2021/09/24 - 2021/09/27
30位(同エリア2323件中)
ロムルスさん
熊野・伊勢に続き、国のはじまりを訪ねて、未だに謎の多い出雲の国を巡りました。往路は唯一の寝台特急サンライズに乗車。後半は、奥出雲おろち号で中国山地を越えます。
※謎へのコメントは私の独断と偏見です。
(宿泊)
サンライズ出雲(車中泊)
玉造温泉・ホテル玉泉
クオーレ倉敷
(ルート)
1日目、東京→《サンライズ出雲》→出雲市
(泊)サンライズ出雲
2日目、出雲→《大社、松江》→玉造温泉
(泊)玉造温泉・ホテル玉泉
3日目、宍道→《おろち号》→倉敷
(泊)クオーレ倉敷
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー JR特急 私鉄 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東京駅、9月24日、21時
寝台特急サンライズで出雲へ出発します。21時半まで営業している駅地下のグランスタ東京で、夜と朝のためにパンや弁当やワインなどを買います。 -
サンライズ出雲、21時30分
9時25分、サンライズ号が入線してきました。前7両が瀬戸・琴平行き、後7両が出雲・出雲市行きです。5分程してドアが開きました。 -
シャワーカード販売機(10号車)
ドアが開いたら、まずシャワーカードを購入します。枚数制限があるので、部屋に行かず既に10人程いる11号車入口の列に並びます。この日も10分程で売切れました。 -
シングル(9号車)
今回予約したのは、9号車2階のB個室シングルです。サンライズの切符はNet購入できないため、1ヶ月前の10時から、駅で購入する必要があります。 -
シングル(9号車)
扉は暗証番号を決めてロックする仕組みなので、安心して外出できます。さっそく中に入ります。 -
シングル(上段)
ベッドの上には着替え、枕、布団、スリッパが、他にコップとゴミ袋が備えられています。壁にはコンセントとハンガーに、音量、ヒーター、照明のコントロールパネルがあります。 -
シングル(上段)
ベッド幅は70cm、サイドに荷物を置くスペースがありますがやや狭いです。高さはなんとか脇に立って着替えができる程ですが、木目調の室内はとても快適です。 -
シングル(下段)
車内を探検して他のタイプも見てみました。通路を降りた下段は、視線が低い分上段に比べて頭上が広いタイプ。どちらを選ぶかは好み次第かな。 -
シングル(車端部)
車輌の端の車輪の上に位置する部屋は、上下段に分かれていないため天井が高い作りです。ただ、車端は揺れるのでこれも一長一短。 -
シングルツイン
同じような位置に、2人用のツイン個室も数部屋あります。こちらは昼間はベッドを座席に転換ができる仕様です。 -
ソロ(10号車)
次に1000円ほど割安なエコノミータイプのソロ。こちらは床下にモーターがあり、2階建てではないので、その分ベッドの天井が低くなっています。 -
ソロ(上段)
シングルに比べて階段が室内にあり、立つスペースとテーブルと足元の荷物スペースが無く、代わりに小さな収納棚があります。 -
ソロ(下段)
ソロ下段は、上段の階段部分が狭くなっています。ベッド幅は上下段ともシングルと同じです。 -
ノビノビ座席(12号車)
次に12号車の寝台料金がかからないノビノビ座席です。布団と枕はありますが、マットレスはありません。隣との境にカーテンが無いので、込み合うと少し窮屈かも。 -
シャワー室(10号車)
A個室は見られませんでしたがほぼ一周し、シャワー室へ。カードを挿入すると、6分間お湯が使えます。更衣室には無料で使えるドライヤーもあります。 -
シャワー室(10号車)
残り時間が表示され、途中で一旦停止することもできますが、6分で充分でした。シャンプーとボディソープも備え付けられています。 -
自動販売機(10号車)
シャワー室の前には自販機がありますが、品揃えはお茶、水、コーヒー、程度です。アルコール類や食料の販売はありません。 -
夕食タイム
部屋へ戻り、夜景を眺めなから夕食タイムです。小田原を過ぎると熱海まで列車は海沿いを走ります。大きく広がる窓からは、海に光を落とす月と星々が輝いて見えました。 -
洗面所(9号車)
お手洗いは各車両に、洗面所は10、12号車以外の各号車に付いています。洗面所にはハンドソープと電源も備えられています。 -
沼津駅、23時39分
最終電車が出た後の人気のないホームに停車します。夜行列車ならではの旅情を感じる風景です。明日に備えそろそろ就寝します。 -
岡山駅、25日、6時27分
