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高知県の龍河洞を出て、南国(なんこく)ICから高知道に入って北上。<br />松山道を西に向かって、いよいよ伊予の国愛媛県です。新居浜ICから出て<br />県道47号線を南下すると、かつて世界でも有数の銅鉱山であった別子銅山を<br />探索することの出来る「マイントピア別子」があります。<br />ここは、鉱山の坑道をはじめ、発電所や貯鉱庫跡などの施設を見ることが出来る上に、<br />砂金採りやバーベキュー、産直市にレストラン、キッズパークがあり、<br />別子温泉「天空の湯」まであります。<br />単なる鉱山見学ではなく、一大レジャーランドなのです。<br />本館から坑道入口までは、なんとかつての鉱山鉄道を模した機関車と客車で移動します。<br />坑道の中は、前半は採掘の様子を再現したものですが、<br />後半は体験型遊学パークとなっていて、遊園地のような場所になっています。<br />湧水体験などは大人がやってもおもしろいです。<br />GWは芍薬(しゃくやく)の季節でもあり、鮮やかな芍薬畑を楽しむことも出来ました。<br /> 別子銅山は広大な鉱山で、「マイントピア別子」から更に山奥に入った所に、<br />「東洋のマチュピチュ」と称された「東平(とうなる)」地区があります。<br />是非とも訪れたかったのですが、なんと直前(3/19)になって土砂崩れのため通行禁止<br />となり、3ヵ月経っても、いつ復旧するのかわかりません。<br />涙を呑んで断念しました。

愛媛県新居浜市の別子銅山跡地「マイントピア別子」

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2022/04/29 - 2022/05/05

90位(同エリア118件中)

旅行記グループ 2022年GW 四国周遊

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ミズ旅撮る人

ミズ旅撮る人さん

高知県の龍河洞を出て、南国(なんこく)ICから高知道に入って北上。
松山道を西に向かって、いよいよ伊予の国愛媛県です。新居浜ICから出て
県道47号線を南下すると、かつて世界でも有数の銅鉱山であった別子銅山を
探索することの出来る「マイントピア別子」があります。
ここは、鉱山の坑道をはじめ、発電所や貯鉱庫跡などの施設を見ることが出来る上に、
砂金採りやバーベキュー、産直市にレストラン、キッズパークがあり、
別子温泉「天空の湯」まであります。
単なる鉱山見学ではなく、一大レジャーランドなのです。
本館から坑道入口までは、なんとかつての鉱山鉄道を模した機関車と客車で移動します。
坑道の中は、前半は採掘の様子を再現したものですが、
後半は体験型遊学パークとなっていて、遊園地のような場所になっています。
湧水体験などは大人がやってもおもしろいです。
GWは芍薬(しゃくやく)の季節でもあり、鮮やかな芍薬畑を楽しむことも出来ました。
 別子銅山は広大な鉱山で、「マイントピア別子」から更に山奥に入った所に、
「東洋のマチュピチュ」と称された「東平(とうなる)」地区があります。
是非とも訪れたかったのですが、なんと直前(3/19)になって土砂崩れのため通行禁止
となり、3ヵ月経っても、いつ復旧するのかわかりません。
涙を呑んで断念しました。

旅行の満足度
4.0
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 高知道を北上しています。高知道は四国山地を突き抜けるので、<br />トンネルに次ぐトンネル。この成川トンネルは22本あるトンネルの<br />15本目です。瀬戸内側と隔絶した感がありますね。<br />

    高知道を北上しています。高知道は四国山地を突き抜けるので、
    トンネルに次ぐトンネル。この成川トンネルは22本あるトンネルの
    15本目です。瀬戸内側と隔絶した感がありますね。

  • 「マイントピア別子」本館です。<br />「マイン」は鉱山や坑道を表し、「トピア」は「場所、風景」を意味する古代ギリシア語です(凡例ユートピア)。<br />ここに来るまで「マイント・ピア」だと思っていました。<br />宮城県栗原市鶯沢の「細倉マインパーク」や、<br />石川県小松市尾小屋町「石川県立尾小屋鉱山資料館」に併設されている、<br />昔の坑道を利用した「マインロード」など、「マイン」という名称は<br />鉱山観光施設で使われています。<br />尾小屋には、尾小屋鉄道の蒸気機関車が保存されているので、<br />2021年に訪れています。<br /> 「マイントピア別子」は、最後の採鉱本部が置かれていた<br />端出場(はでば)ゾーンと、<br />最盛期の拠点であった東平(とうなる)ゾーンがあります。<br />銅山のテーマパークとして1991(平成3)年に開業しました。

    「マイントピア別子」本館です。
    「マイン」は鉱山や坑道を表し、「トピア」は「場所、風景」を意味する古代ギリシア語です(凡例ユートピア)。
    ここに来るまで「マイント・ピア」だと思っていました。
    宮城県栗原市鶯沢の「細倉マインパーク」や、
    石川県小松市尾小屋町「石川県立尾小屋鉱山資料館」に併設されている、
    昔の坑道を利用した「マインロード」など、「マイン」という名称は
    鉱山観光施設で使われています。
    尾小屋には、尾小屋鉄道の蒸気機関車が保存されているので、
    2021年に訪れています。
     「マイントピア別子」は、最後の採鉱本部が置かれていた
    端出場(はでば)ゾーンと、
    最盛期の拠点であった東平(とうなる)ゾーンがあります。
    銅山のテーマパークとして1991(平成3)年に開業しました。

    マイントピア別子 名所・史跡

  • 本館の入口には、電飾で縁取られた蒸気機関車と客車があります。<br />客車は駐車場などにいくつかあり、休憩所として利用されています。<br />

    本館の入口には、電飾で縁取られた蒸気機関車と客車があります。
    客車は駐車場などにいくつかあり、休憩所として利用されています。

    マイントピア別子 端出場ゾーン テーマパーク

  • 本館の2階には鉱山鉄道の乗り場があります。<br />本館側の駅名は「開運駅(はでば)」です。<br />端出場(はでば)地区の名称も併記されているので、<br />駅名が2つあるようなものです。<br />20分毎に発車しています。<br />料金は鉱山観光に含まれており、大人1,300円です。

