2016/07/22 - 2016/07/22
125位(同エリア663件中)
旅四郎さん
この日はダブリン市内の歩いて行ける所を巡る1日にした。ダブリンは歩いて行ける場所に結構たくさんの見所がある。
7月22日(金)ホテルを出て、リフィ川沿いに西に歩いて、聖パトリック大聖堂、クライスト・チャーチ大聖堂、ダブリニアを見学して、トリニティ・カレッジに行っがオールド・ライブラリーが混雑していたので、国立考古学博物館、ダブリン城を見学して、すこし離れているが小泉八雲の家に行き、夕方セントラル・バスステーションからゴーバスを使ってコークへ行く。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7月22日(金)宿泊したクルフトンコートホテルで朝食を済ませ、ホテルに荷物を預けてチェックアウト後に散策に出かける。写真はオコンネル・ストリートの南の入口にあるオコンネル像。19世紀初頭の民族主義的指導者であるダニエル・オコンネルに敬意を表して造られた。
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西に少し歩くと写真のハーフ・ペニー橋が見える。1816年に建設され、世界で最も古い鋳鉄製の橋の1つ。19世紀初頭には橋を渡るのに半ペニーの歩行者通行料を支払わなければならなかったのでハーフ・ペニー橋と呼ばれた。ダブリンで最も古く、最も有名な歩道橋は、2001年からの改修で白く塗られた。
ハーフペニー橋 建造物
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さらに西に行くとクライスト・チャーチ大聖堂が見えてきたので入るが、まだ開館していなかったので、庭を散歩して、写真の聖パトリック大聖堂に行くことにした。アイルランドでは最大の教会。アイルランドの守護聖人パトリックに敬意を表して1220年から1260年の間に建てられた。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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大司教ジョン・コムが1191年に石造りの大聖堂に建て替える前は木造の礼拝堂があった。写真は東側のステンドグラスで聖人パトリックやコロンバ、ブリジットが描かれている。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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写真のケルトの十字架が刻まれた井戸にかぶせる石板は20世紀の初めに教会横の公園で見つかった。井戸は聖パトリックが改宗者に洗礼を行った泉だった。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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入ってすぐ右側の床にジョナサン・スイフトと彼の永遠の恋人ステラの墓がある。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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ジョナサン・スイフトはガリバー旅行記の作家として有名だが、この教会の司祭長を務めていた。スイフトのコーナーには写真のデスマスクが置かれている。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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写真は穴の開けられた和解の扉。1492年にキルデア卿とオーモンド卿が争い、オーモンド卿は教会に避難した。キルデア卿は和解の握手をするためにドアに穴を開けたといわれている。
聖パトリック大聖堂 寺院・教会
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クライスト・チャーチ大聖堂はダブリンとグレンダーロッホ連合主教区大聖堂。最初は1038年に北欧系デーン人によって木造の教会が建てられた。現在の建物は1870年代の大修復によってビクトリア朝のゴシック様式の特徴と12,13世紀の中世の資材が調和している。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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大司教ローレンス・オトゥールとノルマン人騎士リチャード・ド・クレア=ストロングボウによって1172年に石造の大聖堂が建立された。オリジナルは消失したが、オリジナルの一部といわれている写真のストロングボウの石棺が身廊に安置されている。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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内部には複数の礼拝堂がある。身廊を進ん行くと、写真の1870年代の修復時につくられた聖歌隊仕切りがあり、その奥の内陣には中央の祭壇がある。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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中央の祭壇の奥には写真の聖母礼拝堂がある。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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南翼廊にはダブリンの守護聖人となったローレンス・オトゥール大司教の礼拝堂がある。