2020/10/30 - 2020/11/01
588位(同エリア8163件中)
ろきさん
この旅行記スケジュールを元に
10月の有給があり、ANAのとくたびマイルで出かけようかと思っていましたが、いい場所がなかったので近場の高松へ行ってきました。
2日前までどこに行こうかダラダラ悩んだ結果、神戸から深夜フェリーのある高松へ。
深夜フェリーはgotoも使え、宿もじゃらんポイントでほぼ支払ったためほぼほぼお金のかからない旅になりました。
香川はうどんを食べに昔行ったことがあって、今回もうどんを巡るかなーと思っていましたが。
高松港から色々近場の島に行けるみたいなので、サクッと島に行ってみた。
金曜日だからか、コロナだからかわかりませんが、島のお店は結構閉まっていましたが、瀬戸内海が綺麗すぎてびっくりした!
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女木島・男木島編からの続きです。
https://4travel.jp/travelogue/11705885
高松から神戸には深夜のフェリーで帰るので、そこまでどこか観光しよう。
めちゃくちゃノープランだったので、チェックアウトギリギリまでホテルでダラダラしながらスマホで検索。
島がよかったので、違う島に行ってみようかなーと思って調べたら。
陸続きの屋島があったので、そこに行ってみることに。
屋島の行き方は色々あるのですが。
今回は琴電を使って行ってみた。
JRもあるけど最寄り駅がこちらだったので。
ちょっとレトロな雰囲気の駅で、屋島方面に行くには改札を入ってから踏切を渡るという珍しい造り。
電車が来てからのダッシュはムリっぽそう。 -
琴電屋島駅から屋島行きのバスが出ているのですが。
ちょっと歩いて寄り道。
コチラは屋島へ行く途中の道にあるわら家。
江戸時代末期の藁葺屋根の風情あるうどん屋さん。
開店すぐくらいの到着だったけど、結構人が並んでいた。
コチラはレジで先にお会計をしてから席に案内される、ファストフード的なシステム。ざいごうどん 本家 わら家 グルメ・レストラン
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まず、うどん出汁が到着。
黒の器はうどん出汁を、白の器はお茶を入れるようになっている。
はじめ間違えたけどw -
ココでは釜あげうどんにしてみた。
うどんばっかりじゃちょっと飽きるので、野菜の天ぷらも。
うわ。
ココのうどん美味しい。
釜玉ばっかり食べてたけど、釜あげってめっちゃ美味しいのね。
天ぷらも衣が薄くて美味しい!
結構天ぷらは好きな食べ物。
大満足のランチです。 -
このまま屋島へ行こうかと思ったけど、同じ敷地内に四国村ってのがあった。
四国各地から移築された建造物を見学できる施設。
結構興味をそそられたので入ってみることに。
入場料は1000円。四国村 テーマパーク
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入ってすぐの場所にあるかずら橋。
租谷のかずら橋を模して作られています。
祖谷のかずら橋は知っていますが、四国とは知らなかった。
平家の落人村としても有名らしい。 -
そういえば新神戸の裏手の山にも祖谷のかずら橋を模したとあった橋があったけど、それよりかなり本格的。
大きさは実際の2/3程度らしい。
もっと実物は大きいと思っていた。
下の池までの距離が近いのでそこまで怖い感じではないけれど。 -
結構踏み外せてしまうくらいの間隔なんですよね。
落ちそうでしょ?
