2021/03/19 - 2021/03/19
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ちふゆさん
2021年3月19日(金)の1時前、同志社大学京田辺キャンパスを歩いている。正門に近い夢告館の東側、小高くなっているところが継体天皇筒城宮跡伝承地。丘の上に筒城宮跡を示す石碑が建てられている。1961年に遷都1450年を記念して組織された筒城宮跡顕彰会により建立されたもの。当時の明治宮宮司、甘露寺受長氏の筆。
ただし、その時建てられたのはこの場所ではなく、都谷と云う地名から大学の東側を走る山手幹線を挟んだ反対側の南、現在は同志社国際高校の敷地となっているところだった。その後京田辺キャンパスの開校に合わせて1986年に現在地に移設された。ここには元々は明治32年に造られた不動明王古蹟が建っていた(下の写真1)。
この辺り(興戸・多々羅・普賢寺など)は、第26代継体天皇の筒城宮があったとされる場所とされる。日本書紀によると、継体天皇は58歳の時に樟葉宮で即位し、5年後の511年に筒城宮に遷都し、7年間この地で過ごしたという。その後、現在の長岡京市と推測される弟国宮(おとくにのみや)に遷り、77歳になってようやく大和の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に入ったという。
右隣には継体天皇皇居故址の碑も建つが、淀へ行った時にたくさん見掛けた碑と同様に三宅安兵衛の遺志に基づいて1928年に建てられたもの。考古学者で1937年(昭和12年)から京都帝国大学総長を務めた浜田青陵(耕作)博士の書。元々は多田羅の三軒屋と云う所に建てられたのを1961年の筒城宮跡碑建立時に同じ場所に移し、1986年にここに移設された。三宅安兵衛に関しては以下の旅行記を参照のこと。
https://4travel.jp/travelogue/11709487
ここには他に3つの石碑も建っている(下の写真2)。不動谷大明神と大地主大神の石碑は1965年に土地開発有志一同が建てたもの。元々ここに建てられたものか移設されたものかは不明。歌碑は筒城宮跡顕彰会初代会長の歌が刻まれており、筒城宮跡碑と同時に造られた、移設されたものと思われる。この丘ではミツバツツジが丁度満開で綺麗だった(下の写真3)。
この丘の南側は芝生広場となっており、この丘以外は建物に囲まれているが、広場の奥、西側に建つのはラーネッド記念図書館。D.W.ラーネッド(Dwight Whitney Learned)はアメリカ、イェール大学(Yale University)出身の米国人宣教師で、1875年(明治8年)に来日、草創期の同志社の教育に尽くした。
専門の聖書、神学などの他、数学、物理学、経済学、政治学、ラテン語など多岐にわたって講義を担当、日本の学校で最初に社会主義を講義したのは彼だと云われている。1919年(大正8年)から28年までは第2代学長を務めた。図書館の正面には、彼の愛誦句「Learn to Live and Live to Learn(生きるために学び、学ぶために生きよ)」が刻まれている。2007年の学祭に来た時には、この図書館前にステージが造られていた(下の写真4)。
図書館の反対側、東側に建つ教員ラウンジや交流スペースのある交隣館の前の植え込みには良心碑が建つ。同志社教育の真髄を示す良心教育の由来となった新島襄の言葉を彼の手紙から彫り込んでいる。「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ望テ止マサルナリ(良心が全身に充満した青年が現れることを)」とあり、新島が期待する生徒像を鮮明に表している。
この碑は1986年の京田辺キャンパス開校時に建てられたものだが、1940年の同志社創立65周年記念日に除幕された今出川キャンパスなどの各キャンパスや関連校、新島襄ゆかりの地など日米9ヶ所に設置されている。
その北側、正門を入ってすぐ右手に建つのがローム記念館・情報メディア館。ローム(株)からの寄付をもとに建設したローム記念館と、最先端の情報教育環境を備えた情報メディア館からなる複合施設。
ローム記念館は様々なプロジェクトを展開するための施設で、各プロジェクトの活動拠点となるプロジェクトルームを数多備えるだけでなく、吹き抜けはオープンテラス「劇場空間」となっており、各種行事に活用できる空間となっている。2007年の学祭の時には、ここで朝原さんや大八木さんの講演などを聞いたわ(下の写真5)。
正門を出ると、山手幹線を挟んで北側には同志社女子大学、南側には同志社国際中学・高校があるが、同女側の三差路の角に建つのが新島記念講堂。同志社創立111年を記念し、1988年に竣工した全同志社共用の礼拝堂。900名が収容できる大ホールにはフランス・ケルン社製のパイプオルガンを設置している。十字架とカリヨンベルを備えた尖塔が象徴的で、京田辺の街を見下ろしている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6491051087631527&type=1&l=223fe1adec
同志社女子大学は1875年(明治8年)に開設された同志社英学校を前身とし、1949年に創立。元々は同志社大学今出川キャンパスに隣接する今出川キャンパスだけであったが、1986年の同志社大学京田辺キャンパス開校と同時に京田辺キャンパスが開校し、現在本部は京田辺キャンパスに置く。現在は京田辺キャンパスに4学部、3研究科、今出川キャンパスに2学部、2研究科がある。女優のキムラ緑子さんや大正天皇御生母はここのOG。
同志社国際中学校・高等学校は帰国生徒の受け入れを主たる目的として設置された学校。全校生徒のうち3分の2が海外で生活をしたことがある帰国生徒。卒業生の約9割が同志社大学に進学だそうだ。高校が1980年創立で、中学は1988年。全寮制ではないが、併設する寮(男女別棟)が東側にある。
現在(2021年10月)の日産自動車の内田誠社長やお笑いの霜降り明星の粗品、タレントのトラウデン直美などはここの卒業生。ただ、内田さん以外は帰国子女ではない。粗品、英語しゃべれるんかい? ただ、連れ合いの話だと、息子の同級生の妹がここに行ってたが、英語力は伸びないとの話。彼女は粗品君と同じくらいの学年かな。
国際中学・高校の校舎の東側は小高い丘になっているが、志遠館(体育館)の上の段に田辺天神山遺跡がある。弥生時代後期(西暦2世紀頃)の集落跡。周囲の平野部からの比高差は約40mの地点に位置する。
1966年及び1968年の調査で約20棟の竪穴住居跡が、広場を取り囲むように検出された。住居跡は中央に炉をもち、4~8本の柱により建てられ、平面形は円形から方形へと変化したと考えられている。また、広場には、高床倉庫をはじめとした共同施設が作られていたとも考えられている。多くの土器や石器が発掘されている。
この遺跡のように平野から距離を置いた高所に位置する遺跡は高地性集落と呼ばれ、逃げ城・砦のような機能も想定されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6491060657630570&type=1&l=223fe1adec
以上で同志社大学京田辺キャンパス及びその付近の散策終了
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