2019/10/07 - 2019/10/07
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frau.himmelさん
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皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の命によりウィーン都市改造が行われ、城壁を撤去して環状道路が建設されました。それがリンク大通り。
そしてリンクの両脇には様々な様式の建物が造られました。
例えば、国会議事堂は古代ギリシャ様式、市庁舎は中世ゴシック様式、郵便貯金局はユーゲントシュティール様式、ウィーン大学はルネッサンス様式、ブルク劇場はバロック様式などなど。
ウィーン国立歌劇場(当時はウィーン王立宮廷歌劇場)はネオルネッサンス様式で建てられました。しかし皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はこの建物を見て、「沈んだ箱」と酷評したそうです。その評価を気に病んだ設計者は自殺しました。
確かに2階部分より1階部分の方が低く、道路に沈んでいるように見えないこともありませんね。
そして1945年3月、ウィーン旧市街はアメリカ軍の空爆により壊滅的な大被害を蒙りました。ウィーン国立歌劇場もその例にもれませんでした。
今回はウィーン国立歌劇場見学ツアーで見た豪華な劇場内部と、ドイツ併合時代のナチスとウィーン音楽界とのかかわりもお伝えできればと思います。
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ウィーン大学で著名な学者さんたちにご対面して、リンク通りをブラブラと。そしてホーフブルクの中を通ってアルベルティーナ広場へやってきました。
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私はここを通るときはいつも足を止めます。
そこには、這いつくばって床を磨いているユダヤ人の像。
虐げられたその姿を見るたびに憤りを感じます。 -
「戦争とファシズムの戒めの記念碑」
1945年3月の空襲で、この広場で亡くなった数百人もの犠牲者の慰霊碑。 -
オペラ座までやってきました。
そろそろ見学ツアーが始まる時間です。 -
14時のツアーに参加します。
まだ30分以上前なのにこの大勢の人々。
ドイツ語・英語・フランス語・スペイン語・・・、残念ながらこの回は日本語のツアーがない。
私たちはドイツ語のツアーに混ざります。 -
チケット。
シニア割引で、一人7ユーロです。 -
豪華な天井に目が行きます。
ため息がでるほど美しい。 -
ここは顔出し撮影コーナー(だったかな?)。
衣装の後ろから顔を出してオペラの主人公になったつもり。 -
大理石の間
ツアー案内の女性が要所要所でドイツ語で説明をしてくれます。
半分も理解できない。 -
大理石の間。
ザルツブルクの大理石が使われた白を基調としたすっきりとしたホール。
幕間にワインやコーヒーを楽しむ場です。 -
ヨーロッパ中から集められた色違いの大理石を使ったモザイク画が素敵です。
絵の中には、衣装室、楽器室、大道具・小道具、リハーサルなどの舞台裏の様子が描かれています。 -
客席入り口前のロビー。
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壁に出演者の舞台写真がいっぱい貼ってあります。
見たことがあるような顔も。
また何のオペラなのか、題名などを想像するのも楽しい。 -
私はまだヨーロッパで本物のオペラを観たことがありません。どうも敷居が高いと思っているから。
でもテレビではよく観ています。
有名なオペラの曲は大好きですし、何より、テレビだと日本語字幕が付いているのがうれしい。 -
