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2020年11月25日(水)12時過ぎ、一休寺のすぐ北西にある薪神社へ。一休寺の総門を出るとすぐ左手に「能楽発祥の碑」の案内碑(下の写真1)が立つので、指示に従って西に進むと小高い丘に突き当たり、石段の上に一の鳥居が見える。<br /><br />創建等の由緒は不明だが、この地には元々は天神社(あまつかみのやしろ)が甘南備山に祀られている神南備神社の遥拝所として建立され、「奥の宮さん」とも呼ばれていた。また、神社に一番近い高台に、石清水八幡宮の薪庄の中心人物となる神人の館跡があり、石清水八幡宮の神人としての宗教的儀式が行われていたのではないかと想像できると、2007年に同志社大学文化情報学部の鋤柄俊夫教授が講義されておられる。<br /><br />明治維新の神仏分離令までは真言宗の光通寺が境内にあった。1873年(明治6年)に村社格となる。1907年(明治40年)に南東150メートルにあった一休寺の地主神の八幡社を合祀し、薪神社とした。このためそれぞれの祭神であった天津彦根命と応神天皇を祭神としている。なお、社名は地名から取ったものと思われる。<br /><br />社頭の緩やかな石段を登った上に一の鳥居が建ち、広場になっており、左奥に二の鳥居(下の写真2)。一の鳥居前の灯篭には明治45年の銘がある。二の鳥居からさらに石段を上り、割拝殿を抜ける。突き当りが本殿。透塀に囲まれた神域内に江戸中期の1794年造営の一間社流造の本殿が、その左右に住吉神社と武内神社の末社2社の小祠が鎮座する。<br /><br />さらに拝殿右手にも金刀比羅社の小祠があり、さらに昭和7年銘の明治神宮遥拝所の碑も建つ(下の写真3)。二の鳥居に戻って降りると鳥居の右手にも末社の猿田彦神社。道祖神としての鎮座と思われるが詳細不明。<br /><br />そして、猿田彦神社の右奥に高さ2mほどの能楽発祥の碑(表紙の写真)。台座の岩の右側には、「能楽は薪能即ち金春能に始まり、次に宝生能 観世能は大住に、金剛能は大和に発祥した。昭和61年11月 文学博士志賀剛」との碑文が刻まれている。志賀剛氏は元京都教育大学の教授。<br /><br />能楽は、元々田楽や散楽・猿楽と呼ばれた民俗芸能から発展したもので、金春・宝生・観世・金剛各流は大和4座と呼ばれる。そのうちの金春流を京都で発展させたのが、一休寺総門の前に薪能金春芝跡の碑を残す金春禅竹で、その事からこの碑が建てられたものと思われる。なお、一般的にはこの4座の発祥はいずれも奈良県で、金春流(円満井座)は田原本町、宝生流(外山座)は桜井市、観世流(結崎座)は川西町、金剛流(坂戸座)は斑鳩町とされるが、大和から山城にかけて、「○○流発祥の地」との伝承をもつ地は多く、例えば以前訪ねた京田辺市大住の月読神社にも「宝生流発祥の地」の石碑がある。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5873127222757253&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />帰りは一休とんちロードに戻らずに、薪神社の北側を通り抜け、一休寺の裏の山の西側に抜ける。この山の西側は一休ケ丘と云う住宅地になっているが、この辺りでは堀切古墳群跡と呼ばれる古墳時代後期から終末期(6世紀後半~7世紀前半)の古墳群が発掘されている。<br /><br />かつては現在の薪小学校と住宅地の間は堀切谷と呼ばれる南北の谷で、ここで円墳10基、横穴墓10基が谷を挟む東西の斜面で発見された。横穴墓から出土した凝灰岩製の組合式家形石棺は、市役所近くの中央公民館裏庭に展示されているそうで、中央公民館行ったことあるけど、裏庭には行ったことないわ。<br /><br />ちなみに現在の薪小学校は一休とんちロードにあった薪小学校跡にあった清規校とは直接的な関係はない。1980年に田辺小学校の児童数増加に伴い、通学距離の長い薪地区を分離することになり開校したもの。一帯は農村と新興住宅地が入り混じった地区となっている。<br /><br />堀切谷は現在は埋め立てられ緩やかな坂道が続くがこの坂道はあいさつの坂道と名付けられており、いったん登った後、旧国道307号線に向かって降りて行くが、一番高いところにとんち峠の石碑がある(下の写真4)。<br /><br />とんち峠を過ぎ、旧国道307号線を越え、さらに山手幹線を横切ってダイニング&カフェ庵で昼食を食べて帰る。1760円の季節のお昼ごはんプレートは肉もしくは魚のメインとオリジナルドレッシングのグリーンサラダ、おばんざい、五穀米のごはん、オリジナルブレンドの味噌の味噌汁、さらに食後のドリンクと麩ラスクが付いている。<br /><br />メインは2週間ごとに変わるが、この日は肉は野菜たっぷりチキンのチーズクリーム煮で、魚は彩り豊かな赤魚の洋風酒蒸しだった(下の写真5)。美味しくいただいた。おばさま方のグループがたくさんおられたのに驚いた。主夫やるとしてもその世界は大変そうね~<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5873136059423036&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />一休寺の紅葉、終了

京都 京田辺 薪神社(Takigi-jinja Shrine. Kyotanabe, Kyoto, JP)

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2020/11/25 - 2020/11/25

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旅行記グループ 一休寺

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月25日(水)12時過ぎ、一休寺のすぐ北西にある薪神社へ。一休寺の総門を出るとすぐ左手に「能楽発祥の碑」の案内碑(下の写真1)が立つので、指示に従って西に進むと小高い丘に突き当たり、石段の上に一の鳥居が見える。

