2019/10/28 - 2020/10/28
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gianiさん
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タルヌ県の県庁所在地アルビ。
異端カタリ派(アルビジョワ)を征伐する十字軍による
残忍な虐殺事件の後に建設された世界遺産を構成する建造物群と
ロートレック美術館を堪能する。
まさかのジョルジュ・ラ・トゥール作品にも遭遇。
- 旅行の満足度
- 5.0
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公共交通を利用したアクセス手段は鉄道のみです。
アルビ駅 駅
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駅と旧市街の中間に位置する公園。
広々としています。Le Jardin National 広場・公園
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直訳:10月の薔薇
傘を使った粋な演出でした。 -
1520年に建設されたルネサンス様式の館。
石造りで情緒あります。
植物染料タイセイ(油菜の一種、藍色)で財を築いたレイネ家の邸宅。
現在は商工会議所になっています。
※17世紀にインド産の蓼藍の染料が流通するようになると衰退する。
藍色=インド産の染料ということで、インディゴカラーと呼ばれるようになる。
フランス語のパステルは、タイセイまたはタイセイ由来の染料を意味する。Hotel de Reynes 建造物
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こちらは、地元の典型的古民家。
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世界遺産アルビの司教都市を構成するサンサルビ参事教会を取り囲む建物。
手前の広場は、オック語で「車輪の広場」という名前。
建物は教会の参事の邸宅でした。 -
初代アルビ司教の名前を冠した教会には、
修道院と回廊が付属しています。1270年築。サン サルヴィ教会 寺院・教会
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癒しスポットです。
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柱に歴史を感じます。
写真はロマネスク様式。 -
教会内部。
壁はロマネスク建築です。 -
15世紀の彫刻。
中央にキリスト、周囲にキリストに死刑判決を下したサンヘドリン(最高法廷)のメンバー。 -
1737年製の味のあるオルガンも。
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古い家が残るエリア。
写真は「アルビの古い家」と呼ばれる建物。
ちなみに石造りの歴史的邸宅は、どれもタイセイ取引で財を成した家です。La Maison du Vieil Alby 建造物
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一角にはロートレックの生家も。
ロートレックの生家 建造物
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全国展開の手頃なパン屋さん。
1ユーロでコーヒーも飲めるのがポイント大。ラミカリーヌ (アルビ大聖堂店) ファーストフード
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アルルの情報満載のスポット。
大聖堂の前にあります。観光案内所 (アルビ) 散歩・街歩き
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カテドラル。
レンガ造りでは世界最大の教会建築。113×35m、屋根は40m、鐘楼は78mの高さがあります。
本体は、1282-1380にかけて建設。写真は最古部の東ファサード。
鐘楼が完成したのは1480年より後、
天井は1515-35にかけて完成しました。
聖セシリア(フランス名セシール)は、女性で音楽家の守護聖人です。 -
城塞都市の中核を為す教会。
アルビジョワ十字軍による征服でフランスの支配下になり、
アルビ司教領となりました。
写真は、南側にある入口。
1400年に完成した門で、当時の司教の名前を取って、
ドマンク・ド・フロランス門と呼ばれます。サント セシル大聖堂 寺院・教会
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大きいだけでなく装飾も立派。
入るまでが一苦労。城塞都市として十分に機能しています。
異端のカタリ派(別名アルビジョワ)の本拠地として、十字軍に討伐され、フランス王国の一部となります。
その後も、市民は王国の官僚セネシャルと教会に度々抵抗し、城塞都市を建設する必要が生じました。 -
城壁でなく、教会です。
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内部は、広さよりも堅牢さ優先です。
内装は16世紀のものです。
絶頂期の司教ルイ1世(叔父)とルイ2世(甥。共にアンボワーズ家出身)が、世界中の芸術家を集めて装飾させました。 -
壁画も厳か。
天井の青いフレスコ画は、1509-12年にかけてイタリアの画家たちが描いたもの。 -
黙示録20章に基づく、最後の審判です。
1485-1500年にかけて、フラマン地方の画家たちが描きました。
最上段は天使、
続いて天で座に座っている者たち。
その下は、記述に含まれない聖人たち。 -
