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大隅国の寺社参りは2回目です。<br />2018年に鹿児島神宮、霧島神宮というメジャーな神社はお参りしております。<br />よろしかったらこちらをどうぞ。<br />「薩摩・大隅2018年」<br />https://4travel.jp/travelogue_group/12748<br /><br />今回は、ぐっとしぶく、山間に鎮座する小さな神社に行ってきました。<br />「三国名勝図会」という素晴らしいガイドブックがあります。編纂は1847年と多少(?)古いですが、張り切って引用します。<br /><br />「三国名勝図会」は江戸時代後期に薩摩藩が、薩摩、大隅、日向の一部について調べ上げた百科事典のようなものです。詳しくは、<br />「六国史の旅 旅人@九州2 隼人、験(しるし)なきこと・上」<br />https://4travel.jp/travelogue/11744859<br />をご覧下さい。<br />日本国立国会図書館デジタルコレクションからの引用です。<br /><br />

諸国寺社旧跡めぐり 大隅国1 韓国宇豆峯神社 蛭子神社

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2021/11/25 - 2021/11/26

58位(同エリア149件中)

しにあの旅人

しにあの旅人さん

大隅国の寺社参りは2回目です。
2018年に鹿児島神宮、霧島神宮というメジャーな神社はお参りしております。
よろしかったらこちらをどうぞ。
「薩摩・大隅2018年」
https://4travel.jp/travelogue_group/12748

今回は、ぐっとしぶく、山間に鎮座する小さな神社に行ってきました。
「三国名勝図会」という素晴らしいガイドブックがあります。編纂は1847年と多少(?)古いですが、張り切って引用します。

「三国名勝図会」は江戸時代後期に薩摩藩が、薩摩、大隅、日向の一部について調べ上げた百科事典のようなものです。詳しくは、
「六国史の旅 旅人@九州2 隼人、験(しるし)なきこと・上」
https://4travel.jp/travelogue/11744859
をご覧下さい。
日本国立国会図書館デジタルコレクションからの引用です。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • 韓国宇豆峯神社、からくに・うずみね、と読みます。<br />鹿児島県霧島市国分上井898<br />

    韓国宇豆峯神社、からくに・うずみね、と読みます。
    鹿児島県霧島市国分上井898

  • 三国名勝図会の韓国宇豆峯神社です。19世紀半ばでは検校川の近くに一の鳥居がある、広大な神域だったのです。図中央の拝殿前の階段は現代の位置と変わらないようです。階段から川まで直線で130mくらいあります。<br />(図会31 29/117)<br />

    三国名勝図会の韓国宇豆峯神社です。19世紀半ばでは検校川の近くに一の鳥居がある、広大な神域だったのです。図中央の拝殿前の階段は現代の位置と変わらないようです。階段から川まで直線で130mくらいあります。
    (図会31 29/117)

