2022/04/30 - 2022/05/03
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公共交通トラベラーkenさん
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2022年4月30日~5月3日の3泊4日で長野、岐阜、愛知3県を周りました。
1週間前に鹿児島旅行から帰って来たばかりだったので準備時間が十分に取れず、宿も満室になっているところが多くて探すのが大変でした。
新型コロナの行動規制が解除されて最初のゴールデンウィークということで、どの観光地でも混雑が予想されました。できるだけ混雑を避けた旅程を試行錯誤した結果、全体的に渋めの観光地になったと思います。
旅行記その1は木曾平沢から奈良井宿までの散策と宿泊地の恵那までの移動です。旧中山道の有名な宿場町・奈良井宿の観光ですが、一つ手前の木曽平沢で中央線を下車して漆器店が並ぶ静かな街道を散策するところから旅を開始します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR中央線のあずさに乗って旅のスタートです。
ゴールデンウィークなので、指定席は満席になっていました。晴天に恵まれて、車窓観光も充実しています。 -
塩尻駅で下車。
駅改札内にある立ち食いそばのお店が見えます。エレベーターの左側にある細いドアが入り口。結構美味しいらしいですが、今回はパスしました。塩尻駅 駅
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ここから普通列車に乗り換えです。
2両編成の車両に観光客が詰め込まれるので、意外と混んでいました。
何とか座席を確保してローカル列車の旅スタートです。 -
最初の観光スポット、木曽平沢駅に到着です。
木曽平沢駅 駅
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お隣の奈良井宿の在郷として近世の頃から整備されて来た町です。桧物細工、漆器の生産を生業としてきました。
今でもたくさんの漆器店が軒を連ねています。 -
旧中山道沿いの古い町並みを散策します。
奈良井宿に比べてマイナーな町なので観光客の姿はほとんど見えません。列車を降りたのも私たちの他に一人だけでした。
駅前にうるしの里駅前水辺公園というのがあります。きれいな公衆トイレがありました。 -
この町の見どころは江戸時代から昭和までの中山道沿いの建築を楽しむことができることです。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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細い路地も魅力的です。重要伝統的建造物群保存地区になっているので、町の保存や修復も良くできています。さらに保存会の方々による手書きのマップも入手可能です。木曽平沢とお隣の奈良井宿はこのマップを参考に観光を進めていきます。
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以下「木曾平沢街並み建築てくてくマップ」の解説を見ながら観光します。
これは明治後半の建築。『切妻の出梁造の木曾平沢では数少ない旅籠建築。正面両端の柱を通し柱とし、この間に間口いっぱいの胴差を入れる伝統的な形式をしています。』 -
『明治後期頃
医院に貸し出していた時に、入母屋のポーチが取り付けられ、外観も太い格子もその時つけられたそうです。南側に奥に続く通路があります。』
切妻とか、入母屋とか、出梁造とか、このマップには難しい建築用語が頻出します。
正面の像については特に解説はありませんでした。 -
『通称「べっそう」昭和6年(1931)
モルタル塗りの洋館に、黒漆喰仕上げの土蔵造の建物をくっつけたような外観が目を引く建物。ガラスの意匠もオシャレです。』 -
ほとんど人に会うことがありません。みんなゴールデンウィークでどこかに出かけているのでしょう。
木曾平沢の街並 名所・史跡
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『明治後期頃
出梁造、二階の手すりに特徴あり、かんながけの材が多く使われています。』
たぶん奥側の家のことだと思います。特に案内看板があるわけではないので、マップと見比べながら家を同定していきます。 -
『正面は、昭和20年代に増築
出梁造の建物ですが、二階の軒の出が小さく窓の上に小庇をつけるなど新しい要素も見られます。八角形の窓が特徴的です。』 -
『金西町にぬける小路。長さは80mもあります。奥に長い、木曾平沢の地割を垣間見れます。』
細い路地はなんかワクワクしますね。金西町は奈良井川に面したエリアにある町で、大正時代に道ができたことから、それ以降の建物が多く残っています。後でそちらも散策します。 -
旧中山道側に戻ってきました。
『昭和9年(1934)
切妻屋根が多い中で、入母屋、桟瓦葺の屋根の重厚な印象の建物。南側に奥へ続く通路があります。』 -
『昭和2年(1927)
モルタル大壁にドイツ壁仕上げと、土蔵と洋風意匠を折衷した建物です。屋根は土蔵のような置屋根で、開口部まわり建物の隅部に人造石洗い出しでアールデコ風扉枠、窓枠および柱形を表現しています。』
建築専門雑誌を読んでいるような気分です。 -
『昭和6年(1931)
出梁造の建物で一、二階とも縦格子をはめ込み、垂木構造の小庇を持っています。』
そろそろ飽きてきました。 -
解説マップには記載のない建物。
「木曾平沢には珍しいトタン壁構造。建物を支える為、崖斜面下部から延びる鉄筋柱土台が危ういバランスを演出しています。道路面とほぼ同じ高さに並ぶ窓がオシャレです。」 -
山の上に続く小路に進みます。この先に諏訪神社があるはずです。
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立派なケヤキがあります。
