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深川めしをいただいて、清澄庭園と深川七福神を巡ってきました<br /><br />【表紙の写真】深川めし

深川めし食べて、清澄庭園と深川七福神をぶらぶらしてみる

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2022/05/21 - 2022/05/21

16位(同エリア357件中)

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かつのすけさん

深川めしをいただいて、清澄庭園と深川七福神を巡ってきました

【表紙の写真】深川めし

一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 半蔵門線で清澄白河に来ました

    半蔵門線で清澄白河に来ました

    清澄白河駅

  • 所用の後こちらの深川釡匠さんで昼食にします

    所用の後こちらの深川釡匠さんで昼食にします

    深川 釜匠 グルメ・レストラン

  • メニュー<br />深川めし、深川丼ぶりなどが基本<br />注文したのは深川めし(1,090円)

    メニュー
    深川めし、深川丼ぶりなどが基本
    注文したのは深川めし(1,090円)

  • 深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄い飯であったぶっかけめしが現在の深川めしのルーツとされるが、Wikipediaによれば江戸時代は深川近辺で大量に採れたアサリではなくバカガイ(アオヤギ)だったそうで、アサリになったのは明治以降<br />家庭では安価で手に入るアサリを入れた炊き込みごはんがおふくろの味として広く普及し、池波正太郎も深川めしの大ファンで晩年は自宅でよく作っていたと言われていますが、昭和37年の漁業権放棄を境に次第に深川めしも廃れてしまったそう<br />昭和60年前後に芭蕉記念館や深川江戸資料館が相次いで開館したのを機に深川を訪れる観光客が増加し、ぶっかけめしや炊き込みごはんを出す店が登場して現在に至っているそうです

    深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄い飯であったぶっかけめしが現在の深川めしのルーツとされるが、Wikipediaによれば江戸時代は深川近辺で大量に採れたアサリではなくバカガイ(アオヤギ)だったそうで、アサリになったのは明治以降
    家庭では安価で手に入るアサリを入れた炊き込みごはんがおふくろの味として広く普及し、池波正太郎も深川めしの大ファンで晩年は自宅でよく作っていたと言われていますが、昭和37年の漁業権放棄を境に次第に深川めしも廃れてしまったそう
    昭和60年前後に芭蕉記念館や深川江戸資料館が相次いで開館したのを機に深川を訪れる観光客が増加し、ぶっかけめしや炊き込みごはんを出す店が登場して現在に至っているそうです

  • で、出てきた深川めし<br />意外と早く出てきました(メニューの性質上、炊いてある深川めしを盛りつけるだけだと思われるので)<br />みそ汁の他、沢庵、辣韭、御新香と佃煮が付いています

    で、出てきた深川めし
    意外と早く出てきました(メニューの性質上、炊いてある深川めしを盛りつけるだけだと思われるので)
    みそ汁の他、沢庵、辣韭、御新香と佃煮が付いています

  • 上だけではなく、中にもたっぷりのアサリが入っています

    上だけではなく、中にもたっぷりのアサリが入っています

  • 湯呑はかわいいだるまさんでした

    湯呑はかわいいだるまさんでした

  • さて、食後は腹ごなしを兼ねて深川界隈を散歩します<br />折角なので七福神めぐりでもしてみましょう<br /><br />こちら雲光院さん<br />七福神には含まれていませんが、こちらには家康の側室の一人である阿茶局のお墓があるそうです<br />家康との間に子供はないようですが、徳川和子入内の際に母親代わりの守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を授けられ、剃髪後の院号も雲光院、こちらのお寺を開基しました<br />元々は馬喰町にあったそうですが、火災によりこの地に移転して来たそうです

    さて、食後は腹ごなしを兼ねて深川界隈を散歩します
    折角なので七福神めぐりでもしてみましょう

    こちら雲光院さん
    七福神には含まれていませんが、こちらには家康の側室の一人である阿茶局のお墓があるそうです
    家康との間に子供はないようですが、徳川和子入内の際に母親代わりの守役を務めた功により、後水尾天皇より従一位を授けられ、剃髪後の院号も雲光院、こちらのお寺を開基しました
    元々は馬喰町にあったそうですが、火災によりこの地に移転して来たそうです

