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2021年3月18日(木)12時50分頃、交野山登山道のみはらしの道を降りて石の鳥居を抜けるとその下の倉治公園には向かわず右手の糸吉神社に進む。この神社、由緒や由来などは調べてみたが、さっぱり分からなかった。<br /><br />みはらしの道側は裏参道で、少し北に進むと、右手山側に拝殿がある。割拝殿で奥に石段があり、その上に本殿がある。お参りは拝殿の通路前から。<br /><br />そのまま北側に抜けると表参道の石段の上に出る。結構急。石段の両サイドには糸吉大明神の幟が並べられており、一番下の赤い鳥居には糸吉稲荷大神の額が掛かる。この鳥居を抜けて、川沿いに進み、赤い橋を渡ると石でできた一ノ鳥居があるが、こちらの額は糸吉大神。<br /><br />赤い橋の反対側にも立派な神社があるが、これは高天原本宮奥津宮神社。日本の創造主である高天原の16柱の神様をお祀する神社で、ここは山の宮と呼ばれ、本宮寺も併設されている。高天原本宮は別に大阪市の大正に里の宮もある。<br /><br />一ノ鳥居の先の整備された基壇の上に三宝荒神遥拝所がある。山頂の三宝荒神宮まで行く代わりにここでお参りできると云う場所だが、歴史がある。かつて昔、石船(磐船神社)・獅子石屋(獅子窟寺)・金剛寺(傍示峠の北の金剛寺)・甲の尾(岩倉開元寺)の4ヶ所の北峯の宿(修行の場)を往来しながら修行に励んだ修験者は、その満願得悟のとき、源氏の滝の不動明王の梵字の前で身を清め、滝の入口にあった鏡池のほとりの三宝荒神諸願成就の碑に願事成就の報告をし、感謝を込めて遥拝した。<br /><br />その碑が移されたのがここ。傍らに、明治初年までこの辺りにあった瀧本坊と清正寺の寺名を刻した小さな石碑が立っている(下の写真1)。<br /><br />ここから2分ほど緩い坂道を登って行くと夜泣き石がある。この石には源氏の滝に纏わる伝承が残る。「伝説乃河内」という本によると、昔、この交野に源氏姫という美しい姫と、梅千代という可愛い少年がいた。二人は姉弟ではなかったが、共に幼い頃両親を亡くしており姉弟のように仲良く一緒に暮らしていた。しかし、ある日近くの山に住む山賊に里は襲われ、2人はかどわかされる。しかも、山賊の頭の美しい女の前に引き出された2人だが、梅千代は襲われた時に受けた傷がもとで、すでに息絶えていた。<br /><br />名を聞く女頭に憎しみを込めて源氏姫が答えると、彼女は急に青ざめて手下を遠ざけ、姫の縄を外すと梅千代の亡骸を抱き上げハラハラと涙をこぼす。訝しく思った姫だが、可愛い梅千代の死体を見るともうたまらなくなり、女頭から短刀を奪い取るとその胸を突き刺した。<br /><br />しかし、なぜか女頭は抵抗もせず、息絶え絶えに許しを請う。そして、訳を聞く姫に、実は女は2人の母親であると打ち明けた。彼女は元々ある武将の奥方で源氏姫を産んだが、その武将は討ち死にし、その後に嫁いだ別の武将との間に弟の梅千代を儲けたが、この武将も戦いに敗れ、奥方は家臣と山に逃げ山賊となった。しかし、その際に2人の子供とはぐれてしまったとのこと。以後18年、2人のことを思わない日はなかったと・・・<br /><br />女頭はそのことを語ると涙を流しながら息絶えた。源氏姫は母と弟の亡骸にすがりついて号泣し、母親を殺した罪を詫びるため、源氏の滝壺に身を投じたという。そして亡くなった3人の母子は、ひとつの石となり、それ以来、夜、人が近づくとこの石からかすかな泣き声が聞こえるので、いつしか夜泣き石と呼ばれるようになった。しかし、母子の命日だけは、同じ声が、母にあまえる子どもたちの笑い声に聞こえると。<br /><br />いや、悲しい話やわあ・・・ ところで、大きな石、2つあるけど、夜泣き石はきっと立札に近い方の石だろう。石の右手には2つの祠と多くの石仏が並んでいる(下の写真2)。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6382214631848507&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />次は源氏の滝へ向かうが、続く

大阪 交野山 糸吉神社(Itoyoshi-jinja Shrine, Kono-zan Mountain, Osaka, JP)