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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南翼廊には右はローレンス・オトゥール礼拝堂でロマネスク様式のアーチ、左の先の尖ったゴシック様式のアーチが見事に重なる天井は大変貴重なもの。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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階段を降りて地下礼拝堂に入る。地下礼拝堂は1188年に建てられた大聖堂の現存する最も古い部分になり、中世に建てられたものでは最大級。入口の向かい側に、写真のチャールズ1世とチャールズ2世の像があり、その間に紋章が置かれている。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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宝物展にはジェイムス2世が1689年にダブリンに滞在した時に使用した幕屋とウイリアム3世が寄付したプレートなど、大聖堂と教区の貴重で歴史的な工芸品が展示されている。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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1860年代に、おそらくネコがネズミを追いかけてパイプオルガンの中に入り込んで閉じ込められてミイラ化したものと見られている。
クライスト チャーチ大聖堂 寺院・教会
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ダブリニアはクライスト・チャーチ大聖堂の会議ホールとして、18世紀にネオ・ゴシック様式で建てられた。1870年頃に大聖堂とは美しい渡り廊下で結ばれ、ここを通って入館することができる。チケットは共通券になっている。
ダブリニア 博物館・美術館・ギャラリー
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ヴァイキング時代から1540年のヘンリー8世による修道院解体までの中世のダブリンを体験できる博物館。1階はヴァイキング時代のダブリンを中心に、ヴィキングの活動や生活を紹介している。写真はヴァイキングの戦士のための埋葬儀式が再現されている。甲冑や鎖帷子などを身につけて体験できるコーナーもある。
ダブリニア 博物館・美術館・ギャラリー
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2階は中世のダブリンの歴史や人々の生活を紹介する展示。写真は死と病気に関する展示で、ダブリンでのペストの様子。1348年のダブリンでは継続的な戦争により経済の衰退する中でペストが蔓延し、アイルランド全土で14,000人もの命が奪われた。700年前の犯罪と罰、歯痛の治療法などについての展示もある。
ダブリニア 博物館・美術館・ギャラリー
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3階はヒストリー・ハンターという名称で、考古学の発掘や研究について学ぶ場になっている。バイキングと中世の骸骨を含む中世の遺物が展示されている。3階にはショップもあり、ここでクライスト・チャーチ大聖堂とつながっている。
ダブリニア 博物館・美術館・ギャラリー
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トリニティー・カレッジの正門を抜けると、正面に写真の高さ30mの鐘楼がある。鐘楼の右にあるオールド・ライブラリーを見学するつもりだったが、入るのに時間がかかりそうだったので、構内を散策することにした。
トリニティー カレッジとケルズの書 史跡・遺跡
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トレーナーやTシャツなど大学関連グッズを移動販売している自動車が止まっていた。
トリニティー カレッジとケルズの書 史跡・遺跡
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写真は1964年に開館した4階建てのバークレー図書館。プラザ出入り口にあるアルナルド・ポモドーロの作品『球体をもった球体』が置かれている。
トリニティー カレッジとケルズの書 史跡・遺跡
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せっかくトリニティ・カレッジにきたのだから、食堂でスープを注文して軽く昼食。
トリニティー カレッジとケルズの書 史跡・遺跡
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トリニティ・カレッジの近くにある国立考古学博物館に行くことにした。トーマス・ディーンの設計で1880年代に創立された。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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館内は2階建てで、紀元前2000年から現代までのアイルランドの宝物や工芸品をなどが展示されている。1階は先史時代、2階はヴァイキング時代、中世ものを中心にアイルランドの歴史が学べるようになっている。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1階には写真のタラのブローチが展示されている。8世紀に作られた金のブローチで僧衣を留めるためのもの。表裏にケルトの模様が掘り込まれ、アイルランドの金細工の最高峰と言われ、国宝として収められている。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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1868年にリメリックのアーダで発見されたのでアーダの聖杯と呼ばれている。