2021/10/23 - 2021/10/23
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この旅行記のスケジュール
2021/10/23
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真姿の池湧水群
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お鷹の道
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七重塔跡
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この旅行記スケジュールを元に
神代植物公園や野川公園などに行き武蔵野に興味を持ち,奈良時代に聖武天皇により鎮護国家を祈念して建立され,奈良・平安時代を通じて関東の中心地だった武蔵国分寺跡を訪れました.この古代の武蔵国分寺は鎌倉時代末の分倍河原の戦いで焼失してしまい(1333年),建物は残っていません.
近くに武蔵国分寺もありますが,これは鎌倉時代末1335年に新田義貞の寄進により薬師堂が創建され,江戸時代には徳川将軍家に保護され,1725年には本堂も建てられたものです.現在の薬師堂は1756年頃に遷地,再建されたものです.
周辺の都立武蔵国分寺公園,真姿の池湧水,お鷹の道,そして武蔵国分尼寺跡にも行きました.中々趣のある場所で,古代の日本国,そして関東の中心であった地に思いを馳せました.古代の国分寺は寺と云うよりも,地方行政府を含む宮城の感じですね.古代の金堂,講堂や七重塔のような建物が再建されれば素晴らしいと思うのですが,たとえ出来たとしても何年も先なのでしょうね.
武蔵国分寺跡Web: https://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004222.html
武蔵国分寺Web: https://www.musashikokubunji.jp/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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西国分寺駅より出発
西国分寺駅 駅
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道案内標識
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立派な建物が見えてきました. 都立多摩図書館と東京都公文書館でした.
手前の広い歩道となっている所は,東山道武蔵路跡の道でした.東山道武蔵路跡 名所・史跡
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東山道武蔵路の石碑.
東山道は駅制に基づき,7世紀から8世紀前半にかけて整備された都と地方の国府を結ぶ幹線道路(七道)の一つ.東山道武蔵路は,都から信濃国や上野国(今の群馬県)を経由して東へ走る東山道本道から分岐し,武蔵国へ南下するための支路. -
東京都公文書館
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まず武蔵国分寺公園に行きます.
これはマップ.泉地区と西元地区あり. -
武蔵国分寺公園の標識
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武蔵国分寺公園・泉地区の武蔵の池
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武蔵国分寺公園・泉地区の円形広場.
広いです.周回路を一周しました.都立武蔵国分寺公園 公園・植物園
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ニチニチソウ
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霧の噴水とのことだが水はなく石があった.
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再度ですが武蔵国分寺公園の別のマップ
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蒸気機関車車輪の記念碑
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蒸気機関車車輪の記念碑の説明.
かつてはここに国鉄の中央鉄道学園があった. -
武蔵の池と奥に"であい橋"
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ふれあい橋を渡り南側の四元地区へ.
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武蔵国分寺公園・西元地区の"こもれび広場"
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別角度からの"こもれび広場"
都立武蔵国分寺公園 公園・植物園
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武蔵国分寺井戸
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武蔵国分寺井戸の説明
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西元地区・野鳥の森の中の小径
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国分寺崖線の雑木林の説明
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史跡武蔵国分寺跡の北辺区画溝の石碑
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お鷹の道・真姿の池湧水群への道案内標識
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細い道を下る
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途中の祠
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湧水地点
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真姿の池の中の祠
お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡
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真姿の池の石碑
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真姿の池(太陽が反射して見えにくいですが)
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真姿の池湧水群の説明板
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真姿の池湧水群の図解説明
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湧水の小川. 綺麗な水です.
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野菜売店
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植木果樹販売の糸萬園の看板
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植木果樹販売の糸萬園
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リンドウ
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武蔵国分寺跡資料館への小径. 趣がある小径です.
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お鷹の道の標識.
江戸時代に尾張徳川家の御鷹場だったことに由来する散策路で,国分寺市の名所. -
お鷹の道. 趣ある遊歩道です.
お鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡
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ほたるの住む川
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国分寺付近のマップ
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武蔵国分寺跡資料館の入口. 資料館の建物はこの奥のようです.入らず.
この建物は旧本田家住宅のようでした.武蔵国分寺跡資料館 美術館・博物館
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旧本田家住宅長屋門の説明板
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旧本田家住宅
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史跡の駅おたカフェ.
