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今回の旅は三原から尾道のコース。基本は三原の旅で考えていたのですが、あれこれ調べてみても三原の市街だけだと一日のコースとしてはちょっと物足りない感じ。新高山城とか米山寺を入れるとちょっときついですしね。それならということで、無理のない程度に尾道を少し加えてみることにしました。三原と尾道は2駅、所要時間は13分。とっても近いですからねえ。<br /><br />ここで、少し広島県の東部をまとめておくと。。広島県は安芸国と備後国なんですが、備後国でも三原や尾道は広島浅野藩の領地。まあ、三次も備後ですけど広島浅野藩ですから、備後って個性的な街がけっこうあって多彩な印象ですよね。備後の中心、福山は福山藩ですから歴史は当然違うんですが、では三原と尾道は同じ広島浅野藩の領地でこれだけ近いのにどうしてこうも別々のイメージなんでしょう。接点をほとんど感じないんですよね。改めて、その辺を整理してみると<br /><br />まずは、三原のこと。三原の隆盛は、毛利元就の三男、小早川隆景が築いた三原城が始まりです。小早川隆景は、長男の毛利隆元、次男の吉川元春と合わせて三本の矢の話は有名ですよね。竹原小早川家に養子として入った後、沼田の小早川本家を継ぐことになり、竹原から高山城(後に新高山城)に移ります。宮島の戦いでも毛利氏を勝利に導いた小早川水軍でしたが、新高山城では水軍の指揮には不便ということで、瀬戸内海に面した三原に新たに城を築きここを小早川家の本拠とします。備中高松城の戦いで秀吉が中国大返しをした天正10年(1582年)と同年のことです。ここから天正14年(1586年)、九州征伐に参加し秀吉から筑前・筑後を与えられて九州に移るまでの5年間、毛利家の当主であり甥の輝元を三原から支えることになりました。また、養子小早川秀秋に家督を譲り隠居してから亡くなる慶長2年(1597年)までの2年間も再び三原に戻っていますので、三原と小早川隆景の縁は最後まで切れなかったということかとも思います。<br />そして、隆景の築いた三原城は、江戸時代に入り一国一城令の下でも存続が認められ、幕末まで健在。水軍の必要はなくなった時代ですが、広島浅野藩の筆頭家老、三原浅野氏が城を預かりました。なお、三原は西国街道の宿場という役割もありましたから、城下町であり宿場町でもあるというバランスの良い街だったのではないかと思われます。<br /><br />そして、一方の尾道は、石見銀山から銀を運んだ出雲街道と西国街道が交わり、かつ、瀬戸内海の海の道とも接する交通の要衝。北前船の寄港によって交易が全国規模に広がると新たな豪商も台頭して、広島藩の台所と呼ばれる藩内随一の港町となりました。ただ、面白いのはその前提として中世の時代から、山名氏や足利氏の庇護下、寺町が形成されたり、日明貿易の寄港地であったりしたことで独立心の強い商人の力が蓄積されていたこと。毛利氏もそうした有力な商人の自治を認めて支配しましたが、広島浅野藩にあっても、町人による町政は続きます。こうした商人のエネルギーにも関係していると思いますが、大坂の米市場と同じく米の換金が認められていたとか。北前船の主力交易品である備後塩、塩田開発を竹原に次いで進めたとかとてもハングリー。現在は、映画や文学の色合いまで加わっていて、いろいろ眺めると自由で逞しい歴史が見えてくる街ではないかと思います。<br /><br />三原城下、筆頭家老のお膝元であった三原と中世からの歴史に立った商人の街、尾道。ちょっと想像しただけでもやっぱり混じり合わないものを感じざるを得ませんね~

三原・尾道のはしご旅~小早川隆景の築いた三原城の城下町からかつては海と陸の交通の十字路で広島藩の台所と呼ばれた尾道へ。意外に近い距離感です~

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2022/03/03 - 2022/03/03

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たびたび

たびたびさん

今回の旅は三原から尾道のコース。基本は三原の旅で考えていたのですが、あれこれ調べてみても三原の市街だけだと一日のコースとしてはちょっと物足りない感じ。新高山城とか米山寺を入れるとちょっときついですしね。それならということで、無理のない程度に尾道を少し加えてみることにしました。三原と尾道は2駅、所要時間は13分。とっても近いですからねえ。

ここで、少し広島県の東部をまとめておくと。。広島県は安芸国と備後国なんですが、備後国でも三原や尾道は広島浅野藩の領地。まあ、三次も備後ですけど広島浅野藩ですから、備後って個性的な街がけっこうあって多彩な印象ですよね。備後の中心、福山は福山藩ですから歴史は当然違うんですが、では三原と尾道は同じ広島浅野藩の領地でこれだけ近いのにどうしてこうも別々のイメージなんでしょう。接点をほとんど感じないんですよね。改めて、その辺を整理してみると

まずは、三原のこと。三原の隆盛は、毛利元就の三男、小早川隆景が築いた三原城が始まりです。小早川隆景は、長男の毛利隆元、次男の吉川元春と合わせて三本の矢の話は有名ですよね。竹原小早川家に養子として入った後、沼田の小早川本家を継ぐことになり、竹原から高山城(後に新高山城)に移ります。宮島の戦いでも毛利氏を勝利に導いた小早川水軍でしたが、新高山城では水軍の指揮には不便ということで、瀬戸内海に面した三原に新たに城を築きここを小早川家の本拠とします。備中高松城の戦いで秀吉が中国大返しをした天正10年(1582年)と同年のことです。ここから天正14年(1586年)、九州征伐に参加し秀吉から筑前・筑後を与えられて九州に移るまでの5年間、毛利家の当主であり甥の輝元を三原から支えることになりました。また、養子小早川秀秋に家督を譲り隠居してから亡くなる慶長2年(1597年)までの2年間も再び三原に戻っていますので、三原と小早川隆景の縁は最後まで切れなかったということかとも思います。
そして、隆景の築いた三原城は、江戸時代に入り一国一城令の下でも存続が認められ、幕末まで健在。水軍の必要はなくなった時代ですが、広島浅野藩の筆頭家老、三原浅野氏が城を預かりました。なお、三原は西国街道の宿場という役割もありましたから、城下町であり宿場町でもあるというバランスの良い街だったのではないかと思われます。

