
2022/02/25 - 2022/02/27
107位(同エリア206件中)
ブリッヂ・トレック(橋梁旅行)さん
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この旅行記のスケジュール
2022/02/25
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和歌山市周辺の橋梁等を巡る旅、後半です。
前半はレンタサイクルで和歌山市内を観てきましたが、後半はレンタカーで和歌浦や紀の川の支流貴志川、紀の川上流方の市外へも足を伸ばします。
その1はこちら⇒https://4travel.jp/travelogue/11741547
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー JRローカル 徒歩
PR
-
【不老橋】
1851年(嘉永4年)竣工、石積アーチ橋
10代藩主徳川治宝が造らせた石橋で、アーチ部は熊本の石工集団の施工と言われています。雲を象った高欄が素敵!
【市指定重要文化財】
【国指定名勝(和歌の浦)】【日本遺産(絶景の宝庫 和歌の浦)】不老橋 名所・史跡
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【あしべ橋】
1991年(平成3年)竣工、RCアーチ橋
お隣の不老橋に合わせ石貼りのアーチ橋にして、景観に配慮しています。 -
【三断橋】
1651年(慶安4年)頃迄に架設、石造桁橋。
中国西湖の「六橋」を模して徳川頼宣が造らせた石橋。度々台風で破損し、修復を繰り返しています。
【国指定名勝(和歌の浦)】【日本遺産(絶景の宝庫 和歌の浦)】 -
【雑賀崎の街並み】
山の斜面に家が密集して建ち並ぶ景観から、『日本のアマルフィ』とも呼ばれています。
【日本遺産(絶景の宝庫 和歌の浦)】衣美須神社 (雑賀崎) 寺・神社
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海側から少し街中に入ってみましたが、細い道がくねくねと続いていました。車の入れそうな道は皆無で、家の建替えや解体もままならないと思います。
深入りすると迷子になる事間違いなしなので、早々に退散。遠くから眺めるのが吉です。 -
【奥和歌大橋】
1991年(平成3年)竣工、斜張橋
他所者を拒むかのように、この橋の前後の道以外はほとんど全てくねくねした細い道が山を縫っています。 -
【番所ノ鼻】
雑賀崎から四国方向へ突き出た独特な地形。紀州藩の海上見張り番所が置かれていました。現在は跡地が庭園に整備されています。
雑賀崎灯台から望む。番所庭園 公園・植物園
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国民宿舎 新和歌ロッジ
陽も落ちたので宿へ。
お客が少なかったので、海側の眺望の良い部屋を充てて戴きました。紀州温泉 元気の湯 新和歌ロッジ 宿・ホテル
2名1室合計 10,000円~
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足赤エビというエビが名物のようで、塩焼きや天ぷらで美味しく戴きました。鍋はハモのすき焼きです♪
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【新和歌浦第一隧道】
1911年(明治44年)竣工。
翌朝です。
新和歌浦遊園地開発に伴って造られました。
トンネル中央付近は素掘り、坑門付近は側壁石積みアーチ部煉瓦積み。東側坑門は当初の面影が残っています。
アーチ部には碍子が2列に配置されており、鉄道敷設を目指していたという説もあります。 -
イチオシ
パラペットには扁額、その上には三角形の装飾壁に山と丸十字の文様が黒光りしています。新和歌浦を開発した森田庄兵衛氏の屋号か何かでしょうか。構造的には意味の無い装飾なので、黒い部分はタイルかもしれません。
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【サンブリッジ】
1993年(平成5年)竣工、斜張橋
道路がS字の斜張橋。 -
【ムーンブリッジ】
1993年(平成5年)竣工、中路バランストアーチ橋
両橋共にテーマパーク「ポルトヨーロッパ」のある人工島と旧市街とを結ぶ双子の橋。1994年(平成6年)開催の世界リゾート博に合わせて架設されました。 -
イチオシ