    雲光院 寺・神社・教会

  • その先に深川七福神の一つ龍光院<br />こちらに祀られているのは毘沙門天で、元々先ほどの雲光院の塔頭寺院で慶長16年に馬喰町に創建されたそうですが、明暦の大火で焼失して岩井町に移転、天和2年の大火で再び焼失し、ここに移転しました

    その先に深川七福神の一つ龍光院
    こちらに祀られているのは毘沙門天で、元々先ほどの雲光院の塔頭寺院で慶長16年に馬喰町に創建されたそうですが、明暦の大火で焼失して岩井町に移転、天和2年の大火で再び焼失し、ここに移転しました

    龍光院 寺・神社・教会

  • 境内を見まわしたけど毘沙門天は見当たりませんでしたので、次へ

    境内を見まわしたけど毘沙門天は見当たりませんでしたので、次へ

  • 続いて法苑山浄心寺 七福神には含まれていませんが…<br />この辺りは境内が狭いお寺が多い中、そこそこの広さがある境内です

    続いて法苑山浄心寺 七福神には含まれていませんが…
    この辺りは境内が狭いお寺が多い中、そこそこの広さがある境内です

    浄心寺 寺・神社・教会

  • お寺の境内に和合稲荷神社があります<br />大奥に入った三澤局が大奥女中の意志和合を祈って伊勢外宮の豊受大明神を祀り、和合稲荷として毎朝夕にお題目を唱えていたといわれ、家綱が浄心寺境内に建てさせたのが起源<br />

    お寺の境内に和合稲荷神社があります
    大奥に入った三澤局が大奥女中の意志和合を祈って伊勢外宮の豊受大明神を祀り、和合稲荷として毎朝夕にお題目を唱えていたといわれ、家綱が浄心寺境内に建てさせたのが起源

    和合稲荷神社 寺・神社・教会

  • 江戸時代には4代将軍家綱の乳母三沢局の帰依を受け、将軍家より十万石の格式を許されたそうなので、そこらのお寺とは格が違う<br />こちらの御本堂は古インド様式

    江戸時代には4代将軍家綱の乳母三沢局の帰依を受け、将軍家より十万石の格式を許されたそうなので、そこらのお寺とは格が違う
    こちらの御本堂は古インド様式

  • 日蓮上人四百五十回忌で、享保16年に江戸時代中期の歌舞伎役者の初代・坂東彦三郎・津川哥門らが奉納した石造燈籠

    日蓮上人四百五十回忌で、享保16年に江戸時代中期の歌舞伎役者の初代・坂東彦三郎・津川哥門らが奉納した石造燈籠

  • 再び七福神めぐり<br />七福神二つ目の円珠院に来ました<br />先ほどの浄心院の塔頭の一つなんだそうで、旗本の永井讃岐守直允の後室・円珠院殿妙献日寄大姉の開基

