
2021/06/09 - 2021/06/14
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PROGRESさん
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<父島→母島>父島の南50kmに位置する母島を目指します。約2時間の距離、ははじま丸は航路上にイルカが頻繁に出没することからドルフィンライナーとの別名があります。父島の大村湾には昨日から、ホーバークラフトを使用して補給の訓練をしていた海上自衛隊輸送艦「くにさき」が停泊しています。洋上に出ると、底抜けに明るい青い色「ボニン(無人をボニンと発音したようです)ブルー」がまぶしいです。母島が見えてきました。東京から南に1050km。標高463m、人口は460人です。1944年太平洋戦争の際、母島は強制疎開で無人島になり、日本返還後4年経った1972年にようやく定住が復活しました。長い期間、無人島だった母島は、父島よりさらに自然が残されているとのことです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- 船 徒歩
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<父島→母島>父島の南50kmに位置する母島を目指します。約2時間の距離、ははじま丸は航路上にイルカが頻繁に出没することからドルフィンライナー(写真)との別名があります。
二見港 乗り物
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父島の大村湾には昨日から、ホーバークラフトを使用して補給の訓練をしていた海上自衛隊輸送艦「くにさき」が停泊しています。
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洋上(写真)に出ると、底抜けに明るい青い色「ボニン(無人をボニンと発音したようです)ブルー」がまぶしいです。
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母島(写真)が見えてきました。東京から南に1050km。標高463m、人口は460人です。1944年太平洋戦争の際、母島は強制疎開で無人島になり、日本返還後4年経った1972年にようやく定住が復活しました。長い期間、無人島だった母島は、父島よりさらに自然が残されているとのことです。
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父島から「ははじま丸」で2時間の船旅、母島沖港に到着です(写真)。
小笠原母島観光協会 名所・史跡
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沖港の周辺に元地集落があります。
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JA小笠原島(写真)に寄りました。母島ではちょうどパッションフルーツが最盛期でした。
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母島発電所(写真)です。日本に返還された5年後の1973年、村営発電所として新設(翌年東電へ移管)された設備を使用していました。世界遺産に指定された2011年6月、発電設備が新設され、出力が960kWとなりました。燃料はA重油です。
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マンホールめぐり(全国市町村のマンホールの写真を撮る)を趣味とする人も居るようですが、期待を裏切らないデザインでした。
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<母島 御幸之浜>1927年(昭和2年)、即位されたばかりの昭和天皇は戦艦「山城」で母島を訪れ、生物採取をされたことから御幸之浜と名前が付きました。
御幸之浜 自然・景勝地
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海中にサンゴ礁が広がります。
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石碑(写真)にはまだ「御幸之浜」という名前は付いていなかったのか、隣の砂浜「南京浜」の名前が彫られています。その後天皇の小笠原訪問は、アメリカ当時統治で途絶え、1994年(平成6年)2月、天皇皇后両陛下が訪問されています。硫黄島まで航空自衛隊の輸送機、硫黄島からは海上自衛隊のヘリで母島に着かれました。
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南京浜(写真)は玉石の海岸で造礁サンゴが拡がっており、世界自然遺産の海域に登録されています。
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江戸時代後期の開拓時代、ここで中国人が数名生活していたことが南京浜の名前の由来です。
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この付近、海辺の断崖には「貨幣石」という5000万年前の有孔虫の化石が見られます(写真)。
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石次郎海岸(写真)は、ははじま丸が着く沖港から近いビーチです。サンゴが砕けた白い砂と石の海岸です。
石次郎海岸 自然・景勝地
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小剣崎山に登りました。船が着く沖港が望めます(写真)。
小剣先山 自然・景勝地
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標高は103mですぐ登れるのですが、先っぽは岩場になっています。単独で行動しているので、注意して下山します。
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母島小中学校(写真)は島唯一の学校。小中一貫校で小中合わせて児童生徒数約40名。母島には高校はなく、母島出身者向けの寮がある、父島の小笠原高校か、本土の高校に進学します。
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ロース記念館(写真)は、明治初期、母島に定住したドイツ人ロルフスが発見したロース石で出来ています。
ロース記念館 美術館・博物館
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写真は、母島の北端にあった北村集落です。当時は港や集落内に小学校もありました。小笠原諸島は、太平洋戦争の強制疎開までは、現在の3倍の人口があり、写真の北村集落はカボチャを生産していたとのことです。カボチャの最盛期が本土とずれるため、端境期に出荷することで高値で売れたようです。現在はトンガやニュージーランド産カボチャがその役割を担っており、日本返還後、北村集落に戻る人も皆無です。
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母島産ロース石はかまど(写真)や台所の流し等、島の生活用具に使われました。
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小笠原諸島は品川ナンバーですが、本土側で品川ナンバーの軽トラを見る機会はまずないでしょう。以前は世田谷も品川ナンバーでしたが現在は品川区、渋谷区、千代田区、中央区、目黒区、港区、大田区が範囲で、畑が残ってそうな大田区でも農家はわずか10世帯のようです。
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小笠原諸島は父島、母島に郵便局が一つずつあり、写真は母島簡易郵便局です。週に1便の船で24時間かけて父島へ。さらに乗り継いで母島へ行く必要があり、この局は郵便局めぐりでも難易度高そうです。
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ははじま丸(写真)で父島に戻ります。
沖港船客待合所 乗り物
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ははじま丸の船内です。
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