2025/03/18 - 2025/03/18
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杏仁豆腐さん
「浅草寺本尊示現会」は、推古天皇36年(西暦628年)3月18日の早朝、檜前浜成・武成の兄弟が江戸浦(隅田川下流の宮戸川)で漁をしていたところ、一躰の仏像を投網の中に発見し、土師真中知がこれを拝して聖観世音菩薩の尊像であることを知り、従者と共に槐(えんじゅ)の木の切り株に尊像を安置したという「浅草寺縁起」に基づいた行事です。
浅草寺本尊の観音さまが推古天皇36年(628)3月18日にお姿をあらわされた(示現)ことから、それを祝い、毎年3月18日に行なわれる法要が、本尊示現会(ほんぞんじげんえ)です。
目の前で宮神輿三基を見ることができ、金龍の頭も触ることが出来、縁起の良い一日となりました。
☆2017年の金龍の舞
浅草寺「金龍の舞」奉演☆グリル グランド☆2017/10/18
https://4travel.jp/travelogue/11295690
☆2019年の金龍の舞
浅草寺「菊供養会」「金龍の舞」☆グリル グランド☆2019/10/18
https://4travel.jp/travelogue/11556612
☆2023年の金龍の舞
浅草寺「金龍の舞」奉演☆グリル グランド☆2023/10/18
https://4travel.jp/travelogue/11860886
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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浅草神社に着くと、ちょうど宮入り渡御(とぎょ)です。
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宮神輿三基「一之宮」「二之宮」「三之宮」がやって来ます。
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一之宮です。
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現在の神輿は、一之宮・二之宮が昭和25年に、三之宮が昭和28年に氏子により奉納されたものです。
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「浅草寺縁起」によれば、江戸浦(隅田川)で、漁師である檜前浜成、竹成兄弟が引く網に金色に輝く一躰の仏像がかかり、兄弟はこれを掬い上げました。この仏像について土地の長である土師中知に尋ねると、聖観世音菩薩像とわかり、中知は出家してこの尊像を祀りました。これが浅草寺の草創です。本尊の示現に関わった3名は、後に神として祀られることになりました。その社が三社権現、つまり現在の浅草神社です。現在、「三社祭」は5月に行なわれていますが、明治の神仏分離以前は、草創の由来から3月18日を中心にした祭でした。
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3月17日の夕刻、浅草神社神官神霊入れの儀斎行の後、本社神輿三基を氏子衆によりたいまつで照らされた浅草寺本堂外陣へ「堂上げ」されました。
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3月18日、本堂外陣に納められた一之宮(土師真中知命)、二之宮(檜前浜成命)、三之宮(檜前武成命)のご神体は、本尊の御前で一晩お泊まりし、浅草神社宮司祝詞奏上・浅草寺一山読経の後、本堂より「堂下げ」して浅草寺境内に安置されます。そして夕刻に宮神輿三基は氏子衆の手により浅草神社に還御されます。
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太鼓も来ました。
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三之宮
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神輿の笹を取っています。
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台車に乗ってきた神輿が担がれます。
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神輿が鳥居をくぐって、浅草神社の境内に入っていきます。
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目の前で鳳凰が揺れています。
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神輿が上下に揺れ続けます。
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皆さん楽しそうに担いでいます。
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迫力があります。
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浅草神社に一之宮、二之宮、三之宮が揃い踏みです。
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三之宮
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二之宮
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一之宮
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さて、次は金龍の舞を見ます。
「金龍の舞 奉演」が始まります。
ちょうど、伝法院を出るところです。 -
金龍が仲見世に出てきます。
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迫力があります。
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見物の人たちが待ち受けています。
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金龍の舞は故久保田万太郎の指導の下に演出吉川義雄、作曲町田嘉章、舞の振付藤間友章が担当し、地元の各町青年部有志70余名が斎戒、精魂を傾けて奉演します。
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仲見世を練り歩きます。
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浅草寺の山号を金龍山と言う縁起は「十八日寺辺に一夜にして松千株ほど生ず、三日を過ぎて天より長さ百尺ばかりの金鱗の龍、松のなかにくだりしが、その後あるところをみず、これによって金龍山と言う」ところから出ています。
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金龍の舞は、昭和33年10月昭和本堂が落慶した際、浅草観音慶賛会が後生に永く伝える記念行事として創始奉納したものです。
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お囃子が金龍の舞を盛り上げます。
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金龍は雷門まで行き、折り返してきます。
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長さ15m、重さ80kgの金龍は、観音様の姿に喜び、勇ましい華麗な舞は、宗教的意義が高いといわれています。
