2021/02/25 - 2021/02/25
196位(同エリア260件中)
ちふゆさん
2021年2月25日(木)11時15分過ぎ、精華町立むくのきセンターでの休憩を終えて、ハイキング再開。むくのきセンターの木津川寄りの水路沿いの道(下の写真1)が郡山街道だったとはガイドさんの説明。確かにそのまま南に進んで、開橋への府道の下を潜り、祝園神社の西を進んで突き当たったところには郡山街道の碑が建っている。郡山街道に付いては下記のリンクの旅行記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11636498
祝園の北には鍵屋、河内屋という2軒の宿屋と江戸屋と言う飲食店など3軒の飲食店があり、この祝園神社の横を通る郡山街道沿いは賑わいの中心だった。1891年(明治24年)には祝園村には人力車が6台あったそうだ。
また、郡山街道が潜る府道(下の写真2)に続く開橋は1972年に竣工した橋だが、それ以前には流れ橋があったそうで、さらにその前は開の渡しがあったとガイドさんの話。江戸時代からあった渡しで、1951年(昭和26年)に流れ橋があったまで使われ、流れ橋時代も橋が流されると渡しが復活していた。この渡しは主に農民が川向いの田畑を耕作するために利用する耕作通い舟だった。
郡山街道の碑が建つ辺りから祝園神社一帯は柞ノ森(ははそのもり)と呼ばれている(住所にもなっている)。11時30分過ぎ、その柞ノ森の一角にある祝園神社に到着。怨霊封じの神社で、春日の大神と称される建御雷(たけみかづち)命、経津主(ふつぬし)命、天児屋根(あめのこやね)命の三柱を祀っている。草創については不詳だが、平安初期に編纂された新抄格勅符抄に、「祝園神 四戸山城国」とある。その後「延喜式」神名帳や「三代実録」に名が見え、室町時代の1441年に書かれた「興福寺官務牒疏」には在僧2人、祝主3人、神人3人がいたことが記されている。
神話の世界ではあるが、実在ならば3世紀後半の第10代崇神天皇の時代に、第8代考元天皇の皇子、武埴安彦(たけはにやすひこ)が朝廷に反逆を企て、この地において討伐されたが、その亡魂が柞ノ森に留まり、人民を悩ませた。奈良時代の女帝、第48代称徳天皇(第46代孝謙天皇が重祚)の時代になって、大中臣池田六良広剛と宮城七良朝藤が神主・禰宜の次位にあって神に仕える祝部(ほふりべ)となり、770年に春日の大神を勧請し、この神社が創始され、斎戒沐浴祈願を行い、ついに亡魂をしたという。つまりは、武埴安彦の怨霊を封じ込めるための神社。
また、風土記によると、羽振苑社(はふりそののやしろ)で、祭神は大歳神(おおとしのかみ)・伊怒比女(いめひめ)神(大歳神の妻神)・曾富理(そほり)神と記載されているらしい。これが正しいなら、これらの神は現祭神よりも古くから祀られていたということにもなる。もともとあった羽振苑の社年に「春日の大神」を勧請して祭神を変更したと考えるのが自然か。
毎年、正月の初申の日(申の日が3回ある年は中の申)から3日間行われる居籠(いごもり)祭は山城地方の奇祭で、音無しの祭りとも云われ、京都府の無形民俗文化財の指定を受けている。奈良時代の斎戒沐浴祈願が祭りの起こりと云われる。
1日目には浄火を灯し、鎮守の森へ宮司が赴き秘密の祝詞を奏し、玉串を持ち帰り神殿に奉納する風呂井の儀が行われる(非公開)。2日目の夜8時頃からは重さ80キロに及ぶ大松明が、2km離れた祭場へ担がれていく御田の儀が行われ、その後唐辛子をたくさん入れた名物の豆腐汁が振る舞われる(有料)。
そして、最終日の午後には竹で邪鬼をかたどった綱を引きあう綱曳の儀という神事が行われ、その年の農作物の豊凶が占われる。細く割った青竹であぜまめの殻を包み、縄で縛ったものを直径2m弱の輪状にし、南北にそれぞれ3本ずつの青竹を取り付ける。祝園五字の若者が百人程度集まり、祝園神社の鳥居を基準として南北の組に分かれ、3本の青竹を引き合う。三度行い、最初二回の勝敗に関わらず三度目に勝敗を決するが、結果により農作物の豊凶が占われ、最後に勝利した組が、いずもりの地まで青竹を引っ張って来て、各家のしめ縄等と共に焼却する。
音無しの祭りの名の通り、かつては祭りの間、住民は神を迎えるため、決して音をたてないように、家の中に籠ることになっていた。開閉の音がしないよう扉は開けたまま、料理は一切せずに作っておいた精進料理を食べ、水もくみ置きしておいたそうで、牛や馬などの家畜は、期間中は遠くの親類に預けたと云う。現在は、物音を立てないよう工夫する風習はすたれたが、祭は絶えることなく受け継がれている。
南側から境内に向かうとまずは朱色の鳥居。鳥居自体は木造だが、柱の下の部分は石造。鳥居の奥に進むと瓦葺の表門。江戸時代の建立で京都府暫定登録文化財。境内に入ると横長の割拝殿。中央の通路を通って本殿前へ進む。流造の本殿も江戸時代の建立で京都府暫定登録文化財。春日の大神を祀る神社らしい金色の釣り灯篭がぶら下がっている。
現存する棟札は江戸時代のもの6点だが、残る木札も合わせると18回に渡って造営・修理が行われたことが確認された。再建にあたって水難を避けるため、6尺の地上げをしたことも書かれている。正徳3年(1713年)の棟札には、前年8月19日に「前代未聞」の大洪水に見舞われ、社殿が大破したことを伝えている。この大洪水は、木津川周辺の村々に大きな被害をもたらしたもので、今も地元の人々から「正徳の水害の時に」という言葉が出るほど語り継がれてきた災害で、この神社の棟札は洪水の記録や地上げの記録を含み、木津川周辺の村の歴史をしのばせる点でも興味深いものだそうだ。
本殿の周囲には境内社の祠が並んでいる。西宮神社のご祭神は事代主命でご利益は家内安全と商売繁盛。天満宮のご祭神は、もちろん菅原道真公で学問の神様。稲荷神社のご祭神は、倉稲魂(うかのみたま、宇迦之御魂神とも書く)命で、ご利益は、五穀豊穣と商売繁盛。
出雲神社のご祭神は大己貴(おおなむち)命。昨今は縁結びの神あるいは大黒天と習合して開運招福の神として信仰を集めるが、本来の姿は幽界の冥王。有功神社のご祭神は五十猛(いそたける)命で草木の神。
祈雨神社のご祭神は不明。熱田神社のご祭神は日本武尊で難局打開の神。熊野神社のご祭神は伊邪那岐(いざなぎ)命。妻の伊邪那美(いざなみ)命との間に多くの神々を生んだ、我らの祖先。そして、皇大神宮のご祭神は天照大神で、日本神話の主神。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.6220878777982094&type=1&l=223fe1adec
もうひと頑張りして祝園駅まで歩くが、続く
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