【毛見隧道】
1925年(大正14年)竣工。
和歌山市南の船尾山を貫く国道42号旧道のトンネル。
紀州青石と呼ばれる緑色の石を多用した鮮やかな坑門です。壁柱が帯石下で止まっていて、完全に装飾として施しているのも面白い所。残念ながら内部はアーチも側壁も覆工されて元来の姿は観られませんでした。
【土木学会選奨土木遺産】 -
南側坑門の扁額には和歌山県知事を務めた長谷川久一氏の揮毫と言われている『乾坤純和』の文字。「全て調和している」というような意味合いだそうです。和歌山の「和」の字をしっかり入れている所に地元愛を感じますね。
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【鵬雲洞】
1911年(明治44年)竣工、1971年(昭和46年)廃止。
和歌山水力電気㈱の軌道線(路面電車)用のトンネルとして建設。その1で観てきた車両と隧道がここで交わりました♪
【土木学会選奨土木遺産】鵬雲洞 名所・史跡
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南側の扁額には『而開圖書』、よく判りませんが「本を読んで勉強しよう」というような意味でしょうか。
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【山橋】
1954年(昭和29年)竣工、下路ワーレントラス橋他。 -
【昭和橋】
1954年(昭和29年)竣工、下路ワーレントラス橋他。
銘板は有りませんが、山橋とこの橋のトラスは同一設計と思われます。
同じようなアングルで撮りました。 -
【北野上橋】
1954年(昭和29年)竣工、下路ワーレントラス橋+下路ポニーワーレントラス橋。
建造した村の名を冠する橋。地元の期待が伝わってきます。 -
【加井多橋】
1954年(昭和29年)竣工、トラス補剛吊橋
今回の旅で唯一の吊橋。台風の上陸地全国3位という地理的な影響もあるのでしょうか。斜め吊索も付いています。
貴志川水系は1953年(昭和28年)の紀州大水害の災害復旧か、翌年竣工の橋が続きます。 -
お昼は大池遊園脇のセントゼファーでパスタ。
石窯/薪で焼くピザが自慢のお店です。
私の真のお目当ては・・・大池カフェ セントゼファー グルメ・レストラン
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イチオシ
【大池遊園のアーチ橋】
1ヒンジブレーストリブアーチ橋。
大池遊園の大池に素敵なアーチ橋がありました。大池遊園 公園・植物園
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アーチの主構に使われているのは古レール!近くを走る和歌山電鐵由来の物でしょうか。
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使われているレールに刻印がありました。
30 丸S 1935 IIIIIIIIIII OH か。
継目板では『1949』の刻印も観られました。大池遊園・動物園の開園が1954年(昭和29年)とのことなので、その頃の竣工か。施主は大池遊園と同じ、和歌山鉄道と考えるのが自然ですね。 -
もう一つの刻印。
?CO STEELT?N IIIIIIIIII?
ベスレヘム製鉄会社スチールトンの物か。他所のスチールトンのレールでは
60-A.S.B.S.CO STEELTON IIIIIIIIII 1920 O.H.I.G.R.
というような刻印があるので、この中央付近だけ見えているようです。
スチールトンのレールは初めて観ました♪ -
1ヒンジというのは如何にも不可解ですが、元々3ヒンジだったのを水位の上昇により水没する両端部をRCで固定してしまって1ヒンジになったように見えました。
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和歌山電鐵貴志川線 【大池第一橋梁】
1933年(昭和8年)竣工、上路I桁橋
7mの長いI桁が特徴的。
【登録有形文化財】 -
和歌山電鐵貴志川線 【大池第二橋梁】
1933年(昭和8年)竣工、上路I桁橋
同じく。貴志川線の最長橋梁。登録有形文化財と知っていればもう少しじっくり観たのですが・・・
【登録有形文化財】 -
イチオシ
和歌山電鐵【伊太祈曽駅検査場】
1916年(大正5年)山東軽便鉄道築、1961年(昭和36年)改修、木造平屋建
木造の検査場!