    再び七福神めぐり
    七福神二つ目の円珠院に来ました
    先ほどの浄心院の塔頭の一つなんだそうで、旗本の永井讃岐守直允の後室・円珠院殿妙献日寄大姉の開基

    円珠院 寺・神社・教会

  • 表札にも書かれている大黒天があるこちらのお寺には、打ち出の小槌を持った大黒天様の石像があります

    表札にも書かれている大黒天があるこちらのお寺には、打ち出の小槌を持った大黒天様の石像があります

  • 清澄寮<br />昭和8年建築のレトロさにひかれて入居希望者が殺到しているアパートだそうで

    清澄寮
    昭和8年建築のレトロさにひかれて入居希望者が殺到しているアパートだそうで

  • その前にあった干鰮場跡<br />江戸時代重要な肥料だった干し鰯の荷揚場だった場所だそうです

    その前にあった干鰮場跡
    江戸時代重要な肥料だった干し鰯の荷揚場だった場所だそうです

    干鰮場跡 名所・史跡

  • 清澄白河の駅まで戻って小名木川に架かる高橋を渡り

    清澄白河の駅まで戻って小名木川に架かる高橋を渡り

    小名木川 自然・景勝地

  • 日本画家伊東深水誕生の地は

    日本画家伊東深水誕生の地は

    伊東深水生誕地 名所・史跡

  • 次の3つ目の七福神がある深川神明社の鳥居の辺りにあります

    次の3つ目の七福神がある深川神明社の鳥居の辺りにあります

    深川神明宮 寺・神社・教会

  • 七福神めぐりは1月1日~7日までの一週間<br />だからどこを見ても七福神がいないところがあるんですね

    七福神めぐりは1月1日~7日までの一週間
    だからどこを見ても七福神がいないところがあるんですね

  • 境内もひっそり

    境内もひっそり

  • 片隅にある壽老神社<br />多分この中にここの七福神の寿老人がいらっしゃるんだろうけど…

    片隅にある壽老神社
    多分この中にここの七福神の寿老人がいらっしゃるんだろうけど…

  • 西へと進みつきあたりにある芭蕉記念館

    西へと進みつきあたりにある芭蕉記念館

    芭蕉記念館 美術館・博物館

  • そこから数百メートル南に行くと芭蕉稲荷神社がある

    そこから数百メートル南に行くと芭蕉稲荷神社がある

    芭蕉稲荷神社 寺・神社・教会

  • そのすぐそばには正木稲荷神社もある

    そのすぐそばには正木稲荷神社もある

    正木稲荷神社 寺・神社・教会

  • すぐお隣は隅田川の堤防にぶち当たる<br />行き止まりになっていますが、川の脇に登って行く階段あり<br />吉良邸へと向かう赤穂浪士が通った道だそうで

    すぐお隣は隅田川の堤防にぶち当たる
    行き止まりになっていますが、川の脇に登って行く階段あり
    吉良邸へと向かう赤穂浪士が通った道だそうで

    深川芭蕉庵跡 名所・史跡

  • その奥に松尾芭蕉の銅像がある芭蕉庵史跡展望庭園

    その奥に松尾芭蕉の銅像がある芭蕉庵史跡展望庭園

    芭蕉庵史跡展望庭園 公園・植物園

  • 萬年橋を渡り更に南下

    萬年橋を渡り更に南下

    萬年橋 名所・史跡

  • 再び小名木川を渡り、新小名木川水門が見えます

    再び小名木川を渡り、新小名木川水門が見えます

    新小名木川水門 名所・史跡

  • 布袋様がいらっしゃる4つ目の七福神は深川稲荷神社<br />交差点に面した小さな神社です

    布袋様がいらっしゃる4つ目の七福神は深川稲荷神社
    交差点に面した小さな神社です

    深川稲荷神社 寺・神社・教会

  • 狭い境内に布袋様見っけ!

    狭い境内に布袋様見っけ!

  • だけではなくカエル君もいらっしゃいました

    だけではなくカエル君もいらっしゃいました

  • 3月22日から再開園した清澄庭園<br />たまたま通っただけですが、折角なので中へ

    3月22日から再開園した清澄庭園
    たまたま通っただけですが、折角なので中へ

    清澄庭園 公園・植物園

  • すっかり新緑の季節になりました

    すっかり新緑の季節になりました

  • 紫蘭の花も咲く

    紫蘭の花も咲く

  • 元々この地は紀伊国屋文左衛門の屋敷があり、江戸時代後期には関宿藩主久世氏の下屋敷があった<br />明治に入り岩崎弥太郎が庭園の造成を行い、隅田川の水を引き込んで回遊式築山林泉庭園が完成

    元々この地は紀伊国屋文左衛門の屋敷があり、江戸時代後期には関宿藩主久世氏の下屋敷があった
    明治に入り岩崎弥太郎が庭園の造成を行い、隅田川の水を引き込んで回遊式築山林泉庭園が完成