    本館の2階には鉱山鉄道の乗り場があります。
    本館側の駅名は「開運駅(はでば)」です。
    端出場(はでば)地区の名称も併記されているので、
    駅名が2つあるようなものです。
    20分毎に発車しています。
    料金は鉱山観光に含まれており、大人1,300円です。

  • この蒸気機関車は住友別子鉱山鉄道で走っていた<br />「別子1号」をやや小さく復元したもので、モーターで動きます。<br />

    この蒸気機関車は住友別子鉱山鉄道で走っていた
    「別子1号」をやや小さく復元したもので、モーターで動きます。

  • 別子銅山は、栃木県の足尾銅山(82万t)に次ぐ日本第2位の産出量(65万t)があり、日本三大銅山の一つでした。<br />住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を次々と興して<br />発展し、日本を代表する巨大財閥となりました。<br />機関車の側面にも住友のマークが見えます。<br />

    別子銅山は、栃木県の足尾銅山(82万t)に次ぐ日本第2位の産出量(65万t)があり、日本三大銅山の一つでした。
    住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を次々と興して
    発展し、日本を代表する巨大財閥となりました。
    機関車の側面にも住友のマークが見えます。

  • 外観は蒸気機関車でも、運転席はこうなっています。<br />なんとマイクまで。ほぼ電車ですね。<br />

    外観は蒸気機関車でも、運転席はこうなっています。
    なんとマイクまで。ほぼ電車ですね。

  • 鉱山鉄道で実際に走っていた蒸気機関車の車輛は、<br />松山道を挟んで北側にある「別子銅山記念館」の玄関前に<br />静態展示されています。こちらは2019年末に訪れています。<br />現物は重さが違いますね。ちゃんと住友マークが付いています。<br />

    鉱山鉄道で実際に走っていた蒸気機関車の車輛は、
    松山道を挟んで北側にある「別子銅山記念館」の玄関前に
    静態展示されています。こちらは2019年末に訪れています。
    現物は重さが違いますね。ちゃんと住友マークが付いています。

  • 2019年3月1日、観光列車がリニューアルされ、<br />カゴ車や人車が連結され、より本物に近い列車となりました。<br />編成は、別子1号・カゴ車・人車・一般客車・バリアフリー客車・<br />銅婚客車・電気機関車です。銅婚客車って何?

    2019年3月1日、観光列車がリニューアルされ、
    カゴ車や人車が連結され、より本物に近い列車となりました。
    編成は、別子1号・カゴ車・人車・一般客車・バリアフリー客車・
    銅婚客車・電気機関車です。銅婚客車って何?

  • この車輛は、カゴ車・人車と呼ばれるもので、<br />鉱夫たちを坑道の中に運んで行きました。<br />

    この車輛は、カゴ車・人車と呼ばれるもので、
    鉱夫たちを坑道の中に運んで行きました。

  • 「開運駅」から「幸運駅」までは約5分。<br />鉱山観光列車は、時速10kmでゆっくり走ります。<br />「端出場隧道(中尾トンネル)」を抜けると「打除(うちよけ)鉄橋」を<br />渡り、すぐに「幸運駅」に到着します。

    「開運駅」から「幸運駅」までは約5分。
    鉱山観光列車は、時速10kmでゆっくり走ります。
    「端出場隧道(中尾トンネル)」を抜けると「打除(うちよけ)鉄橋」を
    渡り、すぐに「幸運駅」に到着します。

  • 「幸運駅」にも、「打除(うちよけ)」と復記されています。<br />無理にLuckyとか、Good Luckなどにしなくても、<br />歴史ある「端出場」と「打除」でいいと思うのですが。<br />

    「幸運駅」にも、「打除(うちよけ)」と復記されています。
    無理にLuckyとか、Good Luckなどにしなくても、
    歴史ある「端出場」と「打除」でいいと思うのですが。

  • 駅舎を通り抜けると橋があり、川向こうに煉瓦造の坑道入口が見えます。<br />

    駅舎を通り抜けると橋があり、川向こうに煉瓦造の坑道入口が見えます。

  • 約333mの「観光坑道」の絵地図です。<br />内部は江戸・近代・遊学パーク体験、の3ゾーンに分かれています。<br />

    約333mの「観光坑道」の絵地図です。
    内部は江戸・近代・遊学パーク体験、の3ゾーンに分かれています。

  • 「東洋のマチュピチュ」と称される「東平(とうなる)ゾーン」<br />(標高:約750m)は、「端出場(はでば)ゾーン」(同約150m)から<br />約11km離れた場所にあります。<br />何故マチュピチュなんでしょうね。マチュピチュには実際に行ったことがあるので、類似点は何一つない事がわかります。<br /> ※市道「河又~東平線」通行止めのお知らせ(2022年3月19日から)<br />落石の影響により、東平ゾーンへの通行路となる<br />市道「河又~東平線」が通行止めとなっております。<br />一般車両が通行不可となるほか、弊社が催行する「東平行き定期観光<br />バスツアー」を中止、東平ゾーンは臨時休館となります。<br />

    「東洋のマチュピチュ」と称される「東平(とうなる)ゾーン」
    (標高:約750m)は、「端出場(はでば)ゾーン」(同約150m)から
    約11km離れた場所にあります。
    何故マチュピチュなんでしょうね。マチュピチュには実際に行ったことがあるので、類似点は何一つない事がわかります。
     ※市道「河又~東平線」通行止めのお知らせ(2022年3月19日から)
    落石の影響により、東平ゾーンへの通行路となる
    市道「河又~東平線」が通行止めとなっております。
    一般車両が通行不可となるほか、弊社が催行する「東平行き定期観光
    バスツアー」を中止、東平ゾーンは臨時休館となります。