そして、一方の尾道は、石見銀山から銀を運んだ出雲街道と西国街道が交わり、かつ、瀬戸内海の海の道とも接する交通の要衝。北前船の寄港によって交易が全国規模に広がると新たな豪商も台頭して、広島藩の台所と呼ばれる藩内随一の港町となりました。ただ、面白いのはその前提として中世の時代から、山名氏や足利氏の庇護下、寺町が形成されたり、日明貿易の寄港地であったりしたことで独立心の強い商人の力が蓄積されていたこと。毛利氏もそうした有力な商人の自治を認めて支配しましたが、広島浅野藩にあっても、町人による町政は続きます。こうした商人のエネルギーにも関係していると思いますが、大坂の米市場と同じく米の換金が認められていたとか。北前船の主力交易品である備後塩、塩田開発を竹原に次いで進めたとかとてもハングリー。現在は、映画や文学の色合いまで加わっていて、いろいろ眺めると自由で逞しい歴史が見えてくる街ではないかと思います。

三原城下、筆頭家老のお膝元であった三原と中世からの歴史に立った商人の街、尾道。ちょっと想像しただけでもやっぱり混じり合わないものを感じざるを得ませんね~

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  • 早朝の三原駅に到着。<br />ここは新幹線の駅なので、やっぱり立派ですよね。

    早朝の三原駅に到着。
    ここは新幹線の駅なので、やっぱり立派ですよね。

  • 駅前には、ヤッサ踊りの像。<br />この踊りは、小早川隆景が三原城を築城した時、これを踊って祝ったことが始まり。三原城は、新幹線の駅がぶち抜いているので、ここは三原城の前とも言えなくもない位置ですね。

    イチオシ

    駅前には、ヤッサ踊りの像。
    この踊りは、小早川隆景が三原城を築城した時、これを踊って祝ったことが始まり。三原城は、新幹線の駅がぶち抜いているので、ここは三原城の前とも言えなくもない位置ですね。

  • 三原駅の裏側には三原城の石垣。駅はこれをぶち抜いたというわけです。<br />さて、これから回る寺町は駅の北側エリア。まずは、西の方に向けて歩きます。

    三原駅の裏側には三原城の石垣。駅はこれをぶち抜いたというわけです。
    さて、これから回る寺町は駅の北側エリア。まずは、西の方に向けて歩きます。

  • 小早川隆景像は、三原駅の北側を西に進んですぐの小さな公園の中。三原は隆景の三原城築城から始まったと言っても過言ではないと思いますが、地元のアイデンティティはどうでしょうね。この像くらいではアピール度がちょっと弱いような気もします。

    小早川隆景像は、三原駅の北側を西に進んですぐの小さな公園の中。三原は隆景の三原城築城から始まったと言っても過言ではないと思いますが、地元のアイデンティティはどうでしょうね。この像くらいではアピール度がちょっと弱いような気もします。

  • その先に、だるまの販売所。<br />三原神明市に関係しているんだと思いますが、今年は中止でしたよね。それでも、本来であれば三原に春を告げるお祭り。だるまの販売だけはやるということでしょうか。<br />神明市のシンボルになっている大ダルマが有名ですが、このちょっとしただるま販売所だけでも、なんとなく祭りの様子を想像したりできるような。来年は、復活してもらいたいものですね。

    その先に、だるまの販売所。
    三原神明市に関係しているんだと思いますが、今年は中止でしたよね。それでも、本来であれば三原に春を告げるお祭り。だるまの販売だけはやるということでしょうか。
    神明市のシンボルになっている大ダルマが有名ですが、このちょっとしただるま販売所だけでも、なんとなく祭りの様子を想像したりできるような。来年は、復活してもらいたいものですね。

  • で、これと並行して行われるのが「みはら彩るまち歩き おひなまつり」と銘打った三原のひな祭り。今年で9回を数えるそうです。ただ、これもコロナの関係で正法寺の石段へ石雛の飾りつけをする石段石雛飾りは中止。

    で、これと並行して行われるのが「みはら彩るまち歩き おひなまつり」と銘打った三原のひな祭り。今年で9回を数えるそうです。ただ、これもコロナの関係で正法寺の石段へ石雛の飾りつけをする石段石雛飾りは中止。

  • この小さなひな壇のほかは

    この小さなひな壇のほかは

  • 通りに点々と石雛が置かれている程度でした。

    通りに点々と石雛が置かれている程度でした。

  • しかし、石雛は暖かな手作り感があるし、けっこう楽しいものですね。また早く元に戻れたらいいですね~

    イチオシ

    しかし、石雛は暖かな手作り感があるし、けっこう楽しいものですね。また早く元に戻れたらいいですね~

  • ほどなく、正法寺です。この寺は、宗光寺、大善寺、妙正寺と並ぶ三原4か寺のひとつ。真言宗の寺。三原駅からは歩いて10分足らずですが、市街の奥の石段を上がった先に堂々とした山門が現れました。本来であれば、この石段に雛飾りが飾られるんですね。<br />

    ほどなく、正法寺です。この寺は、宗光寺、大善寺、妙正寺と並ぶ三原4か寺のひとつ。真言宗の寺。三原駅からは歩いて10分足らずですが、市街の奥の石段を上がった先に堂々とした山門が現れました。本来であれば、この石段に雛飾りが飾られるんですね。

  • 境内の案内に三原市重要文化財に指定された木造延命地蔵菩薩立像があるというので、お寺の方に頼んで見せてもらいました。本堂の内陣横の厨子の中。平安時代の像ですが、やや微妙。まあそれなりかなあという感じです。

    境内の案内に三原市重要文化財に指定された木造延命地蔵菩薩立像があるというので、お寺の方に頼んで見せてもらいました。本堂の内陣横の厨子の中。平安時代の像ですが、やや微妙。まあそれなりかなあという感じです。

  • 続いての宗光寺は、小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため高山城内に建てたのが始まり。三原城築城の際、城下の西側を守る砦も兼ねてこちらに移されます。

    続いての宗光寺は、小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため高山城内に建てたのが始まり。三原城築城の際、城下の西側を守る砦も兼ねてこちらに移されます。