  • 目印は日豊本線の国分駅。直線で2km、道なり4.7kmです。<br /><br />https://youtu.be/px7h1J6eHhM<br />

    目印は日豊本線の国分駅。直線で2km、道なり4.7kmです。

    https://youtu.be/px7h1J6eHhM

  • 30分ほどおりましたが、参拝者は私たちだけ。<br />式内社です。よく手入れされた美しい神社ですが、ホームページなし。連絡先電話番号もなし。<br />

    30分ほどおりましたが、参拝者は私たちだけ。
    式内社です。よく手入れされた美しい神社ですが、ホームページなし。連絡先電話番号もなし。

  • 周りは半分田んぼ、半分住宅地。<br />300mくらい東に高速道路が通っているはずですが、音は聞こえません。<br />

    周りは半分田んぼ、半分住宅地。
    300mくらい東に高速道路が通っているはずですが、音は聞こえません。

  • 祭神は五十猛命(いそたけるの・みこと)<br />たしか植林の神様です。<br /><br />一書に曰く、<br />初めて鹿児島に行ったとき、宮崎から入ったせいか、神社が少ない土地だと思いました。<br />なぜ、そんなことを感じたのかというと、こういう小さい神社が少ないからではないでしょうか。<br />単なる感想ですが。<br />不思議なことですが、もう一つ単なる感想としまして、鹿児島は、観光地でもないところが、よく手入れされていました。<br />そういう感想を持ったのは、たぶん、この韓国宇豆峯神社のお陰かもしれません。手入れの行き届いた参道に、味気ないほどさっぱりした境内でした。<br />ご祭神が、五十猛命って、あの出雲のスサノオさんのお子さんということになっています。<br />スサノオさんは、アマテラスさんの弟ということですが、半島系だといわれておりますね。<br />スサノオ系の人々は高度の技術を持っていた。<br /><br />ところで、何しに来たのでしょう?<br />大陸の民から、押し出されたのでしょうか。<br />それとも、鉄文化の民で、製鉄のために、鉄の材料と、多くの燃料を求めてきたのでしょうか。<br />五十猛さんが、植林の神様というのが、気にかかります。<br />司馬遼太郎は、製鉄には、莫大な燃料を必要とするので、朝鮮半島の森林は坊主になってしまったと書いています。<br /><br />また、この神社に鬼瓦というのも。<br />瓦製作には。製鉄と同じく火を使いますから。<br /><br />ご存知ですか。<br />現在、江戸切り子を製作しているのは、東京亀戸あたりだそうです。<br />それは、以前この辺りで、耐火レンガを作る工場が沢山あったからだそうです。耐火レンガ工場が撤退して、その後の設備を利用して、ギヤマンが作られているということだそうですよ。<br /><br />つまり、この神社の鬼瓦は、製鉄工場の設備を利用して作られたのではないかと。<br />この神社が、鬼瓦製造に関係あるのかないのか、全然調べもせずに、これだけ妄想する私って、ファンタジー作家ですわ。<br />オホホ。<br />By妻<br />

    祭神は五十猛命(いそたけるの・みこと)
    たしか植林の神様です。

    一書に曰く、
    初めて鹿児島に行ったとき、宮崎から入ったせいか、神社が少ない土地だと思いました。
    なぜ、そんなことを感じたのかというと、こういう小さい神社が少ないからではないでしょうか。
    単なる感想ですが。
    不思議なことですが、もう一つ単なる感想としまして、鹿児島は、観光地でもないところが、よく手入れされていました。
    そういう感想を持ったのは、たぶん、この韓国宇豆峯神社のお陰かもしれません。手入れの行き届いた参道に、味気ないほどさっぱりした境内でした。
    ご祭神が、五十猛命って、あの出雲のスサノオさんのお子さんということになっています。
    スサノオさんは、アマテラスさんの弟ということですが、半島系だといわれておりますね。
    スサノオ系の人々は高度の技術を持っていた。

    ところで、何しに来たのでしょう?
    大陸の民から、押し出されたのでしょうか。
    それとも、鉄文化の民で、製鉄のために、鉄の材料と、多くの燃料を求めてきたのでしょうか。
    五十猛さんが、植林の神様というのが、気にかかります。
    司馬遼太郎は、製鉄には、莫大な燃料を必要とするので、朝鮮半島の森林は坊主になってしまったと書いています。

    また、この神社に鬼瓦というのも。
    瓦製作には。製鉄と同じく火を使いますから。

    ご存知ですか。
    現在、江戸切り子を製作しているのは、東京亀戸あたりだそうです。
    それは、以前この辺りで、耐火レンガを作る工場が沢山あったからだそうです。耐火レンガ工場が撤退して、その後の設備を利用して、ギヤマンが作られているということだそうですよ。

    つまり、この神社の鬼瓦は、製鉄工場の設備を利用して作られたのではないかと。
    この神社が、鬼瓦製造に関係あるのかないのか、全然調べもせずに、これだけ妄想する私って、ファンタジー作家ですわ。
    オホホ。
    By妻

  • 名前からして、朝鮮由来の神社です。<br />朝鮮半島からの渡来人が豊前国宇佐にすみつき、和銅7年(714年)開拓団としてこのあたりに移住してきました。そのとき先祖伝来の神様をここに祀った。三国名勝図会巻31(28)によれば当初の神社は現在地の西、550mほどの山頂でした。<br />この開拓団の入植が先住の隼人族の土地を奪うことになり、720年の隼人の乱の直接の原因となったのは、ほぼ間違いないと思います。<br />歴史の悲劇を秘めた神社なのです。<br />

    名前からして、朝鮮由来の神社です。
    朝鮮半島からの渡来人が豊前国宇佐にすみつき、和銅7年(714年)開拓団としてこのあたりに移住してきました。そのとき先祖伝来の神様をここに祀った。三国名勝図会巻31(28)によれば当初の神社は現在地の西、550mほどの山頂でした。
    この開拓団の入植が先住の隼人族の土地を奪うことになり、720年の隼人の乱の直接の原因となったのは、ほぼ間違いないと思います。
    歴史の悲劇を秘めた神社なのです。

