2022/03/27 - 2022/03/27
4935位(同エリア8881件中)
su3さん
この旅行記スケジュールを元に
蕎麦を食べたら出発。
日鉱記念館に寄り、道の駅を巡り、温泉に入ってから帰りました。
日立の発展の一部を知って、こんな町だったのかと驚いたり、炭鉱やそれにまつわる公害対策の方法を学んだり、学びの多い旅行でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 自家用車
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御岩神社に伺ってお腹がペコペコになったので、近くのお蕎麦屋さんに行きました。
開店と同時に入ると、すぐに人で溢れていたところを見ると人気店だった模様。入四間 グルメ・レストラン
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案内された席でしばし蕎麦を待ちます。
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かき揚げ蕎麦到着。
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つるつるコシのある細麺の蕎麦は美味しかったです。
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デカいかき揚げがそばつゆを吸いまくってしまい、結果、そばつゆが足りなくなるなど。
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お店を出て反対側のとうふ工房名水亭なか里へ。
JA常陸が運営するとうふ直売所で、豆腐以外にもとうふドーナツや厚揚げなども売っていました。 -
お次は日鉱記念館へ。
日鉱記念館 美術館・博物館
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入り口横に何や鉱物がありますね。
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どうやら銅精錬の際に発生するカラミのようです。
直方体などに成形すると カラミ煉瓦になるんでしたっけ。 -
では中に入りましょう。
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入館して直ぐ、こちらの掲示がありました。20世紀初頭に日立鉱山の煙害問題の解決に向けて企業と地元の青年達が苦闘する姿を描いた新田次郎の小説「ある町の高い煙突」が映画化されいたようです。
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検温をしてから入館します。
入館料無料ですが、かなりしっかりした施設。 -
さて、館内に足を踏み入れましょうか。
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部屋に入って直ぐにこの輪っか。
永遠の発展を象徴した久原鉱業の社章だそうです。 -
日立大煙突記念碑のレリーフ。
煙害対策のために作られた大煙突が平成5年に倒壊したのちに造られたそうです。 -
日立鉱山の鉱石もありますね。
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通路を通り奥の部屋へ。
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こちらは久原房之助の像。
久原鉱業を設立し、機械化による近代的な鉱山経営に乗り出し増産に成功した方です。非鉄金属業界のトップ企業に導くとともに、国内外の事業を拡大し、「日産コンツェルン」形成の基盤を築きました。 -
遺品がずらり。
丸メガネが良い感じです。 -
遺品の上には思想や行動などが自由なことを表す「天馬行空」の書が飾ってありました。この時代にこの考え方ができるって凄いなと思います。
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久原房之助の慶応義塾大学の卒業証書。
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久原房之助へ宛てた孫文からの手紙もありました。
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久原房之助は日中と日ソの国交復興に尽力した人だったんですね。
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二・二六事件で反乱幇助の疑いで投獄されていた時の日誌。
房内のちり紙に書いたもので、別荘日誌という名になっているのが彼らしいというか。 -
別荘日誌を執筆されていた頃に執筆された日本経済政策論。
通信や鉄道の国営事業を官民半有で民営化されるがよいという内容でした。 -
別荘日誌と日本経済政策論を入れた箱。
あの世のたよりという示し書きつき。 -
古くは赤沢銅山だったこの地を回収してできたのが日立鉱山です。
このおかげで、鉱毒問題などで低迷していた銅山は発展し、農漁村であった日立地区の人口は爆発的に増え18年で5倍強となったそうです。 -
赤沢銅山を買収するにあたって、調査した時の書類など。
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赤沢銅山買取契約書。
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買山直前の赤沢銅山鉱区図。
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塵外堂の由来について。
「千年杉」と呼ばれた巨大な杉を用いて建設された塵外堂は物故従業員の慰霊堂なんだそうです。 -
久原房之助が書いた「神武無経典」「百沢竿頭第一歩」。
百沢竿頭第一歩は、すでに努力・工夫を尽くした上に、更に尽力するという意味を持つ百尺竿頭に一歩を進む、からきているんでしょうか。 -
日立鉱山の草創期に活躍した人がずらりと紹介されていました。
右から、米沢万陸、製錬の神様と言われた青山隆太郎、探査・採鉱技術の面目を一新した堀鉄三郎、労働協定の基礎を築いた角弥太郎、株式会社日立製作所を作った小平浪平、鉱山・製錬の各分野を近代化した竹内維彦。 -