中央:地は、その中の死者を出す(復活)。
上段:復活した死者のうち、命の書に名前が書かれている者。
下段右:命の書に名前が書かれていない者は火の湖に投げ込まれる。
下段左:龍である悪魔サタンも火の湖に投げ込まれる。 -
ミケランジェロとは異なり、グロテスクな内容。
教会員だったら、間違いなく怖れを抱くだろう作品です。 -
芸術作品を楽しませてもらいました。
アルビの司教都市 旧市街・古い町並み
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欠けている中央の部分
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反対側は、ゴシック様式の彫刻群。1477-84年にかけて制作されました。
ここだけ有料で拝観します。 -
カテドラル向かいのベルビ宮殿。オック語で司教を意味します。
司教館です。というか、堅牢なお城です。
司教都市建設は、1276-1308年まで司教を務めたベルナール・ド・カスタネによって強力に推し進められるも、その後は衰退または凍結。その後、アンボワーズ家のルイ1世と2世が強力に推し進めて完成を見ます。 -
内部はロートレックの作品を展示しています。
写真は18歳の時の作品。
題名も労働者。
伯爵の長男なのに、貴族らしからぬ被写体です。トゥールーズ ロートレック美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ベンチに座る老女 1882年
同じく18歳の作品。
当館のコレクションは、本人の死の21年後の1922年に
彼の母親が寄贈したものがメインです。 -
原題un tombereau 1882年
ダンパーとしか訳せませんでした。語学力の不足を痛感します。
画家としての視線が、明らかに他と違っています。 -
A伯爵夫人 1882年
印象派の影響を受けたような筆遣い。 -
自画像 1883年 鉛筆
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宮殿の聖カトリーヌ塔の部分
椅子があります。展示間隔もゆったり。 -
ちょっと角度を変えて
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アデール・トゥールーズ=ド=ロートレック伯爵夫人 1883年
お察しの通り、作者の母親を描いています。
目元がロートレックそっくりですね。 -
ピアノを弾くディオー嬢 1890年
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デジレ・ディオー氏 1890年
上の作品の父親 -
ムーラン通りのサロン 1894年 パステル
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ピアノを弾くパスカル夫人 1895年
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櫛をあてる女性 1896年 油絵 紙
注:頭を掻きむしっている訳ではありません。 -
ルーシー・ベランジュ嬢 1896年
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窓辺の女性 1896年
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化粧室で 1898年
注:ノートパソコンでネットサーフィンしている女性ではありません。
化粧室の鏡を観て、身繕いしています。 -
私のパトロン 1899年
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帽子 アンガンの名で知られるルイーズ・ブルエ嬢 1900年
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マージュ塔の宮殿大広間には、版画作品が。
個性的ですが、浮世絵から多くを学んでいるようです。
ナイトスポットを描いた(第1期中心の)作品を展示しています。 -
ムーランルージュ 1891年
キャバレー「ムーランルージュ」のポスター。
毎晩ラ・グーリュ(フレンチカンカンの踊り娘の名前)出演、
水曜日と土曜日は仮面舞踏会
との宣伝文句が。 -
左:エルドラド アリスティード・ブリュアンのキャバレーで。1892年
右:アンバサダー アリスティード・ブリュアンのキャバレーで。 1892年 -
アンバサダー アリスティード・ブリュアンと彼のキャバレー 1892年
ここでいうアンバサダーは、お店の目玉とか広告塔的人物。
彼は店のオーナーであると同時に、一級のシャンソン歌手でもあった。 -
アリスティード・ブリュアンのキャバレーで 1892年
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ジャンヌ・アヴリル 1893年
彼女は、子どもの頃から舞踏病という神経疾患に罹っており、
それゆえに高く足を挙げてハイテンションで踊ることができた。 -
コーデュー 1893年
舞台俳優のフェルディナン・セルスタン・コーデューを描いたポスター。 -
上記の下描き 1893年
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ディヴァン・ジャポネ 1893年
日本製の長椅子という意味の店舗のポスター。
エド・フルニエ指揮とも書いてある。
ヒロインはジャンヌ・アヴィル。 -
左:ミルリトンのアリスティード・ブリュアン 1894年
中:ミルリトンのブリュアン 1894年
毎晩ボック(ビールの一種)1杯13セントとも。
右:ミルリトンのブリュアン 第2巻 1893年
スタンランのイラスト新作は、書店およびミルリトンで発売中!
