2022/05/22 - 2022/05/24
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kouseiさん
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有馬温泉街散策の願いは叶いませんでしたが、今日は「天空の城」と呼ばれて有名になった「竹田城址」、但馬の小京都と呼ばれる「出石散策」、山陰本線に架かる「余部鉄橋・空の駅」、を観光して「城崎温泉」に泊まります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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竹田城址に登る山道は狭く、大型バスでは登ることが出来ないので麓のバス・タクシー乗降センターでマイクロバスに乗り換えて登ります。
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山の途中でマイクロバスを下りて、ここからは徒歩で城址まで登ります。
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最初は舗装された道をのんびり歩いて登れます。
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山道の途中に地震でも落ちなかったので「落ちない岩」と呼ばれ受験生に人気の岩がありました。
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舗装道路も終わり、いよいよ険しい山道になりました。
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喘ぎ喘ぎながら登っていると突然目の前に石垣が現れます。
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大手門の入口が見えてきました。
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大手門が築かれていた石垣。
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北千畳から天守台方向を望む。
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天主台に向かう途中に築城当初から残っている石畳がありました。
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天主台から望む竹田城下町。
雲海に浮かぶ天空の城の撮影は向かいの山から行われています。 -
竹田城独特の防御の石積みと言われる石垣をW型に積み上げた石垣が天主台から見られました。
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算木積みと呼ばれる石垣の出角部分、長方形の石の長辺と短辺を交互に積み上げる積み方。
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石垣は安土城や姫路城の石垣と同じ穴太(あのう)積みと呼ばれる積み方で作られています。
穴太積みとは大津市坂本町穴太に住んでいた石工が持っていた石垣の積み方と言われます。 -
鏡石と名付けられた大きな石。
石に向かって願いを掛けると叶えて呉れると言われているそうです。 -
竹田城の石垣は上空から見ると鳥が羽を広げているような姿に縄張りされています。
最高所の天守台を中心して南方に南二の丸、南千畳が、北方に二の丸、三の丸、北千畳が築かれています。
竹田城の規模は南北に約400M、東西に約100Mに及んでいます。 -
南千畳下から延びる大堅掘り(防御の為に堀った空堀)が麓近くまで延びていました。
同じような竪堀が天主台から麓に向かって沢山作られています。 -
古くは「古事記」「日本書紀」にも登場し、但馬の小京都とも言われる「出石」を今回初めて知りました。
沢庵和尚や桂小五郎など歴史にも登場する人物と深く関わりのある城下町の街並みが残っていました。
出石城三の丸、大手門脇にあった太鼓櫓として建設され、明治14年に太鼓に代わって時計が設置され日本最古と言われる時計台が街の入口に残っていました。 -
小京都と呼ばれる古い街並みが残っていました。
信州上田藩から伝わった蕎麦打ちの技術と出石蕎麦の技術が合体して出石そばが出来上がったと伝わっています。
白い小皿に盛りつけた出石皿蕎麦のお店が街中に沢山ありました。 -
出石城内にあった江戸後期の上級武士の居宅、当時から瓦屋根だったのかと素朴な疑問が湧いて来ました。
内部は刀が使い難いように天井が低く作られているそうです。 -
出石酒造の赤い土壁造りの酒蔵、現在も酒蔵として活用しています。
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出石の街並みを散策した後、山陰本線鎧駅と餘部駅間に架かる「余部橋梁」に向かいました。
初代の余部橋梁は鋼製の橋梁で明治45年3月に完成、昭和61年に日本海から吹き上がった突風にあおられて列車が落下するする事故が発生しました。
平成22年8月に現在のコンクリート製の橋梁が完成。
コンクリート製の現在の橋梁の後ろに初代の鋼製の橋梁が一部残っています。 -
空の駅にはエレベーターで昇ります。
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平成25年5月、空の駅が完成しました。
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空の駅から美しい日本海が見えました。
地上から約41Mの高さがあります。 -
初代のレールが一部当時のまま残されていました。
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初代橋梁の基礎部分。
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現在のコンクリト製橋梁の下に初代鉄橋の実物が保存されています。
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初代と現在の橋梁、エレベーターが並んで見えます。
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今夜の宿、城崎温泉に着きました。
城崎温泉には大型の宿泊施設は無く、昔ながらの木造建築の旅館街が並んでいます。
外湯と呼ばれる浴場が7カ所あり、外湯めぐりが楽しみの一つになっています。
旅館組合も昔ながらの旅館街の風景を守り、内湯よりも外湯の充実に力を入れ旅館街の発展を図るように申し合わせしているようです。 -
今晩泊まる旅館の目の前に外湯で一番大きな「一の湯」がありました。
城崎温泉が天下一品と言われた事から、天下一品の「一」に因んで「一の湯」と名付けられたと伝わっています。
桃山時代の歌舞伎座を模した建物で、内部には山肌を削って造った洞窟風呂、大浴場や家族風呂があります。
二階には広々とした洋風の休憩所がありました。 -
温泉街の一角にある飲泉所、飲んで見ましたが決して美味しいとは言えない味わいでした。
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高層建築のない昔の風情を残す旅館街が並んでいました。
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江戸時代には海内第一泉(かいだいだいいちせん)と呼ばれていて、その石碑が「一の湯」の近くに残っています。
足湯もありました。 -
旅館の内部は木造の三階建てで、昔懐かしい旅館の風情を残していました。
古い建物でしたが、館内は綺麗に清掃されていて清潔感に溢れていました。 -
温泉街の中心を流れる川の両岸には柳の木が植えられていて、独特の風情を醸し出しています。
夜の温泉街には人影もまばらでした。 -
御所の湯。
文永四年(1267年)後白河法皇の御姉安嘉門院がお入りになった記事が残っていた事から「御所の湯」と名付けられたと言われています。
裏山を借景にした広々とした露天風の温泉です。
山の上から滝の様に水が流れ落ちていて、階段状に造られた浴槽の温度が順番に調整され、自分の好きな温度の温泉に入ることが出来る様になっていました。 -
地蔵の湯。
源泉から地蔵尊が出て来た事から「地蔵の湯」と名付けられたと言われています。
二階には家族風呂や畳敷きの広い休憩所があります。 -
柳の木の根元から湧き出していた所から「柳の湯」と名付けられた伝わっています。
7つの外湯の中で一番小さい温泉です。
湯船は小さいですが外湯の中では一番深い温泉で、温度も一番高く、43度以上の湯船には長く入ってはいられませんでした。
七つある外湯の内、四つの外湯を頑張って堪能しました。
今日は「さとの湯」は定休日、「まんだらの湯」と「鴻の湯」は温泉街から一寸離れていたので断念しました。 -
夕食は食事処で頂きました。
日本海に近く新鮮なお造りが美味しかったです。
冬の季節には蟹三昧の料理が名物となっているそうですが、一寸季節外れで残念でした。
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