史跡の駅は全国に1600ヵ所ある"まちの駅"の一つ.史跡の駅 おたカフェ グルメ・レストラン
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史跡の駅の前の道の露店. 賑わってました.
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ほたるの住む川
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お鷹の道湧水園への門か
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お鷹の道の説明とマップ
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武蔵国分寺周辺の案内図
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国分寺楼門
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国分寺楼門の説明
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武蔵国・国分寺.
鎌倉時代末期の分倍河原の戦いで,奈良時代からの武蔵国分寺は焼失してしまった.この国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建され,その後,江戸時代には徳川将軍家に領地を与えられるなど保護され,1725年には本堂も再建された.真言宗豊山派の寺院.武蔵国分寺 寺・神社・教会
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国分寺案内図
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国分寺本堂
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豊臣の五七桐の紋あり
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国分寺の万葉植物園
万葉庭園 公園・植物園
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国分寺本堂裏山への道.
薬師堂に行けるかと行ってみましたが,近くまで行けても金網があり近づけませんでした.薬師堂には一旦外に出て,別の入口から入るのでした. -
国分寺薬師堂入口. 本堂からは一旦外に出て,ここから薬師堂に入る.
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国分寺仁王門. 左右に仁王が安置されているが,暗くてよく見えず.
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国分寺仁王門の説明板
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国分寺薬師堂への階段
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国分寺薬師堂
国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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国分寺薬師堂
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国分寺薬師堂と薬師如来坐像の説明
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国分寺薬師堂本尊の薬師如来の絵図
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国分寺薬師堂の鐘楼
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武蔵国分寺跡の説明板.
東西720m,南北550mあり. -
薬師堂すぐ前の武蔵国分寺跡の草原空地
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薬師堂すぐ前の武蔵国分寺跡の草原空地
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経蔵・西僧坊の説明板
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講堂跡
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金堂・講堂間の通路
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金堂跡
武蔵国分寺跡 名所・史跡
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金堂跡説明板
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鐘楼跡
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史跡武蔵国分寺跡の石碑
武蔵国分寺跡 名所・史跡
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再び金堂跡
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中門・金堂間の幢竿遺構の説明板
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中門跡
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史跡武蔵国分寺跡の看板
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少し東に離れた所の七重塔跡
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七重塔跡の説明板
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七重塔推定復元図. 都を想わせる優雅な七重塔ですね.
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塔2の調査説明板
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七重塔の礎石かな. 新しいようなので違いそう.
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南門跡あたりのはずだが,何もなく良く分からず.
これで武蔵国分寺跡を離れ,西の武蔵国分尼寺跡へ向かいます. -
国分寺市文化財史料展示室だが,閉館中と誤認し,入らなかった.残念.
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JR南武線の線路下を西に渡った所の武蔵国分尼寺跡.
右に見えるのがJR南武線. -
武蔵国分尼寺跡
市立歴史公園 武蔵国分尼寺跡 名所・史跡
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巨大な幢竿跡の説明
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幢竿跡の説明
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武蔵国分尼寺金堂跡の説明. こちらも優雅で立派な建物でした.
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武蔵国分尼寺金堂跡
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角地に武蔵国分尼寺金堂基壇見学の半地下あり
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武蔵国分尼寺金堂基壇の説明板
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武蔵国分尼寺金堂基壇の断面
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武蔵国分尼寺講堂推定地の説明板
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尼寺跡中枢部北辺の説明板
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尼寺跡中枢部北辺の礎石
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これで北の西国分寺駅へと向かいます. これは黒鐘公園内の鎌倉街道の案内板.
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黒鐘公園内の伝鎌倉街道.
鎌倉時代に後の江戸時代に鎌倉街道と呼ばれる道が開かれた.
車両は通行止めの,割と細い道でした.伝鎌倉街道 名所・史跡
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途中にあった伝祥応寺跡への案内板.行ってみました.
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伝祥応寺跡はこれで,何もなしでした. 中世の遺跡とのこと.
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尼寺北方の塚への案内板. やはり丘を登り行ってみました.
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地面に尼寺北方の塚の説明板が置いてあるだけでした.
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道の途中の武蔵台遺跡敷石住宅跡.
縄文時代から人が住んでいたようです. -
縄文時代のムラの説明板
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イエギク
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史跡通りの標識
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史跡通りの説明板.
これで西国分寺駅に戻り,帰りました.
おしまいです.お付き合いいただき有難うございました.
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