キャバレー「ミルリトン」の歌手アリスティード・ブリュアンを描く。 -
メイ・ミルトン 1895年
英国出身、ムーランルージュの花形ダンサー。 -
メイ・ベルフォート 1895年
アイルランド出身の女優 -
リシュパンのロマ女性 1895年
アントワーヌ劇場の演目ポスター。
当時、ロマはジプシーと呼ばれた。 -
マドモアゼル・エグランティーヌ部隊 1896年
エグランティーヌを筆頭にジャンヌ・アヴィル、クレオパトラ、ガゼル四人組の踊り子部隊。
左下の神社の鳥居のようなマークは、ロートレックのマーク。 -
上記の下描き
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グランドオペラ 1896年
フランソワーズ・ド・リミニ指揮のリハーサルに出席するアンブローズ・トーマスを描いた作品の下描き。
グランドオペラは、第二帝政・第三共和政下で流行したバレエシーンが挿入されるオペラ。
あらすじと関係ない舞踏シーンが何分も続く。観客は鑑賞そっちのけで、衣装を見せびらかした。 -
ジャンヌ・アヴィル 1899年
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うんちくが詰まったフロアへ。
和装するロートレック 1892年 撮影者不明 -
いずれも1892年の写真。
足が短いですね。先天性の疾患で、身長も150センチほどしかなく、
子供の頃はいじめられました。それとは対照的に、親は溺愛したそうです。 -
ロートレックは目で感じた何かを、リトグラフ(版画の一種)という形に固定(表現)した。
刷りの工程で作風が損なわれる危険もあるが、彼の作品は「オリジナルプリント」誌の印刷職人パパ・コテールが、担当した。
1892~1901年にかけて、325点のリトグラフと31点のポスターが誕生した。
ロートレックは当初トレース紙に下絵を描いたが、後に石版に直接描くようになった。 -
悦楽の女王 1892年
ヴィクトル・ジョセの小説。お求めはお近くの書店で。
銀行家ロチルド(英:ロスチャイルド)が金に物を言わせるストーリー。同年に起きたパナマ運河疑獄と共に、当時の反ユダヤ主義世相を色濃く反映。 -
下絵
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首吊り 1892年
トゥールーズの新聞「La Dépêche」誌より依頼。
トゥールーズ三大事件の1つ、1760年のカラス事件が題材。
ジャン・カラスが、息子の首吊り死体を発見するシーン。
蝋燭に浮かび上がる死体がホラー。
カトリックを信奉する父と、プロテスタントを信奉する息子が引き起こした王朝時代の悲劇。 -
紙面の印刷(オリジナルプリント誌) 1893年
「レスタンプオリジナル」誌は、舞台俳優やダンサーを特集する雑誌です。とのキャプションが。
刷り上がった原稿に目を通しているのは、舞台ダンサーのジャンヌ・アヴィル。 -
足場のふもと 1893年
ルマタン誌 朝という名前の新聞の朝刊表紙。
フォーレ修道院長を記念するというサブタイトルが。
ギロチンで処刑される光景です。 -
セスコー写真館 1894年
ピガール広場9番 モンマルトルの麓です。 -
紙吹雪 1894年
瞳が描かれていないなど、チャーミングな作品。 -
「警鐘」 1895年
「La Dépêche」誌に連載されたジュール・ド・ガスティーヌ作の小説[警鐘]のポスター。 -
ラ・レビュー・ブランシュ(英:ホワイトレビュー) 1895年
ロートレックやドビュッシーも編集に参画した文芸誌。
モデルは共同設立者の妻ミシア。
ちなみに同誌は、反ユダヤ主義が引き起こした冤罪ドレフュス事件の再審を促した。 -
下描き
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怒り狂う牛 1896年
同名の文芸誌主宰のカーニバル用ポスター。
雄牛がパリ市内を疾走するなど有り得ず、とにかくコミカル。 -
第54船室の女性 1896年
サロン・デ・サンの国際ポスター展に出品した作品。
ついにポスター自体が展示対象になりました。
前年の船旅で出会った気になる女性を描く。 -
ローブ 1896年
夜明けを意味する絵画批評誌のポスター。
まだガス灯が明るい時間から働く家族が印象的。 -
バビロン(ドイツにて) 1896年
ヴィクトル・ジョセの小説[バビロン]の一シーン。
主人公バビロンがドイツで、小銃と立っている皇帝ウィルヘルム2世とすれ違う。
普仏戦争の遺恨が原因で物議をかもした作品。 -
チェーンはシンプソン 1896年
英シンプソン社のフランス事務所:オスマン大通り25番
コンスタン・ユレが余裕綽々と追い抜いて行く姿。
車輪はかなり端折ってスピード感を表現すると同時に、チェーンの部分はしっかりと描写。 -
ミカエル社の自転車 1896年
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現代の職人 1896年
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ムーランルージュがオープン 1889年
作者とオーナーのジダールが写っている。
ポスターは、19世紀最終四半世紀に芸術の仲間入りをした。