てか、スマホは結構危険。 -
かずら橋を過ぎると見えてきたのが農村歌舞伎舞台。
江戸時代末期のものらしく、小豆島にあったものらしい。
舞台、楽屋、義太夫の床、お囃し座がある造り。
ローマの円形闘技場のような造りですが、当時はそんなことはないかと思う。
小豆島の人々の楽しみが春と秋に行われるこの歌舞伎舞台。
なんと役者は地元の人々ってところがすごいですよね。 -
道なりに歩いていくと何やら壁が。
コチラの壁は猪垣と呼ばれているそうで。
これも小豆島のものらしく。
農民の人たちの頭を悩ませるのが動物の被害。
畑で育てた農作物を守るために作られた垣根らしい。 -
次に出てきた建物が旧山下家住宅。
香川の大川郡白鳥町にあったもの。
平屋建ての寄棟造りの茅葺屋根のいわゆる一般的な農家。 -
コチラは中も見ることができた。
建物の約半分が土間になっている。
釜や農作業用品が展示されている。
家の大部分がこのような作業道具に取られてしまっていますね。
そしておそらく大家族。
結構この家では厳しかったのではないでしょうか。 -
隣にある小さな建物はトイレとお風呂。
トイレとお風呂って近くにあるものと思いますが、トイレの排水が現在とは全然違うので、絶対匂ってくると思う…。 -
大きな広場に出た。
この時はこの辺で折り返しなのかな、と思っていましたが甘かった。
めちゃくちゃ広いんです、四国村。 -
広場にあった大阪城残石。
どうやら大阪城の石垣の修復に小豆島の石が使われていたらしい。 -
旧河野家住宅。
愛媛県南部小田町の深い谷筋の奥まった斜面にへばりつくように建っていたんだとか。 -
土間脇に茶の間、その奥に座敷の二間取り。
部屋の床には竹が敷かれ、寒い山間の住まいの特徴を表している。
それぞれの部屋に囲炉裏があるのも寒い地方ならでは。 -
土間にある大きな釜。
コレは和紙の原料にするコウゾを蒸すものらしい。 -
砂糖しめ小屋に到着。
丸くてトゥルッリみたいな小屋。
この砂糖しめ小屋は香川県に2棟だけ残っていた大変珍しいもの。 -
中には3つの樽が置かれている。
砂糖を入れていた樽でしょうか。
当時は讃岐は日本一の砂糖生産地だったそうな。
ただこの樽の量だとたかがしれている。
当時はかなり貴重だったんでしょう。
ちなみに黒糖は薩摩が名産地。 -
もう1塔のしめ小屋の中。
コチラには3つの臼。
この臼は牛がずーっと回していたんだって。
何だか切ない…。
なので砂糖しめ小屋は丸い説。 -
釜屋という建物。
砂糖しめ小屋で絞ったサトウキビの汁を煮詰める小屋。 -
コチラも3つ釜があるのですが。
奥からアラガマ、ナカガマ、アゲガマと呼ばれるらしい。
見ため同じようなんですが。
アラガマから順に砂糖を煮詰め、不純物を取り除いて、最後はドロドロの状態にしてヒヤシガメに入れて冷ます。
すると徐々に固まり結晶化する。
この段階の砂糖を白下糖と呼ばれ和三盆の材料になるんだとか。
和三盆は食べたことございません。 -
少し自然の多い道を歩いてると…。
-
墓地?
左甚五郎という方の墓碑らしいのです。
この方は伝説の名工だったらしく。
甚五郎の彫った鯉が泳いだ。
甚五郎が作った竹でできた水仙を水に浮かべたら花が咲いた。
等、そんなことありえないだろ、という逸話を残した人物。 -
次の目的地は四国村ギャラリー。
いきなり現代建築が現れる。
コチラは四国村創設された方が収集した美術品が展示。
館内は撮影不可ですが、欧州やアジアの美術品が見学できる。 -
もう一つの四国村ギャラリーのウリが安藤忠雄建築ってことなのかな。
建物から中庭に出ることができる。 -
でその中庭からの風景と建築が素敵。
なかなか写真の撮り方が難しいので、実際行った見た方がとても素敵です。
ココだけ現代建築なので、なんか江戸時代の中にある未来って感じって思った。 -
道の途中にポツンとあった茶堂。
元々は悪霊払いの意味があり、村の入口に建てられていたお堂。
その後、街道を行く人の接待の場、お遍路の休み場として利用されるようになったとか。 -
そのすぐそばにあったカンカン石というもの。
石なんですが、叩くと金属音の音がすることでカンカン石と呼ばれているのだとか。 -
道を進んで行くと分岐点が現れた。
時間のない方はショートカットのコースも。
私はそのまま奥へと進む。 -
ココは少し小高くなっていてちょっとしたトレッキング。
道は整備されているのでとても歩きやすい。 -
辿り着いた先は燈台。
こちらの燈台は大久野島燈台。
明治27年の5月15日に点灯し、平成4年に老朽化のために建て替えられ、この四国村にきたんだとか。 -
燈台の近くには退息所と呼ばれる燈台守の住宅があり、四国村には3棟の退息所がある。
コチラは旧江埼灯台退息所。