次に案内されたのはゴージャスなティールーム。
キラキラの黄金で飾られています。
当時のフランツ・ヨーゼフ1世とエリザーベートの休憩室として造られた部屋だそうです。
王侯貴族が舞台の合間に休憩なさるティーサロンらしい。 -
鮮やかな天井のフレスコ画、目もくらむような装飾・・・。
ここはガイドツアーでないと、一般には見ることができない部屋だそうです。 -
このホールも、前の黄金の間と負けてはいません。
「シュヴィントの広間」。
画家モーリッツ・フォン・シュヴィントによる、オペラの場面のフレスコ画が壁に描かれているので、そう呼ばれています。
社会的地位の高い方のためのロビー。
第二次世界大戦では奇跡的に被災を免れました。 -
戦禍に遭わなかったため、このシャンデリアも当時のガス灯のまま。
ガスの配管らしいものが見えますね。 -
なにより凄いのは、この金箔の天井。
シュヴィントの描いた美しいフレスコ画も霞んで見えます。
美しくて、すべてにおいてため息が出ます。 -
天井近くのシュヴィントのフレスコ画の下には有名作曲家たちの胸像。
ベートーヴェン、モーツアルト、ハイドン、ウェーバー、ロッシーニ、マイアベーア・・・。 -
そしてシュヴィントロビーには歴代オペラ劇場総監督の胸像も。
( )は就任期間。
グスタフ・マーラー(1897-1907) -
クレメンス・クラウス(1929-1934)
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カール・ベーム(1943-1945、1955-1956)
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ヘルベルト・フォン・カラヤン(1956-1964)
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ロリン・マゼール(1982-1984)。
一番新しい胸像です。 -
ウィーン国立歌劇場にとって忘れてはならない総監督の写真を撮っておりませんでした。
リヒャルト・シュトラウスです(下の写真)。
上はフランツ・シャルク。
二人の写真の上に、
シャルク(単独)1918,1924-1929
シャルク/シュトラウス(共同)1919-1924
とあります。総監督の就任期間です。
しかし、シャルクとシュトラウスの二人は犬猿の仲だったそうで、様々な軋轢の末、シュトラウスが監督の地位を降りました。
そこで再び1924年からシャルクが単独監督に納まったという経緯があります。 -
さて、次にやってきたところは「グスタフ・マーラー広間」。
建設当時は「コブランの間」と言われ、今でも立派なコブラン織が飾ってあります。
その中央にグスタフ・マーラーの肖像画。
1897年に総監督に就任したグスタフ・マーラーの100周年を記念して、1997年にマーラーの広間と名付けられました。
ここは音響もよく、たびたびコンサートホールとしても使われているそうです。 -
ここにもマーラーの胸像が。
これは彫刻家であるマーラーの娘アンナ・ユスティーネの作だそうです。 -
シャンデリアも素晴らしい。
マーラーの広間には廊下に沿ってウィーン国立歌劇場についての様々な歴史の展示がありました。
それらの説明を聞いている見学者たち。 -
ウィーン国立歌劇場(設立当時は宮廷歌劇場)のこけら落としは、1869年5月25日、皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートの臨席のもとモーツアルトの「ドンジョヴァンニ」が演奏されました。
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歴史的な舞台装置。
上:「神々の黄昏」1909年
下:「ジュディッタ」。
1934年1月20日、フランツ・レハール作品として初めてウィーン国立歌劇場で初演されたオペレッタである。 -
そうこれこれ!