  • ということで、この山門は小早川隆景の居城、新高山城の城門をここに移築したもの。<br />

    ということで、この山門は小早川隆景の居城、新高山城の城門をここに移築したもの。

  • 山門に至る石段や参道とこのちょっと無造作な意匠の山門のバランスがなにか合っていないような感じがしましたが、たぶんそのせいですね。

    山門に至る石段や参道とこのちょっと無造作な意匠の山門のバランスがなにか合っていないような感じがしましたが、たぶんそのせいですね。

  • 境内には、楼門から

    イチオシ

    境内には、楼門から

  • 奥に本堂、禅堂が続きます。

    奥に本堂、禅堂が続きます。

  • 境内からは三原の市街をいい感じで見下ろせますね~

    境内からは三原の市街をいい感じで見下ろせますね~

  • そして、最後の見どころは本堂の裏手。<br />江戸期に三原城主であった福島正之、

    そして、最後の見どころは本堂の裏手。
    江戸期に三原城主であった福島正之、

  • 浅野忠長の墓もありました。

    浅野忠長の墓もありました。

  • さらに西に向かって進みまして。<br />大善寺は、三原市街中心部からだらだらと坂を上がった先。<br />

    さらに西に向かって進みまして。
    大善寺は、三原市街中心部からだらだらと坂を上がった先。

  • 正法寺、宗光寺、妙正寺と並ぶ三原4か寺のひとつ。<br />

    正法寺、宗光寺、妙正寺と並ぶ三原4か寺のひとつ。

  • 本堂から山の斜面に広がる墓地も悠々たるもの。

    本堂から山の斜面に広がる墓地も悠々たるもの。

  • 美しさと威厳を備えた本堂はここが一番かもしれませんね。

    イチオシ

    美しさと威厳を備えた本堂はここが一番かもしれませんね。

  • そして、注目は三原城主三代、浅野忠真の側室で三原城主四代、浅野忠義の母、月渓院の墓。この月渓院というのは徳川家光のご落胤とされた姫、月姫のこと。江戸城内で江戸に預けられていた三原浅野家の忠真を見初めたのだとか。三原浅野家は安芸浅野家の家老格に過ぎないし、側室なので本来はあり得ない縁組なのですが、それだけ月渓院の意志が固かったのでしょう。そんなこともあって、この寺は三つ葉葵の使用が許されていて、三原の過ぎたるものの一つとされています。<br />ちなみに、浅野本家と徳川の関係で言うと浅野幸長の娘、春姫は徳川尾張藩の初代藩主、徳川義直の正室となっています。ただ、子がなかったため、関係は少し弱いかもしれませんけどね。

    そして、注目は三原城主三代、浅野忠真の側室で三原城主四代、浅野忠義の母、月渓院の墓。この月渓院というのは徳川家光のご落胤とされた姫、月姫のこと。江戸城内で江戸に預けられていた三原浅野家の忠真を見初めたのだとか。三原浅野家は安芸浅野家の家老格に過ぎないし、側室なので本来はあり得ない縁組なのですが、それだけ月渓院の意志が固かったのでしょう。そんなこともあって、この寺は三つ葉葵の使用が許されていて、三原の過ぎたるものの一つとされています。
    ちなみに、浅野本家と徳川の関係で言うと浅野幸長の娘、春姫は徳川尾張藩の初代藩主、徳川義直の正室となっています。ただ、子がなかったため、関係は少し弱いかもしれませんけどね。

  • 再び、西へ。<br />通りを歩いていたら、順勝寺の山門の説明版。三原城内にあった御作事奉行所門を移築したものだとか。小さな長屋門っぽい門ですけどね。寺は真宗寺。三原城築城の際にここに移されたようです。<br />また、後年、この寺の平賀晋民の塾で、頼山陽の父、春水が3年間勉学をしたともいわれます。

    再び、西へ。
    通りを歩いていたら、順勝寺の山門の説明版。三原城内にあった御作事奉行所門を移築したものだとか。小さな長屋門っぽい門ですけどね。寺は真宗寺。三原城築城の際にここに移されたようです。
    また、後年、この寺の平賀晋民の塾で、頼山陽の父、春水が3年間勉学をしたともいわれます。

  • 三原八幡宮は、小早川隆景によって移されたという小山の上に建つ地元の総氏神。

    三原八幡宮は、小早川隆景によって移されたという小山の上に建つ地元の総氏神。

  • 山門を抜けると

    山門を抜けると

  • それなりに広い境内と<br />

    それなりに広い境内と

  • 一段高い場所に本殿です。

    一段高い場所に本殿です。

  • 意外な感じで見事な花手水もあって、地元に愛されている神社であることを実感しました。

    意外な感じで見事な花手水もあって、地元に愛されている神社であることを実感しました。

  • 西方面の最後は、三原市芸術文化センターポポロ。こちらは、平成19年に出来たコンサートや展覧会など様々なイベントが行われる三原の文化発信基地。デザインが印象的ですが、建築家、槇文彦の設計です。<br />

    イチオシ

    西方面の最後は、三原市芸術文化センターポポロ。こちらは、平成19年に出来たコンサートや展覧会など様々なイベントが行われる三原の文化発信基地。デザインが印象的ですが、建築家、槇文彦の設計です。

  • 周辺は広々として、美しい公園。イベントがなくてもこの公園は十分楽しめますね。

    周辺は広々として、美しい公園。イベントがなくてもこの公園は十分楽しめますね。

  • 三原駅の方に戻ってきて、これはヤッサ饅頭のお店。薄皮に甘めの餡子がぎっしりつまっていますが、粒餡仕立てということでより美味しさが引き立っているように思います。

    三原駅の方に戻ってきて、これはヤッサ饅頭のお店。薄皮に甘めの餡子がぎっしりつまっていますが、粒餡仕立てということでより美味しさが引き立っているように思います。

  • ここからは、三原駅の東側に移ります。<br />三原4か寺の最後、妙正寺は、この長い坂を上りきったところ。<br />

    ここからは、三原駅の東側に移ります。
    三原4か寺の最後、妙正寺は、この長い坂を上りきったところ。

  • 延宝2年(1674年)、三原城主、浅野家の菩提寺として創建された日蓮宗の寺で、その後当地に移されたのは享保年間。

    延宝2年(1674年)、三原城主、浅野家の菩提寺として創建された日蓮宗の寺で、その後当地に移されたのは享保年間。

  • 現在の本堂、庫裏、山門等は移された当時のものです。二重屋根の本堂は軒破風もかっこいいし、城主の菩提寺としての威厳は確かに感じますね。<br />ただ、市街を抜けてけっこう山の上に上るので、訪ねるのはなかなか大変です。