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この木肌。
すばらしいです。 -
諏訪神社。
『本殿は享保17年(1732)のもので、正面は祭りの時のみ見ることができます。外側の覆屋も比較的古く、裏側には壁がないので、門田の側面を見ることができます。』諏訪神社 寺・神社・教会
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ここを紹介しているサイトを見ると、境内に御柱が立っているとのことでしたが、私は気づきませんでした。
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神社を出て木曾平沢集落の方に戻ります。道路わきの斜面に何か石碑と看板がありました。
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「神に願かけ叶はぬならば 二十三夜さまお立ち待ち」
月待ちという民間信仰に関する石碑のようです。 -
開道記念の碑があります。ここから金西町の方へ続く道が分かれているので、大正時代の道の開通を記念したものでしょう。
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金西町の方へ歩いていきます。
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『昭和6年(1931)
木曾平沢では珍しく土蔵が表にあります。今は一階二階とも作業場ですが、以前は、居室としても使っていたそうです。町の特徴である通路が南側にあります。』 -
『大正13年(1924)
真ん中に通り土間を持つ珍しい形の建物。二階の手摺の意匠と高さを南側と北側で変えて、単調な外観にならないようデザインされています。』 -
窓の下の持送りなども良く見るとオシャレなものが多いです。
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金毘羅社。
ちんまりとしています。 -
細い路地を通って中山道側に戻ります。
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きれいな花が咲いています。
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上ノ神社。
この辺りで集落は終わりですかね。 -
ここにも素晴らしい廃墟がありました。もちろんマップには載っていません。
「細長いトタンの平板を何枚も重ねて貼った壁面が独特の外観を見せています。前面2本の巨木が建築構造を支える重要な支柱の役割を果たしています。」 -
木曾平沢の観光はこれにて終了です。
線路を渡って国道19号線を南下、奈良井宿を目指して歩きます。 -
普段ならトラックの往来が多い幹線道路ですが、連休中なので車も少なく、快適に歩くことができました。
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なんだか歴史を感じさせる門柱が建っていました。
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学校の門みたいです。
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塩尻市立楢川小中学校という学校らしい。
今年4月から小中一貫の義務教育学校としてスタートしたようです。平成3年に建てられた校舎は地元のヒノキをふんだんに使用した木造校舎なんだそうです。NHKの「美の壺」でも紹介されたことがあるみたいです。
こんなきれいな校舎で生活できる生徒は幸せだなと思います。 -
お昼ご飯です。「定食・ラーメン しんちゃん」というお店。
奈良井宿まであとちょっとですが、そこまで行くと昼時は混雑が予想されるので、国道沿いにある、長距離ドライバー御用達みたいなお店に入ります。 -
予想通り、お客はゼロでした。私たちが食べている間にバイク旅行のお兄さんが一人入ってきただけでした。
味噌ラーメンとチャーシュー丼、野菜炒め定食。定食のご飯とみそ汁、漬物はセルフでお替り自由。典型的な国道沿いの定食屋です。
安い、早い、うまい。しかも店はとてもきれいで気持ちいい。満点の昼ご飯でした。 -
さて、それでは中山道34番目の宿場、奈良井宿に向かいましょう。
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奈良井宿も重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
木曾平沢と同じく、「奈良井宿街並み建築てくてくマップ」を参照にして観光します。 -
『線路をくぐるトンネル、ランプがステキ!』とあります。
木曾平沢に比べて観光客に寄り添う姿勢が見られて良いと思います。 -
水がとてもきれいです。
山の湧き水が豊富なんでしょう。 -
旧中山道の石垣が残る通り。
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奈良井宿には、合計6つの水場があります。
これは下町水場。 -
『柳屋 戦前
立ちが少し高く、二階に楕円の窓があります。この時代の窓には、ほかに八角形や円形などが見られます。」
奈良井宿は木曾平沢と違って家に屋号が残っているので判別しやすいです。 -
下城水場。
先程の下町水場以外は生水を飲むのはやめましょうと注意書きがありました。
多分飲んでも大丈夫だと思いますが、万が一のための注意でしょう。 -
『杉の森 建築は明治初期
杉玉が特徴的な、近世から続く造酒屋。正面は一階二階ともに格子が目を引きます。裏手に醸造蔵、煙突があります。』 -
横水水場。
奈良井宿 名所・史跡
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横水水場の奥にある祠と松
