2021/11/13 - 2021/11/14
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aliceさん
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この旅行記スケジュールを元に
ずっと行ってみたかった松本。
しかし名古屋まで新幹線でそこから特急に乗り換え、とちょっと時間のかかる行程になかなか重い腰が上がらず。
そんなとき、8月末より神戸ー松本線が1日1往復から朝夕2往復に増便と知り、それなら楽に行けるやん!ということで涼しくなった頃に日程を決めました。
旧開智学校や松本市美術館、松本市立博物館が改修・移転にて休館中と見どころが減ってしまって残念でしたが、2日間お天気も良く、行きたかったところは全部回れたのでよかったです。
- 旅行の満足度
- 4.0
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深志の湧水
2015年に整備された松本駅お城口前広場にある湧水井戸です。
こちらでペットボトルに給水しました。深志の湧水 名所・史跡
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駅前のバスターミナルにてタウンスニーカー1日乗車券(500円)を購入。
1回200円なので、3回乗ると元が取れます。
朝早い時間帯でタウンスニーカーは運行開始前、路線バスもちょうどいい時間がなかったので、歩いてお城へ向かいました。タウンスニーカー 乗り物
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途中のパントリー マルナカへ寄り道。
パントリー マルナカ グルメ・レストラン
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牛乳パンが欲しかったのですが、朝焼き上がった分は完売。
12時に焼き上がる分が予約できたので、予約して後ほど受け取ることに。パントリー マルナカ グルメ・レストラン
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大名町通りから松本城へ。
国宝松本城 名所・史跡
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朝早くから沢山の人が訪れていました。
国宝松本城 名所・史跡
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8時半開城で、15分前に到着。
まだ誰も並んでいなかったので、一番乗りで並びました。
その後みなさん続々と並び始めて、開城時間にはそこそこの行列になっていました。国宝松本城 名所・史跡
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この日は大天守1~3階と乾小天守が、防火設備整備工事のため観覧制限あり。
国宝松本城 名所・史跡
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タウンスニーカー1日乗車券の提示で入場料の割引あり。
入城料:700円→630円国宝松本城 名所・史跡
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松本城
天守の築造年代は文禄2~3年(1593~4)と考えられ、五重六階の天守が現存している日本最古の城です。
松本城は、戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりです。
世が戦乱に向かうと、信濃の守護・小笠原氏は信濃府中と言われた井川にあった館を東山麓の林(今の里山辺)に移します。
その家臣らは林城を囲むように支城を構え、守りを固めました。
深志城も林城の前面を守るために造られたのです。
その後、甲斐の武田信玄が小笠原長時を追い、松本平を治める拠点として深志城を選んで信濃支配を目指しますが、天正10年(1582)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、名を松本城と改めました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉が天下を統一すると、徳川家康を関東に移封しました。
このとき松本城主・小笠原秀政が家康に従い下総へ移ると、石川数正・康長父子が代わって入城し、城と城下町の整備を進め、近世城郭としての松本城の基礎を固めました。国宝松本城 名所・史跡
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松本城天守群は、大天守(だいてんしゅ)・乾小天守(いぬいこてんしゅ)・渡櫓(わたりやぐら)・辰巳附櫓(たつみつけやぐら)・月見櫓(つきみやぐら)の五棟で形成されています。
大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守です。
大天守と乾小天守、その両者をつなぐ渡櫓は、戦国時代末期に築造され、辰巳附櫓と月見櫓は、江戸時代初めに造られたと考えられています。
豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により創建された大天守・乾小天守・渡櫓は、文禄2~3年(1593~4)にかけて築造されたというのが松本市の公式見解です。
これら三棟は、江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。
戦国期と江戸期という性格の違う時代の天守・櫓が複合された天守群は我が国唯一で、松本城の歴史的な特徴のひとつです。
これらの天守群は、昭和4年(1929)に制定された「国宝保存法」により、昭和11年(1936)4月20日国宝に指定されました。国宝松本城 名所・史跡
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渡櫓から入城します。
乾小天守
大天守の柱はすべて角柱ですが、乾小天守には角柱とともに丸太柱が使われています。
梁にも丸太が使われています。
一階の中央にある管柱(その階だけの柱)は創建当時の栂の丸太柱です。
乾小天守は耐震診断結果を受け、現在非公開。
渡櫓から1階部分が覗けるのみでした。国宝松本城 名所・史跡
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急な階段を上って大天守へ。
国宝松本城 名所・史跡
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1階母屋部分は工事中。
国宝松本城 名所・史跡
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武者走りとそれより一段約45センチメートル高い母屋部分。(左端にちらっと見えている部分が母屋)
母屋部分が高くなっているのは、土台を二重に入れたためです。
床下を見ると二重に組み合わせた土台が確認できます。国宝松本城 名所・史跡
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石落
石落は、石垣を登る敵兵に石を落としたり、熱湯等をかけたりして、天守を守る装置でした。