    現在の本堂、庫裏、山門等は移された当時のものです。二重屋根の本堂は軒破風もかっこいいし、城主の菩提寺としての威厳は確かに感じますね。
    ただ、市街を抜けてけっこう山の上に上るので、訪ねるのはなかなか大変です。

  • 妙正寺のお隣りは大島神社。<br />三原城が作られた大島にあった大島稲荷をお城の鎮守としたのが始まりだそう。

    妙正寺のお隣りは大島神社。
    三原城が作られた大島にあった大島稲荷をお城の鎮守としたのが始まりだそう。

  • その後、城中にあった別の神社、厳島神社も併せてここに祀ったとか。

    イチオシ

    その後、城中にあった別の神社、厳島神社も併せてここに祀ったとか。

  • 赤い千本鳥居がなかなか美しくて、爽やか。

    赤い千本鳥居がなかなか美しくて、爽やか。

  • 見応えがありますね。

    見応えがありますね。

  • 最近は三原の観光スポットとしてイチオシになっているようです。

    最近は三原の観光スポットとしてイチオシになっているようです。

  • さらに東へ進んで。<br />松寿寺は、山の中腹に伽藍を構える曹洞宗の大寺。創建は、貞治4年(1365年)で三原の寺では最古と言われます。

    さらに東へ進んで。
    松寿寺は、山の中腹に伽藍を構える曹洞宗の大寺。創建は、貞治4年(1365年)で三原の寺では最古と言われます。

  • この地に移されたのは、浅野城主3代忠真の時。武者小路実篤がこの寺に逗留していたとか、

    この地に移されたのは、浅野城主3代忠真の時。武者小路実篤がこの寺に逗留していたとか、

  • 画僧雪舟の作のキリシタン灯籠とかもありますが、山門を出てすぐに現れる庫裏や

    画僧雪舟の作のキリシタン灯籠とかもありますが、山門を出てすぐに現れる庫裏や

  • 本堂の青屋根のインパクトがすごいですね。

    本堂の青屋根のインパクトがすごいですね。

  • 境内を抜けて

    境内を抜けて

  • 裏手に回ると<br />立派な三重の塔もありますので、これもどうぞ。

    裏手に回ると
    立派な三重の塔もありますので、これもどうぞ。

  • これも同じ並びですが、極楽寺は、切り立つ石垣の上に建つ城のような構えの浄土宗の寺。<br />

    これも同じ並びですが、極楽寺は、切り立つ石垣の上に建つ城のような構えの浄土宗の寺。

  • この山門は、新高山城の搦手門を移築したもの。さっきの宗光寺の山門と比べるとかなり小ぶりではあります。

    この山門は、新高山城の搦手門を移築したもの。さっきの宗光寺の山門と比べるとかなり小ぶりではあります。

  • そして、本堂は、江戸時代中期に建立されたもの。向拝がないので穏やかな佇まいですね。遠くに見えている三重塔は、松寿寺の塔です。<br />で、目を引くのは境内にある青山コレクション達磨記念堂。三原神明市の地元であることもあって、住職の集めた数多くの達磨等を展示する日本一の達磨展示場だということです。

    そして、本堂は、江戸時代中期に建立されたもの。向拝がないので穏やかな佇まいですね。遠くに見えている三重塔は、松寿寺の塔です。
    で、目を引くのは境内にある青山コレクション達磨記念堂。三原神明市の地元であることもあって、住職の集めた数多くの達磨等を展示する日本一の達磨展示場だということです。

  • 寺町を終わって、三原市街の散策は終了。また、三原駅前に戻ってきました。<br />ここから少しB級グルメのチェックです。<br />「やまとのおおばんやき」は、三原駅前を出て左手すぐの赤い看板のお店。

    寺町を終わって、三原市街の散策は終了。また、三原駅前に戻ってきました。
    ここから少しB級グルメのチェックです。
    「やまとのおおばんやき」は、三原駅前を出て左手すぐの赤い看板のお店。

  • 餡子の大判焼きをいただきました。餡子はちょっと甘さ控えめかな。ただ、大判焼きってこういう味だよねというそのままの味。期待通りの大判焼きでした。

    餡子の大判焼きをいただきました。餡子はちょっと甘さ控えめかな。ただ、大判焼きってこういう味だよねというそのままの味。期待通りの大判焼きでした。

  • ゑびす家は、三原駅前すぐ。正面のビルインの三原を代表するお菓子屋さんのひとつでしょう。

    ゑびす家は、三原駅前すぐ。正面のビルインの三原を代表するお菓子屋さんのひとつでしょう。

  • 品数も豊富でひな祭りに因んだお菓子もありましたが、三原ならではの「たこもみじ」をいただきました。どんなもみじ饅頭なのかなと思いましたが、なんと焼いたたこが入っているんですね。確かにたこの味がほんのりしてきて面白いもみじ饅頭です。

    品数も豊富でひな祭りに因んだお菓子もありましたが、三原ならではの「たこもみじ」をいただきました。どんなもみじ饅頭なのかなと思いましたが、なんと焼いたたこが入っているんですね。確かにたこの味がほんのりしてきて面白いもみじ饅頭です。

  • そして、とっても気になっていたのが、おはぎの店こだまの名物たこ天。

    そして、とっても気になっていたのが、おはぎの店こだまの名物たこ天。

  • ひとつが700円と他の商品とくらべると破格の値段設定なんですが、やっぱりここに来てそれを買わない手はないですよね。<br />

    ひとつが700円と他の商品とくらべると破格の値段設定なんですが、やっぱりここに来てそれを買わない手はないですよね。

  • うーん、それにしてもこれは巨大。相当大きなたこの足ですよね。たっぷりの衣に包まれていて、こんな天ぷらちょっと出会ったことがないくらいのワイルドさですよ~<br />少し切ってからいただきましたが、これは塩ゆでしたのを天ぷらにしたんですね。その仄かな塩味がたこの身のプリプリのおいしさをめちゃめちゃ引き立ていて、笑ってしまうくらい。最高においしいで~す。たこ焼きのたこのおいしさを10倍くらいにした感じかな。正真正銘、三原の名物だと思います。