夜が明けて早朝に岡山駅に停車します。この駅に7分停車し、サンライズ瀬戸を切離します。作業を見ようと既に多くの人が集まっていました。 -
岡山駅
通路の幌を外して前面を閉じ、ケーブルを切断して作業終了です。サンライズ瀬戸は出雲より3分早く、6時31分に発車していきました。 -
岡山の駅弁
岡山駅では多くの人が駅弁を購入してきました。人気は、桃太郎の祭り寿司だそうです。今回は朝食を東京で購入済みなのでパスしました。 -
ラウンジ(10号車)
朝食は隣の10号車にあるラウンジで、景色を眺めながらいただきます。8席のみなので夜は混雑していましたが、朝は比較的空いていました。 -
大山
米子駅に到着する少し前、右側の車窓から大山が見えます。が、この日は雲がかかってしまい、山頂は見えませんでした。ちなみに松江城はほんの一瞬だけ見えます。 -
宍道湖、9時30分
松江駅を過ぎると列車はしばらく宍道湖の湖畔を走ります。遠くに出雲空港も見えてきました。 -
出雲市駅、9時58分
終着駅の出雲市駅に、定刻で到着しました。みんな列車を降りると、思い思いの場所で記念撮影をしていました。 -
サンライズ出雲
東京駅から12時間8分のサンライズ出雲の旅が終わりました。 -
出雲市駅
出雲市駅の北口は出雲大社をイメージした作りになっています。まず第一の謎を求め、最初の目的地「出雲弥生の森」へ、南口からタクシーで向かいます。 -
出雲弥生の森『①よすみの謎』
出雲市駅の南東「出雲弥生の森」には、弥生時代に出雲で造られた巨大な王墓、「よすみ」と呼ばれる四隅突出型墳丘墓が多く残されています。 -
出雲弥生の森博物館
その一画には博物館(無料)もあり、勾玉や腕輪などの副葬品や、葬儀の様子を復元した墳丘墓のジオラマが展示されています。 -
西谷墳墓群(ジオラマ)
「よすみ」のひとつ、西谷3号墓の造られた時の姿を、10分の1のジオラマで再現しています。一辺50mの大きさは当時の墳墓としては日本最大級だそうです。 -
西谷墳墓群(ジオラマ)
ジオラマでは、2~3世紀に王墓の上で葬儀がおこなわれた様子を再現しています。幕の後ろでは4本の柱を立てる儀式が行われています。 -
出雲弥生の森博物館
墳墓からは、北九州、吉備、北陸の3つの地方で作られた土器が見つかっており 、各地域から出雲の王の葬儀に参列するような国同士の関係があったようです。 -
古代出雲の地図
博物館1階の床には2~3世紀の古代出雲の大きな地図が描かれ、当時の海岸線、川の流れ、集落の位地などがわかります。 -
西谷墳墓群
博物館を出て、4号墓の下から丘に登って行きます。 -
西谷2号墓
3号墓の上から復元された2号墓を見ると、出雲の平野が一望できる場所にあることがわかります。弥生時代、斜面に置かれた約3万個の石が、山の頂きに白く輝いて見えたと想像されるそうです。 -
西谷2号墓
2号墓、3号墓ともに古墳上に登れるように手すりが付けられています。さらに2号墓は石室内の様子もCGで再現され側面から入ることができます。 -
西谷3号墓上部
墳墓上の祀り場です。2~3世紀、村々では銅剣や銅鐸など青銅器を使った祀りが行われていました。しかし,出雲では他の地域に先駈けそれをやめ、巨大な墓を造り王を祀るように変化していったそうです。 -
西谷2号墓内部
CGで再現された墓の主です。この後、出雲の巨大墳墓「よすみ」は何故か造られなくなり、ヤマト王権のもと、前方後円墳が全国に造られる古墳時代が訪れます。 -
大津町駅、10時53分
古代の謎に思いを馳せながら徒歩で20分、山を下り大津町駅に着きました。ここから、一畑電鉄の特急で次の目的地、出雲大社へ向かいます。 -
特急出雲大社前行き
片側クロスシートの綺麗な車両です。車内には島根県の観光マスコット「しまねっこ」が飾られています。 -
出雲大社前駅、12時6分
ステンドグラスが印象的な、出雲大社前駅に到着しました。 -
出雲大社前駅
昭和5年に建てられたこの建物は、国の有形文化財に指定されているそうです。 -
神門通り
駅は、出雲大社の参道の神門通りに面して、一の鳥居から約100mほど大社側に入った所にあります。神門通りは電柱も無く、松並木が美しく整備されています。 -
稲佐の浜『②神議の謎』
まず、神在月の神議(かむはかり)に神々が着くという稲佐の浜へ。左の島が豊玉毘古命を祀る弁天島です。この浜の砂を素鵞社へ持参するそうです。ここで次の謎、神議は何故、出雲で神在月に行われるようになったのでしょうか。 -
屏風岩
謎の鍵のを求めて、国譲りの舞台となった屏風岩を探します。浜から屏風岩への入口には、大国主命と建御雷神の国譲りの情景が飾られていました。 -
