2021/12/31 - 2022/01/01
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ishigantouさん
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熊野の始まりは古代においての岩や滝を崇める自然崇拝からであろうが、今呼ばれている熊野本宮、熊野速玉(新宮)、熊野那智はそれら自然物のご神体がそれぞれ別の神として祀られていた。それが中世後期に上皇、女院による「熊野御幸」で熊野の三山(本宮、新宮、那智)を参拝するのが熊野詣となったようだ。それ以前には山林修行の修験者が入っていた地でもあり、容易な道のりではなかった。
熊野詣の始まりは、延喜七年(907年)の宇多法皇の御幸からで、その後花山法皇、白川上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇と続く。他に女院や貴族も参拝が繰り返される。その後は地方武士、一般参宮者(女性含む)の参拝が増えていく。「蟻の熊野詣」と呼ばれたゆえんである。熊野詣は現世と来世の祈願によるところであったが、参拝によって障害を取り除かれると伝わっていた事もあり身体障害者の参拝も多かった。それは既に神仏習合の時代にあった当時の中で、弱者を援助する事が熊野権現のご利益を授かるとの教えがあった上に成り立っていたようである。今でも巡礼者に対してはそうであるように沿道の住民の接待も巡礼ならではあろう。
中世以降熊野巡礼で欠かせないのは御師(おし)と言われる祈祷師。その御師が時代が下ると次第に宿泊施設を提供したり、檀那(信徒)の各地の縄張りの権利を持つようになった。その制度を引き継いでいくのが伊勢参宮での宿泊所、観光ガイド、旅行代理店兼務の御師(おんし)である。
熊野巡礼では更に先達(せんだつ)と言われる案内人がいた。こちらは平地の伊勢詣では必要とされない、熊野の険しい山歩きの達人である修験者(山伏)がつとめた。その任の主導は天台宗の聖護院の修験者であったという。
参考文献 小山靖憲 著 「熊野古道」 岩波新書
今回の巡礼路は、初心者中の初心者コース「中辺路(なかへち)の一部の曼荼羅の道」で片道7~8kmで3~4時間コース。
往時は歩き、復路はバスにて元来た駅へ。歩いた感想ではまだ歩ける感覚。これから少しづつ距離が延びるコースに挑んでいきたいと思う。
コロナ禍と季節柄さらに年末だったためか、訪れる人は少なかった。山林の中では人とすれ違う事もなかった。天候は天気雨ならぬ天気雪で、晴れていながら雪がぱらついていた天気であった。
12/30日 のぞみ295号
品川駅8:25発~名古屋駅9:54着
乗り換えにて 特急南紀3号
名古屋駅10:01発~新宮駅13:37着
駅のロッカーで荷物を預け、熊野速玉大社参拝。速玉大社の摂社「神倉神社」に参拝。
紀伊勝浦 ビジネスホテルブルーハーバー 泊
12/31日
紀伊勝浦駅~那智駅(電車)
熊野古道ー浜の宮王子、浜の宮大神社、補陀洛山寺~尼将軍将軍供養塔~荷阪の五地蔵~市野々王子~大門坂~他冨気王子~熊野那智大社、那智山青岸渡寺~那智の滝~(バス)那智駅~新宮駅
徐福公園~阿須我神社~紀伊勝浦駅
紀伊勝浦 ビジネスホテルブルーハーバー 泊
1/1日
特急くろしお16号
紀伊勝浦駅8:49発~白浜駅10:19着
バスにて 白浜駅~南紀白浜空港
JAL 214便
南紀白浜空港13:35発~羽田空港14:40着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JALグループ 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今回の古道歩きのスタート地点、那智駅。
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駅に出て道を渡ってしばらく歩くと「熊野三所大神宮」がある。
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浜の宮王子社跡に建っている
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九十九王子のひとつ、浜の宮王子。
王子とは奉幣や経供養を行った場所とあるが、結果的には休憩の場所となった。 -
補陀落山寺
中世、観音菩薩が住むと言う補陀落浄土を目指、浜の宮から船に乗って太平洋に漕ぎ出した場所。 -
このような船で出発した。中世ではこの場所の前まで海が迫っていたらしい。
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熊野街道振分石
ここ浜の宮は、古来より中辺路、大辺路、伊勢路が落ち合う中心宿駅であったという。 -
補陀洛山寺
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16世紀に描かれた「那智曼荼羅」。その絵図の昔と変わらぬ聖地のみちを行く。
那智曼荼羅は世俗的なもの。これとセットになって伝えられているものに「熊野観心十界曼荼羅」がある。こちらは宗教的な曼荼羅絵図で、どちらも比丘尼(びくにー女性聖職者)によって熊野参拝が全国に宣伝されていった。 -
曼荼羅のみちを歩きだした
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イチオシ
路の途中にある石碑
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車道から民家が立つ道などを抜け、ここから古道へと入ってゆく。地元の人が親切に入口を教えてくれた。
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今に伝える古道への一歩
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冬は花が少ない。この実はルリミノキ?かな。
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林道は整備されていた
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こちらはヒイラギの実
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歩きながら上を見上げる。この時期、すれ違う人もいない。
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イチオシ
この実もヒイラギと思いきや、ちょっと葉が違う。センリョウか?