    うーん、それにしてもこれは巨大。相当大きなたこの足ですよね。たっぷりの衣に包まれていて、こんな天ぷらちょっと出会ったことがないくらいのワイルドさですよ~
    少し切ってからいただきましたが、これは塩ゆでしたのを天ぷらにしたんですね。その仄かな塩味がたこの身のプリプリのおいしさをめちゃめちゃ引き立ていて、笑ってしまうくらい。最高においしいで~す。たこ焼きのたこのおいしさを10倍くらいにした感じかな。正真正銘、三原の名物だと思います。

  • 三原から尾道に移動して、後半は尾道のスイーツチェックと古寺めぐり。<br />これまでも何度か回っているのですが調べると、まだ見落としているところがけっこうあるんですよね~<br />尾道駅から東に向かいまして。<br />尾道大判焼き さくらは、尾道駅から尾道本通り商店街に向かう途中。

    三原から尾道に移動して、後半は尾道のスイーツチェックと古寺めぐり。
    これまでも何度か回っているのですが調べると、まだ見落としているところがけっこうあるんですよね~
    尾道駅から東に向かいまして。
    尾道大判焼き さくらは、尾道駅から尾道本通り商店街に向かう途中。

  • 大判焼きなんて珍しくもないのですが、ここはクロワッサン粒餡の大判焼きがあるんです。少し油分が残った皮は冷めても豊かな味わいが残っていて、普通の大判焼きとは全然違いますね。それに餡子も艶があってストレートな甘さが小気味よい。<br />なるほど、なるほど。個性があって、おいしさもある。さすが尾道、抜群の大判焼きでした。

    大判焼きなんて珍しくもないのですが、ここはクロワッサン粒餡の大判焼きがあるんです。少し油分が残った皮は冷めても豊かな味わいが残っていて、普通の大判焼きとは全然違いますね。それに餡子も艶があってストレートな甘さが小気味よい。
    なるほど、なるほど。個性があって、おいしさもある。さすが尾道、抜群の大判焼きでした。

  • 夕やけカフェドーナツは、海岸通りに面した小さなドーナツ屋さん。

    夕やけカフェドーナツは、海岸通りに面した小さなドーナツ屋さん。

  • 種類としては、ほどほどですね。

    種類としては、ほどほどですね。

  • はちみつバターのドーナツをいただきました。はちみつバターがしっとりとした甘さでベースのドーナツもふんわり。ただ、ここまでくると高級感もあってケーキに近いような感覚かな。ちょっとレベルが違うドーナツかなと思います。ここも当たりですね~

    はちみつバターのドーナツをいただきました。はちみつバターがしっとりとした甘さでベースのドーナツもふんわり。ただ、ここまでくると高級感もあってケーキに近いような感覚かな。ちょっとレベルが違うドーナツかなと思います。ここも当たりですね~

  • サンモルテもその並び。通りからは店中が見えないのもあって、ケーキ屋さんみたいな店構えだなと思いました。

    サンモルテもその並び。通りからは店中が見えないのもあって、ケーキ屋さんみたいな店構えだなと思いました。

  • ただ、店内は至って普通。

    ただ、店内は至って普通。

  • ミルクフランスをいただきましたが、少し温めて食べるとクリームがポタポタ落ちるような感じになって、香りと甘さが抜群でした。文句なしのおいしさ。尾道のスイーツは外れがないですね。

    ミルクフランスをいただきましたが、少し温めて食べるとクリームがポタポタ落ちるような感じになって、香りと甘さが抜群でした。文句なしのおいしさ。尾道のスイーツは外れがないですね。

  • 昼飯は、壱番館で尾道ラーメン。こちらは、尾道でも尾道ラーメンを代表する人気のお店なんですよね。平日のお昼でしたが、お客さんはひっきりなしでした。<br />

    昼飯は、壱番館で尾道ラーメン。こちらは、尾道でも尾道ラーメンを代表する人気のお店なんですよね。平日のお昼でしたが、お客さんはひっきりなしでした。

  • さて、ラーメンの方ですが、尾道ラーメンの基本通りのスープはいりこだしにきりりとした醤油味。そこに背油でアクセントを付けてシンプルだけど安定感のある味わいですよね。ただ、あえて言えば、少しメリハリが弱いかなという感じもしなくはないけど、もしかしたらそれも計算の内なのかな。必要ないアピールはしない。そんなところなのかなとも思います。

    イチオシ

    さて、ラーメンの方ですが、尾道ラーメンの基本通りのスープはいりこだしにきりりとした醤油味。そこに背油でアクセントを付けてシンプルだけど安定感のある味わいですよね。ただ、あえて言えば、少しメリハリが弱いかなという感じもしなくはないけど、もしかしたらそれも計算の内なのかな。必要ないアピールはしない。そんなところなのかなとも思います。

  • 少し東に向かうと。。<br />出雲街道の標石は、かつての出雲街道に建てられていたもの。「出雲大社道」「本道37里 近道33里」と書かれていて、どこか分かれ道のような場所に建っていたのでしょうね。尾道から大森銀山へと続くシルバーロードであり、これも往時の尾道の賑わいを支えていた重要な街道です。

    少し東に向かうと。。
    出雲街道の標石は、かつての出雲街道に建てられていたもの。「出雲大社道」「本道37里 近道33里」と書かれていて、どこか分かれ道のような場所に建っていたのでしょうね。尾道から大森銀山へと続くシルバーロードであり、これも往時の尾道の賑わいを支えていた重要な街道です。

  • 本通り商店街に戻って、これまでなかなか縁がなかった尾道浪漫珈琲にも寄ってみます。堂々たる老舗の風格漂う店構えに、<br />

    本通り商店街に戻って、これまでなかなか縁がなかった尾道浪漫珈琲にも寄ってみます。堂々たる老舗の風格漂う店構えに、

  • 店内は赤い椅子がシックな印象。やっぱりさすがですね。<br />

    店内は赤い椅子がシックな印象。やっぱりさすがですね。

  • いただいたのは、サンデーセット。アイスクリームと生クリームが抜群にさわやかで素晴らしいのですが、それだけではなくてチーズの香りなんかがちょっと混じったり。コーヒーゼリーの大人の味わいが加わるとまたちょっと複雑な味わいも感じます。<br />それにダメ押しかな。シンプルな珈琲がよく合います。ストーリーがあってこれぞ老舗の味。おいしく、楽しくいただきました。