8世紀のものでミサの際に神に捧げるパンやワインを入れる精巧な聖杯で、金、ブロンズ、エナメルなどで装飾されている。組みひものようなケルト模様が素晴らしい。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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コングの十字架は7世紀に建てられたコング修道院が所有していたもので、12世紀のものといわれる装飾品。オークと青銅で作られた見事な十字架にはクリスタルがはめ込まれている。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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下が聖パトリックの鐘でリベットで留められ、青銅でコーティングされた2枚の鉄のシートでできている。上が鐘の櫃で1100年頃に作られ、鐘の形に合わせて青銅板で形成され台形になっている。湾曲した紋章で覆われ、正面は金の細線細工で覆われている。
国立考古学 歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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トリニティ・カレッジに戻って入館する。日本の国会図書館と同じように法定納本図書館で、アイルランドおよびイギリスで発行された本の納品が義務づけれている。1712年にトーマス・バーグによって建てられた。1階にはケルト芸術の最高峰といわれる『ケルズの書』があるが、撮影禁止。写真は2階の長さ65mのロングルーム、最も古い蔵書約20万冊が収められている。
トリニティー カレッジとケルズの書 史跡・遺跡
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リフィ川とポッドル川が合流したダブリン城の庭に黒い水たまり(ダブリン)があり、街の名前の由来になっている。かつてヴァイキングの砦だったが、1204年にジョン王によって建てられて以来、1922年の独立までアイルランド支配の拠点、総督府として機能してきた要塞・城で、イギリス支配のシンボルだった。写真のレコードタワーは1228年頃に建てられた中世の城の唯一の生き残った塔。
ダブリン城 城・宮殿
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写真はベットフォード・タワー。ダブリン城の中庭の北側にある時計塔だが、タワー内は見学不可。自分で自由に見学できるのはタワーの反対側にある国の応接室兼歴代総督の居城として建てられたステート・アパートメントだけ。
ダブリン城 城・宮殿
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19世紀に作られた立派なカンチレバー構造の階段を上がると、写真のバトルアックス・ランディングになる。1831年に解散した総督護衛隊にちなんで名付けられた。入口の上には黄金の竪琴の紋章が描かれている。階段も廊下もドネゴール産のカーペットが敷かれている。
ダブリン城 城・宮殿
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階段を上ると聖パトリック・ホールがある。最も豪華で最古の部屋で、元々は総督公邸の舞踏場だった。壁面には聖パトリック騎士団の軍旗が飾られている。現在はアイルランドで最も重要な式典の場であり、政府要人の公式晩餐会や、アイルランド大統領が7年ごとに就任する場所でもある。
ダブリン城 城・宮殿
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写真の応接室は1838年に城の正式な居間として設計された。ウォーターフォード・クリスタルのシャンデリアやイタリアの大理石、豪華なカーペットなどの調度品に彩られた豪華な空間。現在この部屋は外国の要人の応接のために使われている。
ダブリン城 城・宮殿
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黄金に彩られた王座の間はもともと1740年代に戦斧ホールとして建てられたが、謁見室に改築された。かつてアイルランドの英国王室の中心であり、英国君主が表敬訪問を受けたり、総督就任式が行われた場所。1821年にジョージ4世がアイルランドを訪問してこの玉座に座った。
ダブリン城 城・宮殿
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1916年のイースタ蜂起で指導者だったジェームズ・コノリーに捧げられた部屋。イギリス軍に捕らえられる前に負傷していたコノリーはダブリン城の赤十字病院で治療を受けた。軍法会議では独立宣言に署名した他の16人とともに死刑を宣告され、キルメイナム刑務所で銃殺されたが、今なお建国の英雄として讃えられている。
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写真はダブリン城内のチャペル・ロイヤル。ガイド・ツアーに入るとヴァイキングの地下遺構やこの礼拝堂を見学することができる。
ダブリン城 城・宮殿
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ホテルで荷物を受け取って、セントラル・バスステーションに行く。その近くに写真のラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲が幼少期を過ごした家がある。現在はタウンハウスというゲストハウスになっているが、宿泊や内部の見学はできないようだ。セントラル・バスステーションに戻って、午後4時30分発のゴーバスでコークに向かう。
タウンハウス ホテル
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