日立鉱山が、発電所の建設、ダイヤモンド試錐機の採用、さく岩機の採用、製錬技術の改善、電気鉄道の導入などといった事業を行うことで、それらが茨城県近代鉱工業の発展の基礎となりました。
一企業がここまで影響するって凄いですよね。 -
隅の方に何かあるなと近づいてみたら、杭打ち工事で使用する重錘(モンケン)でした。杭を打設するのにウインチなどで巻き上げ、自由落下させて使うそうです。
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広いエリアに出ると思いの外しっかりした展示会場。
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角弥太郎の揮毫。
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日立鉱山の草創期を裏で支えた夫人たちの写真がありました。
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給与についてもしっかり書かれてますね。
流石、労働協定の基礎を築いた角弥太郎がいた会社だけあります。 -
第一堅抗櫓の断面図と抗夫工程簿。
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煙害対策に苦慮している時の久原宛の書簡。
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日立鉱山の鉱床と坑道が透視図になって展示されていました。
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坑内の最も深いところは950mの地下、坑道の総延長は約700㎞あるそうです。
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個人経営だった久原鉱業所は、事業の発展を見越して久原鉱業株式会社となり、日立製作所も久原鉱業株式会社日立製作所と称することになりました。
後に国内外の資源開発を推進していきます。 -
日立製作所はもともと日立鉱山電気機械修理工場から始まりました。
初めは5人からの出発だったそうです。 -
久原鉱業株式会社は第一次世界大戦中の好景気で、石油、海運、造船などの分野にも進出しましたが、戦後恐慌の打撃を受けて経営不振に陥り、1928年に鮎川義介に経営再建を委ね、後に鉱業部門だけ分離・独立をさせ、日本鉱業株式会社としました。
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1939年に日本鉱業が秋田の船川製油所を買収したことが、現在のエネオスに繋がっていたんですね。
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戦後は日本鉱業の総資産の4割を占めていた海外資産を失い、それに伴って日本各地で鉱山の復興に取り組みはじめたそうです。
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昔の株券っこんな感じだったんですね。
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内容はさておき、デザインが良いな。
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当時の事業所の位置がのった地図。
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創立当初の日立製作所がのっている写真がありました。
意外と小さな小屋だったんですね。 -
産金量月1tの記念品はカフス。
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戦時下に資源不足から釣鐘が供出される事態になっていた時の写真がありました。
色んなところから資源を集めていたっていう話を身内からも聞いていたので、こういうのが普通だったんだろうなと思いながら見てました。 -
1967年ごろからは日本鉱業は国内興行の合理化と共に、石油事業と金属加工業へ本格進出していきます。自由貿易の影響はかなり大きかったのでしょうね。
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昭和30年代に石炭から石油へのエネルギー革命が起こり、日本鉱業は船川製油所に次ぐ第二製油所として岡山に水島製油所を建設しました。突貫工事でできたこの製油所はこの後、国内最大の総合製油所となりました。
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モータリゼーションの進展と共に石油の国内需要増加が起こり、国策に伴って共同石油を設立されました。今のJOMOを経て現在あるENEOSの前身ですね。
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戦後の高度成長期により石油や銅などの基礎物資の需要増加に伴い、海外の銅山や油田をはじめとした自主開発に挑むようになります。政情不安定な資源保有国に偏在することなく資源の安定供給を行うために行われたそうです。
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1981年には鉱量の枯渇による日立鉱山の閉山がありました。
資源には限りがありますし、常に産出されるわけじゃないのでこればかりはしょうがないですよね。 -
石炭から石油へのエネルギー転換政策を背景に、三池鉱業所がビルド鉱として存続するための合理化をめぐっておこった三井三池争議のような展開になりそうな時期もあったという資料が展示されていました。
どこも似たような感じだったんでしょうね。 -
共同石油は、日本鉱業、アジア石油、東亜石油の民族系3社の販売部門が集約されて設立されました。それぞれのマークは全然違いますね。
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「こころのかようおつきあい」というCMソングの楽譜やポスターなど。
