2019/11/16 - 2019/11/17
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gianiさん
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多くの日本人が京都府に海があることを知らない
天橋立や舞鶴を知っていても京都府だとは思わない
そんな神話の時代から続く丹後の国の
加悦谷(野田川流域)を中心に巡る街歩きです。
後日、2020年3月に加悦SL広場が閉鎖したことを知り、
アップしました。
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
旧国鉄宮津線は情緒ある路線です。
写真は由良川下流 -
由良川河口部を横断する橋梁は、沿線のハイライト
写真左端の由良浜から、安寿と厨子王は山椒大夫によって売り飛ばされました。
その後の姉の安寿の消息は不明。実は悲しい場所です。 -
天橋立駅を降りて、徒歩で天橋立を縦断。
とてもかわいいキャラがお出迎え。傘松公園 公園・植物園
-
キュートな演出。
列車に花が差してあるなど、
丹後らしい気質を感じることが多いです。 -
現代の股覗きはビューランドで済ませる人も多いですが、
昔から語り継がれるのは、ここ傘松山からの眺め。 -
このように天に橋が架かっているように見える。
-
お気に入りのランチバイキング
地元素材を使っています。ぶどう畑のマルシェ&レストラン グルメ・レストラン
-
味付けも優しいです。
-
松並木が素敵な砂州によって閉じ込められた水域は
阿蘇海と呼ばれます。 -
伊根には及びませんが、
舟屋が何棟も残っています。 -
全然観光化されていないので、ホッとします。
余談ですが、律令時代の丹後国分寺は、この辺りにありました。
現在は府立博物館が建っています。 -
ここの峠を越えると、いよいよ加悦谷突入です。
野田川沿いに広がる谷です。大内峠一字観公園 花見
-
でもその前に、城下町宮津まで退却。
写真は、日本最古の現役木造教会。内部は畳敷だそうです。
夜のライトアップは、ちょっと怖いです。 -
翌日、与謝野駅からバスで岩屋峠を目指します。
途中にある資料館。 -
以前は大啓産業という会社の織物工場でした。
丹後ちりめん生地を織っていましたが、
高度成長期を過ぎると衰退し、
丹波地区綾部発祥のグンゼの下請けとして綿製品ばかり生産するようになります。
そして繊維工場は賃金の安い海外へシフトして廃業。丹後ちりめん歴史館 美術館・博物館
-
戦前から続く建物です。
-
全盛期は、皇室の結納品(皇室の場合「納采の儀の供物」と表現する)にも関わりました。
写真では、御成婚の翌々日に結納された着物姿で臨まれる美智子様。
大啓が織ったちりめん生地を
市田が着物に仕立て、
大丸百貨店が納入しました。 -
歩いて雲岩公園を目指します。
ツツジの名所みたいです。雲岩公園 公園・植物園
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奈良時代にお寺が開かれたそうです。
雲岩寺跡 名所・史跡
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お寺があったことを彷彿とさせる遺物。
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これが雲岩
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麓の加悦谷を眺めます。
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いなかの長閑な景色。
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厳密には野田川支流の岩屋川が形成した支谷です。
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左の山向こうは京丹後市。
旧中郡大宮町です。 -
秋空、素敵です。
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画面右は、紋黄蝶です。
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一度四辻まで戻り、丹海バスで旧加悦町を目指します。
バブルが弾けるまでは、各家庭でもちりめんを織っていて、
機織りの音で賑やかな地域でした。
盆や正月が迫ると、納期に間に合わせるために夜遅くまで機織りの音がしたものです。ちりめん街道 名所・史跡
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丹後ちりめんがもたらした繁栄を感じられる邸宅。
旧尾藤家住宅 美術館・博物館
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他に和館もあります。
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内部は博物館になっています。
通信等の機器。
電子というよりかは、電器・電機という言葉が似合います。旧加悦鉄道加悦駅舎 美術館・博物館
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かつての町役場庁舎。
現在は観光案内所になっています。
野田川町・加悦町・岩滝町が合併して、現在の与謝野町を形成します。
与謝郡では唯一伊根町だけが、合併に加わりませんでした。 -
残念ながら2020年に閉園した施設。
加悦鉄道の車両が展示されており、
鉄道マニアでなくても楽しめます。
肝心のSLを撮影するのを忘れていました。
鉄道ファンに叱られます(´;ω;`)
写真は、キハ08系。
客車(機関車に牽かれる車両)に無理やりディーゼルエンジンを取り付けたもの。
加悦鉄に来たときはドアが無く、照明は白熱灯、走れば自動車にビュンビュン追い越され、大笑いしながら乗車したことを記憶しています。加悦SL広場 美術館・博物館
-
旧国鉄の車両と違って、
私鉄は何でもありの無法地帯です(笑)
写真はキハ101。足元の車輪の配置が1-2と変則的。
子供心に変な電車!と思った記憶が残ります。 -
キハ10系
戦後の無煙化の先駆け的存在。
国鉄で用無しになった後、加悦鉄を走りました。
SL(蒸気機関車)を駆逐した悪者第一号です。 -
国鉄宮津線を走った除雪車等。
-
SL広場は、大江山鉱山駅跡にあります。
ここのニッケル鉱は純度が低すぎましたが、
精錬技術の進歩に伴って昭和15年に採掘開始。
終戦と同時に敢無く閉山&廃線という短命の貨物駅。 -
廃線跡は、現在サイクリングロードになっています。
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現在は加悦鉄道博物館があります。
ちなみに加悦駅舎は、先述のSL広場に移設されています。 -
ここから旧野田川町。
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加悦鉄は収支悪化に伴い、昭和43年には1日3往復の運転に縮小しています。
朝夕の通勤通学帯のみの運行でした。 -
地域で唯一の高校。通信教育部もあります。
かつては夜間部もありました。現在でも与謝野町で唯一の高校です。 -
旧野田川町役場の裏にありました。
昔から交通の要所。 -
現在はこちらが交通の要所。
2つの国道が交差します。 -
国鉄と接続します。
ここから宮津湾(上述の阿蘇海)に面したニッケル精錬所まで貨物線が延びていました。
戦後は、海路で輸入されたニッケル鉱を精錬所で精製し、貨物線でここまで運んで、
国鉄線の貨物列車で北陸まで輸送しました。
有名な天橋立の回旋橋は、精錬所のある阿蘇海と宮津湾を結ぶ運河に設置されました。当初はニッケル抽出用の媒介の運搬、戦後は輸入鉱を工場まで運ぶ艀が航行するために開削されました。 -
以下は、加悦鉄資料館のコレクション。
丹後山田駅の1-3番線は国鉄、4,5番線を加悦鉄道が使用していました。 -
当時は小口貨物も取り扱っていました。
この後、昭和と平成の町村合併に伴って、野田川→与謝野と駅名を変えていきます。 -
駅周辺の景色
写真は、宮津線開通を祝った様子。
自動車と服装を別にすれば、
当時とほとんど変わらない光景です。 -
土壁、白い土(というか砂)。典型的な丹後の光景。
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居酒屋さんにて
居酒屋一心 グルメ・レストラン
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希少部位盛り合わせ400円
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全てが美味しいです。
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府道2号線沿いの夜景。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 墨水さん 2021/09/18 21:27:43
- でも。
- gianiさん、今晩は。
加悦SL広場は、無くなってしまったんですね・・・・。(涙)
今日、知りました。(笑)
>SL(蒸気機関車)を駆逐した悪者第一号です。
でも、できたら「親の敵」と、書いて欲しかった。(爆)
話変わって、加悦谷の眺め、良いですね~~ッ。
墨水。
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