2021/11/26 - 2021/11/27
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Donkyさん
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日本全国の神社、寺院の数をみると、驚くことにおよそ神社は8万8000、寺院は7万7000にのぼります。神頼みと癒しを求めて人は寺社仏閣を訪ねます。京都はその代表格 神頼みのテーマパークみたいなもので正式に登録されているもので京都市内の神社がおよそ800、寺院がおよそ1700もあります。
癒しを求めて ぶら歩き二日目 2番目の訪問先は 鷹峯 常照寺です。
常照寺のある鷹峯は、優しく緩やかな姿をみせる鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)鷹ヶ峰の南麓一帯で、左大文字山のさらに北、秀吉が築造した「御土居」の外側、京の七口・長坂口の北西部です。
紙屋川が流れ、北丹波を結ぶ街道筋の情景の豊かな地です。また鷹峯一帯は江戸時代初頭の一時期には「光悦村」と呼ばれています。
吉野太夫菩提所 常照寺は吉野太夫ゆかりの寺とも呼ばれています。
六条三筋町(島原の前身)の名妓・吉野太夫は、その才色兼備により一世を風靡した女性と言われています。この吉野太夫を上京の豪商佐野(灰屋)紹益が身請けして、わが妻としました。灰屋紹益は本阿弥光悦の甥である光益の子ですが、佐野紹由の養子となった人。佐野家は藍染の触媒に用いる灰を扱う紺灰屋を家業としていて、屋号を「灰屋」と称しました。この灰屋紹益は、和歌・俳諧・蹴鞠・書・茶の湯などあらゆる芸能に精通した江戸時代初期の知識人、文化人として、光悦を中心とする文化人グループに加わった人物です。その紹益が吉野太夫(松田徳子)を妻にしたのです。紹益は寛永8年(1631)22歳の時に、26歳の太夫を身請けしたそうですから年上女房ということになります。しかし、その吉野太夫は寛永20年(1643)8月25日、38歳で没します。吉野太夫は生前、日乾上人に深く帰依していたそうです。その縁でこの常照寺に吉野太夫の墓地があるのです。
ぶら歩き二日目の午後は象山リゾート京都を満喫します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
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鷹峯 常照寺
「寂光山(じゃっこうざん)常照寺(じょうしょうじ)」の駒札と、この下に小さな石標があります。その石標の正面には、「此の奧に 吉野太夫墓所 帯塚 有り」と刻されています。
吉野太夫菩提所 常照寺は吉野太夫ゆかりの寺とも呼ばれています。 -
山内 案内図
正面には「寂光山常照講寺」と刻され、道路側の側面には、「南無妙法蓮華経」と題目が刻され、基壇には「檀林」という文字が刻されています。
元和2年3月(1616)本阿弥光悦の土地寄進とその子光瑳の発願により、本滿寺13世であり身延山第21世日蓮宗中興の祖である寂照院日乾上人が招じられることになります。 -
寛永4年(1627)に日乾上人を開山として、お寺が建立され、檀林が開設されたのです。「檀林」は「栴檀林(せんだんりん)」の略で、宗僧の学問所(学寮)です。鷹峰檀林と称し、山城六檀林の一つに数えられた旧跡です。
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吉野太夫花供養 : 吉野太夫は生前、日乾上人に深く帰依していたそうです。その縁でこの常照寺に吉野太夫の墓地があります。
常照寺のある鷹峯は、優しく緩やかな姿をみせる鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)鷹ヶ峰の南麓一帯で、左大文字山のさらに北、秀吉が築造した「御土居」の外側、京の七口・長坂口の北西部です。紙屋川が流れ、北丹波を結ぶ街道筋の情景の豊かな地です。また鷹峯一帯は江戸時代初頭の一時期には「光悦村」と呼ばれています。 -
吉野門 : 左側の門柱に「太夫寄進 吉野門」と記された標札が掛けてあります。寛永5年、名妓の二代目吉野太夫が23歳のときに自ら巨財を投じて寄進したと言われる門です。参道の桜はのちに吉野太夫をしのんで植えられたものといわれています。「赤門」とも呼ばれるようです。門は薬医門の形式です。
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帯塚由緒 : 常照寺には帯塚があります。昭和44年に建立された常照寺の帯塚 解説徳島県の吉野川産の自然石「吉野石」です。寺院の案内には以下のことが書かれてあります。
「女性の心の象徴‘帯’に感謝の祈りを捧げる帯塚」 -
帯塚の庭園の左端に衣冠束帯と思える銅像が次に目に止まりました。参道脇には石標が立ち、「吉川観方先生小直衣の像」と刻されています。駒札の後半にもこの像についての説明があります。
「小直衣(このうし)」とは、「狩衣の裾に襴(らん)をつけたもので、狩衣よりも盛儀の所用。上皇や摂政・関白・大臣などが着用した。直衣よりやや小ぶりなのでいう」(『大辞林』三省堂)そんな装束のようです。 -
蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり|日蓮聖人【御遺文】
これは、日蓮聖人の最も有力な信者の一人である四条金吾に宛てたお便りの一節です。 -
元和元年に本阿弥光悦が徳川家康からこの地を与えられ、一族を率いて移住したのですが、
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その翌年には早くもこの鷹ヶ峰に日蓮宗の寺造りを推進するという素早さです。
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この地を芸術村にする一方で、光悦は信仰する日蓮宗の聖域づくり、別天地をめざしたのかもしれません。
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最盛時には、常照寺の広大な境内に大小三十余棟の堂宇が建ち並び、数百人の学僧が勉学に勤しんだといいます。明治5年(1872)の学制発令により宗派を問わず檀林が廃されてからは、この寺も衰微したそうです。
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別名 檀林の寺(だんりんのてら)、吉野の寺(よしののてら)
歴史が 名前の多さにもリンクしています。 -
武士の子と言う吉野太夫(二代目)は幼少のころから禿(かむろ)として抱えられ、十四歳で太夫になったっという、あらゆる芸事に秀で極め、その圧倒的な美貌と格式そして品性を称えられ、遠くは中国・明から恋文まで届いたと言うほど名を知られていたと言い、また、御所に昇殿することまで許される五位の位を持つ稀代の太夫でした。