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日本鉱業がゴンゴ民主共和国と締結した鉱業協定書や、ムソシ鉱山からの自然堂などもありました。この頃は一気に海外とのつながりが広がったんでしょうね。
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日立鉱山の最後の発破の写真がありました。
この時にいた人たちの気持ちはどんな気持ちだったんでしょうね。 -
エレクトロニクス時代の到来で、日本鉱業も電子材料事業にも進出するようになりました。国内では日立事業所と磯原工場を主力拠点とし、現在は倉見工場の金属加工業と共に電材加工授業に力を入れています。
家電製品の日立のブランド力って凄いですよね。 -
日本鉱業と3社から設立された共同石油はちょっと違う管轄だったんですが、1992年には合併して日鉱共石となり、後にジャパンエナジーになりました。そこから新ブランドのJOMOができ、セルフ給油解禁もあってENEOSができ、現在はおなじみのENEOSに統一されてたんだそうです。
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日本鉱業から日鉱金属へ変換したのち、銅生産連合を目指すというのも、成り立ちを考えると納得できますね。
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ENEOSグループへの変遷。
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なんだろう綺麗な布かな、なんて思って見てみたら電解銅箔でした。
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アノード鋳造の写真がカッコイイ。
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エスコンディーダ鉱山の銅鉱石に珠江口沖油田の原油。
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国内における資源開発地の立体図。
かなりの場所があるんですね。 -
立体図の周りにはずらりと各鉱山の鉱石が並んでいました。
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こちらは世界における資源開発地の立体図。
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こちらもずらりと各鉱山の鉱石が並んでいました。
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久原鉱業の2代目社長である鮎川義介は、金融面的に弱かった当時の会社を日本初の公開持株会社としました。当時としては画期的なことだったのでしょうね。
後に、日産コンツェルンとして形成するに至りました。 -
鮎川義介が初めて作った花活けと人物が飾られていました。
物を作るのが好きな方だったんでしょうね。 -
日産館竣工記念で配られたメモ帳の銀製の蓋の花の絵は鮎川義介の絵なんだそうです。
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こちらは鮎川義介の書。
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上階に繋がる階段途中に模擬坑道があるみたいですね。
行ってみましょうか。 -
坑道に入る前にはずらりと当時の写真が飾られていました。
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実際の行動に模して造られた部分に入りましょうか。
そういえば、いわきの博物館https://4travel.jp/travelogue/11590752でも似たようなの見たなぁ。 -
鉱石実感コーナーのコロナ対策で直接触ることはできなくなっていた鉱石たち。
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突き当りには人形で昔の抗夫の仕事姿が表現されていました。
近代化が進む以前の鉱山では、切頭とたがねで掘っていました。手掘りの頃は本当に大変な仕事だったんだろうな。 -
発破のための道具がずらり。
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上向き水平充填段欠法という採掘方法。
ちなみに日立鉱山が初めてスライムを坑内充填したんだそうです。 -
モウルタル天蓋下向き段欠法。
落盤防止にはよい方法なんだそうです。 -
機械掘削の展示。
これでもまだまだ大変そう。 -
モウルタル天蓋下向き段欠法の展示。
タイヤローターとバゲットローターを使用するそうです。 -
坑内で採掘した鉱石は垂直に掘られた専用の坑道に蓄えられ、貨車に載せて地上に運び出されます。鉱石を貨車に積み込むために坑道に開けられた抜き出し口を「漏斗口」といい、その抜き出し作業を「漏斗抜き」といいます。
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こちらは坑道の立体模型。
まるでアリの巣のようですね。 -
再度、階段を登って上の階へ。
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こちらはダイヤモンド試錐機。
シュラム式のもので、こちらを使用し試錐探鉱を開始したそうです。 -
書や皿など。
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ずらりと並ぶ鉱石。
特徴的な鉱石や母石だそうです。 -
ボーリングコアの鋼鉱もありますね。
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日立鉱山の全景図。
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日立鉱山になってから3年間の間に本山製錬所から出たカラミ。
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ボタンを押すと説明が流れるパネルがありました。
鉱山の仕事内容が分かり易く紹介されていてなかなか良いですね、コレ。 -
日立港から日立鉱山あたりの立体模型図。