屏風岩
岩は民家の玄関先にありました。小さな岩ですが、神話の世界と現実の歴史との接点が、この岩にあるように感じられます。 -
荒木屋、12時30分
稲佐の浜から、神々が出雲大社へ向かう神迎の道を行くと、そば店「荒木屋」があります。創業は天明年間、200年以上続く出雲そば最古の老舗だそうです。 -
割子(わりご)そば (810円)
お店に食べ方の案内がありました。
①割子そばの上に薬味を適量のせる
②「の」の字を書くようつゆをかける
③残ったつゆは次の器に移し、つゆを足す
④最後に残ったつゆはそば湯に入れる
こしがあり、香り高い美味しいお蕎麦でした。 -
神門通り
稲佐の浜から、神迎えの道を神門通りまで戻ってきました。二の鳥居の前には、センスの良いお土産店や飲食店が並んでいます。 -
一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)
約500m先に一の鳥居が見えます。石の鳥居と言われる一の鳥居は、大正天皇の即位を祝い1915年に建てられ、大社本殿より1m低い23mの高さは、建立当時は日本一を誇ったそうです。 -
二の鳥居(勢溜の大鳥居)
反対側に二の鳥居があります。4つの鳥居はそれぞれ異なる素材で作られ、二の鳥居は木製です。この場所は江戸時代に芝居小屋があり、人の勢いが溜まるため勢溜と呼ばれるようになったそうです。 -
下り参道
二の鳥居を抜け、神社では珍しい下りの参道を、謎の多い出雲大社へと進みます。下りになっている理由は、三の鳥居から先の参道は、後世に延ばされたためのようです。 -
祓社
下り参道の右側、素鵞川を渡る手前にあります。出雲大社に参拝する前に、まずここにお参りして身心を祓い清めます。参拝方法は2礼4拍手1礼です。 -
素鵞川(そががわ)
出雲大社は、古来の他の神社同様、2本の川の合流点(東の素鵞川、西の吉野川)に囲まれるように建っています。祓橋を渡り昔からの聖域に入ります。 -
三の鳥居(中の鳥居)
素鵞川を渡ると、鉄製の三の鳥居があり、松の参道が続きます。参道中央は昔、皇族や勅使だけが通った道だったそうです。今は木の根保護のため、両サイドを通ります。 -
御慈愛の御神像
参道の左手、出水舎の左奥には、大国主大神が皮をむかれて泣いていた兎を助けた伝説「因幡の白兎」をモチーフとした像があります。 -
ムスビの御神像
参道の右手には、若き大国主大神が海辺で「幸魂(さきみたま=幸福を与える魂)、奇魂( くしみたま=知恵から奇跡を生む魂)」を授かり、ムスビの御神となった場面を表した像があります。私にはこの意味も謎?です。 -
四の鳥居(銅の鳥居)、13時30分
銅製の四の鳥居までやって来ました。この先は荒垣に囲まれた聖域です。鳥居は1666年長州藩の二代藩主、毛利綱広の寄進だそうです。 -
拝殿
四の鳥居の先にある拝殿は、昭和28年に失火で焼失し、6年の歳月と技術の粋を集め昭和34年に再建されたものだそうです。 -
本殿『③本殿建築の謎』
拝殿の奥、楼門の屋根越しに延享元年1744年に建てられた本殿が見えます。高さ24mで神社では最大ですが、平安時代にはこの2倍の48m、4世紀頃と言われる創建時には98mの高さの社殿だったと伝えられています。が、その建築は大きな謎です。 -
八足門(やつあしもん)
拝殿から奥へ進むと、本殿、楼門の前に八足門があります。祭礼や三賀日以外は、ここで本殿を参拝します。 -
八足門から楼門を望む
八足門の前で、2礼4拍手1礼で参拝をします。門の先には、楼門の奥にわずかに本殿が見えます。 -
宇豆柱の跡
八足門の前には、赤い丸印がつけられた所があります。これは平成12年に、かつての本殿を支えた、巨木3本を束ねた直径3mの宇豆柱が発掘された場所です。いかに太い柱だったかは、後ろの建物の柱と比較すると歴然です。 -
金輪御造営差図
これは、代々出雲大社で宮司を務める千家國造家に古くから伝わる本殿の図です。書かれているのは柱の直径が1丈=3m、引橋の長さ1町=109m。柱が発見されたことで、109mの引橋も現実味をおびてきました。 -
東十九社
八足門から本殿右横へ進むと、神在月の神議に神々が滞在する社があります。滞在中は全ての扉が開かれるそうです。なぜ神議が行われるようになったのか、始まりは国譲りの会議だったのかもしれません。 -
素鵞社(そがのやしろ)
さらに進み、本殿後方の八雲山裾に、大国主大神の親神で、八岐の大蛇を退治した素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る素鵞社があります。 -