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2021/03/18 - 2021/03/18

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旅行記グループ 交野山

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ちふゆ

ちふゆさん

2021年3月18日(木)12時50分頃、交野山登山道のみはらしの道を降りて石の鳥居を抜けるとその下の倉治公園には向かわず右手の糸吉神社に進む。この神社、由緒や由来などは調べてみたが、さっぱり分からなかった。

みはらしの道側は裏参道で、少し北に進むと、右手山側に拝殿がある。割拝殿で奥に石段があり、その上に本殿がある。お参りは拝殿の通路前から。

そのまま北側に抜けると表参道の石段の上に出る。結構急。石段の両サイドには糸吉大明神の幟が並べられており、一番下の赤い鳥居には糸吉稲荷大神の額が掛かる。この鳥居を抜けて、川沿いに進み、赤い橋を渡ると石でできた一ノ鳥居があるが、こちらの額は糸吉大神。

赤い橋の反対側にも立派な神社があるが、これは高天原本宮奥津宮神社。日本の創造主である高天原の16柱の神様をお祀する神社で、ここは山の宮と呼ばれ、本宮寺も併設されている。高天原本宮は別に大阪市の大正に里の宮もある。

一ノ鳥居の先の整備された基壇の上に三宝荒神遥拝所がある。山頂の三宝荒神宮まで行く代わりにここでお参りできると云う場所だが、歴史がある。かつて昔、石船(磐船神社)・獅子石屋(獅子窟寺)・金剛寺(傍示峠の北の金剛寺)・甲の尾(岩倉開元寺)の4ヶ所の北峯の宿(修行の場)を往来しながら修行に励んだ修験者は、その満願得悟のとき、源氏の滝の不動明王の梵字の前で身を清め、滝の入口にあった鏡池のほとりの三宝荒神諸願成就の碑に願事成就の報告をし、感謝を込めて遥拝した。

その碑が移されたのがここ。傍らに、明治初年までこの辺りにあった瀧本坊と清正寺の寺名を刻した小さな石碑が立っている(下の写真1)。

ここから2分ほど緩い坂道を登って行くと夜泣き石がある。この石には源氏の滝に纏わる伝承が残る。「伝説乃河内」という本によると、昔、この交野に源氏姫という美しい姫と、梅千代という可愛い少年がいた。二人は姉弟ではなかったが、共に幼い頃両親を亡くしており姉弟のように仲良く一緒に暮らしていた。しかし、ある日近くの山に住む山賊に里は襲われ、2人はかどわかされる。しかも、山賊の頭の美しい女の前に引き出された2人だが、梅千代は襲われた時に受けた傷がもとで、すでに息絶えていた。

名を聞く女頭に憎しみを込めて源氏姫が答えると、彼女は急に青ざめて手下を遠ざけ、姫の縄を外すと梅千代の亡骸を抱き上げハラハラと涙をこぼす。訝しく思った姫だが、可愛い梅千代の死体を見るともうたまらなくなり、女頭から短刀を奪い取るとその胸を突き刺した。

しかし、なぜか女頭は抵抗もせず、息絶え絶えに許しを請う。そして、訳を聞く姫に、実は女は2人の母親であると打ち明けた。彼女は元々ある武将の奥方で源氏姫を産んだが、その武将は討ち死にし、その後に嫁いだ別の武将との間に弟の梅千代を儲けたが、この武将も戦いに敗れ、奥方は家臣と山に逃げ山賊となった。しかし、その際に2人の子供とはぐれてしまったとのこと。以後18年、2人のことを思わない日はなかったと・・・

女頭はそのことを語ると涙を流しながら息絶えた。源氏姫は母と弟の亡骸にすがりついて号泣し、母親を殺した罪を詫びるため、源氏の滝壺に身を投じたという。そして亡くなった3人の母子は、ひとつの石となり、それ以来、夜、人が近づくとこの石からかすかな泣き声が聞こえるので、いつしか夜泣き石と呼ばれるようになった。しかし、母子の命日だけは、同じ声が、母にあまえる子どもたちの笑い声に聞こえると。

いや、悲しい話やわあ・・・ ところで、大きな石、2つあるけど、夜泣き石はきっと立札に近い方の石だろう。石の右手には2つの祠と多くの石仏が並んでいる(下の写真2)。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6382214631848507&type=1&l=223fe1adec


次は源氏の滝へ向かうが、続く

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  • 写真1 瀧本坊と清正寺の石碑

    写真1 瀧本坊と清正寺の石碑

  • 写真2 夜泣き石横の祠と石仏

    写真2 夜泣き石横の祠と石仏

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