日立鉱山があったからこそここまで大きく発展したんだなと分かる模型図ですね。 -
1920年に雇用者と労働者が福利厚生面を中心とした話し合いから創られた温公会という制度は、現在の労使協定にもつながる先進的な制度ですよね。
戦後は労働組合という形で継いでいるようです。 -
山中友子制度という相互扶助制度の紹介がありました。
山中友子制度は全国各地の鉱夫稼業を営む労働者達により組織されており、その中で鉱夫たちが自らの技能を伝承し、鉱山や企業の枠を越え、疾病に対する救済や職業紹介など様々な互助的活動を行なっていたそうです。 -
抗夫歴賓という山中友子制度の歴史などが書かれた書物。
抗夫が野武士と言われていたとか書かれているという文字にイメージがだいぶ違うなと思ってみたり。 -
取立式道具一式。
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珍しい取立免状などもありました。
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禁酒関係のものが結構ありますね。
抗夫の人たちが酔っぱらって乱闘とか想像してしまいました。 -
祝祭に着用した消防長半纏と禁酒会の旗。
禁酒を推奨する代わりにその他の娯楽を増やしていったそうです。 -
階段を登って上の階に行きましょうか。
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本山劇場で使用されていた35㎜トーキー映写機がありました。
テレビの普及と共に劇場の入場者数が減少したため1965年には劇場が閉場し、お役御免になりました。 -
鉱山、その山に関わる全ての人達が一つの家族であるという「一山一家」という理想郷をここに創りたいという思いで、日立鉱山を開いていたそうです。
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鉱山町のパノラマイラスト。
先ほど見た立体模型図といろいろ重なりますね。 -
こちらは行政が持っていた鉱山用地の地図。
長ーい。 -
久原は日立鉱山創業初の通達第一号で「鉱夫の家賃は廃すること」としました。修繕・電気・水道・し尿処理などの費用も無料としています。
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鉱夫は給料の八割を記入された「通い」と呼ばれる通帳を渡され、その範囲内でツケで購入できました。価格は市中より一から二割安く、特に米の価格は一升18銭に据え置かれ、一升50銭に高騰した大正7年も据え置かれたそうです。
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従業員の子弟のために本山小学校も作られました。最盛期は児童2,500人を数えたそうです。現在はあかさわ山荘として利用されています。
また、県内初の本格的病院も建てられ、従業員のみならず、地域住民にとって非常な助けになったとか。 -
共楽館は、従業員に飲酒に代わる遊興または精神的慰安のために1917年、歌舞伎座を模して作られました。歌舞伎・映画・大相撲ほか中央よりの出演で盛り上がり、素人演劇など娯楽の殿堂として、更に、修養・教化の場として活用されました。この建物は重要有形遺産となっています。
また映画館の本山劇場も作られ、テレビの普及で劇場が無くなるまで市民に親しまれていました。 -
毎年7月14~16日までは全山仕事を休んで山神祭を行っていました。
花火、盆踊り、歌舞伎、狂言、曲芸などの屋台が組まれ、露店も出て、この時期はいつも以上に人が集まったとか。
武道館では剣道・柔道・弓道・相撲などの大会も開かれていたそうです。 -
1908年より、助川荷扱所~大雄院の製錬所までの5.3Km間に鉱山電車を走らせ、鉱石の搬入、製品の搬出のために作られました。この電車は通勤通学などに無賃電車としても提供され、多くの人々が利用しました。
1960年に約半世紀のお役を終えました。 -
地域の防災を担うのは消防隊でした。
消防団員は勤務成績の優秀な方がなっていたそうで、昇給や賞与の面でも優遇されたらしく、団員になった時は赤飯を炊いて祝ったとか。誉れ高い地位だったんでしょうね。 -
鉱山直営の共同浴場があり、戦後も1銭で入浴できたそうです。
各家庭に風呂が無い時代に、温泉地でもない場所の人々にとってはさぞやありがたかったと思います。 -
諏訪療院という伝染病専門の病院もあったそうです。
確かに伝染病はこういう場所にとって大事になる一因ですが、これはすごいなと思いました。 -
日立鉱山の「ゆりかごから墓場まで」をよく表している出生届送達簿。出生・死亡・移転などの行政への手続きを事務員が行っていたそうです。
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共楽館の半纏や下足箱の札、学校の校歌のレコードなど。
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日立鉱山列車の路線図がありました。
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消防団で使用した品々。
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消防団の旗もありました。
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当時の暮らしの様子が写真パネルでわかるようになっていました。
活気のある町だったんでしょうね。 -
こちらは大会などの写真。
大きな武道館がある町ならではです。 -
ENEOSのバスケットボールチーム・ENEOSサンフラワーズについても紹介されていました。
現在は千葉県柏市を拠点に活動する女子社会人バスケットボールチームで、1978年には日本一にも輝いたそうです。 -
更に上の階に登ると一面のガラス張りの場所があり、その先に大煙突があったとの紹介がされていました。
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この椅子に座って一休み。
見晴らし良いなぁ -
近くには社歌が紹介されていまし。
歌詞は社員の方々のものから選ばれたんですね。 -
奥の部屋に向かいます。
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お洒落な窓。