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金龍の舞の奉演は3月18日の本尊示現会と10月18日の菊供養の佳日に行われています。
今まで、菊供養の日の金龍の舞は見たことがありましたが、本尊示現会の金龍の舞は初めてです。 -
仲見世は人でいっぱいです。
かなりが外国からの観光客です。 -
2回、金龍の頭にさわることができました。
金龍の頭に触ると縁起がいいそうです。 -
伝法院に戻ると、浅草寺幼稚園の園児たちが待っています。
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金龍は、伝法院に入っていきます。
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金龍と園児たちが記念撮影。
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浅草寺本堂斜め前で奉演。
私が行ったころには、奉演を見る人たちがかなり集まっていました。 -
今までで、一番多くの人がいました。
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金龍の前を見る人たちも外国からの観光客が多いです。
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平日ながら、大盛況です。
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金龍の舞を見ることができ、満足です。
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浅草寺から、創業昭和27年の三船に来ました。
こちらでランチです。 -
カキフライをいただきました。
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スープと漬物が付いています。
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タルタルとソースでいただきました。
パスタが付いています。 -
食後は珈琲で。
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竹松鶏肉店に来ました。
創業130年の老舗です。 -
こちらで焼鳥を買いました。
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隅田公園 言問橋西側に来ました。
東京大空襲戦災犠牲者追悼碑があります。 -
戦災により亡くなられた方々の碑
台東区浅草七丁目一番
隅田公園のこの一帯は、昭和二十年三月十日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。
第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民浅草区民)は多数に及んだ。
亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後だびに付され
東京都慰霊堂(墨田区)に納骨された。
戦後四十年、この不幸な出来事や忌わしい記憶も、年毎に薄れ、平和な繁栄のもと
に忘れ去られようとしている。
いま、本区は、数少ない資料をたどり、区民からの貴重な情報に基づく戦災死者名簿を調製するとともに、この地に碑を建立した。
昭和六十一年三月 台東区 -
言問橋の縁石
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言問橋の縁石
ここに置かれているコンクリート塊は1992年言問橋の欄干を改修した際にその基部の縁石を切り取ったものです。1945年3月10日、東京大空襲のとき言問橋は猛火に見舞われ、大勢の人が犠牲になりました。
この縁石は当時の痛ましい出来事の記念石として、ここに保存するものです。 -
言問橋を渡ります。
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三囲神社石造鳥居(堤下の大鳥居)
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大寒桜が咲いています。
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寒緋桜
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もうしばらくすると、染井吉野も咲き始めます。
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「長命寺桜もち 山本や」に来ました。
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桜もちの由来は、当店の創業者山本新六が享保二年(1717年)に土手の桜の葉を樽の中に塩漬けにして試みに桜もちというものを考案し、向島の名跡・長命寺の門前にて売り始めました。
その頃より桜の名所だった隅田堤(墨堤通り)は花見時には多くの人々が集い、桜もちが大いに喜ばれました。 -
創業以来変わらない素材と製法です。
「もち」は小麦粉製の薄皮
「小豆」は北海道産
「葉」は西伊豆・松崎産オオシマザクラ -
「葉をはずして、お餅にうつった桜葉の香りと餡の風味をお楽しみください。
桜葉は、お餅の香りづけと乾燥を防ぐためにつけてあります。」
とのことです。 -
河津桜
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冬桜は咲き始め
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見番通りにある、手焼きせんべいのいりむら。
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大正3年に開業した老舗の煎餅屋です。
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生醤油煎餅を買いました。
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本当に美味しい煎餅です。
生醤油の香、味わい、文句なしです。 -
すみだ郷土文化資料館に来ました。
1998年(平成10年)に開館しました。 -
企画展「東京大空襲80年-新たな記録を探し続けて-」を開催中。
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東京大空襲から80年を迎えるのを機に、新たに紹介するものを含め様々な資料から空襲の被害の大きさを伝え、空襲について改めて考える機会を提供する展示です。
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特集展示「石碑でたどる隅田堤植桜の歴史」も開催中。
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隅田堤の桜は、享保10年(1725)に木母寺境内と隣の御前栽畑に江戸城御庭の桜樹が移されたことが始まりです。
その後、18世紀末から徐々に南に延びていき、明治初期には、旧水戸藩邸側の現在の枕橋に到達しました。
今回の展示では、木母寺境内の石碑や墨堤常夜灯など隅田堤周辺の5つの石碑を中心に据えながら、当館所蔵の浮世絵と一緒に川、船、堤と桜が織りなす春の隅田堤の情景を紹介していきます。
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