たま電車・いちご電車・うめ☆電車が並んでいました。
【登録有形文化財】 -
和歌山電鐵【伊太祈曽駅ホーム・上屋】
1916年(大正5年)山東軽便鉄道ホーム築造。
ホームや上屋も有形文化財に登録されていました。
【登録有形文化財】伊太祈曽駅 駅
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和歌山線【紀の川橋梁】
1898年(明治31年)紀和鉄道開通、1930年(昭和5年)頃架替、下路ワーレントラス橋他
汽車製造製の200ft,250ftトラス。 -
紀和鉄道による煉瓦/石積みの橋脚・橋台は基部を補強して使われています。
和歌山線のトロリー線は直接吊架式の区間が多いですが、橋上だけシンプルカテナリ式を採用しています。閑散線区とはいえ、橋上での断線は流石に避けたかったようです。 -
【岩出頭首工】
1956年(昭和31年)竣工。
三菱日本重工業製の橋が綺麗なアーチを描いています。岩出頭首工 名所・史跡
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【虹の橋】
1997年(平成9年)竣工、木造2ヒンジアーチ橋。
和歌山県植物公園の園内に架かる人道橋。 -
ヒノキの集成材を使用しているそうです。上弦材側面はびっしりとボルト留めしており、中に鋼板を仕込んでいるのかも知れません。
和歌山県植物公園緑花センター 公園・植物園
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【南田井之瀬橋】
1954年(昭和29年)竣工、下路ワーレントラス橋
上流側に新橋を架設していました。 -
岩出頭首工の三菱日本重工業と同時期に存在した新三菱重工の銘板。1964年に三菱造船も加えた3社が合併して三菱重工業になりました。
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【六十谷水管橋】
1975年(昭和50年)竣工、下路ランガー橋他
吊材の腐食を把握できない不適切な点検体制により破断に至り、2021年(令和3年)中央付近の桁が落橋。 -
イチオシ
落橋した桁とその両隣の桁は架替、それ以外の桁についても足場を掛け、吊材等の交換・補修等を実施するそうです。
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【六十谷橋】
1963年(昭和38年)竣工、下路ワーレントラス橋他。
六十谷水管橋の代替ルートとしてこの道路橋を通行止めにし、仮設の送水管を載せていました。 -
加太軽便鉄道【土入川橋梁跡】
1912年(明治45年)開通、I桁橋
1955年(昭和30年)に河西橋を含む和歌山市~北島間が廃止となった後も北島支線として残りましたが、1966年(昭和41年)に廃止となり、道路橋(通路?)に転用されました。
鋳鉄と思しき2本の円柱に横桁を載せた古そうな橋脚が目を引きます。これが開業当時の物なら登録有形文化財級なのですが…どうなんでしょう。 -
南海加太線【土入川橋梁】
1944年(昭和19年)開通、上路プレートガーダー橋
元々の加太線の設計荷重を超える貨車の運行を迫られ、鉄が貴重な戦時中に新たに架けられた鉄橋。あっちこっちから寄せ集めた様々な桁を加工して使っていました。 -
日本製鉄関西製鉄所-和歌山地区【スラグ台車】
かつては加太線と繋がっていた製鉄所も、道路脇からちらっと観てきました。製鉄所の貨車といえばトーピードカー(混銑車)を思い浮かべますが、残念ながらスラグ台車くらいしか観られませんでした。 -
和歌山駅へ戻り、レンタカーを返却します。
駅弁が売り切れていたので、近鉄百貨店でお寿司と缶酎ハイを買って大阪へ。
思っていたより色々な橋が観られて楽しい旅になりました。特に大池遊園のレール製アーチ橋は圧巻、お勧めの一品です。またその1冒頭で触れたように、この地を多くの私鉄が走り礎を築いてきましたが、その面影も感じる事ができました。和歌山駅 駅
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あと、大して探し回りもせず沢山のアンティークレールにも巡り会え、NANKAIやSTEELTONの刻印も観ることができたのも嬉しい誤算でした。
今回は和歌山市周辺のみでしたが、紀勢本線に沿って、ぐるっと紀伊半島を廻って観るのも楽しそうですね。
トータル 橋34、トンネル3、SL等保存車両・貨車3、レール4、他8 を巡る旅でした。
この後、大阪北部を巡る旅に続きます。
⇒https://4travel.jp/travelogue/11748890
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