  • マスコットキャラの「銅太(どうた)くん」がヘルメットをかぶり、<br />つるはしを持って待っています。<br />

    マスコットキャラの「銅太(どうた)くん」がヘルメットをかぶり、
    つるはしを持って待っています。

  • 坑道入口です。明治の煉瓦造りが再現されています。<br />

    坑道入口です。明治の煉瓦造りが再現されています。

  • 橋から国領川の上流を見ると、渓谷が望めます。<br />赤い橋が帰りに渡る橋です。

    橋から国領川の上流を見ると、渓谷が望めます。
    赤い橋が帰りに渡る橋です。

  • 坑道の中に入りました。足元だけにしか明かりのない暗い坑道を<br />少し上って行きます。<br />

    坑道の中に入りました。足元だけにしか明かりのない暗い坑道を
    少し上って行きます。

  • 「江戸ゾーン」が始まる前に、別子銅山の歴史を紹介しています。<br />最初の坑道である「歓喜坑」、第一通洞(1,021m)、かご電車が運行<br />されていた第三通洞(4,000m)、第四通洞(10,000m)の説明です。<br />

    「江戸ゾーン」が始まる前に、別子銅山の歴史を紹介しています。
    最初の坑道である「歓喜坑」、第一通洞(1,021m)、かご電車が運行
    されていた第三通洞(4,000m)、第四通洞(10,000m)の説明です。

  • それぞれの入口が模型で現わされています。<br />「端出場」は、第四通洞です。実際にはそれぞれが数㎞離れています。<br />

    それぞれの入口が模型で現わされています。
    「端出場」は、第四通洞です。実際にはそれぞれが数㎞離れています。

  • 「四阪(しさか)島の歴史」が簡単に書かれています。<br />1895(明治28)年に住友が四阪島を買収。<br />1905(明治38)年より精錬所の操業を開始しました。<br />四阪島は、愛媛県新居浜市の北北東約18kmに浮かぶ5つの島<br />(家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島)の総称です。<br />現在、家ノ島には住友金属鉱山の子会社四阪製錬所の工場があり、<br />全島が住友金属鉱山の所有となっています。<br />但し、島に住んでいる人はおらず、工場の従業員は定期船で<br />新居浜から通っています。

    「四阪(しさか)島の歴史」が簡単に書かれています。
    1895(明治28)年に住友が四阪島を買収。
    1905(明治38)年より精錬所の操業を開始しました。
    四阪島は、愛媛県新居浜市の北北東約18kmに浮かぶ5つの島
    (家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島)の総称です。
    現在、家ノ島には住友金属鉱山の子会社四阪製錬所の工場があり、
    全島が住友金属鉱山の所有となっています。
    但し、島に住んでいる人はおらず、工場の従業員は定期船で
    新居浜から通っています。

  •  以下は「住友グループ広報委員会」のHPからの抜粋です。<br />「製錬所から出る亜硫酸ガスは、酸性雨となって周辺の山々に降り注ぎ、<br />木々を枯らし、ほとんど禿げ山同然となっていた。<br />明治32年(1899年)の台風直撃時には、保水機能を失った山肌が、<br />激しい山津波を起こし、別子山中の銅山施設は壊滅的な打撃を受けた。<br />明治27年に別子銅山支配人となった伊庭貞剛は、赴任した別子で<br />荒廃した山々を見て、即座に「別子全山を元の青々とした姿にして、<br />これを大自然にかえさなければならない」と決意。<br />大造林計画に着手した。薪炭を石炭燃料に代替することを画策。 <br />同時に別子の山々に毎年100万本以上の植林を開始した。」

     以下は「住友グループ広報委員会」のHPからの抜粋です。
    「製錬所から出る亜硫酸ガスは、酸性雨となって周辺の山々に降り注ぎ、
    木々を枯らし、ほとんど禿げ山同然となっていた。
    明治32年(1899年)の台風直撃時には、保水機能を失った山肌が、
    激しい山津波を起こし、別子山中の銅山施設は壊滅的な打撃を受けた。
    明治27年に別子銅山支配人となった伊庭貞剛は、赴任した別子で
    荒廃した山々を見て、即座に「別子全山を元の青々とした姿にして、
    これを大自然にかえさなければならない」と決意。
    大造林計画に着手した。薪炭を石炭燃料に代替することを画策。
    同時に別子の山々に毎年100万本以上の植林を開始した。」

  • 四阪島で精錬所の操業を開始したところ、煙害はかえって広範囲に<br />広がる結果となり、越智郡のみならず周桑郡、新居郡、宇摩郡と、<br />東予地方ほぼ全域が被害を被りました。<br />この問題は、1939(昭和14)年にアンモニア水による<br />中和工場が完成して、ようやく解決しました。<br />

    四阪島で精錬所の操業を開始したところ、煙害はかえって広範囲に
    広がる結果となり、越智郡のみならず周桑郡、新居郡、宇摩郡と、
    東予地方ほぼ全域が被害を被りました。
    この問題は、1939(昭和14)年にアンモニア水による
    中和工場が完成して、ようやく解決しました。

  • 四阪島の最盛期は大正末期で、この時期は人口5,500人を<br />超えていました。1973(昭和48)年の閉山を受け、<br />1977年には、一部の工場関係者を除く島民は島を離れました。<br />2010年10月に住友金属鉱山から株式会社四阪製錬所として<br />分社化しています。<br /> 長崎県の端島が軍艦島として有名ですが、日本国内には、<br />似たような鉱山の島がいくつかあります。<br />同じ長崎県の池島などは、団地ばかりが目立つ端島よりも、<br />鉱山施設がたくさんあって、興味深いです。<br />2018年に訪れた時の旅行記を書いています。<br />現在、四阪島は関係者以外立入禁止ですが、<br />かつての施設が多数残っているようで、訪れてみたい場所です。

    四阪島の最盛期は大正末期で、この時期は人口5,500人を
    超えていました。1973(昭和48)年の閉山を受け、
    1977年には、一部の工場関係者を除く島民は島を離れました。
    2010年10月に住友金属鉱山から株式会社四阪製錬所として
    分社化しています。
     長崎県の端島が軍艦島として有名ですが、日本国内には、
    似たような鉱山の島がいくつかあります。
    同じ長崎県の池島などは、団地ばかりが目立つ端島よりも、
    鉱山施設がたくさんあって、興味深いです。
    2018年に訪れた時の旅行記を書いています。
    現在、四阪島は関係者以外立入禁止ですが、
    かつての施設が多数残っているようで、訪れてみたい場所です。