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吉野は二十六歳の時に光悦とも交流のあった二十二歳の豪商灰屋紹益に身請けされ、駆け落ち同然に結ばれます。やがては吉野のゆかしい人柄や才色兼備さなどを知った紹益の親からの勘当も解け、許されます。この頃の吉野は物語となり井原西鶴の「好色一代男」の人情話や歌舞伎の戯曲などさまざまに残っています。
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そして、僅か十二年後の1643年(寛永二十年)吉野は三十八歳の若さで紹益に先立ちます。残された紹益は悲しみに明け暮れ「都をば花なき里となしにけり吉野の死出の山にうつして」と歌を詠んでいます。常照寺には遺言により日乾上人廟の裏手に「吉野の墓」や「紹益の歌碑」「吉野と夫の灰屋紹益との比翼塚」が立ちます。
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吉野茶会、月釜
吉野太夫花供養などの基盤となる吉野会で、毎月第一日曜に、遺芳庵(吉野席)で吉野茶会、月釜が催されます。 -
吉野太夫ゆかり茶席 遺芳庵 : 名妓・吉野太夫を上京の豪商佐野(灰屋)紹益が身請けして、わが妻としました。佐野家は藍染の触媒に用いる灰を扱う紺灰屋を家業としていて、屋号を「灰屋」と称しました。この灰屋紹益は、和歌・俳諧・蹴鞠・書・茶の湯などあらゆる芸能に精通した江戸時代初期の知識人、文化人として、光悦を中心とする文化人グループに加わった人物です。しかし、その吉野太夫は寛永20年(1643)8月25日、38歳で没します。その吉野太夫ゆかりの茶席です。
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この会は一年間(10回)の会員券を5000円で6月1日(第一日曜)より売り出し、7月第一日曜が初会となります。臨時会費は1000円で毎回どなた様も参加いただけます。
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よそのお茶会と異なり、観光客も気楽に入れる茶会で、風情を楽しめます。
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先生の趣向に依りますが、お抹茶と、普段はしめてある遺芳庵の吉野の丸窓のお席に入って御煎茶や香煎も頂けて、お茶に入る方はその日は拝観料を頂かず、お茶の受け付けで臨時会費(1000円)又は会員証(年間10回5000円)提示で、お茶も拝観も楽しめます。
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お作法は皆様のまねをしていたら、充分です。
※普段は非公開の太夫ゆかりの茶席遺芳庵(いほうあん)には壁一面の大丸窓、底辺が切れて直線の吉野が好んだという吉野窓があります。完全な円と言うのは仏教では「仏」悟りを示すと言い、吉野大夫は完全ではない自分を悟っていたと言います。 -
福徳門 北庭の入り口は「福徳門」
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しょうざんリゾートは、鷹ヶ峯に流れる紙屋川にそって広がる35,000坪の広大な庭園と「食」、体験工房、ウェディングなどを含むリゾート施設です。
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北庭に入るとすぐに目に入る北山台杉、そして随所に配置された紀州石。見事な北山台杉の古木が並んでいます。樹齢450年のものもあるそうです。
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北山台杉、そして随所に配置された紀州石。
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見事な北山台杉の古木が並んでいます。樹齢450年のものもあるそうです。
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随所に配置された紀州石。
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玉亭の北側には湧泉閣からの清流が池に注ぎ込んでいます。峰玉亭をかこむ池に渡された橋を渡れば、間近に建物を眺めることが出来ます。
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しょうざんリゾート京都 茶花園
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盆栽展示
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盆栽色々煩雑
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聴松庵
北山台杉と紀州青石とを贅沢に使い、梅や楓を巧みに配した北庭園は、自然と人工とが見事に調和を見せる変化に富んだ造りで、台杉の林をそぞろに歩くことができる回遊式庭園です。 -
聴松庵
庭園内には、峰玉亭、聴松庵、玉庵などの建物が点在し、3月の梅、6月のしょうぶ、11月の紅葉、冬の雪景色と四季折々の景色が楽しめます。 -
福寿弁財天 福徳弁財天
かつて関西にあった銀行 福徳相互銀行 ネーミングはここから?
現在は(りそなHD傘下)近畿大阪銀行のままです。 -
しょうざんリゾート京都 全景
しょうざんリゾート京都は、結婚式場や料亭・日本庭園などがある施設です。
約35,000坪の敷地には、梅林や紅葉など、四季の魅力を存分に感じることができる庭園にもなっており、川沿いの雰囲気や日本特有の茶屋や座敷の魅力を感じられます。
中国料理から京料理・和食などいろいろなジャンルの料理を、季節の素材に合わせたお食事を頂けます。 -
ここで舞妓さんに遭遇?
舞妓さんに誰でも簡単になれる+撮影会・・・京都ならではの企画です。 -
長い山路の橋、
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庭を散策路に従って北から南に向かうと、北庭とは趣を変え、渓谷を眺めながらの散策路です。
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滝もところどころに見ることが出来ます。ぶら歩き二日目の午後は象山リゾート京都を満喫しました。
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