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午前中は玉原でスキー、そして既にほとんどの桜が散っていた沼田公園(沼田城址)の桜まつりを訪れた後、沼田市内の人気のお蕎麦屋さんで昼食。<br />その後、私たちシニア夫婦は名胡桃城へ。<br /><br />真田好きにはたまらない場所のひとつである名胡桃城址。<br />発掘調査が行われ、整備されていることはネットニュースで知ってましたが、なかなか訪れることなく始めて訪れました。<br /><br />利根川と赤谷川の合流近く、三方が絶壁となっている天然の要塞に造られた山城です。<br />室町時代に地元の沼田氏のが館を築いたのが最初と言われています。<br />関東攻めに視力を尽くしていた越後の上杉謙信の死後、武田勝頼の命を受けた真田昌之が、後北条氏の沼田城攻略のためにココに城を築き、調略で沼田城を手に入れています。<br /><br />多くの桜が丁度満開の時期でした。<br />元レストランらしき建物を利用した名胡桃城の案内所は詳しい資料があり、平成4~12年に行われた発掘についての詳しい解説もありました。<br />そこで戴いたブロッシャーを手に場内を巡りました。<br />戦国時代に思いを馳せ、ワクワクしました!<br /><br />

群馬へ!その③武田勝頼の家来だった頃の真田昌幸の名胡桃城へ。

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2022/04/16 - 2022/04/17

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旅行記グループ 群馬へ!

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nichi

nichiさん

午前中は玉原でスキー、そして既にほとんどの桜が散っていた沼田公園(沼田城址)の桜まつりを訪れた後、沼田市内の人気のお蕎麦屋さんで昼食。
その後、私たちシニア夫婦は名胡桃城へ。

真田好きにはたまらない場所のひとつである名胡桃城址。
発掘調査が行われ、整備されていることはネットニュースで知ってましたが、なかなか訪れることなく始めて訪れました。

利根川と赤谷川の合流近く、三方が絶壁となっている天然の要塞に造られた山城です。
室町時代に地元の沼田氏のが館を築いたのが最初と言われています。
関東攻めに視力を尽くしていた越後の上杉謙信の死後、武田勝頼の命を受けた真田昌之が、後北条氏の沼田城攻略のためにココに城を築き、調略で沼田城を手に入れています。

多くの桜が丁度満開の時期でした。
元レストランらしき建物を利用した名胡桃城の案内所は詳しい資料があり、平成4~12年に行われた発掘についての詳しい解説もありました。
そこで戴いたブロッシャーを手に場内を巡りました。
戦国時代に思いを馳せ、ワクワクしました!

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 名胡桃城祉にやってきました。<br /><br />満開の八重桜ですね~

    名胡桃城祉にやってきました。

    満開の八重桜ですね~

  • 見事な八重桜です。

    見事な八重桜です。

  • 駐車場からもう曲輪が見えます。

    駐車場からもう曲輪が見えます。

  • 駐車場の八重桜も見事です。

    駐車場の八重桜も見事です。

  • 案内所があります。

    案内所があります。

  • 国道17線沿いにあったレストランが、建物はそのままに名胡桃城の案内所になっています。

    国道17線沿いにあったレストランが、建物はそのままに名胡桃城の案内所になっています。

  • 中は名胡桃城の詳しい案内です。<br /><br />シニア夫婦は見入ってしまいます。

    中は名胡桃城の詳しい案内です。

    シニア夫婦は見入ってしまいます。

  • 模型もあります。<br />位置関係が良くわかります。

    模型もあります。
    位置関係が良くわかります。

  • 国道17号線沿いの名胡桃城祉のイラストです。<br />左の般若郭が駐車場になっていました。<br /><br />奥から<br /><br />ささ郭<br />本郭<br />二郭<br />三郭<br />丸馬出<br /><br />と連なる山城です。