「中山道奈良井宿 津島神宮御神木 赤松樹齢四百年」とあります。
祠は庚申塔のようです。 -
『つちや 天保頃
一階正面はシトミと大戸にくぐり戸が残されていて、角地に立つので、妻側にも格子を付けた開口があります。』 -
つちや 妻側。
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つちや 街道から奥にずっと家が続きます。
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『藤屋 天保頃
商売をしていない、いわゆるシモタヤでした。コヤネ、袖壁を持つ建物です。』
今はお店をしています。なんだか観光客が群がっていました。 -
軒下にツバメの巣があるようです。
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奈良井宿には玄関に屋号の木の札が掛けられている建物が多くあります。
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『榮元 戦前
街路から距離をおき、妻面を正面に向ける、奈良井では珍しい建物。以前医院をしていたそうです。』
現在はアクセサリーなどを売るお店をやっているみたいです。 -
『美濃屋 昭和10年代
以前は精米所だったそうです。ポーチ付きの入り口が、印象的。修景でとてもきれいになりました。』
奈良井宿には近代以降大火がなかったそうで、江戸末期の形式を多く残した街並みが保存されているそうです。 -
マリヤ地蔵があります。
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大宝寺というお寺の境内にはいります。
門をくぐって右側にある小屋の中に受付がありますが、どうやら無人らしいです。自分で入場料100円を箱の中に入れて、(必要ならお釣りをとって)中に入ります。 -
マリア地蔵尊。頭部などが破損していますが、胸のあたりに十字架が残っています。隠れキリシタンたちが信仰していたお地蔵様ですね。
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昭和7年、やぶの中に埋もれているのを地元の人が発見したとのこと。
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奈良井郵便局の奥にある神明宮。
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なかなか良い雰囲気です。
下から見て拝殿は普通そうだったので階段を登るのはやめました。 -
振り返ると木曾の山並みがくっきり見えます。
「木曽路はすべて山の中・・・」なんて文学的素養をひけらかしてみる。
読んだことはありませんけど。 -
『市指定有形文化財 徳利屋 天保頃
昭和15年ころまで旅籠屋を営んでいたそうです。元々、高さの高い建物ですが、棟の位置を一間後方に移動したことにより、より高くなっています。カッテは広く、吹き抜けているため、力強い梁組みが見えます。』 -
池の沢水場。
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『越後屋 天保頃
元々は、シトミと大戸でしたが、現在は格子の引き違い戸が入っています。角地に建っているので、妻側にも開口を持っています。』 -
『伊勢屋 幕末頃
元は牛馬宿をしていました。土間の南側に馬屋があったので南側の出入り口から馬も入ったようです。』 -
『国指定重要文化財 上問屋 手塚家住宅 天保11年(1840)
代々問屋を務めた家で、近世後期から庄屋も務めていました。普通の町家より間口が広いです。奈良井には二つの問屋があり、月の半期ずつ交代で問屋業務を行っていました。』上問屋史料館 美術館・博物館
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ここは内部も見学しました。
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素晴らしく立派な内装を堪能できます。
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明治天皇行在所として使用された部屋がそのまま保管されています。
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2階も見学可能。
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梁の材木なども太くて立派です。
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古い民家でよく見かける階段箪笥。
実際に階段を登ったのはこれが初めてでした。 -
長泉寺という曹洞宗のお寺に入ります。
長泉寺 寺・神社・教会
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本堂に入って上を見上げると天井に豪快な竜の絵が描かれています。
明治時代に飛騨の匠、山口権之正(やまぐちごんのかみ)が描いたもの。長さ20メートル、幅3.5mあります。 -
迫力あります。
昔は目の真下で手をたたくと独特な音がなる「鳴き龍」の仕掛けがあったそうです。 -
貞治仏 延命地蔵大菩薩
高遠石工の稀代の名工、森屋貞治の作。
木曽谷随一の美しいお姿と言われているそうです。 -
荒沢不動尊
宿場の道がクランク状に曲がる「鍵の手」の角にあります。 -
鍵の手水場
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『市指定有形文化財 中村邸 天保8年から14年(1837~1843)の間に建築