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大煙突についてのブースがありました。
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中に入るとこんな感じ。
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初めての煙害は入四間の蕎麦に出たそうです。
一年後に大雄院精錬所を建設する際には、煙害が予想される住民に対して保証協定を行うなど不安要素を取り除くなどをしました。 -
煙害対策のため試行錯誤の末、低い位置から薄く煙を出す百足煙道を作り、政府命令で煙突を作り、どちらもあまり効果が無かったそうです。
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煙害対策が上手くいかない中、高く吹き上がる火山のように高い煙突を建てて、ガスを高層気流に乗せて拡散させればいいんじゃないかという久原房之助の発想で、155.7mの世界一高い大煙突はできあがりました。
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大煙突のおかげで煙害は少なくなりましたが、気性によってはまだ被害が出ていたそうです。そこで煙突を中心に10㎞の円周上に観測所を複数設けて、気象観測をし、制限熔鉱を決め、ガスの排出を抑えていました。
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煙害が酷くなると農作物や樹木を様々な種類のポットに植えて「燻煙機」に入れての実験が始まりました。所定の時間、所定濃度のガスに接触させてデータを取るこの活動は、煙害対策だけでなく、後には土壌改良試験、耐煙性品種の種苗の栽培にも活用されるようになったとか。ここでできた耐煙性品種の種子は地元農民に配布したりしています。
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ちなみにこれが燻煙機という実験装置。
煙害が激化し始めた1909年、亜硫酸ガスが農作物や森林に与える影響に関するデータの収集と農事の改良を目的に作られました。農作物や樹木をこの中に入れ、一定の時間、所定の濃度の亜硫酸ガスに接触させてデータを収集しました。 -
被害が減じた頃に、荒廃した山々に大島桜、黒松、ヤシャブシ、ニセアカシアなどを植林しました。後に大島桜の木にはソメイヨシノを接木したそうで、今回の移動途中に日立の山には桜の木がたくさんあるなと思ったのはこれが元かと知りました。
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大煙突は1993年に倒壊し、後に修復されて約三分の一の高さの52mの高さになり、現在もJX金属株式会社日立事業所の設備として稼働しています。
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燻煙機の裏では大煙突の倒壊前の姿が写真や映像で紹介されていました。
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1969年には大煙突の歴史を基にした「ある町の高い煙突」という小説が新田次郎によって書かれ、丁度、公害問題が広まっていた時期でもあったのでベストセラーになりました。
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大煙突に使われたコンクリートや鉄筋。
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大煙突の設計図。
ブース入り口にもありましたね、コレ。 -
煙害の被害を受けた煙草の葉がありました。
白くなっているところは壊死した箇所だそうです。 -
日立の大煙突ができてから2年後に佐賀関製錬所ができ、佐賀関製錬所第一大煙突が建設されました。
日立の大煙突よりさらに高い、高さ167m、重量5156tの大煙突は”関の大煙突”という名前で親しまれ、地域の産業振興と同時に人々の生活を煙害から守る「共存共栄のシンボル」となります。この煙突は2012年に解体されています。 -
映画「ある町の高い煙突」についての紹介もされていました。
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映画で使われた数々の品。
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大煙突のブースの隣は、JX金属株式会社についてのブースになっていました。
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国内外の拠点場所一覧。
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台湾の博物館と交流イベントを行っていたんですね。
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金瓜石鉱山産の銅鋼鉄。
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黄金博物館から送られた立晶窯の壺もありますね。
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チリのカセロネス銅鉱山ではカセロネス銅・モリブデン鉱床開発プロジェクトがおこなわれ、こちらには溶媒抽出と電解採取の2段階からなる湿式製錬プロセスを行うSX-EW法でできた電気銅が展示されていました。
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こちらはJX金属株式会社の事業内容についてのコーナー。
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環境リサイクルにも取り組んでいますよ。
再資源化された非鉄金属が紹介されていますね。 -
先端素材の開発について。
非鉄素材を使った電子材料の開発提供について簡単に説明されていました。車やスマホなど、身近なものに使われていますね。 -
製錬について。
地金の安定供給のために効率的に生産しているそうです。 -