    国道17号線沿いの名胡桃城祉のイラストです。
    左の般若郭が駐車場になっていました。

    奥から

    ささ郭
    本郭
    二郭
    三郭
    丸馬出

    と連なる山城です。

  • 様々な展示。<br />真田好きの私たちシニア夫婦にはたまりません。<br /><br />平成4~12年にわたる発掘調査により、当時の姿がだいぶ明らかになってきました。

    様々な展示。
    真田好きの私たちシニア夫婦にはたまりません。

    平成4~12年にわたる発掘調査により、当時の姿がだいぶ明らかになってきました。

  • 案内所にあった、名胡桃城の歴史<br /><br />1586年、天下統一を目前にしていた豊臣秀吉は「惣無事例」を出して、私闘を禁止しました。<br />その頃、利根沼田地方は北条と真田の領土争いが絶えませんでした。<br />両氏の争いに秀吉は利根川を境に東側を北条、西側を真田と裁定しました。

    案内所にあった、名胡桃城の歴史

    1586年、天下統一を目前にしていた豊臣秀吉は「惣無事例」を出して、私闘を禁止しました。
    その頃、利根沼田地方は北条と真田の領土争いが絶えませんでした。
    両氏の争いに秀吉は利根川を境に東側を北条、西側を真田と裁定しました。

  • 1589年、沼田城代であった猪俣邦憲は不法にもし秀吉の命を破り、真田昌幸の城である名胡桃城を攻略しました。<br />これに怒った秀吉は小田原の北条を討伐するために全国の大名に命じて22万もの大軍を小田原に集結。<br />これにより5代続いた北条氏は滅亡。<br />戦国時代は終わりました。

    1589年、沼田城代であった猪俣邦憲は不法にもし秀吉の命を破り、真田昌幸の城である名胡桃城を攻略しました。
    これに怒った秀吉は小田原の北条を討伐するために全国の大名に命じて22万もの大軍を小田原に集結。
    これにより5代続いた北条氏は滅亡。
    戦国時代は終わりました。

  • 群馬の小さな山城が戦国時代の終わるきっかけとなりました。

    群馬の小さな山城が戦国時代の終わるきっかけとなりました。

  • NHK大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸を演じた草刈正雄さんと、その家臣であった出浦昌相を演じた寺島進さんがココを訪れた時の写真です。<br /><br />このドラマ、面白かったな~~<br />平成28年でしたね。

    NHK大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸を演じた草刈正雄さんと、その家臣であった出浦昌相を演じた寺島進さんがココを訪れた時の写真です。

    このドラマ、面白かったな~~
    平成28年でしたね。

  • さあ外に出て、名胡桃城祉を拝見しようと思ったら、見事な満開の八重桜がお出迎え。

    さあ外に出て、名胡桃城祉を拝見しようと思ったら、見事な満開の八重桜がお出迎え。

  • 綺麗ですね~

    綺麗ですね~

  • 土塁も復元されています。

    土塁も復元されています。

  • さあここから城内へ。

    さあここから城内へ。

  • ココは丸馬出があった所。

    ココは丸馬出があった所。

  • 所々にこのような解説版があり、発掘の状況を知ることができます。<br /><br />丸馬出の説明書きです。<br /><br />そもそも馬出とは城の外側に土塁で造った防御・攻撃施設です。

    所々にこのような解説版があり、発掘の状況を知ることができます。

    丸馬出の説明書きです。

    そもそも馬出とは城の外側に土塁で造った防御・攻撃施設です。

  • これが丸馬出の復元予想図です。<br />城の外に出っ張っている丸い部分です。<br />径約20mの円形の馬出です。<br />真田は丸い馬出で、北条は角の馬出だったようですので、ココの馬出は真田の時代の後期に増築された馬出のようです。<br /><br />この絵を見ると臨場感がありますね。<br />この絵を見ながら思いを馳せます。<br /><br />ココから馬を含めた軍勢が飛び出して行ったんですね~<br /><br />馬出で有名なには大阪城の真田丸ですね。<br />それの小型版です。