  • 現在の気温14.3℃。数字を見ると寒そうですが、<br />GWだったので快適な気温でした。<br />

    現在の気温14.3℃。数字を見ると寒そうですが、
    GWだったので快適な気温でした。

  • 江戸ゾーンが始まります。<br />1690(元禄3)年、標高1,000mを超える別子山村に発見された<br />露頭を手がかりに、住友が採掘を開始しました。<br />1695年には、別子銅山山中に2,700人が暮らす鉱山町が<br />形成されていました。<br />1876(明治9)年、外国人技師を雇い入れ、大規模な改革を行い、<br />1893(明治26)年には、鉄道も整備しました。<br />ドルショックの影響で、1973(昭和48)年に別子銅山は終掘します。<br />全期間の産銅量65万tは、足尾鉱山に次いで国内2番目でした。<br />

    江戸ゾーンが始まります。
    1690(元禄3)年、標高1,000mを超える別子山村に発見された
    露頭を手がかりに、住友が採掘を開始しました。
    1695年には、別子銅山山中に2,700人が暮らす鉱山町が
    形成されていました。
    1876(明治9)年、外国人技師を雇い入れ、大規模な改革を行い、
    1893(明治26)年には、鉄道も整備しました。
    ドルショックの影響で、1973(昭和48)年に別子銅山は終掘します。
    全期間の産銅量65万tは、足尾鉱山に次いで国内2番目でした。

  • 歓喜坑の再現。<br />1691(元禄4)年に開かれた別子銅山の最初の坑道。人々はこの<br />将来有望な銅山の坑口に立って、前途を祝福し、抱き合って<br />歓喜したところから、この名が付けられたそうです。<br />

    歓喜坑の再現。
    1691(元禄4)年に開かれた別子銅山の最初の坑道。人々はこの
    将来有望な銅山の坑口に立って、前途を祝福し、抱き合って
    歓喜したところから、この名が付けられたそうです。

  • 負夫(おいふ)と堀子(ほりこ)<br />坑口の上には、銅山の守護神が祀ってありました。<br />背にかずらで編んだ籠を背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(堀子)は<br />さざえの貝殻で作った明り取りを手にして坑内に入りました。<br />

    負夫(おいふ)と堀子(ほりこ)
    坑口の上には、銅山の守護神が祀ってありました。
    背にかずらで編んだ籠を背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(堀子)は
    さざえの貝殻で作った明り取りを手にして坑内に入りました。

  • 湧き水の引き揚げ<br />鉱石を採ると、石の目を伝って水が溜まり、採鉱が難しくなりました。<br />そこでこの湧き水を昼も夜も、坑外へ汲み出す作業が行われました。<br />これを、後半の体験ゾーンで実際にやって見ることが出来ます。<br />

    湧き水の引き揚げ
    鉱石を採ると、石の目を伝って水が溜まり、採鉱が難しくなりました。
    そこでこの湧き水を昼も夜も、坑外へ汲み出す作業が行われました。
    これを、後半の体験ゾーンで実際にやって見ることが出来ます。

  • これだけの大掛かりな作業となると、実際の採掘と変わらない<br />たいへんな労働力が必要だったことでしょう。

    これだけの大掛かりな作業となると、実際の採掘と変わらない
    たいへんな労働力が必要だったことでしょう。

  • 坑口と風呂場<br />別子銅山では、歓喜坑を出るとすぐ共同浴場があり、たいへん便利に<br />作られていました。銅山で働く人々は、その日の作業を終えると、<br />湯を使い、疲れを癒しました。<br />かつての日本は混浴が当たり前だったんですね。<br />

    坑口と風呂場
    別子銅山では、歓喜坑を出るとすぐ共同浴場があり、たいへん便利に
    作られていました。銅山で働く人々は、その日の作業を終えると、
    湯を使い、疲れを癒しました。
    かつての日本は混浴が当たり前だったんですね。

  • 砕女(かなめ)小屋<br />運び出された鉱石は、砕女と呼ばれる女性たちによって、<br />金槌で1寸(3㎝)角くらいの大きさに砕かれ、<br />色の濃淡によって選別されました。<br />

    砕女(かなめ)小屋
    運び出された鉱石は、砕女と呼ばれる女性たちによって、
    金槌で1寸(3㎝)角くらいの大きさに砕かれ、
    色の濃淡によって選別されました。

  • 銅の精錬<br />選別された銅は、多くの工程を経て製錬されました。<br />それは別子だけでなく大阪にも送られて、ようやく製品となったのです。<br />製品銅は、輸出用の棹(さお)銅、また国内向けの板状にした丸銅や<br />丁銅と呼ばれるもので、それぞれ形が変えられていました。<br /><br />「別子銅山産銅鉱石(含銅硫化鉄鉱)成分」が置かれています。<br />成分が多い順に、硫黄・鉄・銅・ケイ素(シリカ)・ヒ素・コバルト・鉛・マンガン・アンチモン・アルミニウム等です。<br />硫黄と鉄で9割を占め、その残りの1割の中から<br />銅を採り出していたのですね。<br />

    銅の精錬
    選別された銅は、多くの工程を経て製錬されました。
    それは別子だけでなく大阪にも送られて、ようやく製品となったのです。
    製品銅は、輸出用の棹(さお)銅、また国内向けの板状にした丸銅や
    丁銅と呼ばれるもので、それぞれ形が変えられていました。

    「別子銅山産銅鉱石(含銅硫化鉄鉱)成分」が置かれています。
    成分が多い順に、硫黄・鉄・銅・ケイ素(シリカ)・ヒ素・コバルト・鉛・マンガン・アンチモン・アルミニウム等です。
    硫黄と鉄で9割を占め、その残りの1割の中から
    銅を採り出していたのですね。