日本で8番目の様式燈台である江埼燈台は、淡路島の北にあるらしい。
阪神大震災で石造りの壁に大きな亀裂が入り、屋根も落下。
そのため四国村に移築し修復保存。 -
中も見ることができる。
部屋は3つか4つほどあった。
明治4年に江埼燈台が点灯されたので、この退息所もその時期のものでしょう。
当時としてはかなりモダンな洋風。
燈台守は日本人だったのでしょうか。
様式に慣れていない人はなかなか使い勝手は難しかったのではないかと。 -
続いて鍋島燈台退息所。
こちらも石造りの洋館。
先ほどの江埼燈台の退息所と同じイギリス人技師のR・Hブラントン氏の設計。
彼は日本の燈台の父とも呼ばれ、26もの燈台を建てている。 -
こちらも一部中を見学できる。
洋間しか見れませんでしたが、畳敷きのお部屋もあったそうな。
トイレや浴室は外にあったとか。 -
最後に旧クダコ島燈台退息所。
クダコ島燈台は愛媛の松山市の沖のクダコ水道にある燈台。
明治36年に初点灯なので、他の燈台より新しい。 -
外見は洋風な造りですが、中は純和風。
左右で2つに分かれた2家族用になっている。
こちらの方が明治時代の人にとっては安らげそう。 -
コチラは旧クダコ島燈台退息所の付属の物置だったかと。
造りは退息所と同じ構造。 -
中を覗くと…。
物置というか、お風呂だった。 -
燈台は少し離れている場所にあったので、戻る途中の道がちょっとしたトレッキングコースになっている。
あまり時間はないのだけど、せっかくなので進んでみる。
紅葉の時期とかに来たらすごい綺麗っぽい感じがする。
四国村ってすっごいお得ですよね。
たくさんの住宅が見れて、トレッキングもできて、安藤忠雄建築も見れて1000円って。 -
続いては楮蒸し小屋。
まず楮って何ぞや?からですが。
クワ科の落葉低木らしいです。
樹皮の繊維が和紙の原料となるらしい。
土佐は高級和紙の産地で、この楮蒸し小屋で伝統の和紙づくりが行われていたんだとか。 -
中にはなんかすっごい神々しく祀られたようなものが。
神社の何かかと思いましたが、コレは和紙を作る道具。
切り揃えた楮を束にして釜に立て、上から桶をかぶせて蒸す。
取り出して皮を剥いで黒皮を取り、水に浸した白皮をモチにして棒で叩く。
最後に水に入れてすくい上げて、紙に漉く。
という、めちゃくちゃ手の込んだ作業。
そら、和紙とか高いはずだわね。 -
旧下木家住宅。
1781年の建物で、国の重要文化財にもなっている徳島県美馬郡にあった住宅。 -
どうやら木地師と呼ばれる、木を削ってお盆やお椀を作る人だったらしい。
一間半の土間。 -
ナイショとよばれる二間。
その奥がオモテの3間。
と思われます。
上屋梁、下屋梁に穴をあけて柱を通すおとしこみ方式で組まれている。
建築年代が明確にわかっているものは珍しく、太い梁を組んだ空間がとても素晴らしい家。 -
そのまま進むと庭園みたいな場所に出て。
何やら近代建築と合わさったような素敵な池に。
明治大正期の民家の基礎に使われていた石を用いているんだとか。 -
こちら反対側に出るとこのような噴水になっていた。
彫刻家である流政之氏の作品だそうです。
私は知らなかったのですが、有名な方みたいですね。 -
添水唐臼。
穀類を精白するために臼に入れて杵でつく作業を水車を利用していたもの。
徳島県一宇村にあったものを復原したもの。 -
旧久米通賢先生宅。
先生とあるので科学者だったようです。
江戸時代に香川の塩の生産量は全国の半分近くを占めていたのだとか。
その基盤を作ったのが久米通賢氏であり、平賀源内とともに讃岐を代表する科学者だとか。 -
先生のお家は土間がない。
平屋建ての寄棟造り茅葺で、天井裏から計量器具や大砲の鋳型等が発見されたとか。
彼の発明は軍船、大砲、撃発式鉄砲、ピストル、扇風機だとか。
ピストルって西洋の発明じゃなかったの?という疑問。 -
お部屋は和室。
現在は休憩所として利用されているっぽい。
先生のお宅なだけに今まで見た家よりも広くて豪華。 -
続いて旧中石家住宅。
平家の落人村として有名な祖谷の民家。
傾斜が激しい場所にしがみつくように建っていたのだとか。
コレは主屋。
にしがみつくように建っていた割には大きい。 -
主屋は二間続き。
土間はありません。
部屋に囲炉裏があるのは寒い祖谷地方の特徴らしく。
全部の家に囲炉裏があるのかと思っていた。
でも土間がない場合はどこで食事の支度をするんだろう。 -
この家には隠居屋なるものも。
主屋、隠居屋、納屋と一列に並んでいたらしい。
祖谷の民家の特徴なんだって。
隠居屋は主屋に比べて出入りしやすいように、床を低く作ってあるのが特徴。 -
隠居屋も土間のない二間続き。
隠居屋だとおじいさん、おばあさんと2人で住むのかな?