戦いの主要武器が火縄銃となった戦国末期にはここから這い上る敵兵に火縄銃を撃ったと考えられています。
松本城には渡櫓・乾小天守・大天守各一階に合計11か所の石落が備えられています。
石垣の両隅と中間にあり、内ぶたを開けると内部から約57度の傾斜をもつ石垣をみることができます。国宝松本城 名所・史跡
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石落
下を覗き込んだ写真がなぜか撮れていなかった…国宝松本城 名所・史跡
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鉄砲狭間と矢狭間
国宝松本城 名所・史跡
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武者走りを進むといくつかの展示ケースがあります。
昭和の修理の際に取り替えられた材などの資料が展示されています。
天守の壁
昭和の修理の際に切り取られた大天守二階の壁です。
厚さは29cmと分厚く、中にはナルと呼ばれる縄を組み込んで泥を塗り、白漆喰で仕上げています。
更に外側にはもう一段漆喰壁があり、これは明治の修理の時に足したものです。国宝松本城 名所・史跡
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鯱瓦(しゃちがわら)
この鯱は大天守につけられていたものです。
鯱は火災の際に水を吐くという想像上の魚で、口が空いているのが雄、閉じているのが雌です。
松本城の鯱は南側が雄、北側が雌で、雌の方が若干小さく作られています。
現在据えられているものは、乾小天守の鯱を模倣して製造されたものです。国宝松本城 名所・史跡
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土台支持柱
天守台の中に埋め込まれた16本の栂の柱のうちの1本です。
昭和に行われた発掘調査では、この土台支持柱の大部分が腐食し、形を成していたのはこの1本だけでした。
この柱が腐食していたため、重さ1000トンの天守は耐え切れず傾き始めたと考えられます。 -
蕪懸魚(かぶらげぎょ)
懸魚は本来中国では火災除けに魚の形をしていますが、日本では蕪の形を用いてきました。
天守を外から見た時についている三角の破風と呼ばれる部分についています。
ここに展示されているものは、昭和の修理で取り替えられたものです。国宝松本城 名所・史跡
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2階も母屋部分は工事中。
「松本城鉄砲蔵」の展示が観られなくて残念。
東側の武者窓から見た本丸庭園。国宝松本城 名所・史跡
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2階西側の武者窓から見た埋橋。
捨て瓦(すてかわら)
屋根の上に平瓦が敷かれているところが幾ヶ所かあります。
この瓦は「捨て瓦」といいます。
上の階の屋根から雪が凍ってすべり落ち平瓦や丸瓦をいためる可能性があるので、昭和の大修理の際に保護のために置かれました。国宝松本城 名所・史跡
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5階の千鳥破風。
城内は一方通行で、最上階まで一気に上って下りていきながら各階を見ていく、といった動線になっているのでどんどん上っていきました。国宝松本城 名所・史跡
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六階
最上階まで来ました。国宝松本城 名所・史跡
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東側
国宝松本城 名所・史跡
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本丸庭園方面
国宝松本城 名所・史跡
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南側
国宝松本城 名所・史跡
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大名町通り方面
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西側
国宝松本城 名所・史跡
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JR方面
国宝松本城 名所・史跡
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北側
国宝松本城 名所・史跡
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旧開智学校方面
写真では空いているように見えますが、人のいないタイミングで撮ったため。
広さもそこまであるわけではなく、実際はだいぶ混雑していました。
下りの階段は行列ができる程でした。国宝松本城 名所・史跡
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国宝指定書(写)
松本城は昭和5年(1930)に国宝保存法によって国宝に指定され、戦後の昭和27年(1952)に現在の文化財保護法によって再指定されました。
大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓の五棟すべてが国宝に指定されています。国宝松本城 名所・史跡
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二十六夜神
元和3年(1617)松本に入封した戸田氏がまつったとされています。
月齢26日の月を拝む信仰で、戸田氏は毎月3石3斗3升3合3勺(約500kg)の米を炊いて供えたといわれています。
関東地方に盛んだった月待信仰が持ちこまれたものと解されています。
桔木(はねぎ)構造
屋根裏を見上げると太い梁が井の字の形に組まれ(井桁梁/いげたばり)、四方へ出て軒をつくる垂木の下に、さらに太い桔木が外側に向かって放射状に配置されています。
これは天守最上階の重い瓦屋根の軒先が下がらないように支えるため、テコの原理を使った装置です。
屋根の中央部分の重量が力点にかかり、作用点は軒先になります。
この仕組みは鎌倉時代の寺院建築から採用されています。
乾小天守四階にも同じ桔木構造があります。国宝松本城 名所・史跡
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「天守櫓拝借懇願書」「建言書」(ともに写)
明治時代に松本城天守で行われた博覧会の際に提出されたものです。
原本は松本市立博物館で常設展示されています。
松本城は235両あまり(米価比較で約400万円)で落札され、取り壊しの危機にあいました。
下横田町の副戸長、市川量造は天守を守るため5回にわたって松本城天守で博覧会を開き、その収益と寄附金で天守の買い戻しに成功しました。国宝松本城 名所・史跡
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五階
国宝松本城 名所・史跡