  • 銅の精錬工程の化学反応式を手書きで著わしてあります。<br />化学記号好きには、たまらなくおもしろい内容なのですが、<br />何故手書きなんでしょう?<br />もっと図解入りで、大きく書けば興味を持たれると思います。<br />実際の作業風景に、ここで鉄と銅が分離されるなどの説明を加えれば、<br />その作業にどんな意味があったのかを、本当に理解することが出来ます。<br />そうした説明を行っているのが、世界遺産の石見銀山龍源寺間歩(まぶ)です。<br /> こうした施設によくある事ですが、来館者は化学記号も知らず、<br />化学反応を理解していないから説明してもわからないだろうと<br />一方的に思っているようです。<br />化学の好きな人、専門知識のある人、いろんな人が来ると思います。<br />採れた鉱石にどういう作業をすると、何が起こるのか、<br />知的好奇心を満足させる展示がないので、<br />ただ、ふ~ん、大変だったんだねで終わってしまうのです。<br />単に掘削の様子を再現するだけのありきたりな展示から、<br />脱却して発展して欲しいものです。日本人の化学に対する興味が<br />薄いのは、当の科・化学者たちにも責任があります。<br />※「製錬」の文字の下には小さく、5~500円硬貨の組成が<br />書き込まれています。「CuFeS2(黄銅鉱)」の上に伸びた<br />矢印の先にある「SO2」が大気汚染の元です。

    銅の精錬工程の化学反応式を手書きで著わしてあります。
    化学記号好きには、たまらなくおもしろい内容なのですが、
    何故手書きなんでしょう?
    もっと図解入りで、大きく書けば興味を持たれると思います。
    実際の作業風景に、ここで鉄と銅が分離されるなどの説明を加えれば、
    その作業にどんな意味があったのかを、本当に理解することが出来ます。
    そうした説明を行っているのが、世界遺産の石見銀山龍源寺間歩(まぶ)です。
     こうした施設によくある事ですが、来館者は化学記号も知らず、
    化学反応を理解していないから説明してもわからないだろうと
    一方的に思っているようです。
    化学の好きな人、専門知識のある人、いろんな人が来ると思います。
    採れた鉱石にどういう作業をすると、何が起こるのか、
    知的好奇心を満足させる展示がないので、
    ただ、ふ~ん、大変だったんだねで終わってしまうのです。
    単に掘削の様子を再現するだけのありきたりな展示から、
    脱却して発展して欲しいものです。日本人の化学に対する興味が
    薄いのは、当の科・化学者たちにも責任があります。
    ※「製錬」の文字の下には小さく、5~500円硬貨の組成が
    書き込まれています。「CuFeS2(黄銅鉱)」の上に伸びた
    矢印の先にある「SO2」が大気汚染の元です。

  • 棹(さお)銅の製造過程<br />江戸時代、オランダ・中国へ長崎から輸出された銅製品。<br />長さ約23㎝、幅約1.5㎝、重さ263~300gで、<br />東アジアの貨幣や、銅線、銅板、銅細工品の原料となった。<br />美しい赤紫色が外国で珍重された。<br /> 人形の持つ「やっとこ」に硬貨が挟まれていますが、<br />これは観光客のいたずらです。本来は、型に流し入れて<br />棹状に成型した銅を挟んで採り出すために使います。<br />

    棹(さお)銅の製造過程
    江戸時代、オランダ・中国へ長崎から輸出された銅製品。
    長さ約23㎝、幅約1.5㎝、重さ263~300gで、
    東アジアの貨幣や、銅線、銅板、銅細工品の原料となった。
    美しい赤紫色が外国で珍重された。
     人形の持つ「やっとこ」に硬貨が挟まれていますが、
    これは観光客のいたずらです。本来は、型に流し入れて
    棹状に成型した銅を挟んで採り出すために使います。

  • 棹銅の純度<br />銅99.29%、鉛0.35%、ニッケル0.23%・・・<br />この棹銅の品位から近世に於ける精錬技術(南蛮吹き他)の素晴らしさが<br />推測される。現在の電気分解による電気銅の品位は99.99%以上である。<br />棹銅の99.29%から99.99%へは電気分解が必要。<br />日本は、かつて化学技術の先進国だったのです。<br />もっと喧伝してもいいと思います。<br />

    棹銅の純度
    銅99.29%、鉛0.35%、ニッケル0.23%・・・
    この棹銅の品位から近世に於ける精錬技術(南蛮吹き他)の素晴らしさが
    推測される。現在の電気分解による電気銅の品位は99.99%以上である。
    棹銅の99.29%から99.99%へは電気分解が必要。
    日本は、かつて化学技術の先進国だったのです。
    もっと喧伝してもいいと思います。

  • 粗銅改め<br />山で作られた粗銅は、山役人の立会いの下、作られた量を計られました。<br />当時、銅山税として、生産量の13%が幕府に納められていました。<br />

    粗銅改め
    山で作られた粗銅は、山役人の立会いの下、作られた量を計られました。
    当時、銅山税として、生産量の13%が幕府に納められていました。

  • 前半の江戸ゾーンが終わりました。<br />この先は、中盤の近代ゾーンとなります。<br />

    前半の江戸ゾーンが終わりました。
    この先は、中盤の近代ゾーンとなります。

  • 明治以降に近代化が進んだ別子銅山の様子を、<br />巨大模型や映像で再現しています。<br />

    明治以降に近代化が進んだ別子銅山の様子を、
    巨大模型や映像で再現しています。

  • ボタンを押すと、動くようになっているのですが、<br />残念ながらどれも動きませんでした。<br />

    ボタンを押すと、動くようになっているのですが、
    残念ながらどれも動きませんでした。

  • 鉱山町に住む人々の様子が、楽しそうに再現されています。<br />炭鉱夫というと、暗いイメージがあったりしますが、<br />秋田県鹿角郡小坂町にある「小坂鉱山事務所」の展示によると、<br />日本国内でも早くに町が電化され、娯楽が発達し、鉄道が走り、<br />鉱山町の住民は、最先端の生活をしていたようです。<br />長崎県の端島でも、そうした説明がありました。<br />だから人々が急激に集まったのです。<br />

    鉱山町に住む人々の様子が、楽しそうに再現されています。
    炭鉱夫というと、暗いイメージがあったりしますが、
    秋田県鹿角郡小坂町にある「小坂鉱山事務所」の展示によると、
    日本国内でも早くに町が電化され、娯楽が発達し、鉄道が走り、
    鉱山町の住民は、最先端の生活をしていたようです。
    長崎県の端島でも、そうした説明がありました。
    だから人々が急激に集まったのです。