資源について。
環境や地域社会への配慮個行いながらの資源開発は、昔から培ってきた心意気を紡いでいる感じですね。 -
階段を降りて出口に向かいます。
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階段を降りたところにはずらりと鉱物がありました。
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カンブリア紀の岩石。
日本最古の地層から出ているものなんだそうです。 -
本館の展示場を出て、別の展示場所まで向かいます。
まずは旧久原本部と塵外堂のある方向に向かってみましょう。 -
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電気機関車がありますね。
昭和35年までの50年間、製錬所構内の輸送をしていたものだそうです。 -
旧久原本部に到着。
旧久原本部の前には「苦心惨憺」の碑が設置されていました。 -
敷地内に入れるようですね。
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館内には入れませんが外からは見学可能でした。
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日立鉱山の開発に当って久原がその本部としここで竹内維彦や小平浪平らと共に、鉱山開発のため、寝食を忘れ苦心参憺をした建物です。二間あるこの場所で、色々なドラマがあったんでしょうね。
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お次は塵外堂に向かいます。
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物故従業員の慰霊堂。
昭和60年に久原家から寄贈を受けこの地に移築したそうです。 -
次の場所に行ってみましょう。
第一堅抗の巻揚機が見えますね。 -
カッコイイ巻揚機の建物。
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入り口はこんな感じなんですね。
入り口手前には4t蓄電池機関車が展示されていました。鉱山で使用された鉄道車輌は、それぞれの鉱山独特の形式のものが採用されているんだそうです。 -
自走式長孔削孔機がありました。
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採掘切羽で火薬を装填するための穴をあける機械で、北海道定山渓で閉山まで活躍していたものなんだそうです。
エアコンが効いた運転手津からほとんどの操作ができる優れもの。 -
第一堅抗鉱石巻揚機室に到着。
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中に入ってみましょうか。
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部屋に入ると第一堅抗鉱石巻揚機が目の前に。
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迫力がありますね。
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これが回転しながら巻き上げを行っている姿は凄そうです。
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お次は鉱山資料館に行ってみましょう。
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旧コンプレッサー室を建築当時のまま保存した場所が資料館になっていました。
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広い館内には見たこともないような機会がずらりと並んでいます。
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史料館内の案内板がありました。
これは分かりやすい。 -
コニカルボールミルという鉱石を粉砕する機械。
浮選機に給鉱する前に設置され、内側に特殊鋼が張られた本体の円錐、円筒部に特殊鋼の球を入れて、本体を回転させ、球の落下、摩擦、衝突によって鉱石を粉砕します。 -
スパイラル・コンセントレーターという比重選鉱機の一種で、水と共に鉱粒を流下させると、比重の軽い岩石粒子が、遠心力と水の作用で樋の外周に押しやられつつ流下し、比重の重い鉱粒が内周に集まって、各段に設けてある細孔から抜き取られるという仕組みになっています。
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クロケット磁力選鉱機。
長い槽の一端から微粉鉱粒の鉱液を入れ、鉱液の進行方向にベルトを走らせる。ベルトの内側の固定磁石の作用により、磁性鉱粒はベルト面に吸い上げられ、槽の端にある精鉱抜き口に運ばれる仕組みとなっています。 -
浮遊選鉱機。
鉱山から産出された岩石を大型の粉砕機で粉砕し、スライム状にした上で気泡剤を添加させて攪拌させることにより、金属を含む鉱石が泡の表面に濃集し回収ができる仕組みになっています。 -
社宅近くに置かれた消火用ポンプ。
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初期の燻煙機でしょうか。
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こちらは本館でも見たものと同じ燻煙機。
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周波数変換機付属電気機器。
第二次世界大戦中に自家発電の60Hzだけでなく、買電の50Hzも必要になったためこのようなものが作られたそうです。 -
旋盤。
なかなか渋い。 -
日立鉱山では救護隊が結成されており、その方々が使った道具も展示されていました。
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鉱山では事故が付きまとうものというイメージがありますものね。
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でっかい天秤!