    これが丸馬出の復元予想図です。
    城の外に出っ張っている丸い部分です。
    径約20mの円形の馬出です。
    真田は丸い馬出で、北条は角の馬出だったようですので、ココの馬出は真田の時代の後期に増築された馬出のようです。

    この絵を見ると臨場感がありますね。
    この絵を見ながら思いを馳せます。

    ココから馬を含めた軍勢が飛び出して行ったんですね~

    馬出で有名なには大阪城の真田丸ですね。
    それの小型版です。

  • 丸馬出から堀切を小さな橋で渡って三郭へ、

    丸馬出から堀切を小さな橋で渡って三郭へ、

  • ここは三郭です。

    ここは三郭です。

  • 三郭の復元予想図です。<br /><br />こんな感じだったんですね~

    三郭の復元予想図です。

    こんな感じだったんですね~

  • 三郭の案内図。<br />築城当時は、ココは大きな馬出だったと考えられています。<br /><br />64m×26mと東西に長い長細い郭だったんですね。

    三郭の案内図。
    築城当時は、ココは大きな馬出だったと考えられています。

    64m×26mと東西に長い長細い郭だったんですね。

  • 三郭から二郭方面を見上げてみます。

    三郭から二郭方面を見上げてみます。

  • 三郭からこの橋を渡って二郭に向かいます。

    三郭からこの橋を渡って二郭に向かいます。

  • 三郭と二郭の間にある堀切です。<br /><br />戦国時代の山城! <br />て感じですね。

    三郭と二郭の間にある堀切です。

    戦国時代の山城! 
    て感じですね。

  • この橋で二郭に渡ります。

    この橋で二郭に渡ります。

  • 橋の上から堀切の右側を見るとこんな感じです。<br />大きく深い堀切ですね。

    橋の上から堀切の右側を見るとこんな感じです。
    大きく深い堀切ですね。

  • 二郭に向かう橋を渡った所には、二郭の入り口がありました。

    二郭に向かう橋を渡った所には、二郭の入り口がありました。

  • それが二郭南虎口です。<br /><br />これが復元予想図です。<br />三郭から橋を渡ったところにあった二郭の入り口です。

    それが二郭南虎口です。

    これが復元予想図です。
    三郭から橋を渡ったところにあった二郭の入り口です。

  • 二郭北虎口の説明書きです。<br /><br />二郭は、その中を見られないように、三郭から見ると少し高いところにあったんですね。

    二郭北虎口の説明書きです。

    二郭は、その中を見られないように、三郭から見ると少し高いところにあったんですね。

  • 橋を渡って二郭へ。

    橋を渡って二郭へ。

  • ココが二郭です。

    ココが二郭です。

  • 二郭の復元予想図です。<br /><br />天守閣が無かったこの時代、ココ二郭がお城の中心であった可能性が高いようです。

    二郭の復元予想図です。

    天守閣が無かったこの時代、ココ二郭がお城の中心であった可能性が高いようです。

  • 二郭の発掘調査で発見された建物の跡です。<br /><br />二郭では8棟の建物跡が見つかっています。

    二郭の発掘調査で発見された建物の跡です。

    二郭では8棟の建物跡が見つかっています。

  • 二郭の説明書きです。<br /><br />二郭は65m×50mと広く、土塁に囲まれていました。

    二郭の説明書きです。

    二郭は65m×50mと広く、土塁に囲まれていました。

  • これも二郭の建物の跡です。<br />ロマンが広がります。<br /><br />建物の周りには溝があり、排水設備も整っていたようです。

    これも二郭の建物の跡です。
    ロマンが広がります。

    建物の周りには溝があり、排水設備も整っていたようです。

  • 広い二郭を北に向かって進みます。

    広い二郭を北に向かって進みます。

  • 二郭の北東の角には、高台になっている土塁がありました。<br />物見に使われたんでしょうか??