創建等の由緒は不明だが、この地には元々は天神社(あまつかみのやしろ)が甘南備山に祀られている神南備神社の遥拝所として建立され、「奥の宮さん」とも呼ばれていた。また、神社に一番近い高台に、石清水八幡宮の薪庄の中心人物となる神人の館跡があり、石清水八幡宮の神人としての宗教的儀式が行われていたのではないかと想像できると、2007年に同志社大学文化情報学部の鋤柄俊夫教授が講義されておられる。

明治維新の神仏分離令までは真言宗の光通寺が境内にあった。1873年(明治6年)に村社格となる。1907年(明治40年)に南東150メートルにあった一休寺の地主神の八幡社を合祀し、薪神社とした。このためそれぞれの祭神であった天津彦根命と応神天皇を祭神としている。なお、社名は地名から取ったものと思われる。

社頭の緩やかな石段を登った上に一の鳥居が建ち、広場になっており、左奥に二の鳥居(下の写真2)。一の鳥居前の灯篭には明治45年の銘がある。二の鳥居からさらに石段を上り、割拝殿を抜ける。突き当りが本殿。透塀に囲まれた神域内に江戸中期の1794年造営の一間社流造の本殿が、その左右に住吉神社と武内神社の末社2社の小祠が鎮座する。

さらに拝殿右手にも金刀比羅社の小祠があり、さらに昭和7年銘の明治神宮遥拝所の碑も建つ(下の写真3)。二の鳥居に戻って降りると鳥居の右手にも末社の猿田彦神社。道祖神としての鎮座と思われるが詳細不明。

そして、猿田彦神社の右奥に高さ2mほどの能楽発祥の碑(表紙の写真)。台座の岩の右側には、「能楽は薪能即ち金春能に始まり、次に宝生能 観世能は大住に、金剛能は大和に発祥した。昭和61年11月 文学博士志賀剛」との碑文が刻まれている。志賀剛氏は元京都教育大学の教授。

能楽は、元々田楽や散楽・猿楽と呼ばれた民俗芸能から発展したもので、金春・宝生・観世・金剛各流は大和4座と呼ばれる。そのうちの金春流を京都で発展させたのが、一休寺総門の前に薪能金春芝跡の碑を残す金春禅竹で、その事からこの碑が建てられたものと思われる。なお、一般的にはこの4座の発祥はいずれも奈良県で、金春流(円満井座)は田原本町、宝生流(外山座)は桜井市、観世流(結崎座)は川西町、金剛流(坂戸座)は斑鳩町とされるが、大和から山城にかけて、「○○流発祥の地」との伝承をもつ地は多く、例えば以前訪ねた京田辺市大住の月読神社にも「宝生流発祥の地」の石碑がある。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5873127222757253&type=1&l=223fe1adec

帰りは一休とんちロードに戻らずに、薪神社の北側を通り抜け、一休寺の裏の山の西側に抜ける。この山の西側は一休ケ丘と云う住宅地になっているが、この辺りでは堀切古墳群跡と呼ばれる古墳時代後期から終末期(6世紀後半~7世紀前半)の古墳群が発掘されている。

かつては現在の薪小学校と住宅地の間は堀切谷と呼ばれる南北の谷で、ここで円墳10基、横穴墓10基が谷を挟む東西の斜面で発見された。横穴墓から出土した凝灰岩製の組合式家形石棺は、市役所近くの中央公民館裏庭に展示されているそうで、中央公民館行ったことあるけど、裏庭には行ったことないわ。

ちなみに現在の薪小学校は一休とんちロードにあった薪小学校跡にあった清規校とは直接的な関係はない。1980年に田辺小学校の児童数増加に伴い、通学距離の長い薪地区を分離することになり開校したもの。一帯は農村と新興住宅地が入り混じった地区となっている。

堀切谷は現在は埋め立てられ緩やかな坂道が続くがこの坂道はあいさつの坂道と名付けられており、いったん登った後、旧国道307号線に向かって降りて行くが、一番高いところにとんち峠の石碑がある(下の写真4)。

とんち峠を過ぎ、旧国道307号線を越え、さらに山手幹線を横切ってダイニング&カフェ庵で昼食を食べて帰る。1760円の季節のお昼ごはんプレートは肉もしくは魚のメインとオリジナルドレッシングのグリーンサラダ、おばんざい、五穀米のごはん、オリジナルブレンドの味噌の味噌汁、さらに食後のドリンクと麩ラスクが付いている。

メインは2週間ごとに変わるが、この日は肉は野菜たっぷりチキンのチーズクリーム煮で、魚は彩り豊かな赤魚の洋風酒蒸しだった(下の写真5)。美味しくいただいた。おばさま方のグループがたくさんおられたのに驚いた。主夫やるとしてもその世界は大変そうね~
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.5873136059423036&type=1&l=223fe1adec


一休寺の紅葉、終了

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  • 写真1 能楽発祥の碑の案内碑

    写真1 能楽発祥の碑の案内碑

  • 写真2 薪神社 一の鳥居とニの鳥居

    写真2 薪神社 一の鳥居とニの鳥居

  • 写真3 明治神宮遥拝所

    写真3 明治神宮遥拝所

  • 写真4 あいさつの坂道 とんち峠

    写真4 あいさつの坂道 とんち峠

  • 写真5 ダイニング&カフェ庵 メイン紹介

    写真5 ダイニング&カフェ庵 メイン紹介

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