  • By妻お気に入りの狛犬さんです。摩耗してまるまる、狛犬か唐獅子か、もう分かりません。かなり前からここにいるのは間違いない。

    By妻お気に入りの狛犬さんです。摩耗してまるまる、狛犬か唐獅子か、もう分かりません。かなり前からここにいるのは間違いない。

  • 不思議なものが鳥居の両側に。

    不思議なものが鳥居の両側に。

  • 鬼瓦みたいです。

    鬼瓦みたいです。

  • 左側は四つ。右側は二つ。

    左側は四つ。右側は二つ。

  • 古い鬼瓦を石垣の上に置いているのかな。<br />それにしては新しい。<br />

    古い鬼瓦を石垣の上に置いているのかな。
    それにしては新しい。

  • 現在の社殿に乗っている鬼瓦と同じみたいです。<br />今回大隈で見たのが初めてです。By妻は同じようなものを次の蛭子神社でも見ています。この地方独特の、私たちが知らない風習なのでしょうか。<br />それともただの廃物利用?<br />

    現在の社殿に乗っている鬼瓦と同じみたいです。
    今回大隈で見たのが初めてです。By妻は同じようなものを次の蛭子神社でも見ています。この地方独特の、私たちが知らない風習なのでしょうか。
    それともただの廃物利用?

  • 私は駐車場情報は口コミスポットに書くことにしていますが、この神社は4トラのスポットに登録されていません。<br />立派な駐車場が神社に隣接していました。<br />バス停は、鹿児島空港線の国分川内(徒歩13分、1km)、国分下井(17分、1.4km)があるようです。<br />

    私は駐車場情報は口コミスポットに書くことにしていますが、この神社は4トラのスポットに登録されていません。
    立派な駐車場が神社に隣接していました。
    バス停は、鹿児島空港線の国分川内(徒歩13分、1km)、国分下井(17分、1.4km)があるようです。

  • 蛭児(ひるこ)神社、大隅国二宮です。かつては二宮にふさわしい大きな神社だったのでしょう。今は肥薩線の線路に近い小さな神社です。<br />鹿児島県霧島市隼人町内2563<br />

    蛭児(ひるこ)神社、大隅国二宮です。かつては二宮にふさわしい大きな神社だったのでしょう。今は肥薩線の線路に近い小さな神社です。
    鹿児島県霧島市隼人町内2563

    蛭児神社 寺・神社・教会

    蛭子神社、小さな駐車場あり。 by しにあの旅人さん
  • 三国名勝図会巻32(47)より。<br />鳥居の前を流れる小川は宮内原(みやうちばる)用水です。300年前に開通した農業用水です。<br />図会では旧跡奈毛木神叢(なげきのもり)にある神社として紹介されています。<br /><br />★神祠を二之宮大明神と号す、祭神蛭児一座、(中略)是を隅州の二之宮と云★<br /><br />蛭児神社というようになったのは後世のようです。<br />

    三国名勝図会巻32(47)より。
    鳥居の前を流れる小川は宮内原(みやうちばる)用水です。300年前に開通した農業用水です。
    図会では旧跡奈毛木神叢(なげきのもり)にある神社として紹介されています。

    ★神祠を二之宮大明神と号す、祭神蛭児一座、(中略)是を隅州の二之宮と云★

    蛭児神社というようになったのは後世のようです。

  • 拝殿。

    拝殿。

  • 本殿。

    本殿。

  • 昭和5年(1927年)に改築しましたが、古くなったため、平成23年(2011年)に新たに造営したそうです。<br />本殿はともかく、拝殿はガラス窓の現代家屋。もうちょっと古い社殿の面影を残せなかったかと思います。<br />神社仏閣には公費を使えませんので、予算の関係でやむを得ないのでしょう。<br />ただし、本殿につながる長方形の、拝殿と舞殿を合わせたような社殿は、図会と変わっておりません。<br />三国名勝図会の韓国宇豆峯神社も同じように描いてありました。<br />

    昭和5年(1927年)に改築しましたが、古くなったため、平成23年(2011年)に新たに造営したそうです。
    本殿はともかく、拝殿はガラス窓の現代家屋。もうちょっと古い社殿の面影を残せなかったかと思います。
    神社仏閣には公費を使えませんので、予算の関係でやむを得ないのでしょう。
    ただし、本殿につながる長方形の、拝殿と舞殿を合わせたような社殿は、図会と変わっておりません。
    三国名勝図会の韓国宇豆峯神社も同じように描いてありました。