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作戦会議室
この階には、東西に千鳥破風、南北に唐破風が取り付けられ、室内には破風の間があり、武者窓から全方向の様子を見ることができます。
三間三間の空間があり、戦いのときには、重臣たちが作戦会議を行う場所として考えられています。国宝松本城 名所・史跡
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千鳥破風の間。
国宝松本城 名所・史跡
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左側に見えるのが唐破風の間。
国宝松本城 名所・史跡
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天井は高さがあります。
国宝松本城 名所・史跡
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四階
国宝松本城 名所・史跡
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御座所
城主が天守に入ったときはここに座を構えたと考えられています。
ただし、客人の接待場所ではありません。
戦時に城主がここに籠る場合は、天守も戦闘の最終局面を迎えることになりました。
三間×三間となっていて、小壁をおろし、内法長押を廻しています。国宝松本城 名所・史跡
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城主は東を向いて座る形です。
国宝松本城 名所・史跡
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4階には南側1ヶ所に千鳥破風が付けられています。
国宝松本城 名所・史跡
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4階東側の武者窓から見た本丸庭園。
国宝松本城 名所・史跡
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三階:二重目の屋根の下に隠れ窓のない階
ここは乾小天守三階と同じく下から二重目の屋根がこの階の周囲を巡ってつくられているため窓が作れません。
隠し階、暗闇重などと呼ばれています。
戦時は倉庫・避難所としてつかわれたと考えられています。
手斧削りによる貝殻状の「はつり紋」が美しく浮かび上がります。
3階も工事中につき、武者走りを通り抜けるのみ。
はつり紋も見られず残念。国宝松本城 名所・史跡
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辰巳附櫓
泰平の世になって増設された櫓です。
一階の南側に立ってみると、戦国時代なら石落を作る場所ですが、板敷きになっていて石落は設置されていません。
この櫓は月見櫓を天守に付設するための連結の役割をもっていました。
外側から見ると辰巳附櫓の南側は「側土台」上に持ち出して、櫓が築かれています。国宝松本城 名所・史跡
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辰巳附櫓2階では、故赤羽夫妻寄贈の兵装品を展示しています。
壁には明治になって描かれた幕末ごろの松本城の様子が描かれた絵も展示されています。国宝松本城 名所・史跡
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花頭窓
中国から鎌倉時代に伝えられた仏教建築の様式で、天守建築では格式の高い窓とされています。
乾小天守の四階にもこの窓がつけられています。国宝松本城 名所・史跡
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食器や古銭や瓦
国宝松本城 名所・史跡
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火薬入れや口薬入れ
国宝松本城 名所・史跡
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笠や玉箱や望遠鏡
国宝松本城 名所・史跡
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月見櫓
国宝松本城 名所・史跡
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武備のない櫓、舞良戸(まいらど)
徳川家光は寛永11年(1634)に上洛し、その帰り道に善光寺参詣を願い、宿城として松本城を宛てることになりました。
時の松本城主・松平直政は、急遽寛永10年(1633)から普請にかかったと伝えられています。
しかし、家光は中山道木曽路等に落石があり、来松しなかったといいます。
戦いのない江戸時代初期に築造されたため、戦いに備えて造られた天守とは大きな違いがあります。
東西四間×南北三間で、月見櫓の北側、東側、南側の三方向が開口部ですが、柱と舞良戸という横に桟(さん)を打った薄い板戸だけの建物です。
月見をするときは、この舞良戸を外し、畳敷きの部屋で東から昇る月を愛でたのでしょう。国宝松本城 名所・史跡
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日当たりがよくて気持ちいい。
国宝松本城 名所・史跡
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刎ね勾欄(はねこうらん)
月見櫓の三方を朱色の漆が塗られた刎ね勾欄を施した回縁が巡り、見るからに泰平な世の建造物であることを感じさせます。国宝松本城 名所・史跡
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とっても見晴らしがいいです。
国宝松本城 名所・史跡
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お月見だけでなく、桜や紅葉も楽しめそう。
国宝松本城 名所・史跡
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眺めが素晴らしくてずっといたかったくらい。
国宝松本城 名所・史跡
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月見櫓から外へ下ります。
国宝松本城 名所・史跡
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月見櫓の石垣
国宝松本城 名所・史跡
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月見櫓の刎ね勾欄
国宝松本城 名所・史跡
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お城の中でも特に石垣が歴史を感じられるから好き。
国宝松本城 名所・史跡
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滴水瓦(てきすいがわら)
滴水瓦とは、瓦の軒に面する部分が逆三角形をしていて雨水がしたたり落ちやすい形に作られた瓦です。
