そのうち128人が行方不明となっている。
この水害は、山の樹木の伐採や煙害による枯木のため、
余計に被害が激しかったと考えられる。
旧別子地区にあった小足谷劇場は、明治22年に建てられ、
毎年5月の山神祭の3日間は、歌舞伎の名優を京都から呼んで、
数千人の観客をうならせたと言われる。 -
旧別子地区へは、登山道を歩いて銅山越までの往復で3時間掛かります。
小足谷摂待館、劇場、小学校、第一通洞、蘭塔場、歓喜坑、歓東坑など、
江戸時代から明治にかけての産業遺産が数多く見られます。
もう少し気軽に見学できるといいのになあ。 -
昭和30年頃の端出場(はでば)。現在地です。
端出場には、昭和5~48年の閉山まで採鉱本部がありました。
明治26年に下部鉄道の始発駅が完成した頃から、
昭和48年の閉山迄の80年あまり、別子銅山の拠点でした。
敷地内には、旧水力発電所・第四通洞・大斜坑・貯鉱庫跡や端出場鉄橋・
中尾トンネル・泉寿亭などの産業遺産が見られます。 -
東平(とうなる)地区
現在地から10㎞離れています。索道場跡・貯鉱庫跡・インクライン跡・
第三通洞・第三変電所跡などの産業遺産が見られます。
東平歴史資料館があります。
※2022年3月より6月現在、落石により通行止め。 -
暗い坑道が臨場感を引き立てます。江戸ゾーンを出ます。
-
後半に入る前に、ドキュメント映像シアターがあります。
周囲には炭鉱夫達が使用していた道具類が展示されています。 -
後半の遊学パーク・体験ゾーンに入ります。
観光用の坑道の中で、こういうゾーンがあるのは初めてです。
レジャーランドならではの趣向ですね。 -
左の階段を上がると、地下1,000mへ行くエレベーターがあります。
到着すると反対側のドアが開きます。 -
出た所は「迷路岩」で、別子銅山で採掘された鉱石が展示されています。
-
展示を見て行くと、索道ゴンドラがあります。
一人乗りなので、下りたのを確認したら、上のスイッチを押して
ゴンドラを戻して乗り込みます。 -
削岩機の体験
左の削岩機は動かすと岩が開き水が流れ出します。
右の削岩機は風が吹き出します。 -
次は、江戸ゾーンで見た地下水の汲み上げの体験です。
-
岩山には3台の汲み上げポンプがセットされています。
-
下から順番に水を汲み上げて、鹿威し(ししおどし)に水を溜めます。
-
水がいっぱい貯まると鹿威しから水が流れ出し、アーチを渡って
水車を回します。最後はハンドベルの演奏が始まります。
最初は、なかなか水が上がらず断念しそうでしたが、
順々に上のポンプを動かして行って、鹿威しに水が到達すると、
俄然やる気が出ます。鹿威しから水が流れ落ちて行くと、
何とも言えない達成感が味わえました。 -
坑道から出て、幸運駅に来ました。
ちょうど列車が「打除(うちよけ)鉄橋」を渡って来ました。
1893(明治26)年に架けられたドイツ製の橋で、
登録有形文化財に指定されています。 -
今回の表紙は、この別子1号機です。
-
別子鉱山鉄道は、瀬戸内に面した新居浜と別子銅山の南麓を結ぶ
輸送経路を確立するため、1893(明治26)年に建設されました。
三つの区間に分かれ、第一通洞の北口付近の角石原(標高1,100m)から
石ヶ山丈(同850m)に至る5.5kmを走る「上部鉄道」、
石ヶ山丈と端出場(同164m)をロープウェイで繋ぐ「高架索道」、
そして端出場から製錬所のある山根・惣開(新居浜)までの
10.3kmを繋ぐ「下部鉄道」です。
上部鉄道は、日本初の高山鉄道として運行を開始しましたが、
明治44年に東平と別子山日浦が第三通洞によって繋がったことにより、
第一通洞はその役割を終え、同時に上部鉄道も廃止となりました。
下部鉄道は、昭和に入ってから一般旅客営業も行うなど、
地域の足としても親しまれて来ましたが、
別子閉山から間もない1977(昭和52)年に営業を終えました。 -
開運駅に到着しました。乗車時間5分は短い。