  • 蛭児神社とは変な神社名。<br />霧島市教育委員会の案内板によれば、<br /><br />★(前略)祭神の蛭児尊は、イザナギ、イザナミの二神の間に生まれた神様で、漁業、航海、商売の神として信仰されています。言い伝えによりますと、二神は蛭児神を大変かわいがっていましたが、3歳になっても足腰が立たず、二神は嘆いて高天原から天磐楠船(あまのいわくすぶね)に乗せて流しました。そして流れ着いた所がこの地で、天磐楠船から不思議なことに枝や葉が出て、成長し大木になりました。その楠の実が落ちてなげきの杜一帯に繁茂しました。<br />しかし歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなりました。今もその切り株が「神代の楠」として残っています。現在の楠の神木は享保13(1728)年、国分地頭樺山主計久初(かばやま・かずえ・ひさもと)が植え継いだものといわれています。<br />またこのあたりは「なげきの杜」として古くから歌に詠まれています。★<br /><br />教授、顔まっか!<br />▲▼▲▼▲▼▲▼<br /><br />二神の国生みのお話は古事記、日本書紀でも有名なところです。陰の元(めのはじめ)と陽の元(おのはじめ)をあわせるとかいう、日本最初のポルノ小説みたいな描写があります。<br />By妻は国文出身ですが、教授が真っ赤になって講義したそうです。有名な教授で、教室には憧れた女学生が殺到。教授はたくさんの18かそこいらの乙女たちに見つめられていたわけです。赤くなるのは無理もない。<br />私は習っていないのに、はるか前から知っています。どこで読んだのだろう。<br />脱線。こういうのがありました。<br /><br />★まず淡路洲(あわじのしま)が第一番に生まれたが、不満足な出来であった。そこで名づけて淡路洲(吾恥島、あはじしま)という。★<br /><br />吾恥島だって、 ひどくね。このバージョンだと蛭子はでてきません。<br /><br />本題復帰。<br />古事記だと、<br /><br />★それでも寝所で結婚して生んだ子は水蛭子(ひるこ)この子は葦の船に入れて放流した。★<br /><br />実にあっさりと「放流」だって。とくに悲しんでいない。<br /><br />日本書紀では、この部分10のバージョンがありますが、もっとも詳しいヤツだと、<br /><br />★つぎに蛭児を生んだ。3年たっても足がたたなかった。だから天磐櫲樟船(あめのいわくすふね、丈夫な樟の船-訳注)にのせて、風のままに放流した。★<br /><br />こちらも「放流」です。「嘆いて」なんて全然いません。<br />三国名勝図会では、<br /><br />★父母の御神、御子の脚立給はぬことを嘆きて、放棄給ふに因りて、叢の名となるといひ伝ふ★<br /><br />記紀との食い違いはなんのその、要するにこの地では。昔からそういうことになっていたのであります。<br />でもここでの記紀の親神様、身障者の子供を捨てちゃったわけで、自慢できることではないと思いますが。<br /><br />なげきの森<br />▲▼▲▼▲<br /><br />案内板に「またこのあたりは、『なげきの杜』として古くから歌に詠まれています。」とあります。歌枕です。図会によると、<br /><br />★此神叢、歌林名所考等に載て、詠歌多し★<br /><br />「歌林名所考」というのは歌枕のガイドブックみたいなもののようです。<br />歌枕「なげきの杜」の例として、説明板には五首が紹介されていました。<br /><br />「山風を なげきの杜の 落ち葉かな」<br />細川幽斎(肥後細川家の祖、歌人、1634-1610)<br /><br />「古を忍ばざらめや今とても 道をなけきの杜の言の葉」<br />中納言 島津家久(薩摩島津家の家臣、武将、1547-1587)<br /><br />「願事(ねぎごと)をさのみ聞きけん杜こそは 果てはなげきの杜と成らめ」<br />古今集 二条院讃岐(歌人、1141?-1217?)<br /><br />「枯にけり人の心の秋風に 果は歎の杜のことの葉」 <br />新続古今集 藤原秀茂(生没年不明、新続古今集は1439年成立)<br /><br />「時鳥(ほととぎす)嘆きの杜に逢はずして 君が待夜は過にけるかな」 <br />夫木集 後鳥羽天皇(1180-1239)<br /><br />このメンバーだと、実際に蛭児神社周辺のなげきの杜を訪れた可能性があるのは、島津家久だけでしょうね。九州に縁があるというだけなら、細川幽斎もありえるかな。<br />そのほかは歌枕としてなげきの杜を使っただけのようです。歌の意味も蛭児神社である必然性はなし。<br />これ以外に図会には10首が載っていました。<br />

