2021/07/31 - 2021/07/31
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sallyさん
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この朝、日光で滝を流れる水の音を聴いて涼もうと車で出かけましたが、途中、「足尾銅山行って見ない?」と同乗者の思いつき発言。
県道122号線、「いろは坂」に続く120号線に分かれるところで、左(西)に折れ、行き先変更、「足尾銅山」に行ってみました。昔々、来たことがあるという連れの話によると、その頃、“その山はグランドキャニオンのように赤かった“らしい。
...グランドキャニオン?
しかし、そこは予想に反して、「緑の山」でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
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-
着いたのは10時ちょい前。
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私自身は多分、幼い頃に来たことがあるはずなんですが、全く記憶なし。
よって、「足尾銅山観光」という名の、テーマパーク(っていうのかな)、教育施設に行って、まずはきっちり、それはどういうものなのか学んでいきましょう、 -
入場料は850円です。
JAF割はなかったです。
そして、新しくて綺麗な施設にちょっとびっくり。とはいえ、10時。
誰もまだいません。こんな節であることもあり、空いています。 -
トロッコ車に乗り、下っていきました。
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あの先に行くのに、先導車を替えました。
あのトンネルの先が「坑道」Copper mine。 -
「この先に、総距離1200メートルの坑道が続きます」って看板がある「行き止まり」まで行って、トロッコ車を降ろされました。
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「え、え、」、「こんなところで?」ってなります。
先導車を運転してきたおじさんはトロッコ車に乗り、説明少なに、あれれという間に私たちを置き去りにしていきました。
こ、怖い、さ、寒い。。 -
江戸時代の中期には、地元農民により、その鉱脈は発見されていたらしいです。
ただ、それが、“お上“により“公的な財産“として、開発されるまでには時間があったようです。お上に取り上げられた、のも、時代を感じるが、それより、一般の方、その当時の方が、「それが銅」だって、“どう“やって気づくのでしょう?
この後、「どうやって銅を発見したの?」「どうして銅山は終わったの?」の“どう“が続く、密かにダジャレ連発の半日ではありましたが。 -
坑道の壁。
高さはしっかりあって、このような木組みがされていました。
上から始終、水が滴り落ちてくるのかな、と思ったらそうでもなかった。 -
鉱石を掘り出す方、より分ける方、運び出す方、
役割が分かれています。
というか、最初の頃、暗闇に照らされる職人のお人形さんたちが結構怖かったです。 -
明治、大正時代、、
この鉱山はなんと400年以上も続いたのですね、凄いですね。全然知らなかったです。 -
明治になると、機械を開発、導入してゆきます。
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坑道には線路が引かれ、重い鉱石がトロッコに積まれ運ばれてゆく。 -
見学路が思ったよりちゃんと整備されています。
寒いは寒い、です。夏にはちょうどいいかも。 -
昭和時代。
この銅山の終焉期です。 -
「休憩をする坑夫たち」
こんな皆さんを見るとホッとします。
最初の江戸時代の頃の皆さんを見ながらここまで来ると、現代にグッと近くなりますね。それが昭和でも。 -
右は人形さんです。
左は人間さんです。
暗いところで見ると、どっちも人形みたいで、怖いんです。 -
「群青色」(ぐんじょう色)のもとになる鉱石、みたいです。
映画「北斎ーHOKUSAI」を思い出しました。
主演の田中泯さんが、青い絵の具を浴びているシーン。 -
坑道を見学しながら出てきました。
距離は結構長かったような。。暗いし怖いし寒いし、30分くらいしかいなかったような気がするんですが、もっといたような。
さて、このような自然に湧き出す水にも銅の成分が含まれているのか、石垣の色を変えています。 -
見学を終え、あのトロッコに乗って戻るのかと思いきや、帰りは、歩いて戻ります。
駐車場に出るらしい建物に入り、階段を上がってゆく感じでした。 -
昭和の雰囲気なお土産屋さんがお出迎え。
銅の入った皿洗いスポンジ、たわし、お花を長持ちさせる銅片、の3つを購入。 -
階段に可愛らしい照明が三つ
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食堂もまた昭和エラ、全開。
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ここ、映画とかに使えるんじゃない?