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イチオシ
林の左側に見える堀には「尼将軍供養塔」がある。
今話題の北条政子が、夫の源頼朝や子らの菩提を弔ったと言われている場所。頼朝夫妻は熊野信仰があつく、那智山の社寺の建立もしている。 -
もうしばらくすると林道を抜け切る
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荷坂の五地蔵
平敦盛を供養するために作ったと伝えられている -
開けた場所に出た
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浜の宮王子の次にあたる「市野々王子」跡、市野々神社。
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那智参詣曼荼羅に井関と二瀬橋の間に小社が描かれていて、そこがここであろうと言われている。
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近世に那智山の末社となり、若女一王子社または市野々王子と呼ばれた。
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お杉社
天照大神、忍穂耳尊(おしほほみみのみこと、ニニギノミコトの父)、葺不合尊(ふきあえずのみこと、神武天皇の父)の三神が祀られていたと言う。 -
民家から車道を通り、メインで一番古道らしさが残る「大門坂」に出た。両脇にある杉は樹齢約800年の夫婦杉。
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熊野九十九王子最後の王子跡「多富気王子」
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紀南郷導記では若一王子、紀伊続風土記では児宮。熊野巡覧記では両方の名で出ている。
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杉並木と苔むした石段
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イチオシ
石段は267段、総距離600m余りで杉並木は132本とされている。
休憩を挟んで上がっていった。 -
ついに熊野那智大社に到着。雪がぱらついていた。
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イチオシ
全国4千余りある熊野神社の御本社
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熊野那智大社は神倭磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)が那智の瀧を神として祀りはじめ、仁徳天皇の時にお社を還したのが始まりとされる。
御祭神は熊野十三神、御主神は熊野夫須美大神。 -
夫須美は結びと同意とされ願望成就の信仰で「結宮」と称されていた。
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境内にある八咫烏神社。
熊野の神使である八咫烏の導きによって、神武天皇は大和の地で初代天皇になった。 -
また境内にはご神木の「那智の大楠」がある。
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那智の大楠
平重盛の手植えと伝わり、根元の空洞に胎内くぐりをし、無病息災を願う。 -
神仏習合の時代には、熊野山権現と呼ばれていた。
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こちらは神仏分離令まで熊野那智大社と一体であった「那智山青岸渡寺」
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修験道の場所であった、熊野の山々。
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青岸渡寺は仁徳天皇の頃にインドから漂流してきた裸形上人が、那智の滝壺で見つけた観音菩薩像を安置したことから始まったと伝わる。
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イチオシ
撮影スポット、三重塔と那智の瀧。
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西国観音霊場第一番礼所でもある青岸渡寺の本堂は、豊臣秀吉の再建による。
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いよいよ那智の滝へ向かう
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途中の庚申塚
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古代より御神体とされた那智の滝に到着。日本三大瀑布の一つだ。
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ちなみにこちらが、昨年夏に訪れた日本三大瀑布の一つ「袋田の滝」。
その時の旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11733502 -
こちらは以前訪ねた三名瀑の一つの「日光 華厳の滝」
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御神体として祀っているのは、熊野那智大社の別宮「飛瀧神社」。
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落差133m、最大幅13m、滝壺の深さが10mもあるという。
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三つの落口から流れ落ちるところから′三筋の滝’とも呼ばれている。
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帰りのバス待ちで、お店で飲んだ熊野古道麦酒。
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宿泊したホテル「ホテル ブルーハーバー」 港の目の前
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ホテル前の漁港
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この港から、紀の松島めぐりの船も出ている。
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フィッシャーマンズワーフのようなお店が入っている場所もあったが、行きそびれた。こちらで朝食も良かったかも知れない。
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近くには足湯場所も
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最終日の朝、しばらく足湯に浸かってみた。
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帰りは航空機を利用。あっという間に羽田に到着。
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