    蛭児神社とは変な神社名。
    霧島市教育委員会の案内板によれば、

    ★(前略)祭神の蛭児尊は、イザナギ、イザナミの二神の間に生まれた神様で、漁業、航海、商売の神として信仰されています。言い伝えによりますと、二神は蛭児神を大変かわいがっていましたが、3歳になっても足腰が立たず、二神は嘆いて高天原から天磐楠船(あまのいわくすぶね)に乗せて流しました。そして流れ着いた所がこの地で、天磐楠船から不思議なことに枝や葉が出て、成長し大木になりました。その楠の実が落ちてなげきの杜一帯に繁茂しました。
    しかし歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなりました。今もその切り株が「神代の楠」として残っています。現在の楠の神木は享保13(1728)年、国分地頭樺山主計久初(かばやま・かずえ・ひさもと)が植え継いだものといわれています。
    またこのあたりは「なげきの杜」として古くから歌に詠まれています。★

    教授、顔まっか!
    ▲▼▲▼▲▼▲▼

    二神の国生みのお話は古事記、日本書紀でも有名なところです。陰の元(めのはじめ)と陽の元(おのはじめ)をあわせるとかいう、日本最初のポルノ小説みたいな描写があります。
    By妻は国文出身ですが、教授が真っ赤になって講義したそうです。有名な教授で、教室には憧れた女学生が殺到。教授はたくさんの18かそこいらの乙女たちに見つめられていたわけです。赤くなるのは無理もない。
    私は習っていないのに、はるか前から知っています。どこで読んだのだろう。
    脱線。こういうのがありました。

    ★まず淡路洲(あわじのしま)が第一番に生まれたが、不満足な出来であった。そこで名づけて淡路洲(吾恥島、あはじしま)という。★

    吾恥島だって、 ひどくね。このバージョンだと蛭子はでてきません。

    本題復帰。
    古事記だと、

    ★それでも寝所で結婚して生んだ子は水蛭子(ひるこ)この子は葦の船に入れて放流した。★

    実にあっさりと「放流」だって。とくに悲しんでいない。

    日本書紀では、この部分10のバージョンがありますが、もっとも詳しいヤツだと、

    ★つぎに蛭児を生んだ。3年たっても足がたたなかった。だから天磐櫲樟船(あめのいわくすふね、丈夫な樟の船-訳注)にのせて、風のままに放流した。★

    こちらも「放流」です。「嘆いて」なんて全然いません。
    三国名勝図会では、

    ★父母の御神、御子の脚立給はぬことを嘆きて、放棄給ふに因りて、叢の名となるといひ伝ふ★

    記紀との食い違いはなんのその、要するにこの地では。昔からそういうことになっていたのであります。
    でもここでの記紀の親神様、身障者の子供を捨てちゃったわけで、自慢できることではないと思いますが。

    なげきの森
    ▲▼▲▼▲

    案内板に「またこのあたりは、『なげきの杜』として古くから歌に詠まれています。」とあります。歌枕です。図会によると、

    ★此神叢、歌林名所考等に載て、詠歌多し★

    「歌林名所考」というのは歌枕のガイドブックみたいなもののようです。
    歌枕「なげきの杜」の例として、説明板には五首が紹介されていました。

    「山風を なげきの杜の 落ち葉かな」
    細川幽斎(肥後細川家の祖、歌人、1634-1610)

    「古を忍ばざらめや今とても 道をなけきの杜の言の葉」
    中納言 島津家久(薩摩島津家の家臣、武将、1547-1587)

    「願事(ねぎごと)をさのみ聞きけん杜こそは 果てはなげきの杜と成らめ」
    古今集 二条院讃岐(歌人、1141?-1217?)

    「枯にけり人の心の秋風に 果は歎の杜のことの葉」 
    新続古今集 藤原秀茂(生没年不明、新続古今集は1439年成立)

    「時鳥(ほととぎす)嘆きの杜に逢はずして 君が待夜は過にけるかな」 
    夫木集 後鳥羽天皇(1180-1239)

    このメンバーだと、実際に蛭児神社周辺のなげきの杜を訪れた可能性があるのは、島津家久だけでしょうね。九州に縁があるというだけなら、細川幽斎もありえるかな。
    そのほかは歌枕としてなげきの杜を使っただけのようです。歌の意味も蛭児神社である必然性はなし。
    これ以外に図会には10首が載っていました。

  • 奈毛木神叢図会の左半分。

    奈毛木神叢図会の左半分。

  • 鳥居とお社の位置からすると、この写真に近い。<br />鳥居と用水を挟んで反対側に「神代古跡」と書かれているものがあります。<br /><br />案内板、<br />★天磐楠船から不思議なことに枝や葉が出て、成長し大木になりました。その楠の実が落ちてなげきの杜一帯に繁茂しました。<br />しかし歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなりました。今もその切り株が「神代の楠」として残っています。★<br />