    二郭の北東の角には、高台になっている土塁がありました。
    物見に使われたんでしょうか??

  • 高台になっている土塁の上から二郭を振り返ります。

    高台になっている土塁の上から二郭を振り返ります。

  • さあさらに奥へ。

    さあさらに奥へ。

  • 二郭北虎口復元予想図です。<br />ドンドン山城の奥深くに入ってきた感があります。

    二郭北虎口復元予想図です。
    ドンドン山城の奥深くに入ってきた感があります。

  • 二郭から本郭に向かいます。<br /><br />堀切の橋のたもとに桜~~

    二郭から本郭に向かいます。

    堀切の橋のたもとに桜~~

  • 家内は桜と橋を撮影。

    家内は桜と橋を撮影。

  • 家内が撮った写真。

    家内が撮った写真。

  • 橋を渡った所が本郭です。

    橋を渡った所が本郭です。

  • 本郭の説明書きです。<br /><br />51m×30mの広さの本郭ですが、崖面が崩落しており、実際の広さは良く判らないようです。

    本郭の説明書きです。

    51m×30mの広さの本郭ですが、崖面が崩落しており、実際の広さは良く判らないようです。

  • 本郭の中を進みます。

    本郭の中を進みます。

  • さらに奥へ。

    さらに奥へ。

  • 桜が満開です。

    桜が満開です。

  • その桜の横に、<br />「名胡桃城祉の碑」<br />が建立されています。<br /><br />これ、昭和2年に建立されていますが、なんと徳富蘇峰による書だそうです。

    その桜の横に、
    「名胡桃城祉の碑」
    が建立されています。

    これ、昭和2年に建立されていますが、なんと徳富蘇峰による書だそうです。

  • 本郭から北側の景色。

    本郭から北側の景色。

  • 北側から本郭を振り返ります。

    北側から本郭を振り返ります。

  • 本郭からさらに先に、、、<br />現代の階段で堀切を抜けて一番奥の郭へ。

    本郭からさらに先に、、、
    現代の階段で堀切を抜けて一番奥の郭へ。

  • 一番奥の<br />ささ郭の復元図<br />です。

    一番奥の
    ささ郭の復元図
    です。

  • ささ郭の先端までやっていました。<br /><br />河岸段丘であることが判ります。<br />下には利根川。平らな土地を挟んで反対側には三峰山。

    ささ郭の先端までやっていました。

    河岸段丘であることが判ります。
    下には利根川。平らな土地を挟んで反対側には三峰山。

  • 自然の地形を活かした山城ですね。

    自然の地形を活かした山城ですね。

  • 周りの地形を見渡すと、ココが舌状台地の上に建つ山城であることが判ります。

    周りの地形を見渡すと、ココが舌状台地の上に建つ山城であることが判ります。

  • ささ郭の説明書きです。<br /><br />長さ31m×幅14mの長方形の郭です。<br />中央が細長く彫り込まれており、周りを高い土塁で囲まれていたようです。

    ささ郭の説明書きです。

    長さ31m×幅14mの長方形の郭です。
    中央が細長く彫り込まれており、周りを高い土塁で囲まれていたようです。

  • 城の入り口まで戻ってきました。

    城の入り口まで戻ってきました。

  • 城全体の復元予想図です。<br /><br />手前から<br />丸馬出<br />三郭<br />二郭<br />本郭<br />ささ郭<br /><br />駐車場になっている般若郭<br /><br />全部歩いて回ってきたので、位置関係が良く判ります。<br /><br />名胡桃城をあとにします。

    城全体の復元予想図です。

    手前から
    丸馬出
    三郭
    二郭
    本郭
    ささ郭

    駐車場になっている般若郭

    全部歩いて回ってきたので、位置関係が良く判ります。

    名胡桃城をあとにします。

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