だとしたら結構広めの家。 -
大きな蔵にやってきた。
こちらは旧丸亀藩御用蔵。
もともとは京極藩御用の米蔵で江戸後期の建物。
現在資料館になっている。 -
中は人形浄瑠璃の衣装等の展示。
人形浄瑠璃は江戸時代はかなり人気だったんですよね。
台本みたいなのや衣装の展示があった。
衣装の中には農村歌舞伎衣装も。
結構立派なことにびっくり。 -
奥にはめっちゃ絵ですが、当時の舞台の様子が描かれている。
これは人形浄瑠璃の?農村歌舞伎の?
どちらかはわかりませんが、舞台は結構立派。 -
この蔵の前にはたくさんの樽が。
食料等を蓄えるものだったのでしょうか。 -
途中にあった造り酒屋の井戸。
石の産地だけあって、こちらも石造り。 -
続いて旧三崎の義倉。
これまた義倉って何ぞや?なんですが。
義倉とは平時に稲や麦を貯蔵して、飢饉の時に支給する制度らしいのです。
1940年まで機能していたことにびっくり! -
扉は固く閉ざされていますが…。
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奥には稲等を貯蔵していたよ、という展示があった。
でも物置にもなっているみたいでw
色々現代のものが置かれていたのが残念。 -
アーチ橋なるものがあった。
昔のこんぴら街道沿いにあったアーチ橋。
角閃安山岩といもので造られているらしく。
その昔、石棺にも使われていたものらしい。 -
アーチ橋の橋の上。
なかなかの急斜面。
この橋が造られたのは明治中期ごろらしく、当時はレンガを床に張ったらしくモダンな橋。
今でも全然通用する橋ですね。 -
醤油蔵・麹室にやってきた。
讃岐の醤油は1810年ごろ小豆島を中心につくられていたそう。
実は明治中期から昭和10年代は全国2位の生産量だったとか。
こちらの建物は香川の大川郡引田街のもの。 -
建物の対面の壁には醤油の樽。
めちゃくちゃ並んでいますね。
この丸い口を見てるとちょっと気分が…w -
中は大きな仕込み桶。
醤油づくりについてはよくわかりませんが。
櫂入れの工程で使うものらしく。
熟成諸味をつくる大きな桶なんだとか。
桶の容量から二十石桶だとか三十石桶だとか呼ばれている。
ちなみに二十石だと3600リットル。
桶底の大きさから五尺桶だとか六尺桶とか呼ばれているんだって。
五尺は1.5m。
仕込み桶にちょこんとついている小さな桶はため桶というらしく。
仕込みの時の汲み水を運んだり、諸味を桶から取り出したり、製品の醤油を運んだりと用途はたくさん。 -
隣の建物はフナバの展示。
この大きな木?はオシブネと言い、諸味から粕をとるために使う道具。
中に着見上げた絞り袋をテコの原理を用いて醤油を絞り出すんだとか。
オシブネが置かれた作業場をフナバというんだって。 -
味のある醤油の壺が展示。
こういうの好き。
ちなみにこの醤油ってめっちゃ入るけど、この壺に入れて賞味期限ってどんなもんなんだろ。
当時は冷蔵庫とかもないしね。 -
醤油メーカーのラベル。
こういうのも好き。
レトロな感じでキュンキュンしますw -
この台は売り台。
店先での醤油の販売に使う台。
台の隅に穴が開けられ、台の上でこぼれた醤油はその穴から下の甕に流れる仕組み。 -
麹室。
その名の通り麹を作る部屋。
加工した大豆と小麦を種麹を入れたモロブタを積み上げて4日間かけて醤油麹を作る。
右にあるのがモロブタ。 -
建物の前には年季の入った自転車が。
昭和初期くらいはコレで売っていたのかな?