    鳥居とお社の位置からすると、この写真に近い。
    鳥居と用水を挟んで反対側に「神代古跡」と書かれているものがあります。

    案内板、
    ★天磐楠船から不思議なことに枝や葉が出て、成長し大木になりました。その楠の実が落ちてなげきの杜一帯に繁茂しました。
    しかし歳月が経ち楠は朽ち果て空洞を生じ、根株のみとなりました。今もその切り株が「神代の楠」として残っています。★

  • これがその「神代の楠」

    これがその「神代の楠」

  • 「自南所見」とあります。南から見たところ、ということかな。<br />高さ2丈(6.6m)ばかり、周囲7丈8尺(25.74m)ばかり<br />根周囲9丈8尺(32.34m)ばかり<br />とありますが、根元周囲32.34mだと、直径12.6mくらいになる。そんな太い木があるかな。<br />

    「自南所見」とあります。南から見たところ、ということかな。
    高さ2丈(6.6m)ばかり、周囲7丈8尺(25.74m)ばかり
    根周囲9丈8尺(32.34m)ばかり
    とありますが、根元周囲32.34mだと、直径12.6mくらいになる。そんな太い木があるかな。

  • 図会の反対側から撮ったことになります。太い木ではありますが、直径12.6mには見えない。<br />保存処理はされているでしょうが、何百年も根株が持つものですかね。レプリカとは書いてないのですが。<br /><br />案内板によれば、<br />★現在の楠の神木は享保13(1728)年、国分地頭樺山主計久初(かばやま・かずえ・ひさもと)が植え継いだものといわれています。★<br /><br />図会だと、<br />★国分地頭樺山主計久初、古樟のうつぼになりしゆえ、邑長(むらのおさ)に命じ、稚樟を代植せしに、その木は程なく枯れて、古樟の側はら自然に樟三本を生ず、その樟長して今は廻り七尺余の樹となれり★<br /><br />江戸期より、国分地頭、邑長など、この木を守り通した人々がいたのであります。<br />

    図会の反対側から撮ったことになります。太い木ではありますが、直径12.6mには見えない。
    保存処理はされているでしょうが、何百年も根株が持つものですかね。レプリカとは書いてないのですが。

    案内板によれば、
    ★現在の楠の神木は享保13(1728)年、国分地頭樺山主計久初(かばやま・かずえ・ひさもと)が植え継いだものといわれています。★

    図会だと、
    ★国分地頭樺山主計久初、古樟のうつぼになりしゆえ、邑長(むらのおさ)に命じ、稚樟を代植せしに、その木は程なく枯れて、古樟の側はら自然に樟三本を生ず、その樟長して今は廻り七尺余の樹となれり★

    江戸期より、国分地頭、邑長など、この木を守り通した人々がいたのであります。

  • 一書に曰く、<br />二宮というので、行ってみると。<br />う~ん。<br />というくらい、粗略に扱われておりました。<br />二宮ですよ。<br />今までお参りした、いくつかの二宮の中でも、こんなにほって置かれているのは初めてです。<br />二宮なのに。<br />アイバじゃないのに。ニノなのに。<br /><br />さる神社の絵馬に、「どうぞ嵐の松潤と結婚させて下さい。もしダメなら、アイバでもいいです。」<br />と書いてあったそうです。<br />これを、新聞で読みまして、以来「アイバでもいい。」は、我が家のギャグとなりました。<br /><br />国道504がありまして、そこにコンビニがあります。その横の細道を登って行きますと、鬱蒼たる木々に暗くなっている道にでます。<br />りっぱな舗装道路で、普通の自動車道路です。その道路の脇にあるのです。<br />コンビニの辺りから、ずーっと、この神社の領域だったのですね。<br />上り道に、神代杉のなごりが残っていましたから。<br />今や、無人のお社です。<br />建物も境内も清潔に手入れはしてありました。<br /><br />が、二宮ですよ。<br />ニノですよ。(あっ、わたしは別に嵐のファンではありません。)<br /><br />お城住まいの高貴なるお方が、築年数は新しいけれど、三畳一間に下宿なさっているようです。<br />おいたわしい。<br /><br />でも考えようによっては、下のコンビニで、お菓子と飲み物を買って来て、この境内で休むっていうのは、ウルトラ快適そうです。<br />御殿より、三畳一間の方が便利かもしれませんしね。<br /><br />祀られている神様がまた、親に捨てられたっていうのだから、哀しいけれど。<br />これも考えようで、親の介護の心配はないわけで。<br />蛭児さまは、エビスさんになった説もあるようですが、えべす様がニコニコしていらっしゃるのはそのせいかも。<br />嘆きの森は、今は爽やかな風が吹き抜けておりました。<br />By妻<br />