  • ちゃんと鉱山鉄道の模型もありました。動くと良かったのに。<br />

    ちゃんと鉱山鉄道の模型もありました。動くと良かったのに。

  • ジオラマの先には「注意!!」と書かれた看板があります。<br />「この坑道は火薬庫として利用していました。<br />立坑は火薬が爆発した時の爆風の抜け穴として掘られました。」<br />300年近い歴史の中で、こうした防災設備が確立して行ったのでしょう。<br />

    ジオラマの先には「注意!!」と書かれた看板があります。
    「この坑道は火薬庫として利用していました。
    立坑は火薬が爆発した時の爆風の抜け穴として掘られました。」
    300年近い歴史の中で、こうした防災設備が確立して行ったのでしょう。

  • 「旧別子地区」<br />1691(元禄4)年の開坑から明治32年まで銅山の中心地であった。<br />1899(明治32)年8月28日の大水害により、<br />別子地域は濁流に飲み込まれ、諸施設は壊滅的な打撃を受けた。<br />この山津波(土石流)による死者は513名、中でも被害の激しかったのは見花谷社宅で、死者370人、そのうち128人が行方不明となっている。<br />この水害は、山の樹木の伐採や煙害による枯木のため、<br />余計に被害が激しかったと考えられる。<br /> 旧別子地区にあった小足谷劇場は、明治22年に建てられ、<br />毎年5月の山神祭の3日間は、歌舞伎の名優を京都から呼んで、<br />数千人の観客をうならせたと言われる。<br />

    「旧別子地区」
    1691(元禄4)年の開坑から明治32年まで銅山の中心地であった。
    1899(明治32)年8月28日の大水害により、
    別子地域は濁流に飲み込まれ、諸施設は壊滅的な打撃を受けた。
    この山津波(土石流)による死者は513名、中でも被害の激しかったのは見花谷社宅で、死者370人、そのうち128人が行方不明となっている。
    この水害は、山の樹木の伐採や煙害による枯木のため、
    余計に被害が激しかったと考えられる。
     旧別子地区にあった小足谷劇場は、明治22年に建てられ、
    毎年5月の山神祭の3日間は、歌舞伎の名優を京都から呼んで、
    数千人の観客をうならせたと言われる。

  • 旧別子地区へは、登山道を歩いて銅山越までの往復で3時間掛かります。<br />小足谷摂待館、劇場、小学校、第一通洞、蘭塔場、歓喜坑、歓東坑など、<br />江戸時代から明治にかけての産業遺産が数多く見られます。<br />もう少し気軽に見学できるといいのになあ。<br />

    旧別子地区へは、登山道を歩いて銅山越までの往復で3時間掛かります。
    小足谷摂待館、劇場、小学校、第一通洞、蘭塔場、歓喜坑、歓東坑など、
    江戸時代から明治にかけての産業遺産が数多く見られます。
    もう少し気軽に見学できるといいのになあ。

  • 昭和30年頃の端出場(はでば)。現在地です。<br />端出場には、昭和5~48年の閉山まで採鉱本部がありました。<br /> 明治26年に下部鉄道の始発駅が完成した頃から、<br />昭和48年の閉山迄の80年あまり、別子銅山の拠点でした。<br />敷地内には、旧水力発電所・第四通洞・大斜坑・貯鉱庫跡や端出場鉄橋・<br />中尾トンネル・泉寿亭などの産業遺産が見られます。<br />

    昭和30年頃の端出場(はでば)。現在地です。
    端出場には、昭和5~48年の閉山まで採鉱本部がありました。
     明治26年に下部鉄道の始発駅が完成した頃から、
    昭和48年の閉山迄の80年あまり、別子銅山の拠点でした。
    敷地内には、旧水力発電所・第四通洞・大斜坑・貯鉱庫跡や端出場鉄橋・
    中尾トンネル・泉寿亭などの産業遺産が見られます。

  • 東平(とうなる)地区<br />現在地から10㎞離れています。索道場跡・貯鉱庫跡・インクライン跡・<br />第三通洞・第三変電所跡などの産業遺産が見られます。<br />東平歴史資料館があります。<br />※2022年3月より6月現在、落石により通行止め。<br />

    東平(とうなる)地区
    現在地から10㎞離れています。索道場跡・貯鉱庫跡・インクライン跡・
    第三通洞・第三変電所跡などの産業遺産が見られます。
    東平歴史資料館があります。
    ※2022年3月より6月現在、落石により通行止め。

  • 暗い坑道が臨場感を引き立てます。江戸ゾーンを出ます。<br />

    暗い坑道が臨場感を引き立てます。江戸ゾーンを出ます。

  • 後半に入る前に、ドキュメント映像シアターがあります。<br />周囲には炭鉱夫達が使用していた道具類が展示されています。<br />

    後半に入る前に、ドキュメント映像シアターがあります。
    周囲には炭鉱夫達が使用していた道具類が展示されています。

  • 後半の遊学パーク・体験ゾーンに入ります。<br />観光用の坑道の中で、こういうゾーンがあるのは初めてです。<br />レジャーランドならではの趣向ですね。<br /><br />

    後半の遊学パーク・体験ゾーンに入ります。
    観光用の坑道の中で、こういうゾーンがあるのは初めてです。
    レジャーランドならではの趣向ですね。

  • 左の階段を上がると、地下1,000mへ行くエレベーターがあります。<br />到着すると反対側のドアが開きます。

    左の階段を上がると、地下1,000mへ行くエレベーターがあります。
    到着すると反対側のドアが開きます。

  • 出た所は「迷路岩」で、別子銅山で採掘された鉱石が展示されています。<br />

    出た所は「迷路岩」で、別子銅山で採掘された鉱石が展示されています。

  • 展示を見て行くと、索道ゴンドラがあります。<br />一人乗りなので、下りたのを確認したら、上のスイッチを押して<br />ゴンドラを戻して乗り込みます。<br />