重労働ですね。 -
そろそろ出口に近づいてきた。
これは石蔵。
小豆島の土庄町北浦村出身で大阪に出て成功した藤原兵太郎氏が造った石の蔵。
彼は公債14000円を寄付し、この石蔵にて保管。
その利子で村の財政をまかない税金がかなり軽減されたとか。
ちなみに当時の14000円は現在の4000万円ほど。 -
隣にあった建物は消防屯所。
屯所とは駐在所みたいなところ。
なんかお店屋さんみたい。 -
そのお隣にあったのは警鐘台。
もともと護衛空母の無線マスト。
戦時の空襲にあって折れて空母は沈没。
引き上げられた際に地元の有志が貰い受け、警鐘台として活用。 -
旧前田家土蔵。
高知の布師田に明治初期に建てられた土蔵。
火災時の火の粉や大雨から土蔵を守るために屋根は二重になっている。 -
土蔵だけど中には部屋が。
この部屋は番屋と呼ばれ、隠居屋と離れ座敷を兼ねているとか。
このような土蔵は平野に多く、山や海の近くには見られない傾向なんだとか。 -
旧丸亀藩斥候番所。
香川と愛媛の県境にある箕浦の港にあったもの。
藩政時代の番所の1つ。
瓦には丸亀藩主京極家の家紋入り。 -
中は表側と裏側とで二分した造り。
番所のため民家とは違った造りが面白い。 -
旧吉野家住宅。
徳島の太平洋側の断崖にあった漁師の家。
切妻造り平屋建て、本茅葺で強風から守るような造り。 -
漁師の家なだけにたくさんの蛸壺が。
大きなものは大蛸壺で、穴に潜むというタコの習性を利用した漁具。
小さいものは飯蛸壺。 -
昔のままの漁師の家はかなり貴重。
さて、これにて四国村の見学は終了。
いやいやとっても見どころがたくさんでした。
サクッと見て終わるつもりが結構時間をかかってしまい、2時間以上はいたかも。
なかなかこんなにたくさんの古民家を見ることができないのでとても満足。 -
四国村を出たところ(入口近くとも)に素敵な洋館。
神戸の北野にある異人館と同じ匂いがする…。
と思ったら、実際神戸の北野にある異人館を移築したんだとか。
ココはティールームになっているので、時間がある方はゆったりとティータイムを楽しむのがオススメ。
雰囲気はかなりよさげでした。
私は時間が押しすぎて、そんな余裕はありませんでしたが。 -
異人館前にあるポストはロンドンのチェルシーにあったものらしい。
異人館もいいですよね。
久しぶりに神戸の異人館も行ってみてもいいなー。
当初の予定よりすっかり遅くなってしまいましたが、四国村よりバスで屋島山頂へ。
帰りのバスが結構早いので滞在は約3時間半。 -
14時前に屋島山頂に到着。
屋島山頂の見取り図。
意外と大きい。屋島 自然・景勝地
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どう周るのがベストかがわからないのですが、とりあえず入口っぽい方向へ進む。
今は陸続きの屋島ですが昔はちゃんと島だったそうです。 -
行く予定ではなかったのですが立派なお寺が見えてきた。
ココには四国霊場八十八ヶ所・第84番札所の屋島寺がある。
四国霊場八十八ヶ所巡りっぽい人がポツポツいた。屋島寺 寺・神社・教会
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朱が映える門構え。
元々は天平勝宝5年(754年ですかね…?)に鑑真和上が唐から難波に向かう途中、屋島に立ち寄りお堂を建てたのが始まり。
四国霊場で唯一鑑真和上が建てたお寺として有名だそう。 -
中はかなり広い。
何やらたくさんの建物がある。
お堂やら梵鐘やら奥にはたぬきがたくさん。
この梵鐘は鎌倉時代に平家供養のために建てられたものらしい。 -
小さいお堂が並ぶ。
全て扉は閉ざされていた。
こういうお堂が開かれる時期は決まっているのでしょうか。 -
いきなり狸!