江戸時代には櫛問屋中村利兵衛の家でした。間口が狭く、奥に深いつくりで、奈良井の町家の典型といえます。出梁造になっていて、正面はシトミになっています。二階の格子の縦の材が、斜めについていて、幕末の規制のゆるみを思わせます。』中村邸 名所・史跡
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『昭和初期
近年まで奈良井診療所でした。奈良井では珍しい、重厚な感じの洋館です。』 -
『復元された高札場
幕府からの交通施策禁令が掲げられていました。』
そろそろ宿場の端の方までやって来ました。 -
宮の沢水場。
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『市指定文化財 鎮神社 本殿は寛文4年(1664)
本殿には覆屋をかけ覆屋の前面を拝殿にあてていて、本殿は祭りのとき以外は見る事はできないですが、覆屋、鳥居、宝蔵も比較的古く、背景の緑の中で引き立って見えます。』鎮神社 寺・神社・教会
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線路を渡った駐車場エリアにある蒸気機関車 C12 199号機の展示。
昭和13年に製造され、昭和49年まで使用されていたようです。 -
薬師如来が祀られています。
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そしてたくさんのお地蔵様。
駐車場の片隅にひっそりと鎮座なさっておられます。 -
賑やかな街道沿いに戻ってきました。
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奈良井駅の方まで歩いて戻ってきました。
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山の上の方に少し登って、二百地蔵というものを見物します。
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その前に八幡宮。
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ひっそりとした小さな神社です。
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江戸時代末に建築された舞屋。
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額に入った絵が飾られています。
牛をひくおじいさんと子供達の図です。詳細は不明です。
私は「オツベルと象」だと勝手に解釈しました。 -
八幡宮の隣にある二百地蔵。「明治期の国道開削・鉄道敷設の折に奈良井宿周辺から集められたという。」とあります。地蔵よりも観音像などの方が多いそうです。
二百地蔵 名所・史跡
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大学生らしいグループが来ていました。どうやら連休を利用して撮影旅行をしている写真サークルのようです。
私たちが地蔵にへばりついて撮影している間、辛抱強く待ってくれていたようです。
マナーの悪い撮り鉄とは違いますね。 -
静かな林の中にあるので、とても雰囲気が良いですね。
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奈良井駅に来ました。この駅舎も明治42年開業ということなので近代化遺産としての価値が高い建物なんだそうです。
奈良井駅 駅
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電車の時間までまだ余裕があるので、木曾の大橋のところまで来てみました。
美しい総檜造りの太鼓橋は、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさなんだそうです。木曽の大橋 名所・史跡
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奈良井宿市場という売店でソフトクリームを食べました。
わりと美味しかったと思います。
奈良井宿観光はこれにて終了です。宿場町の規模が大きく、建物の保存状態も非常に良いのでとても見ごたえのあるスポットでした。観光地としての整備もしっかりされているのでストレスなく見て回ることができます。 -
ここから岐阜県の恵那駅まで移動します。
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恵那駅到着。
本日の観光はここまでです。 -
静かな駅前でした。ここに2泊します。
恵那駅 駅
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恵那駅前津島神社。ホテルの前にありました。
大正7年に疫病が流行した際に祀られたもののようです。 -
本日から2泊お世話になる、シティホテル ミチ。
シティホテル ミチ 宿・ホテル
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チェックイン前に夕食を買い出しに行きます。
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ホテルのすぐそばにあるバローというスーパー。
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スーパーで買ってきた惣菜。気前の良い値引きシールに引っ張られて、ちょっと買いすぎてしまいました。
惣菜の味付がすこし濃い目のような気がします。名古屋圏内に近づいてきたからかもしれません。
今日は快晴に恵まれて、のんびりと中山道の古い町並みを堪能できました。明日からは明智鉄道を利用しての観光になります。
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