    展示を見て行くと、索道ゴンドラがあります。
    一人乗りなので、下りたのを確認したら、上のスイッチを押して
    ゴンドラを戻して乗り込みます。

  • 削岩機の体験<br />左の削岩機は動かすと岩が開き水が流れ出します。<br />右の削岩機は風が吹き出します。<br />

    削岩機の体験
    左の削岩機は動かすと岩が開き水が流れ出します。
    右の削岩機は風が吹き出します。

  • 次は、江戸ゾーンで見た地下水の汲み上げの体験です。<br />

    次は、江戸ゾーンで見た地下水の汲み上げの体験です。

  • 岩山には3台の汲み上げポンプがセットされています。<br />

    岩山には3台の汲み上げポンプがセットされています。

  • 下から順番に水を汲み上げて、鹿威し(ししおどし)に水を溜めます。<br />

    下から順番に水を汲み上げて、鹿威し(ししおどし)に水を溜めます。

  • 水がいっぱい貯まると鹿威しから水が流れ出し、アーチを渡って<br />水車を回します。最後はハンドベルの演奏が始まります。<br /> 最初は、なかなか水が上がらず断念しそうでしたが、<br />順々に上のポンプを動かして行って、鹿威しに水が到達すると、<br />俄然やる気が出ます。鹿威しから水が流れ落ちて行くと、<br />何とも言えない達成感が味わえました。

    水がいっぱい貯まると鹿威しから水が流れ出し、アーチを渡って
    水車を回します。最後はハンドベルの演奏が始まります。
     最初は、なかなか水が上がらず断念しそうでしたが、
    順々に上のポンプを動かして行って、鹿威しに水が到達すると、
    俄然やる気が出ます。鹿威しから水が流れ落ちて行くと、
    何とも言えない達成感が味わえました。

  • 坑道から出て、幸運駅に来ました。<br />ちょうど列車が「打除(うちよけ)鉄橋」を渡って来ました。<br />1893(明治26)年に架けられたドイツ製の橋で、<br />登録有形文化財に指定されています。<br />

    坑道から出て、幸運駅に来ました。
    ちょうど列車が「打除(うちよけ)鉄橋」を渡って来ました。
    1893(明治26)年に架けられたドイツ製の橋で、
    登録有形文化財に指定されています。

  • 今回の表紙は、この別子1号機です。<br />

    今回の表紙は、この別子1号機です。

  • 別子鉱山鉄道は、瀬戸内に面した新居浜と別子銅山の南麓を結ぶ<br />輸送経路を確立するため、1893(明治26)年に建設されました。<br />三つの区間に分かれ、第一通洞の北口付近の角石原(標高1,100m)から<br />石ヶ山丈(同850m)に至る5.5kmを走る「上部鉄道」、<br />石ヶ山丈と端出場(同164m)をロープウェイで繋ぐ「高架索道」、<br />そして端出場から製錬所のある山根・惣開(新居浜)までの<br />10.3kmを繋ぐ「下部鉄道」です。<br /> 上部鉄道は、日本初の高山鉄道として運行を開始しましたが、<br />明治44年に東平と別子山日浦が第三通洞によって繋がったことにより、<br />第一通洞はその役割を終え、同時に上部鉄道も廃止となりました。<br /> 下部鉄道は、昭和に入ってから一般旅客営業も行うなど、<br />地域の足としても親しまれて来ましたが、<br />別子閉山から間もない1977(昭和52)年に営業を終えました。<br />

    別子鉱山鉄道は、瀬戸内に面した新居浜と別子銅山の南麓を結ぶ
    輸送経路を確立するため、1893(明治26)年に建設されました。
    三つの区間に分かれ、第一通洞の北口付近の角石原(標高1,100m)から
    石ヶ山丈(同850m)に至る5.5kmを走る「上部鉄道」、
    石ヶ山丈と端出場(同164m)をロープウェイで繋ぐ「高架索道」、
    そして端出場から製錬所のある山根・惣開(新居浜)までの
    10.3kmを繋ぐ「下部鉄道」です。
     上部鉄道は、日本初の高山鉄道として運行を開始しましたが、
    明治44年に東平と別子山日浦が第三通洞によって繋がったことにより、
    第一通洞はその役割を終え、同時に上部鉄道も廃止となりました。
     下部鉄道は、昭和に入ってから一般旅客営業も行うなど、
    地域の足としても親しまれて来ましたが、
    別子閉山から間もない1977(昭和52)年に営業を終えました。

  • 開運駅に到着しました。乗車時間5分は短い。<br />別子1号の反対側に電気機関車・キッズ専用車が連結されています。<br />他の車輛はすべて屋根付きで、トロッコ状態なのはこれだけです。<br />「キッズ専用」とは、残念だなあ。<br />

    開運駅に到着しました。乗車時間5分は短い。
    別子1号の反対側に電気機関車・キッズ専用車が連結されています。
    他の車輛はすべて屋根付きで、トロッコ状態なのはこれだけです。
    「キッズ専用」とは、残念だなあ。

  • 列車が開運駅を出てすぐにある端出場隧道。登録有形文化財です。<br />下部鉄道が開通した時に建設され、今も現役で使われています。<br />

    列車が開運駅を出てすぐにある端出場隧道。登録有形文化財です。
    下部鉄道が開通した時に建設され、今も現役で使われています。

  • トンネルの前の橋を渡った向こう側では、砂金採り体験が出来ます。<br />30分の制限時間内に、砂の中に隠れている「砂金」や宝石、<br />景品と交換できる赤玉&amp;黒玉を見つけます。<br />「鉱山観光」&amp;「砂金採り体験」は、セット料金で1,750円。<br />中に入れるのは体験者のみなので、付き添い人は柵の外から見守ります。<br />金の他に銀も入っていて、金銀でお持ち帰りが出来ます。<br />

    トンネルの前の橋を渡った向こう側では、砂金採り体験が出来ます。
    30分の制限時間内に、砂の中に隠れている「砂金」や宝石、
    景品と交換できる赤玉&黒玉を見つけます。
    「鉱山観光」&「砂金採り体験」は、セット料金で1,750円。
    中に入れるのは体験者のみなので、付き添い人は柵の外から見守ります。
    金の他に銀も入っていて、金銀でお持ち帰りが出来ます。

  • 泉寿亭<br />1937(昭和12)年、住友接待館として新居浜市北新町に建築された<br />京風数寄屋造りの建物は、1991(平成3)年に端出場へ移築されました。<br />

