2021/05/01 - 2021/05/01
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RAINDANCEさん
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栃木県南西部、日光市の町である足尾を訪れました。江戸時代から昭和にかけて、銅の一大産地として栄えたと同時に、鉱山から出る有害物質により日本で初めての公害事件があったことでも知られています。
★国の繁栄と流域住民の苦難が交錯した産業遺産を見学し、その後は隣の日光湯元温泉へ。
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群馬県のみどり市から国道122号で渡良瀬渓谷沿いを、栃木県の足尾町に向け北上します。
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渡良瀬川を渡って、足尾の町に着きました。
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で、まずは「足尾銅山観光」へ。
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個人的には近代の産業遺産で世界遺産っていうのはあまり好きではないのですが...頑張ってください。
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ここで入場券を購入。
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ここでトロッコ電車を待ちます。
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電車は15分間隔。
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待ち時間に退屈しないように展示物あり。
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最盛期の足尾の写真。
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トロッコ電車がやってきました。
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渡良瀬川沿いをゆっくりと走る電車。
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鉱夫と銅貨のオブジェ。
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トロッコ電車は鉱内に入り停車。
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ここからは、歩きで鉱内を巡ります。
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見学順路はここから。
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この銅山が発見されたのは江戸時代の天文年間(16世紀)とされ、慶長15年(1610年)に採掘が始まったそうです。その頃はもちろん手堀り。
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土肥金山、佐渡金山と同様に、人形で再現するパターンですね。
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鉱水から還元され沈殿した銅。
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鉱水に含まれる鉄分が錆の結晶として出るそうです。
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江戸末期から明治初期にかけて銅の産出量は一旦減りましたが、古河財閥の創業者である古河市兵衛氏が渋沢栄一などの援助で経営を握り、明治14年(1881年)の新鉱脈の発見で大銅山に発展したらしい。
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この岩肌の青色は、鉱水が硫酸銅となって染みだしたもので「タンパン(胆ぱん)」と呼ばれるそうです。
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昭和に入ると機械化が進み、選鉱や精錬の技術も進んで労働環境も次第に改善されていきます。
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そんな近代化の流れを、こちらの「銅資料館」で知ることができます。
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また近代化による開発・事業発展の一方で、大規模な大気・水質・土壌の汚染をもたらしました。「足尾銅山鉱毒事件」はそのひとつとして知られています。
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銅製品や鉱石の展示。
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坑道を出たところにあった「さく岩機 体験コーナー」
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江戸時代の選鉱・精錬作業。人形の顔がやけにリアル。
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鉱石を運搬する台車。
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国指定史跡の通洞口。
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「鋳銭座」にも寄っておきましょう。
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寛永通宝で知られる足字銭に関する資料館です。
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いらっしゃいませ。
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ここは人形へのこだわりがスゴイ。
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なぜかみんな5頭身くらい。
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足尾銅山の算出を含むいろいろな通貨が展示されています。
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このようなものまで。
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坑道見学を終え、レストランハウスへ戻ります。
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昭和を感じさせてくれる看板。
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お土産屋さん。
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ここにも、昭和を感じさせてくれる看板。
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大正9年(1920年)にここに造営された「通洞鉱山神社」。
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銅山が栄えていた昭和30年頃には、このあたりに300世帯を超える社宅があったそうな。
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足尾銅山観光周辺から、松木川の上流へ向かい北上します。その途上、ここに鋳銭座があったらしい。
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足尾銅山観光周辺から北西へ1kmほどにある「古河 掛水倶楽部」。15:30には閉館なので、一足遅くもう閉まっていました。
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ここは、足尾銅山の隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館です。大正初期に改築された2階建ての建造物で、2006年に国の登録有形文化財として登録されました。
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隣には「旧鉱業所事務所」があったらしく、写真が貼られていました。
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さらに北上。あ、猿!