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神社にお参りしてゆきます。
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おいおい、君は、、、な狛犬くん。 -
所変わり、、「銅親水公園」まで登ってきました。
この「銅親水」ってのが「あかがね しんすい」って読むんですよね。
読めるかーい。
それとこの橋、これ、銅を使った橋なんですって、凄いね。 -
あれは煙突。
あの元に、銅の精錬工場があったのです。
そして、山は、、、緑。
まるでスコットランド。
昔は、木が一本もなかったそうです。
精錬所やらで使うために周辺の木々が伐採されて燃料にされ、裸の赤い山だったらしい。
十数年前からボランティアさんたちなどによる、植樹が始まったらしく現在でも続いているそうです。 -
煙突のあった所、そう、「銅精錬工場」。
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工場閉鎖してどれくらい経つのかな。
思っているよりずっと新しい「廃墟」 -
当たり前ですが、正面まで回ってみたところで入れません。
この工場跡を含めた一帯を「世界遺産」登録する動きがあるみたいです。 -
こんな立派な整然としたしっかりとした建物があったんですよね、最盛期には。
沢山の労働者がいて、賑わう街があって。。。 -
工場手前にあった鉄橋は、明治時代のものらしいです。
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「古河橋」
私はまだ、この足尾銅山の歴史、略歴さえも知りませんが、
「古河橋」の「古河」はこの川の名前ではなく、
「古河」という工場主、それこそ今の大河ドラマの「渋沢栄一」さんの盟友だった古河さんという実業家のお名前に因んでいるだろうことは、ここら辺を回った翌日の今は、わかってきているつもりであります。
ちなみに川は渡瀬川(わたらせ)です。 -
風景1
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その2
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また来よう。
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工場跡地のすぐ近くには、このような家々が連なってました。
工場で働く人々の家々だったと思われます。
商店街などがあった場所は、この数キロ先に、もと「繁華街」だった面影を残す地域がありました。
そう、もうシャッター街、みたいになっている部分を含めて。 -
そんな中で、角にあった家がおしゃれっぽかった。
いやいや、そう見えないでしょう? ってなるかな。
いや、なんか、カフェみたいなのを開業していた感じがあり、 -
近づくと。。。
この家の最後の日、人が集まって話してお茶飲んだり、お酒飲んだりしてたんだな、って、そのまんま残ってた。
その時からどれくらい立ってるんだ? -
所変わって。
「古河掛水倶楽部」
銅山の最後の持ち主だったらしい実業家古河さんの、「迎賓館」というか「別荘」的な建物を見学。
入場料は500円くらいだったか。 -
往時の古河グループの事務所。
モダーンって、とってもオシャレな建物。
こちらは今はもうなくなってしまったようだけれど。 -
「古河掛水倶楽部」の敷地、外側からも見えた、とっても素敵な赤煉瓦の建物。
これは何? -
書庫だったそう。
とってもステキ。古河グループってお金あったのね。 -
敷地の並びに、「工場長宅」「所長宅」「課長宅」と、立派なお庭がついた戸建てが3つ並んでました。
この通りだけでも雰囲気出てますよね。 -
工場主の社宅の並びのこちら側は、テニスコート。
幹部社員が優雅にテニスしてたのかなぁ。。。 -
テニスコート敷地の角に書庫。
角の柱が、赤煉瓦と白いコンクリートと交互でおしゃれだよね。 -
入りたい。入れない。
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お昼は、川の水音が聞こえるところで頂きました。
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こちらは「古川掛水倶楽部」。
床が凹んであるあたり、時代と経た時間を感じます。 -
立派な木造の建物でした。
冷房装置はなかったように見受けられましたが、涼しかった室内。 -
帰り道、日光神橋付近。
普段はたくさんの行き交う人がいる通り。
この週、7月の4連休を受けて、くだんの感染症のことがあり。
なるべく人に会わないように歩くって
行き先を選び、時間帯を選び、ってなるわけで。
見たいのがなくても、毎週末映画館に行く友人の気持ち、わかる気がしてきた。
そんな週末。
おしまい。
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