素鵞社
稲佐の浜から持ってきた砂を床縁下に供え、替わりに社殿の床縁下の砂を持ち帰ります。砂は御守にしたり、土地や田畑を清めるために使うのだそうです。 -
彰古館
素鵞社の隣、北西の隅に建つのが、大正3年に宝物館として建てられた彰古館です。しばらく休館中のようでした。 -
本殿
背後から見た本殿です。現在の千木の先端までの高さは24mなので、平安時代の本殿の床面は、それよりさらに6mも上にあったことになります。 -
遥拝場『④御神座の謎』
本殿の西側には小さな遥拝場があります。これは、本殿は南向きですが、大国主大神の御神座は西を向いているためです。何故このような祀られ方をしているのでしょうか。 -
本殿見取図(出雲大社HPより)
正面には、天之御中主神(あめのみなかぬし)他、高天原の五神が御客座に祀られ、大国主大神の御神座は板壁の後ろに横向きです。さらに心御柱の前には、和加布都努志命(わかふつぬし)という、古事記や日本書紀に登場しない、大国主大神の子とされる神様が祀られています。これが国譲りを迫った神、布都努志命(ふつぬし)と似ているのも謎です。 -
神楽殿
境内を一周し、千家國造家の大広間である270畳の神楽へ。正面の大注連縄は長さ約13メートル、重さ5.2トンあり、数年に一度、懸け替えられるそうです。 -
古代出雲歴史博物館、14時、(620円)
出雲の旅前半の締めくくりとして、最後の謎を確めに、出雲大社の東側に隣接する「島根県立古代出雲歴史博物館(常設展620円)」を訪ねます。 -
宇豆柱
ロビーに入った瞬間、置かれた宇豆柱の巨大さに圧倒されました。地下水の影響で奇跡的に残った鎌倉時代の柱は、世界にも類を見ない大きさで、礎石には乗らず、直径6mの柱穴に人の頭ほどの石を敷きその上に据えられていたようです。
-
大社本殿のレプリカ
続いて入った展示室では、1/10スケールの大社本殿の復元模型に再び圧倒されます。大林組が作成したこの模型は、48mの高さを想定、古くから宮司の家に伝わる「金輪御造営差図」を元に精巧に作られています。 -
大社本殿のレプリカ
側面から見ると、宇豆柱の上に社殿が乗っている様子がよくわかります。平安時代(970年)のくちづさみで、建物の大きさのベスト3を「雲太・和二・京三」とし、「雲太」と呼ばれた出雲大社が大仏殿より大きいと伝えられる姿を再現しています。 -
青銅器『⑤銅剣・銅鐸の謎』
更に奥に進むと、壁一面に銅剣が並ぶ部屋があります。これが見たかった最後の謎、荒神谷遺跡出土の銅剣と、加茂岩倉遺跡出土の銅鐸です。 -
荒神谷遺跡
1984年、出雲ロマン街道の建設工事がきっかけとなり、出雲市の南東の谷で358本の銅剣が出土。これは、それまでに全国で発掘された銅剣の総数約300本を1箇所で越える数でした。国宝に指定された銅剣がここに常設展示されています。 -
荒神谷遺跡
銅剣が埋められたのは、「よすみ」が造営された始めた1世紀頃と推測されるそうです。何故埋められたのか。さらに、銅剣の344本に×の刻印がされていますが、その理由も謎です。 -
加茂岩倉遺跡
そして、12年後の1996年10月14日、荒神谷遺跡の南東3㎞の農道工事現場から、今度は39個の銅鐸が出土しました。これも1箇所での出土としては全国最多です。 -
加茂岩倉遺跡
この銅鐸が埋められたのも、銅剣が埋められたのと同じ1世紀頃と推測されるそうです。さらに、銅鐸にも×の刻印がされたものが13個あります。 -
加茂岩倉遺跡の復元
銅鐸は、いわゆる入れ子の状態で埋められていたようです。銅剣も銅鐸も意図的に埋められたのは確かなようです。祀りの主体が青銅器から王へと変わる一種の宗教改革があったのかもしれません。 -
勾玉
銅剣や銅鐸は、かつての輝く姿で復元されています。その他、勾玉や黄金の装飾の付いた大刀なども復元され、展示されています。 -
馬上の大首長
出土品の分析から、国譲りの後、6世紀後半に出雲は最もきらびやかな時代を迎えたそうです。これは、その頃の首長の姿。大国主大神の国譲りの決断が、その後の繁栄をもたらしたのかもしれません。 -
出雲大社前駅、15時35分
奈良時代、国府や国分寺が松江に置かれたことからも、既に中心は出雲東部に移っていたようです。一畑電鉄で時の流れを追って松江へ向かいます。
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旅行記グループ 八雲立つ神話の国・出雲 3日間
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