ロートレックを含め、満場一致で先駆者とされているのが、ジューレ・シェレ(1836-1932)による1866年以降の作品である。
続いてボナール、イベール、ヴァロトン、ミュシャ、ロートレックが排出された。
1891年のムーランルージュで一世を風靡し、以降多くの作品を生み出す。
美術誌は彼の作品のために、多くの紙面を割いた。
前期は主にナイトスポット、後期は会社出版社等のポスターを多く描いた。 -
フランス・シャンパーニュ 1891年 ピエール・ボナール作
ランスetc.4自治体産のシャンパンを取り扱います。代表:E.ドブレ、事務所:リスリー通り8番(パリ) -
左:サロン・ド・サン アンリ・ガブリエル・イベール作
常設展の宣伝。入場無料 火休 ボナパルト通り31番地
イベントスペース名の直訳は100選。選りすぐりというニュアンス。
右:イベット・ジルベール 1894年 テオフィル・アレクサンドル・スタンラン作
店の目玉ダンサー イベット・ジルベールが毎晩出演していることを強調。
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左:ペピニエール劇場のポスター 1893年 フェリックス・ヴァロトロン作
パリで現在も営業している歌劇場。評論家たちのレビューを引用している。
右:ルドルフ・サリスの「ル・シャ・ノワール」の巡業
1896年 テオフィル・アレクサンドル・スタンラン作
文芸キャバレー「ル・シャノワール(黒猫の意)」の創業者サリスは、店内で影絵芝居を興行。
週刊の文芸新聞を発行する、文化人の溜まり場だった。
ピアノも設置され、多くのシャンソンがここで生まれた。ブリュアンもここで「モンルージュへ」を作曲し、ドビュッシーやサティもここで演奏している。 -
左:サロン・デ・サン 1896年 アルフォンス・ミュシャ作
3,4月にプリュムの間で開催される第20回展示会のポスター。
右:ジョブ 1896年 アルフォンス・ミュシャ作
刻みタバコを巻くための紙を生産するジョブ社の広告。 -
アンボワーズ・ギャラリー
ルイ・ダンボワーズ1世の時代の1498年に建設された。
回廊は真っすぐに伸び、船底形に湾曲した丸天井で飾られている。
そこには、鳥や動物、蔓や葉などが描かれている。 -
大司教館時代の装飾。
-
(聖)ユダ・タダイ 1620年
ジョルジュ・ド・ラトゥール作
初期の作品。
12使徒のひとり、タダイの異名もあるユダ。
聖人にカテゴライズされているように、
イエスを裏切ったユダ・イスカリオテとは別人です。 -
(聖)小ヤコブ 1620年
ジョルジュ・ド・ラトゥール作
12使徒のひとり、アルパヨの子。
上記のユダと共に、新約聖書で12使徒のメンバーリストの記述箇所でしか登場しない超レアキャラ。
同じく12使徒のメンバーでイエスの従弟のヤコブ、異父兄弟のヤコブとは別人。
ユダとは対照的に半分目が閉じた状態で、向こうが動なら、こちらは静。
キリストと12使徒の肖像画のうち、現存するのは6名のみ。そのうちの2名がアルビに。ちなみに、フィリポはNYのクライスラー美術館、アンデレは個人蔵がヒューストン美術館に貸出中、大ヤコブはNYで個人蔵、トマスは東京の国立西洋美術館に所蔵。 -
ベルビ宮殿。
北側の塔は、17世紀にアルビが大司教区の中心となると、大司教たちによって取り壊されます。枢機卿を兼任する大司教が数多く輩出されました。
※21世紀にアルビ大司教区は、トゥールーズ大司教区へ統合されます。 -
古城地区は、アルビが始まった場所です。
青銅器時代に、タルヌ川とボンディドゥ渓谷に挟まれた岩山に居住したのが始まりである。この自然の要害は、幸いにもタルヌを横断する天然の浅瀬にも面していた。 -
ケルト人の占領、ローマ人の入植を経て、
4世紀には司教座が設置され、教区の中心都市となった。
6世紀には、宗教の力で市民を束ねた領主が治めるようになる。
西ゴート族、次いでフランク族による襲撃に直面し、古城地区を中心に三方を囲む城壁が築かれた。後には教会地区も城壁に囲まれた。
地図には、4世紀に建てられたカテドラルや回廊が描かれています。
点線で、聖セシル教会とベルビ宮殿の位置も分かります。
古い橋(ポンドヴィーユ)は、浅瀬の上に築かれたことも読み取れます。 -
アルビの景観の礎を築いた、ベルナール・ド・カスタネ司教。
アルビ司教を務めた後、枢機卿にまで上り詰めます。 -
第三共和政以降のモードを展示する粋な美術館。
モード美術館 (Musee de la Mode) 博物館・美術館・ギャラリー
-
和訳:古い橋。
初代は1035年に架かったとか。
現在の橋も十分に古臭いです。ヴィユー橋 建造物
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1866年に架かった橋。
当初はポン・ヌフ(新しい橋)でしたが、
ドイツ軍への勝利を記念して、現在の名前になりました。
これらの橋も、世界遺産の構成要素です。1944年8月22日橋 建造物
-
対岸のレンガ建築も、世界遺産の構成要素です。
赤レンガの材料となる粘土が、タルヌ川で豊富に採取されます。
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