    泉寿亭
    1937(昭和12)年、住友接待館として新居浜市北新町に建築された
    京風数寄屋造りの建物は、1991(平成3)年に端出場へ移築されました。

  • 5月は芍薬の季節です。マイントピア別子では、<br />5月の芍薬、8月のカノコユリ、11~12月の冬桜と、<br />3つの花の季節を楽しめます。<br />

    5月は芍薬の季節です。マイントピア別子では、
    5月の芍薬、8月のカノコユリ、11~12月の冬桜と、
    3つの花の季節を楽しめます。

  • GWは、まだ芍薬が咲き始めたばかりです。<br />

    GWは、まだ芍薬が咲き始めたばかりです。

  • 変わった咲き方の芍薬。真ん丸のつぼみが可愛らしい。<br />

    変わった咲き方の芍薬。真ん丸のつぼみが可愛らしい。

  • ピンクの芍薬は、まだまだこれから。<br />

    ピンクの芍薬は、まだまだこれから。

  • 旧端出場水力発電所<br />1912(明治45)年、初の本格的な大規模電力設備として開発され<br />ました。当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われ、<br />別子銅山の機械化による近代化が大きく進みました。<br />大正時代に出力を4,800kWに増強し、<br />1970(昭和45)年まで現役として活躍しました。<br />赤煉瓦造りの建物は、愛媛県を代表する西洋建築のひとつで、<br />マイントピア本館のモデルとなりました。<br />中には、ドイツのシーメンス社製発電機、<br />フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。<br />

    旧端出場水力発電所
    1912(明治45)年、初の本格的な大規模電力設備として開発され
    ました。当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われ、
    別子銅山の機械化による近代化が大きく進みました。
    大正時代に出力を4,800kWに増強し、
    1970(昭和45)年まで現役として活躍しました。
    赤煉瓦造りの建物は、愛媛県を代表する西洋建築のひとつで、
    マイントピア本館のモデルとなりました。
    中には、ドイツのシーメンス社製発電機、
    フォイト社製のペルトン水車などが、当時の姿のまま残されています。

  • 端出場水力発電所の歴史を詳しく説明した展示が、本館の中にあります。<br />

    端出場水力発電所の歴史を詳しく説明した展示が、本館の中にあります。

  • 発電所の仕組みについて書かれています。単純な造りではなく、<br />遠くの水流を水路と鉱山用のトンネルを利用して引き込み、<br />そこで発電するようになっています。<br />考え方が大胆で幅広い視野を持った人が計画したのでしょう。<br />幕末から昭和初期にかけて、多くのこうした人達が輩出しました。<br />多くの機械に囲まれて便利な生活をしている筈の私たちは、<br />何を失ったのでしょうか。

    発電所の仕組みについて書かれています。単純な造りではなく、
    遠くの水流を水路と鉱山用のトンネルを利用して引き込み、
    そこで発電するようになっています。
    考え方が大胆で幅広い視野を持った人が計画したのでしょう。
    幕末から昭和初期にかけて、多くのこうした人達が輩出しました。
    多くの機械に囲まれて便利な生活をしている筈の私たちは、
    何を失ったのでしょうか。

  • 「20㎞沖の四阪島へ送電」<br />1905(明治38)年に操業開始した瀬戸内海の島である四阪島の精錬所は、近代化を進めるために、大量の電力を必要としていました。<br />その解決策として、新居浜から四阪島まで海底ケーブルを敷設して<br />送電する計画を立てました。<br />当時世界最長の海底ケーブルは、サンフランシスコ湾の6.7㎞でしたが、<br />四阪島までは20㎞もありました。<br />しかし、大正11年に端出場水力発電所から四阪島製錬所へ<br />海底ケーブルでの送電を開始しました。<br /> 敷設の苦労話が下部に書かれています。<br />抜粋「海上における接続に際し、これを海中に取り落とし、<br />周章狼狽したる事あり。<br />風浪のために仕事を阻害せられたる事あり。」

    「20㎞沖の四阪島へ送電」
    1905(明治38)年に操業開始した瀬戸内海の島である四阪島の精錬所は、近代化を進めるために、大量の電力を必要としていました。
    その解決策として、新居浜から四阪島まで海底ケーブルを敷設して
    送電する計画を立てました。
    当時世界最長の海底ケーブルは、サンフランシスコ湾の6.7㎞でしたが、
    四阪島までは20㎞もありました。
    しかし、大正11年に端出場水力発電所から四阪島製錬所へ
    海底ケーブルでの送電を開始しました。
     敷設の苦労話が下部に書かれています。
    抜粋「海上における接続に際し、これを海中に取り落とし、
    周章狼狽したる事あり。
    風浪のために仕事を阻害せられたる事あり。」

  • 「その輝かしい歴史は永遠に」<br />1922(大正11)年四阪島への海底ケーブル敷設の翌年、<br />既設の1号機・2号機に加えて、1,500kwの3号機を増設しました。<br />そして、発電使用量を増やすため、昭和5年に水源の七番川に<br />重力式の堰堤を完成させ、昭和9年にその出力を4,800kwとしました。<br />その後、1970(昭和45)に閉鎖されるまで主力発電所として<br />電力を供給し続けました。<br />平成22年に住友共同電力から新居浜市へ寄贈され、<br />国の登録有形文化財に指定されました。<br /><br />これでこの回は終わります。<br />次回は瀬戸内海の大久野島、通称「うさぎ島」へ行きます。<br />

    「その輝かしい歴史は永遠に」
    1922(大正11)年四阪島への海底ケーブル敷設の翌年、
    既設の1号機・2号機に加えて、1,500kwの3号機を増設しました。
    そして、発電使用量を増やすため、昭和5年に水源の七番川に
    重力式の堰堤を完成させ、昭和9年にその出力を4,800kwとしました。
    その後、1970(昭和45)に閉鎖されるまで主力発電所として
    電力を供給し続けました。
    平成22年に住友共同電力から新居浜市へ寄贈され、
    国の登録有形文化財に指定されました。

    これでこの回は終わります。
    次回は瀬戸内海の大久野島、通称「うさぎ島」へ行きます。

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