日本三大狸屋島の太三郎狸が祀られているとか。
覚えにないけどジブリの映画にも登場したとか。 -
立派な本堂。
1618年に建てられたらしいですが、一部は鎌倉時代からのものも。
何度も修復されていますが、大切に保存されています。 -
後ろを振り向くと立派な門が。
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本来の入口はこちらの東大門。
入口間違えちゃいました。
というより、バスで来たらあの朱色の門から入るしかないような…。 -
さらにその手前も歴史を感じる門。
本来はこの仁王門から四天門の東大門をくぐり本堂に入るのだとか。 -
続いて向かうのは屋嶋城跡。
屋島寺から15分くらい整備された山道みたいなところを歩く。 -
屋嶋城についての案内。
お城というので戦国時代以降のものかと思ったら、どうやら天智天皇の時代に造られた古代のお城。
この屋嶋城は天智天皇が唐と新羅の侵攻に備えて築いたお城の1つ。
667年に築かれたらしく、日本書紀にも記されていたのだとか。
ただ実際のところは本当かどうかもわからなかったらしいのですが、1998年に石積みが発見され、その後の発掘調査で屋嶋城の存在が明らかに。屋嶋城跡 名所・史跡
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おお。
すごい場所にありますね!
この屋嶋城は断崖絶壁を利用した古代山城で、城壁の9割は崖だったそうな。
敵からの侵攻に備えて造られたお城ですが、住む人?常駐している人?もなかなか大変だったんじゃないかと。
それ以前に造る人だな。 -
城門についての詳しい説明も。
後で知ったんですが、スマホで甦れる屋嶋城っていうアプリをダウンロードしておいたら、ARで再現した古代の城門を画面上で見ることができるんだって。
このアプリも後から知ったんだけど、これをダウンロードしておけばもっと楽しめたのにな、と今思うと残念。 -
正面っぽい場所から撮った屋嶋城。
目の前は高松市内ですが、当時は島だったので周りは海だったそうです。
それにしてもすごいですよね、今は陸地ってことが。
いつから陸続きになったのかはわかりませんが、長い年月で陸続きになるんですね。
ARでは戦闘シーンも体験できるんだとか。
それにしても天武天皇の時代だと大化の改新、てことは、600年代半ばにできたのでしょうかね。
当時は周りが海、断崖絶壁な場所に城を建てるのは本当に大変そう。 -
下の城壁部分にも降りることができる。
かつての城門はハシゴがないと出入りができなかったそう。
なので簡単に入ることができない。
場所によっては6m程の城壁だったらしいです。
ちなみに公開されたのが平成28年からと、観光スポットとしては新しい。 -
お城と言えば戦国時代以降とばっかり思っていましたが、こんな古代の城もあったのは発見。
なんか古代のロマンを感じますね~。
瀬戸内海に色々この時期古代山城が造られたみたいだから、他にも見てみたいと思った。
兵庫にもあるみたいだけど、岡山の鬼ノ城が気になった。
でも車しかムリっぽいんだよね。 -
屋嶋城を見終わったらGoogleマップで位置確認。
そうすると旧屋島ケーブルの屋島山上駅ってのが出てきたので行ってみた。
屋嶋城から10分くらい。
突如山の中に現れた建物。
おお。
廃墟感がありますね。 -
ケーブルカー乗り場だった場所。
出口と書いてあるから降り場か。
このケーブルカーは1929年4月から2005年8月まで動いていたそう。
かなりの昭和館が漂っています。
残念ながらケーブルカー乗り場のところまでは行けなかったのですが。
麓の登山口駅はことでんの屋島駅近くにあるんだとか。
帰りに寄ってみよう。
登山口駅から山上駅までは860m、5分半の距離だったとか。
車が主流になって利用者がいなくなったのかな。 -
かつては賑わっていたのでしょうか。
手荷物預所やお土産屋っぽい場所、食事ができるような場所がありました。 -
夜逃げしたのか?と思われるくらい荷物がたくさん残されているんですが。
タコおでんが名物だったみたいですね。 -
ちょっと窓から覗いて見ると…。
わかりにくいですが、お土産物がそのまま残されています。
2005年に廃線したんだったら25年以上このまま? -
自販機もレトロ。
今では見ない銘柄がたくさんあります。
気になったのはつめたいおしるこ。
昔も知らないけど。
美味しいのか? -
旧屋島ケーブルを見終わって残り時間が90分ちょっと。
屋島観光での見どころの1つが遊鶴亭展望台。
バス停から徒歩40分もあるんだけど。
そして今いる場所がバス停からかなり離れているんですが。
すっごい早足で行けば間に合うよね?