秀吉の朝鮮出兵に参戦した大名たちが築いた城に突如多く用いられるようになり、関ヶ原合戦以降大名の配置転換により全国に広まったといわれています。(一般的には雨落瓦といわれています)国宝松本城 名所・史跡
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月見櫓と辰巳附櫓と大天守
国宝松本城 名所・史跡
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軒丸瓦を一つ一つ見ると、家紋が違っていて面白い。
国宝松本城 名所・史跡
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天守・乾小天守・渡櫓の石垣は修理を施していますが、400年前に積まれたままで積み替えは行われていません。
天守台の石垣は野面積(乱積)で未加工の自然石を使用した石垣です。
傾斜も緩いです。
天守台四隅は算木積(さんぎづみ)となっています。
長短・長短となるように石を積み上げ、角を整えています。
しかし、不完全な形で後の時代の算木にみられるような規則正しい石の積み方にはなっていません。国宝松本城 名所・史跡
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乾小天守の耐震問題が解消されて公開されたらまた来たいな。
国宝松本城 名所・史跡
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間近で見るとすごい迫力。
国宝松本城 名所・史跡
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何枚も写真を撮ってしまいます。
国宝松本城 名所・史跡
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広角でも撮ってみました。
国宝松本城 名所・史跡
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広角で全景を。
国宝松本城 名所・史跡
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写真を撮っていると、係の方に「あちらの赤くなった紅葉と一緒に撮るといいですよ」と教えていただく。
国宝松本城 名所・史跡
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上手く撮るのがなかなか難しい。
国宝松本城 名所・史跡
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縦にしてもいまいちしっくりこない。
国宝松本城 名所・史跡
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これが限界。
国宝松本城 名所・史跡
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桜の季節もまた素敵なんだろうなぁ。
国宝松本城 名所・史跡
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本丸御殿跡から見た天守。
国宝松本城 名所・史跡
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本当に美しいなぁ。
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青空によく映えます。
国宝松本城 名所・史跡
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この撮影スポットはどの角度が正解なんだろうか…?
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ゆるキャラの角度的にこれが正解かな?
国宝松本城 名所・史跡
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「おもてなし隊」の方たちがポーズをとってくれていたので一枚。
国宝松本城 名所・史跡
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入ってきたときは素通りだった黒門を見ていきます。
国宝松本城 名所・史跡
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内側に甲冑が展示してありましたが、一般的なレプリカで松本城とは関係ないそう。
国宝松本城 名所・史跡
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反対側には登閣記念スタンプがありました。
国宝松本城 名所・史跡
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黒門 一の門
本丸へ入る重要な入り口です。
この門を入るとかつては本丸御殿がありました。
本丸御殿に通じる格調高い正式な門という意味で、当時の最高の色調である黒の名を冠して「黒門」と呼んだと考えられています。
昭和35年(1960)に復興。国宝松本城 名所・史跡
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この黒門の設計図がなかったため、設計を依頼した市川清作氏が、名古屋城の渡り櫓門を参考にしたと言われています。
国宝松本城 名所・史跡
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門の屋根を見上げると歴代城主の家紋の付いた軒丸瓦が見られます。
これは昭和25年~30年に行われた天守解体修理の際、まだ使える瓦を保存して再利用したからです。
その瓦を昭和35年、黒門一の門復興の折に使用したため、いろいろな城主の家紋の付いた軒丸瓦が見られます。
写真では左から小笠原氏、戸田氏、水野氏、戸田氏の家紋が並んでいます。国宝松本城 名所・史跡
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装飾部分には水野氏の家紋。
国宝松本城 名所・史跡
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二の門
内堀を渡ったところにある門で、高麗門です。
平成元年(1989)11月、この門とこれに続く控塀(ひかえべい)がつくられ、枡形が復元されました。国宝松本城 名所・史跡
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この控塀には狭間(さま)が切られ、対岸の敵に備えて火縄銃で攻撃できるようになっています。
国宝松本城 名所・史跡
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最後に一の門を振り返って。
国宝松本城 名所・史跡
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工事中ということもあり、あまりじっくり見られなかったので、工事が全て完了したらまたリベンジしたいです。
その④へ続く…国宝松本城 名所・史跡
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