    イチオシ

    いただいたのは、サンデーセット。アイスクリームと生クリームが抜群にさわやかで素晴らしいのですが、それだけではなくてチーズの香りなんかがちょっと混じったり。コーヒーゼリーの大人の味わいが加わるとまたちょっと複雑な味わいも感じます。
    それにダメ押しかな。シンプルな珈琲がよく合います。ストーリーがあってこれぞ老舗の味。おいしく、楽しくいただきました。

  • ここから古寺めぐり。<br />いろんな上り道があるのですが、取りあえず、千光寺通りを行きましょう。

    ここから古寺めぐり。
    いろんな上り道があるのですが、取りあえず、千光寺通りを行きましょう。

  • 石段を延々と上って行くのですが、

    石段を延々と上って行くのですが、

  • まあ、これが尾道観光の醍醐味と言えば醍醐味。<br />歩くのがいやでは尾道観光はできません。

    まあ、これが尾道観光の醍醐味と言えば醍醐味。
    歩くのがいやでは尾道観光はできません。

  • 脇道に入るとその先は信行寺。崖の上みたいな場所で、マップを見てもどういっていいかわからなくて、半分諦めていたんですが、適当に進んだら行きつきました。<br />

    脇道に入るとその先は信行寺。崖の上みたいな場所で、マップを見てもどういっていいかわからなくて、半分諦めていたんですが、適当に進んだら行きつきました。

  • 寺は、建保2年(1214)に創建された浄土宗の寺。ボタンを押すと寺の説明の音声が流れます。油屋、亀山士綱の墓、回船問屋 竹内要助一門の墓があるようですが、いずれにしても境内は少し荒れた感じです。

    寺は、建保2年(1214)に創建された浄土宗の寺。ボタンを押すと寺の説明の音声が流れます。油屋、亀山士綱の墓、回船問屋 竹内要助一門の墓があるようですが、いずれにしても境内は少し荒れた感じです。

  • 千光寺通りに戻って、まだまだ上って行きますよ~

    千光寺通りに戻って、まだまだ上って行きますよ~

  • がんばれ

    がんばれ

  • がんばれ~

    がんばれ~

  • と、これは帆雨亭。

    と、これは帆雨亭。

  • なんか敷地内は荒れた感じなんですが、ネットの評判はまずまずなんですよね。

    なんか敷地内は荒れた感じなんですが、ネットの評判はまずまずなんですよね。

  • こんな粗末な入口を入る古民家カフェ。<br />靴を脱いで上がりますが、狭いしなんか失敗したかなあという思いもなくはないですけどね。

    こんな粗末な入口を入る古民家カフェ。
    靴を脱いで上がりますが、狭いしなんか失敗したかなあという思いもなくはないですけどね。

  • 志賀直哉の関係の本が置いてあったり、<br />

    志賀直哉の関係の本が置いてあったり、

  • まあ、何でしょうね。

    まあ、何でしょうね。

  • 抹茶のセットをいただいて、ひと休み。

    抹茶のセットをいただいて、ひと休み。

  • 落ち着いて眺めまわしても、出窓脇の一番奥のスペースがまあまあくらい。

    落ち着いて眺めまわしても、出窓脇の一番奥のスペースがまあまあくらい。

  • まあざっとしてますよね~<br />ただ、帰る間際になって、さっきいただいた抹茶とお菓子。意外においしかったなあという印象が残っていて、ちょっと不思議な感覚。お店の良さはしばらく気持ちを落ち着けないと見えてこないような気もします。

    まあざっとしてますよね~
    ただ、帰る間際になって、さっきいただいた抹茶とお菓子。意外においしかったなあという印象が残っていて、ちょっと不思議な感覚。お店の良さはしばらく気持ちを落ち着けないと見えてこないような気もします。

  • 続いては、ネコノテパン工場へ。どこをどうやって行ったのかわからなくなるくらいくねくねとした道を行きました。<br />つまり、千光寺に向かっては、千光寺通りや猫の細道、新千光寺道とかそれなりに知られた坂道がありますが、ネコノテパン工場はそのどれでもないので、はっきりとここを目指す必要があるんですね。まあ、その分、観光にあんまり染まっていないエリアでしょうか。<br />

    続いては、ネコノテパン工場へ。どこをどうやって行ったのかわからなくなるくらいくねくねとした道を行きました。
    つまり、千光寺に向かっては、千光寺通りや猫の細道、新千光寺道とかそれなりに知られた坂道がありますが、ネコノテパン工場はそのどれでもないので、はっきりとここを目指す必要があるんですね。まあ、その分、観光にあんまり染まっていないエリアでしょうか。

  • さて、お店は小さいですが通りに沿ったガラス窓から店内の作業風景がみえたりしてちょっと雰囲気はありますね。そして、店内はそれこそ猫の額ほどの売り場にピカピカのパンがキレイに並んでいました。いただいたのは、キイチゴのアンパン。ちょっとハード系かな。キイチゴの酸味と餡子が程よいバランス。腹に収まるとまた坂道を上がる元気が出てきました。

    イチオシ

    さて、お店は小さいですが通りに沿ったガラス窓から店内の作業風景がみえたりしてちょっと雰囲気はありますね。そして、店内はそれこそ猫の額ほどの売り場にピカピカのパンがキレイに並んでいました。いただいたのは、キイチゴのアンパン。ちょっとハード系かな。キイチゴの酸味と餡子が程よいバランス。腹に収まるとまた坂道を上がる元気が出てきました。

  • ここから尾道市立美術館を目指します。<br />これがまたけっこうな坂の石段で、もうヘトヘト。まあ、朝から歩き通しですからね~

    ここから尾道市立美術館を目指します。
    これがまたけっこうな坂の石段で、もうヘトヘト。まあ、朝から歩き通しですからね~

  • なんとか辿りついて。<br />尾道市立美術館は千光寺公園の一番高いところですよね。<br />

    なんとか辿りついて。
    尾道市立美術館は千光寺公園の一番高いところですよね。

  • 「写真のまち尾道四季展作品展」という無料の企画展をやっていましたが、作品を拝見すると尾道は至る所に無尽蔵と言っていいくらいフォトスポットがあって、改めてそのすごさに気が付かされた感じ。<br />中世からの歴史を持つ寺町であり、瀬戸内海の海の香りも漂う港町。かつての商人の賑わいを感じつつも、路地の静けさに癒される街。過去を留めているだけではなくて、新しい価値の創造もできる街。そして、何よりもそうした多面的な魅力を具体的に美しい街の景色として表現しているというのが決定的なことなんでしょうね。