ということで、Googleマップを見ながら競歩で進む。
旧屋島ケーブル近くの道。
整備されているけどめっちゃ長い。 -
途中にあった見晴台。
屋島にはところどころに見晴台がある。 -
ココからの眺め。
お隣の山?が見える。
にしても海の色が青い。 -
ふう。
やっとバス停付近まで戻ってきた。
この辺りも廃墟が多い。
今も人気観光地だと思うんだけどね。 -
この廃墟の前にも見晴らし台があったけど、先ほどの眺めとそこまで変わらず。
同じく高松の市内が一望できる。
ココには源平屋島合戦史跡案内図があった。 -
さて、ここからが遊鶴亭展望台の道のりですが、山道を歩いていくという感じ。
このような木々のトンネルをくぐりながら展望台を目指す。
紅葉の季節とかがめっちゃよさそう! -
道の途中の見晴台、魚見台から。
太陽が沈んでいってますね。
そして時間もヤバイ。
かつては瀬戸内海を行き来する船を監視する場所だったとか。
その後、魚影を探して沖の漁師に伝えるための場所になったとか。
遊鶴亭まであと600m、ここまで約30分で来れた。
ただ通常の2倍以上の競歩ですが。 -
坂道とかがそんなにないのが幸いですが、この600mがかなり遠く感じた。
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魚見台から5分ちょっとで遊鶴亭展望台に到着。
360度ではなく320度見渡せる展望台。
ちょうどココに辿り着いた時、ここでストレッチ?をされている方がいたのですが。
眺めは抜群だけど、ココまで結構遠いよね…?遊鶴亭 名所・史跡
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にしても人の気配がなく、一面海を見渡せるこの遊鶴亭展望台は絶景。
この屋島のとんがっているような部分が長崎ノ鼻と呼ばれる場所。
車だと目の前まで行けるみたい。
逆に車じゃないとムリっぽい感じなのですが。
屋島の最北端で幕末期の砲台もあるのだとか。 -
目の前に見える島は大島(だと思います)。
源平合戦の舞台にもなった島で、屋島の戦いに敗れた平家の墓に植えられた松があるんだとか。
そして、島には唯一1軒のみカフェがあるとか。 -
コチラは昨日行った女木島ですかね。
そういえば女木島からも屋島が見えてましたね。
だいぶ太陽も傾いてきたので、というより、バスの時間がヤバいので帰りましょう。
ちなみにこの時点でバスの40分前くらいでしょうか。 -
途中に気になるところがあったのですが…。
ココは千間堂跡とありました。
今は特に何があるわけではないっぽいのですが。
ココも鑑真和上が建てたという言い伝えなんだとか。 -
途中下り坂を走ったりしながら急いでバス停へ。
木漏れ日が素敵ですが、この時期は結構早く暗くなるので注意ですね。
暗闇は結構怖いと思う。 -
25分でバス停付近まで戻ってきた。
かなりのハイペースで歩き、途中下り坂はちょっと走ったりもしましたが。
ココは屋島の宿桃太郎に併設されている茶屋。
このお宿、見ためよりもかなりキレイっぽくて屋島に泊るならオススメ。
わんことも泊まれるそう。 -
その近くの獅子の霊巌。
バス停に近い絶景スポット。獅子の霊巌 名所・史跡
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夕日がめっちゃキレイだった。
夜景もかなりキレイみたいなので、車で来られる方は是非夜景も! -
獅子の霊巌からバス停まではお土産屋通り。
既にしまっていましたが。 -
バス出発まであと10分もないですが最後にこちらに立ち寄り。
めっちゃ草ぼーぼーなんですがw -
コチラは別名血の池と呼ばれる瑠璃宝の池。
何故血の池かというと。
源平合戦で壇之浦で戦った武士たちがこの池で血刀を洗い、池が赤く染まったことに由来するらしい。
この血の池を見てバス停に戻って、無事最終バスに間に合った。 -
無事バスにも間に合い、帰りに旧屋島ケーブルの登山口駅に立ち寄ってみた。