    一書に曰く、
    二宮というので、行ってみると。
    う~ん。
    というくらい、粗略に扱われておりました。
    二宮ですよ。
    今までお参りした、いくつかの二宮の中でも、こんなにほって置かれているのは初めてです。
    二宮なのに。
    アイバじゃないのに。ニノなのに。

    さる神社の絵馬に、「どうぞ嵐の松潤と結婚させて下さい。もしダメなら、アイバでもいいです。」
    と書いてあったそうです。
    これを、新聞で読みまして、以来「アイバでもいい。」は、我が家のギャグとなりました。

    国道504がありまして、そこにコンビニがあります。その横の細道を登って行きますと、鬱蒼たる木々に暗くなっている道にでます。
    りっぱな舗装道路で、普通の自動車道路です。その道路の脇にあるのです。
    コンビニの辺りから、ずーっと、この神社の領域だったのですね。
    上り道に、神代杉のなごりが残っていましたから。
    今や、無人のお社です。
    建物も境内も清潔に手入れはしてありました。

    が、二宮ですよ。
    ニノですよ。(あっ、わたしは別に嵐のファンではありません。)

    お城住まいの高貴なるお方が、築年数は新しいけれど、三畳一間に下宿なさっているようです。
    おいたわしい。

    でも考えようによっては、下のコンビニで、お菓子と飲み物を買って来て、この境内で休むっていうのは、ウルトラ快適そうです。
    御殿より、三畳一間の方が便利かもしれませんしね。

    祀られている神様がまた、親に捨てられたっていうのだから、哀しいけれど。
    これも考えようで、親の介護の心配はないわけで。
    蛭児さまは、エビスさんになった説もあるようですが、えべす様がニコニコしていらっしゃるのはそのせいかも。
    嘆きの森は、今は爽やかな風が吹き抜けておりました。
    By妻

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 前日光さん 2022/05/05 22:51:13
    アイバじゃないのに。。。( ̄∇ ̄)
    こんばんは、しにあさん&by妻さん。
    アイバじゃないのに、ニノなのに。
    ニノが主役のドラマを見ながら、しにあ家のギャグと化した「アイバじゃないのに、ニノなのに」が浮かんでしまい、一人で苦笑い。

    さて韓国宇豆峯神社、4トラスポットにも載っていないのに、駐車場は広く、清掃はきちんとされている。
    しかも祭神は五十猛命!
    「日本書紀」には、高天原を追放されたスサノオが辿り着いたのは新羅国の曾尸茂梨(ソシモリ)、現「伽耶」の地で、地元ではウドゥサン(牛頭山・海抜1046メートル)と呼んでいるところだそうです。
    しかしスサノオは、「ここは自分の居るべき場所ではない」と言って、子どものイソタケルと共に出雲にやって来て、ひの川上にある「とりかみ」に至ったとあります。
    そして植樹や森林育成の技術を教え、さらにそこから製鉄技術を伝えたと言われています。
    出雲の韓竈(からかま)神社には、スサノオたちが乗ってきた岩船がが残っており、同じく出雲の鬼神神社には「岩船大明神」という大岩が門前に鎮座しています。
    この大岩は地下深く潜行していて、掘り起こすことが出来ないのだとか。
    韓国宇豆峯神社も韓竈神社も、「韓」の文字が入っていて、いかにも大陸との結びつきが感じられます。
    そして製鉄技術も同じですね!
    韓鍛冶(からかぬち)という大陸からやって来た製鉄集団との関連は、間違いないでしょう。
    司馬さんは、「製鉄業者はまぼろしのように掻き消えたまま、伝承も残さないのである」と述べています。
    出雲と鹿児島、「鉄」を巡る妄想が、またしてもわき上がってきます。
    韓国宇豆峯神社の摩耗した像は、獅子なのではないでしょうか?
    鬼瓦については、よく分かりませんが。

    それと興味深いのは「神代の楠」です。
    「三国名勝図会」に記載された図と酷似しているように感じます。
    いずれにしても、興味深いことの多い薩摩国ではありますね。


    前日光

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2022/05/07 06:15:17
    Re: アイバじゃないのに。。。( ̄∇ ̄)
    北関東に行ってきて、古代は渡来人が多かったのだと分かりました。北関東でこれですから、地理的に大陸に近い九州はいっぱい来ていたのは間違いなし。
    霧島連峰には韓国(カラクニ)岳なんてあるし、昔はさぞ国際色豊。それが痕跡を残さないまま消えてしまうというのは、不思議。やっぱり圧倒的に倭人の数が多かったのでしょう。