  • 自由広場の脇に立つ芭蕉句碑<br />「古池や 蛙飛び込む 水の音」は当時芭蕉庵があった場所(先ほどの芭蕉稲荷神社)で詠まれた名句で、この碑は後木この場所に移されたそうです

    自由広場の脇に立つ芭蕉句碑
    「古池や 蛙飛び込む 水の音」は当時芭蕉庵があった場所(先ほどの芭蕉稲荷神社)で詠まれた名句で、この碑は後木この場所に移されたそうです

  • のんびりと散策

    のんびりと散策

  • 石像群

    石像群

  • 曇っていたのが残念ですが

    曇っていたのが残念ですが

  • 水面に映る新緑の木々と涼亭

    水面に映る新緑の木々と涼亭

  • 磯渡り

    磯渡り

  • 庭園を出たところに村田春海の墓

    庭園を出たところに村田春海の墓

    村田春海の墓 名所・史跡

  • その奥に明人呂一官の墓

    その奥に明人呂一官の墓

    呂一官の墓 名所・史跡

  • 仙台堀川を渡ったところに採茶庵跡

    仙台堀川を渡ったところに採茶庵跡

    採荼庵跡 名所・史跡

  • 5つ目の七福神がある心行寺に到着

    5つ目の七福神がある心行寺に到着

    心行寺 寺・神社・教会

  • こちらにいらっしゃるのは福禄寿

    こちらにいらっしゃるのは福禄寿

    深川七福神めぐり 祭り・イベント

  • すぐお隣には法乗院<br /><br />深川えんま堂とも云われています

    すぐお隣には法乗院

    深川えんま堂とも云われています

    法乗院 深川えんま堂 寺・神社・教会

  • この中に閻魔様

    この中に閻魔様

  • 6つ目の七福神は弁財天の冬木弁天堂<br />以前は材木豪商冬木家の邸内(宝永2年に茅場町から移転)の大きな池の畔に弁天堂に安置されていたそうですが、現在は境内が狭くなってしまい

    6つ目の七福神は弁財天の冬木弁天堂
    以前は材木豪商冬木家の邸内(宝永2年に茅場町から移転)の大きな池の畔に弁天堂に安置されていたそうですが、現在は境内が狭くなってしまい

    冬木弁天堂 寺・神社・教会

  • 狭い境内を見まわしてみても弁天様は見当たらない

    狭い境内を見まわしてみても弁天様は見当たらない

  • 八幡橋を渡ります<br />弾正橋は元々京橋・八丁堀の楓川に架けられていたもので、明治11年に日本最初の国産の鉄製の橋として架替えられたものがここに保存されている

    八幡橋を渡ります
    弾正橋は元々京橋・八丁堀の楓川に架けられていたもので、明治11年に日本最初の国産の鉄製の橋として架替えられたものがここに保存されている

    八幡橋 (旧弾正橋) 名所・史跡

  • 橋の下には川はない<br /><br />昔は運河があったそうです

    橋の下には川はない

    昔は運河があったそうです

  • 今回は裏から富岡八幡宮に入ります<br /><br />あの事件の直後の初詣以来です

    今回は裏から富岡八幡宮に入ります

    あの事件の直後の初詣以来です

  • 横綱力士碑

    横綱力士碑

  • 2m四方ほどもある大きな石碑の裏には歴代の横綱の名前がズラリ

    2m四方ほどもある大きな石碑の裏には歴代の横綱の名前がズラリ

  • 幾重にも連なる鳥居

    幾重にも連なる鳥居

  • 奥には七渡神社と粟島神社

    奥には七渡神社と粟島神社

  • お詣りして

    お詣りして

  • 日本一の黄金御輿

    日本一の黄金御輿

  • 平成13年に建てられた伊能忠敬像<br />旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたそう

    平成13年に建てられた伊能忠敬像
    旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたそう

  • 表参道から出ます

    表参道から出ます

  • 何か今日は歩き疲れたので、帰りま~す

    何か今日は歩き疲れたので、帰りま~す

    門前仲町駅

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