ことでんの屋島駅から歩いて10分弱。
18時になっていないのにめちゃくちゃ暗い。
写真写りが悪いのはめちゃくちゃ暗いから。
スマホの灯りが必要なくらい暗かった。 -
ココはレトロすぎるケーブルカーが展示。
中にも入れる。 -
中もレトロ。
めちゃくちゃ暗いので、スマホでライトを照らして撮影。
ビニール袋があるんだけど、新しいから誰か置いていったのか? -
駅の看板もかなりの昭和。
せっかく残しているのであれば、少し整備して博物館にしてほしいなー。
でも、費用対効果が見込めないんでしょうね。 -
深夜の船で神戸に戻るので晩御飯はうどんもいいけど、飽きてきたのでもう1つの高松名物骨付鶏にしよう。
土曜日の高松を甘くみていた。
骨付鶏を食べようにもどこもお店が満席…。
予約をしないと厳しいらしー…。
数軒断られたあと、やってきたのは寄鳥味鳥というお店。
商店街の2階にある。
そして、商店街結構早く閉まるんですよ…。
今まで神戸や大阪では深夜くらいまで開いているお店が多かったんだけど。
この後フェリーの出発までがどう時間を潰そう。骨付鳥 寄鳥味鳥 グルメ・レストラン
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20分くらい待って入れた。
頼んだのはビールと若どりの骨付鶏と鶏飯。
香ばしく焼かれた骨付鶏は美味しくないわけがない!
コレで900円ってお安くないですか?
若どり以外にも親どりがあるから、もし今度高松へ行ったら親どりも食べてみたい。
鶏飯はお吸い物がついて500円とこれまた安い。
鶏がかぶってますが、鶏肉は好きなので問題なし。
この骨付鶏はかなり美味しい。
お昼うどん、夜骨付鶏がいいかも。
コチラのお店はお値段も2000円くらいでお手頃。
他のお店も同じようなお値段だった気が。 -
さて、深夜1時のフェリー時間までどうしましょうか。
スマホでカフェを探すも全部19時とか20時とかで閉まる。
そもそも三宮から歩いて帰れるのだから24時頃到着の船でよかったのでは…?と思ったのは後の祭り。
ちなみに個室は予約必要だったから予約してしまっていたんですよね。
個室でない場合は混雑期以外はそのままフェリー乗り場でチケットを買えばOKなので、19時のフェリーで帰れたのですが。
で、やっとみつけたガスト!
23時までの営業だけど。
ソフトクリームとドリンクバーで最終まで粘るw
このソフトなんだか偽物の味がする?
ホンモノってなんだ?と言われたら微妙なんですが。
ソフトクリームじゃなくてソフトシャーベットって感じ? -
で、ガストを追い出されたあとは高松駅でバス発車時刻までいて、送迎バスで乗り場へ。
高松駅からジャンボフェリーの乗り場までは無料。 -
そしてココでも約1時間待って…。
顔を洗ってバタンキューで寝てしまって、起きたら神戸についてた。
寝足りん。
でもサクッと行くにはちょうどいい距離。
そして通常であれば日中便がいいかも。
寝足りないのでw -
今回は地域クーポンでコチラのうどんを。
やはりお土産はうどんですよね。
ってことで、自分用の他に母と姉にも。 -
今話題?のアマビエ系を。
てか、アマビエって全く知らなかったんですが、みなさん以前から知ってました?
江戸時代ごろには知られていた妖怪のおひとり。
豊作や疫病に関する予言をするらしい。
そしてこのアマビエ様の姿を描いた絵を見せるとよいらしい。
ってことでアマビエ瓦せんべいを買ってみた。
瓦せんべいと言えば神戸では亀井堂さんで。
亀井堂さんの味が瓦せんべいと思っていたので、味が全然違って結構衝撃でしたw
はじめはちょっと苦手っぽい感じでしたが、食べすすめるにつれて美味しくいただけました!
これにて高松の旅行記はおしまい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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