    スサノオの放浪は、全く製鉄のお話ですね。製鉄には大量の木がいるわけで、森林再生力の弱い朝鮮半島を見限って日本にやってきた、という文章を司馬遼太郎で読んだ記憶があります。

    鉄ではないですが、大隈の国分では江戸末まで銅が取れたそうです。これが明治維新の薩摩藩の財源だったそうです。このお話は次回。
    大隈に入植してきた渡来系の移民団は、鉄だけではなく、銅の精錬もできたのかもしれません。
    宇佐神宮は古代のヤマト朝廷にとって、何やら不思議な存在だったみたいで、このへんほじくって見たら面白そう。

    蛭子神社の神代の楠は、レプリカじゃないかと思うのですが、調べても分かりませんでした。三国名勝図会とサイズが違うし、あまりにも格好が同じなんです。170年も枯れた根株が同じ姿でいられるものですかね。
  • kummingさん 2022/05/02 23:20:45
    お断りだけm(._.)m
    明日まで出先です。スマフォとIpad をBluetooth で繋げてWiFi 、のつもりがうまくいかず、めちゃ遅いWiFi で対応しています。連日の過密スケジュールにお疲れ気味で、文字が頭に入ってこない(-。-;
    久々に旅の脚力を発揮、忘れてなくて良かったです。今回は予定の80%くらい実行出来たかも?(←私史上珍しい)ものの、明日で一応missions completed の予定なので、おやすみなさい♪

    帰ったらゆっくり拝見させて頂きます^ ^

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2022/05/03 06:08:17
    Re: お断りだけm(._.)m
    奈良ですね。
    脚力ということは、自転車ですね。
    旅行記期待しています。
  • mistralさん 2022/05/01 23:06:46
    大活躍の図会
    しにあの旅人さん

    こんばんは。
    いつか書いておられた薩摩藩が残していたという書物が、この
    「三国名勝図会」でしょうか?
    その図会を引用されるしにあさんご夫妻、ますますのパワー発揮ですね。
    どのようにしてその図会にたどり着かれたのやら、と思います。

    からくにうずみね神社、こざっぱりした感じのきれいな神社ですが
    なんとなく見なれない感じが、と思ったら
    屋根に載っている鬼瓦のせいでしょうか。
    更に鳥居前にずらりといならぶ鬼瓦も不可思議ですね。
    恐らく狛犬さんと思われるまるまるとした石たち、長い年月をそこに
    じっとしていたことが伝わってきて、愛おしいくらいですね。

    薩摩藩、廃仏毀釈により多くの寺院は廃寺となったようでしたが、
    神社が少ないような印象を抱かれたとのこととも、関係しているのでしょうか?

    by妻さんによる亀戸あたりに盛んな江戸切子は、かつてその界隈に
    耐火煉瓦工場があった故、というご説明、なるほどねと納得でした。

    愉快な「アイバでもいい」は別として
    二宮さま、道路脇にぽつんと無造作に置かれている感は拭えません(笑)
    きっとそのあたりはかつての神域だったんでしょうね、と思いたくなります。

    いろいろ盛りだくさんの旅行記、楽しませていただきました。

    mistral


    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2022/05/02 07:21:51
    Re: 大活躍の図会
    「三国名勝図会」はあちこちに引用されていたので、存在は知っていました。孫びきはカッコ悪いと思っていたので、今回は大手を振っての引用です。
    三国名勝図会・国立国会図書館でググると一発で出てきます。オンラインよりもダウンロードして読んだ方が使いやすいです。
    活字印刷本のスキャン映像ですから、テキストは引用しにくいけれど、その代わり絵が素晴らしい。
    170年前の日本語ですが、活字になっていれば十分読めます。
    ちょっとディープな鹿児島旅行には面白い旅行ガイドです。

    「アイバでもいい」は我が家の常用ギャグです。夫婦で言い合っているので、陳腐一向に気になりません。

    鹿児島は神社はともかくお寺が少ない。幕末薩摩藩は銅が必要だったので、お寺の鐘を徴収したらしい。村のお寺レベルはその時やめちゃったんじゃないでしょうか。
    薩南えいあたりは神社も少ないと思いました。大きな神社はともかく、村の鎮守様というのがないみたい。そもそもそれほど人が住んでいませんが。
    鹿児島は面白いところです。
    ただ、遠いですね。

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