    「写真のまち尾道四季展作品展」という無料の企画展をやっていましたが、作品を拝見すると尾道は至る所に無尽蔵と言っていいくらいフォトスポットがあって、改めてそのすごさに気が付かされた感じ。
    中世からの歴史を持つ寺町であり、瀬戸内海の海の香りも漂う港町。かつての商人の賑わいを感じつつも、路地の静けさに癒される街。過去を留めているだけではなくて、新しい価値の創造もできる街。そして、何よりもそうした多面的な魅力を具体的に美しい街の景色として表現しているというのが決定的なことなんでしょうね。

  • で、この建物も外光を目いっぱいに取り入れる開放的な空間が素晴らしい。ホールから尾道水道を眼下に眺める景色もお見逃しなく。 

    で、この建物も外光を目いっぱいに取り入れる開放的な空間が素晴らしい。ホールから尾道水道を眼下に眺める景色もお見逃しなく。 

  • 美術館を出て、千光寺の方に向かいます。<br />これは、鼓岩。通称、ポンポン岩。岩越しに尾道水道を眺めるこのアングルは、尾道を代表する眺めの一つですよね。

    美術館を出て、千光寺の方に向かいます。
    これは、鼓岩。通称、ポンポン岩。岩越しに尾道水道を眺めるこのアングルは、尾道を代表する眺めの一つですよね。

  • そのさきのカーブを曲がると

    そのさきのカーブを曲がると

  • 千光寺の境内です。

    千光寺の境内です。

  • 本堂に向かって

    本堂に向かって

  • 石段を上がります。

    石段を上がります。

  • 本堂からは、尾道水道から尾道大橋が一望。

    本堂からは、尾道水道から尾道大橋が一望。

  • さらに松の参道を通って、

    イチオシ

    さらに松の参道を通って、

  • 大師堂から

    大師堂から

  • 出たところが赤い鐘楼。<br />麓からだとこの鐘楼はよく目立っていますからね。

    出たところが赤い鐘楼。
    麓からだとこの鐘楼はよく目立っていますからね。

  • 千光寺は久しぶりですけど、ざっと確認すればOK。<br />千光寺通りを下ります。<br />

    千光寺は久しぶりですけど、ざっと確認すればOK。
    千光寺通りを下ります。

  • 下り始めてすぐのみはらし亭。名前の通り、眺めの良い場所に建つ古民家カフェですが、お昼のみの営業時間11~15時がちょうど終わったところでした。<br />

    下り始めてすぐのみはらし亭。名前の通り、眺めの良い場所に建つ古民家カフェですが、お昼のみの営業時間11~15時がちょうど終わったところでした。

  • ただ、隣りに書斎のような立ち寄りスペースがあって、

    ただ、隣りに書斎のような立ち寄りスペースがあって、

  • 入ってみるとなんかいい感じ。<br />尾道でしゃれた暮らしをしたらこんな感じなのかなあとか想像が膨らみます。

    入ってみるとなんかいい感じ。
    尾道でしゃれた暮らしをしたらこんな感じなのかなあとか想像が膨らみます。

  • さらに少し下ると

    さらに少し下ると

  • 中村憲吉旧居の入り口がありまして。奥に進むと鍵のかかった門の向こうに小さな家屋が見えました。中の拝観はやっているのかあ。よくわかりません。<br />ちなみに、中村憲吉はアララギ派のリーダー。日本歌人の第一人者であったのですが、尾道での療養もむなしく、46才で亡くなっています。

    中村憲吉旧居の入り口がありまして。奥に進むと鍵のかかった門の向こうに小さな家屋が見えました。中の拝観はやっているのかあ。よくわかりません。
    ちなみに、中村憲吉はアララギ派のリーダー。日本歌人の第一人者であったのですが、尾道での療養もむなしく、46才で亡くなっています。

  • 途中で猫の細道の方に入って行くと

    途中で猫の細道の方に入って行くと

  • 天寧寺の三重塔。これも尾道を代表する眺めの一つかな。

    天寧寺の三重塔。これも尾道を代表する眺めの一つかな。

  • で、最後は艮神社。<br />尾道のパワースポットです。

    で、最後は艮神社。
    尾道のパワースポットです。

  • ロープーウェイ山麓駅が見えると<br />もうここは下界ですよね。

    ロープーウェイ山麓駅が見えると
    もうここは下界ですよね。

  • ここで千光寺山ロープウェイ 山麓駅前の大人気カフェ茶房こもんを訪ねると、この日はコロナ禍で休業中。<br />ただ、近くに姉妹店のガレットゥーリコモンがあって、そちらで茶房こもんの名物ワッフルを買って帰ることにします。<br />

    ここで千光寺山ロープウェイ 山麓駅前の大人気カフェ茶房こもんを訪ねると、この日はコロナ禍で休業中。
    ただ、近くに姉妹店のガレットゥーリコモンがあって、そちらで茶房こもんの名物ワッフルを買って帰ることにします。

  • これがガレットゥーリコモン。

    これがガレットゥーリコモン。

  • まずは、アイスクリームのテイクアウトがあったので、バニラのアイスをいただきます。うーん、このさわやかな味わいはけっこうインパクトあり。ちょっと量が少ないのは気になりますが、それでもこれなら満足感は十分得られます。

    まずは、アイスクリームのテイクアウトがあったので、バニラのアイスをいただきます。うーん、このさわやかな味わいはけっこうインパクトあり。ちょっと量が少ないのは気になりますが、それでもこれなら満足感は十分得られます。

  • そして、ワッフル。<br />お店の人に「ガレットゥーリコモンのワッフルと茶房こもんのワッフルはどう違うんですか」と尋ねると「茶房こもんのワッフルはアイスクリームと合わせてありますが、ガレットゥーリコモンのワッフルは生クリームと合わせています」という答え。<br />なるほど、ワッフル自体は落ち着いて穏やかな味わい。私はちょうどガレットゥーリコモンのバニラアイスをいただいた後なので、それと組み合わせた味を想像してみました。なるほど、それなら穏やかさと爽やかさの組み合わせ。かなりおいしいなとリアルに想像できました。