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掛水倶楽部から更に1.5kmほど進むと「間藤水力発電所跡」があります。
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古河市兵衛は、銅山の動力源としてドイツの大手企業ジーメンスの勧めで水力発電を導入したそうです。
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かつての写真。
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その向かいの川沿いには展望台。
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川の向こうには「本山小学校跡」。明治25年(1892年)に古河の私財で創立後されたそうです。平成17年(2005年)に足尾小に統合され廃校となりました。
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間藤の街並み。
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銅山の最盛期には、この間藤地区は繁華街として栄えていましたとさ。
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かつてここにあった割烹旅館。
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こちらも、かつてここにあった旅館。
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足尾銅山学校跡。
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足尾一の賑わいだったという赤倉地区に来ました。明治20年(1887年)の大火で焼け落ちた木の橋の後に造られた鉄橋がこの「古河橋」。
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ここに今も巨大な精錬所が残ります。国指定史跡となっている本山製錬所跡。
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銅の産出量の増加に対応するため、明治17年(1884年)に直利橋製錬分工場として開設され、当時の先端技術で生産量が飛躍的に増加したのですが、亜硫酸ガスの排出によって煙害問題も発生してしまいました。
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周辺の山の木は枯れてはげ山となり、渡良瀬川流域に洪水と鉱毒による農作物被害をもたらしました。1890年代の「足尾鉱毒事件」は日本初の公害事件と呼ばれ、抗議の先頭に立った代議士・田中正造が明治天皇に直訴した場面は小学校の教科書に取り上げられ有名になりましたね。
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そんな教訓を経て、山からの土砂流出防止のため明治から昭和にかけて砂防堰堤群が建設され、無公害型の製錬システムで亜硫酸ガスを軽減するなど治山・砂防事業が強化されました。
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平成には市民ボランティアによる植樹活動など行われ、自然の大切さを伝える取り組みに繋がっているそうな。
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それでもなお、現在も廃坑道から流れ出る水や地滑りによる埋没物質の川への流入などで、流域の農地は影響を受け続けているそうです。
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「銅親水公園」にある、国内最大規模の陶板の壁画。
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公園から丘を登ると展望台。
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土砂が堆積してしまった松木渓谷。
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この山々が再び緑に覆われるのはいつのことでしょうか。足尾の”光と影”でした。
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観光の後、足尾で一泊...と言いたいところですが、足尾は宿泊施設は非常に少ないです。そうなれば、お隣の日光へ足をのばして泊まるのもアリかと。
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そして、どうせなら良質な温泉を求めて日光湯元温泉へ。途上の戦場ヶ原。
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湯ノ湖の畔、湯元温泉へ着きました。
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あ、鹿だ。
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で、この日の宿「紫雲荘」に到着。全5室のこじんまりした宿です。
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エントランス。到着時は女将さんが笑顔で迎えてくれるアットホーム感。
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ラウンジ。
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広々スッキリな客室。
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備品はバッチリ。
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冷蔵庫もあり。
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窓からの景色。
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お着き菓子をいただき、さっそく温泉へ。
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温泉は、露天1ヶ所に内湯2ヶ所、すべて貸切制です。まずは露天へ。
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露天風呂「月あかり」。
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日光湯元の濁り湯。硫化水素型の単純硫黄泉で乳白色でメタケイ酸が多く含まれ、美肌効果が高い温泉。
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日光の山奥でこの季節、まださすがに外で体を洗うのは寒いです。
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そういう場合は内湯で体を洗うのが良いでしょう。
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熱い風呂の後は冷えた生ビール。
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夕食は、日光の湯葉や蒟蒻、山菜天ぷら、豆乳鍋、ビーフシチューなど、ボリュームが有り美味しい。それでいて割とヘルシーな感じ。
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デザートはみつ豆。ご馳走様でした。
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翌朝...
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朝風呂です。全5室で貸切風呂が3つですから、なかなか空かなくて入れない...という心配はありません。
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朝食です。
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品数、ボリューム共に申し分無し。
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良質な硫黄泉に好きな時にたっぷりと浸かり、しっかり美味しい料理が付いて、これで土日で一人1万を切るというのは満足感大です。
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チェックアウト後、日光湯元ビジターセンターに少し立ち寄り。
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何度か日光湯元には来ていますが、ここに入ったのは初めてです。
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奥日光の自然が紹介されており、ここからトレッキングに出て行くグループもいました。
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湯ノ湖には何やら沢山のフィッシャーマンがいるなーと思ったら…
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…トラウトフィッシングの解禁日でした。
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このイベントの影響で、日光湯元温泉の宿は盛況だった模様。紫雲荘も満室でした。早めに予約しておいてよかった。
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最後は湯元温泉になりましたが、本編は足尾の旅行記でした。銅が埋まっていたがために“光と影”を背負った足尾…仮に、仮にですが銅が発見されていなければ、ここにはただ美しい渓谷があるだけだった…そんなことを考えてしまいます。
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