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空気圧縮機。
450馬力あるものだそうで、空気機械類の動力源となりました。 -
鉱石標本室にも行ってみましょう。
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茨城の地史と日立地方の地質について。
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地質構造の断面図と日立鉱山の鉱床について。
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探鉱作業は、地表捜査、航空写真調査、電気探査などの物理探鉱から試錐探鉱を行い、その後には開発しながらも坑内調査をしながら順調な生産を維持していくそうです。
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ランドサットという人工衛星による探査もしているんですね。
安く調査でき、地表調査を行う前段階の概査として有効だそうです。 -
ミニソーシー法というこだまと同じ原理でおこなう調査法について説明がありました。
ダイナマイトを使わず地盤の締固め作業で使用される重機のランマーを使うんだとか。 -
こちらはボーリングによる調査について。
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PC方で生成されたステンレス版に電着させた銅。
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さお銅。
対外貿易で輸出された銅の一種で棒状に吹立てられたもののことを言います。 -
測量機器がずらり。
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ボーリングコアとボーリング調査の方法が紹介されていました。
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この木の展示箱って良いですよね。
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でっかい自然銅。
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水晶と巨晶黄鉄鉱の混ざったものとかもある。
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精鉱と廃石も展示されていました。
こんな感じなんだ。 -
兎に角いろいろな鉱石が展示しまくられていますね。
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こちらは金鉱、銀鉱。
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こちらはマンガン鉱。
奥は硫化鉄鉱。 -
こちらは銅鉱。
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標本室を出た目の前には励磁気盤や補機盤などのボックスがずらり。
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こちら坑内効率アップのために作られた空気圧縮機。
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でっかい電動機。
この大きさでも予備電動機。 -
ペットボトルのキャップと飲み口みたい。
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日立鉱山で使用された多数の削岩機。
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Hという記号のついた削岩機は日立鉱山が開発したものだそうです。
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削岩機だらけ。
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展示されている外国製削岩機は、技術開発用に購入されたものだとか。
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ビットやロットがずらり。
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ボーリング用のビットとボーリングコア。
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こちらはボーリング用のリーマー。
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第11竪抗鉱石巻揚機に使用されていた堅抗鉱石巻揚機深度計。
巻揚機の運転員は、人や鉱石を運搬する容器の位置を示すための深度計をたよりに運転していたそうです。 -
定員30名を巻揚げていた第11竪坑巻揚機ギヤー。
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天然ガス・原油等のボーリングぐち(坑井の地上部)に取付けて生産量を調節する装置。外形から一般にクリスマスツリーと呼ばれているんだそうです。
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掘削パイプの先端につけるドリリングビット。
抗井掘削機のでっかい刃物。 -
羽根車の外周に放射状の多数の溝を持っており、羽根車の押す力と遠心力によって渦を形成し圧力を高めることで液体を移送することのできるタービンポンプ。
坑道坑地並に設置された坑内水揚水ポンプだそうです。 -
坑内水揚水に使われたシンキングポンプ。
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先端にダイヤモンドをつけた鋼管を回転して掘る方式のサリバン型試錐機。
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600型と500型のバケットローダーと藤見斜坑で使用した定員7名の人車が並んでいました。
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200馬力電動機。
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450馬力空気圧縮機用起動抵抗器。
450馬力空気圧縮機が大きいから抵抗器も大きいですね。 -
ゴミ箱みたいなものがあるなと思ってみたら変圧器でした。
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思っていた以上にたっぷり見どころのある展示でした。
これにて日鉱記念館の見学は終わり。 -
道の駅さとみへ。
道の駅 さとみ 道の駅
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これは…ピクトさん!
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見たことのあるキャラクターが藁で作られてるな。
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こちらにも見たことのあるキャ(ry
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売店をぐるり。
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お次は道の駅奥久慈だいご。
道の駅 奥久慈だいご 道の駅
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ここで売っているこんにゃくが美味すぎてついつい会に寄ってしまうんですよね。
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最後は関所の湯へ。
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館内に入ると怪しいお爺さんの像が。
珍百景に出ていたようです。 -
温泉を堪能し、ロビーでほっこり。
日も暮れてきたことですし帰ります。
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