    そして、ワッフル。
    お店の人に「ガレットゥーリコモンのワッフルと茶房こもんのワッフルはどう違うんですか」と尋ねると「茶房こもんのワッフルはアイスクリームと合わせてありますが、ガレットゥーリコモンのワッフルは生クリームと合わせています」という答え。
    なるほど、ワッフル自体は落ち着いて穏やかな味わい。私はちょうどガレットゥーリコモンのバニラアイスをいただいた後なので、それと組み合わせた味を想像してみました。なるほど、それなら穏やかさと爽やかさの組み合わせ。かなりおいしいなとリアルに想像できました。

  • ここからもう少し古寺めぐり。<br />善勝寺は、天平時代(729~749)の創建と伝わるとんでもない古刹。市街を見下ろすちょっとした高台です。<br />

    ここからもう少し古寺めぐり。
    善勝寺は、天平時代(729~749)の創建と伝わるとんでもない古刹。市街を見下ろすちょっとした高台です。

  • 現在は真言宗の寺で、四国八十八ヶ所御砂踏霊場も。天正年間には千光寺山城主の菩提寺だったともありましたが、なんとなくそうした歴史の威厳は感じられて境内もそれなりにきちんとしていると思います。

    現在は真言宗の寺で、四国八十八ヶ所御砂踏霊場も。天正年間には千光寺山城主の菩提寺だったともありましたが、なんとなくそうした歴史の威厳は感じられて境内もそれなりにきちんとしていると思います。

  • 帰りに、山門から市街を見渡すとこんな感じ。さりげなく雰囲気のある良い眺めです。

    帰りに、山門から市街を見渡すとこんな感じ。さりげなく雰囲気のある良い眺めです。

  • 正授院は、ロープーウェイ山麓駅から東へ向かって石見銀山街道に出たところ。<br />応永元年(1394)に創建された浄土宗のお寺。

    正授院は、ロープーウェイ山麓駅から東へ向かって石見銀山街道に出たところ。
    応永元年(1394)に創建された浄土宗のお寺。

  • 大通りに面しているし、穏やかな雰囲気がありますが、境内にはこんもりと石材が積み上げられた石造常念物五万日廻向塔。それがちょっとしたポイントです。

    大通りに面しているし、穏やかな雰囲気がありますが、境内にはこんもりと石材が積み上げられた石造常念物五万日廻向塔。それがちょっとしたポイントです。

  • 東に向かって、さらに足を延ばします。<br />久保八幡神社は、貞観年間(859年~877年)の創建。<br />

    東に向かって、さらに足を延ばします。
    久保八幡神社は、貞観年間(859年~877年)の創建。

  • 線路を越えて行く境内には二対の石造り灯籠が立っていてシャープな造形が美しいですね。奥の方の灯籠は足元に軍配が彫られていて、これは尾道の石工が彫り上げたもの。軍配灯籠というのだそうです。

    線路を越えて行く境内には二対の石造り灯籠が立っていてシャープな造形が美しいですね。奥の方の灯籠は足元に軍配が彫られていて、これは尾道の石工が彫り上げたもの。軍配灯籠というのだそうです。

  • 本殿もしっかりした構えです。

    本殿もしっかりした構えです。

  • 八坂神社は、本通り商店街の方に戻ったエリア。<br />境内の手前にかんざし灯籠というのがあって、悲しい伝説が紹介されていました。<br /><br />浜問屋の若旦那が恋をしたお茶子。しかし、かんざしひとつないお茶子を見た親はその恋を許さない。お茶子は井戸に身を投げ、「かんざしを下さい」と悲しい声で訴える幽霊となったのだとか。

    八坂神社は、本通り商店街の方に戻ったエリア。
    境内の手前にかんざし灯籠というのがあって、悲しい伝説が紹介されていました。

    浜問屋の若旦那が恋をしたお茶子。しかし、かんざしひとつないお茶子を見た親はその恋を許さない。お茶子は井戸に身を投げ、「かんざしを下さい」と悲しい声で訴える幽霊となったのだとか。

  • かんざし灯籠はそのお茶子の霊を慰めるために奉納されたものだということです。

    かんざし灯籠はそのお茶子の霊を慰めるために奉納されたものだということです。

  • キャッスルロックは、八坂神社の門前。紺の外観がロックっぽいパン屋さんです。

    キャッスルロックは、八坂神社の門前。紺の外観がロックっぽいパン屋さんです。

  • 品数は少なめですが、ビッグなクロワッサンをいただきました。しかし、これがバターの香りがしっかりあって、サクサク感も半端ない。まさに絶品のクロワッサンでした。いやいや、尾道の名店はまだまだいろんなところにあるんだなと実感しました。

    品数は少なめですが、ビッグなクロワッサンをいただきました。しかし、これがバターの香りがしっかりあって、サクサク感も半端ない。まさに絶品のクロワッサンでした。いやいや、尾道の名店はまだまだいろんなところにあるんだなと実感しました。

  • さてこれで尾道の散策も終了。<br />本通り商店街を抜けて

    さてこれで尾道の散策も終了。
    本通り商店街を抜けて

  • 最後、林芙美子像を拝見して尾道駅へ。<br />カバンと傘を置いて、しゃがんだ姿に、「海が見える 海が見えた 五年振りに見る尾道の海は懐かしい」の放浪記の鮮やかな一節。尾道高等女学校を卒業後、上京して苦労の末、華を咲かせた林芙美子と尾道の関係をこれほど的確に表現しているものはないですよね。尾道に新たな魅力を添えてくれた林芙美子の功績も小さくないものがあると思います。<br />以上で、本日もおしまい。お疲れ様でした。

    最後、林芙美子像を拝見して尾道駅へ。
    カバンと傘を置いて、しゃがんだ姿に、「海が見える 海が見えた 五年振りに見る尾道の海は懐かしい」の放浪記の鮮やかな一節。尾道高等女学校を卒業後、上京して苦労の末、華を咲かせた林芙美子と尾道の関係をこれほど的確に表現しているものはないですよね。尾道に新たな魅力を添えてくれた林芙美子の功績も小さくないものがあると思います。
    以上で、本日もおしまい。お疲れ様でした。

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