別子1号の反対側に電気機関車・キッズ専用車が連結されています。
他の車輛はすべて屋根付きで、トロッコ状態なのはこれだけです。
「キッズ専用」とは、残念だなあ。 -
列車が開運駅を出てすぐにある端出場隧道。登録有形文化財です。
下部鉄道が開通した時に建設され、今も現役で使われています。 -
トンネルの前の橋を渡った向こう側では、砂金採り体験が出来ます。
30分の制限時間内に、砂の中に隠れている「砂金」や宝石、
景品と交換できる赤玉&黒玉を見つけます。
「鉱山観光」&「砂金採り体験」は、セット料金で1,750円。
中に入れるのは体験者のみなので、付き添い人は柵の外から見守ります。
金の他に銀も入っていて、金銀でお持ち帰りが出来ます。 -
泉寿亭
1937(昭和12)年、住友接待館として新居浜市北新町に建築された
京風数寄屋造りの建物は、1991(平成3)年に端出場へ移築されました。 -
5月は芍薬の季節です。マイントピア別子では、
5月の芍薬、8月のカノコユリ、11~12月の冬桜と、
3つの花の季節を楽しめます。 -
GWは、まだ芍薬が咲き始めたばかりです。
-
変わった咲き方の芍薬。真ん丸のつぼみが可愛らしい。
-
ピンクの芍薬は、まだまだこれから。
-
旧端出場水力発電所
1912(明治45)年、初の本格的な大規模電力設備として開発され
ました。当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われ、
別子銅山の機械化による近代化が大きく進みました。
大正時代に出力を4,800kWに増強し、
1970(昭和45)年まで現役として活躍しました。
赤煉瓦造りの建物は、愛媛県を代表する西洋建築のひとつで、
マイントピア本館のモデルとなりました。
中には、ドイツのシーメンス社製発電機、
フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。 -
端出場水力発電所の歴史を詳しく説明した展示が、本館の中にあります。
-
発電所の仕組みについて書かれています。単純な造りではなく、
遠くの水流を水路と鉱山用のトンネルを利用して引き込み、
そこで発電するようになっています。
考え方が大胆で幅広い視野を持った人が計画したのでしょう。
幕末から昭和初期にかけて、多くのこうした人達が輩出しました。
多くの機械に囲まれて便利な生活をしている筈の私たちは、
何を失ったのでしょうか。 -
「20㎞沖の四阪島へ送電」
1905(明治38)年に操業開始した瀬戸内海の島である四阪島の精錬所は、近代化を進めるために、大量の電力を必要としていました。
その解決策として、新居浜から四阪島まで海底ケーブルを敷設して
送電する計画を立てました。
当時世界最長の海底ケーブルは、サンフランシスコ湾の6.7㎞でしたが、
四阪島までは20㎞もありました。
しかし、大正11年に端出場水力発電所から四阪島製錬所へ
海底ケーブルでの送電を開始しました。
敷設の苦労話が下部に書かれています。
抜粋「海上における接続に際し、これを海中に取り落とし、
周章狼狽したる事あり。
風浪のために仕事を阻害せられたる事あり。」 -
「その輝かしい歴史は永遠に」
1922(大正11)年四阪島への海底ケーブル敷設の翌年、
既設の1号機・2号機に加えて、1,500kwの3号機を増設しました。
そして、発電使用量を増やすため、昭和5年に水源の七番川に
重力式の堰堤を完成させ、昭和9年にその出力を4,800kwとしました。
その後、1970(昭和45)に閉鎖されるまで主力発電所として
電力を供給し続けました。
平成22年に住友共同電力から新居浜市へ寄贈され、
国の登録有形文化財に指定されました。
これでこの回は終わります。
次回は瀬戸内海の大久野島、通称「うさぎ島」へ行きます。
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