ナチスのハーケンクロイツ旗がはためくウィーン国立歌劇場。
ヒトラー政権時代のウィーン音楽界とナチスとの関係を知りたかったのです。
1938年のナチスドイツによるオーストリア併合は、ユダヤ人音楽家たちに大きな影響を及ぼしました。ユダヤ人音楽家たちは楽団を解雇や追放処分にあったり、強制収容所に送られ、そのうち何人かはガス室送りになりました。
また、ナチス党員やその支持者は、楽団員として積極的に採用され優遇されました。 -
レオポルド・ライヒヴァイン(1878-1945)。
ナチスの政権掌握以前に入党したガチガチのナチ党員。
メンデルスゾーンなどユダヤ人作曲家を嫌悪していたそうです。
1933年4月のヒトラーの誕生日を祝うコンサートでは率先してタクトを振りました。その後ナチスの名前を付けたオーケストラを設立しました。
戦争末期の1945年4月自殺しました。 -
クレメンス・クラウスもかなりの親ナチ。
ウィーン宮廷歌劇場(後のウィーン国立歌劇場)に出演していたバレリーナの私生児として生まれ、その際だった彼の容姿は、皇帝フランツ・ヨーゼフの隠し子ではないかという噂もたったほど。
ナチスとの関係も深く、ナチスのもとで次々と要職に就きました。
1941年からはナチスによりザルツブルク音楽祭総監督に任命され、このことが戦後ナチスとの協力を追及され、一時期音楽活動を停止させられます。
右:クレメンス・クラウスと右は母親バレリーナのクレメンティーネ・クラウス。 -
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)は1937年6月1日、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でウィーン国立歌劇場デビューをしました。
カラヤンも積極的にナチ党員となり、体制を利用し出世の道を突き進んだ人です。
カラヤンはヒットラー政権の文化宣伝を積極的に行い、1939年にはナチスドイツの国家指揮者も務めている。
戦後は連合国からナチスとのかかわりを問われ、一時期演奏活動を停止させられました。 -
次に金箔で飾られた豪華な中央階段ホールへやってきました。
1945年3月のアメリカ軍の爆撃によってウィーン国立歌劇場も打撃を受けました。ところが不幸中の幸いで客席と舞台は全壊しましたが、このロビー中央階段、そして先ほど通ったシュヴィントホールとティーサロンは焼失を免れました。 -
階段の欄干には7体の大理石の彫像が並んでいます。
絵画・音楽・詩・演劇などの芸術の寓話像だそうです。 -
天井画は「賞賛と認識」。
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オペラ劇場見学ツアーの最後に劇場へやってきました。
そこには既に、他のグループのツアー客の姿が大勢。一度に重ならないように、順路をずらしてのツアーが行われたのですね。 -
この男性がドイツ語で説明をしてくれます。
舞台では今夜の出し物のセットが組まれています。 -
結構奥行きがありますね。それに大変な舞台装置です。
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客席は、5層のバルコニー席。
座席数は1709席、立見席が567もあるそうです。 -
中央の鷲の紋章の下はロイヤルボックスでしょうか。
その下は立見席だそうです。
立見席の一番前はロイヤルボックスとほとんど変わらない目線で鑑賞できるのですね。 -
天井のライト。
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ツアー終了。
歴代のオペラ歌手に見送られて劇場を後にします。 -
日墺150年としてはこの方を忘れることはできません。
世界のオザワ、小澤征爾は2002年から2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めました。 -
出口。
みんな満ち足りた表情。 -
足元にはカール・ベームとヴェルディーの星型の記念碑。
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オペラ座の前はヘルベルト・フォン・カラヤン広場。
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広場ではオペラのライブ中継をやっています。(2016年の写真)
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その後、アルベルティーナ美術館で美術鑑賞をして、レストランで夕食を済ませて再びオペラ座前へやってきました。
わぁ~凄い!大勢の人の行列ができています。
今6時15分。皆さん普段着ですから立見席を確保する人々ですね。ダフ屋の姿も見えます。
ああ、私たちももっと若くてもっと元気だったら、あの列に並ぶのに・・・。 -
ウィーン中央駅に戻ってきました。
朝から体調が悪くてどうなるかと思ったけど、大好きなウィーンの空気を吸ったら元気になったようです。
でも無理は禁物ですね。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2021/04/22 17:01:20
- ステージツアー
- frau.himmelさん
こんにちは。
何度行っても楽しめるウィーン!ですね。
私も、もう随分前になりますが、ウィーン国立歌劇場のステージツアー
参加しました。
当日はラッキーなことに日本語ツアーもある日でした。
どのように回ったかは、もう記憶にありませんが、最後にステージに
立たせて頂きました。
この体験がなんと言っても一番で、あのオペラ劇場のステージから
客席を見た経験は、その後の私にとって一生かかっても味わえることは
ない事でした。
ステージと同じぐらいのサイズのバックステージが左右、奥にも?幾つかあって
早い場面展開に対応している、
国が投じる予算は、入場料の数?倍、など、今となっては朧げな記憶が
恨めしいですが、随分驚くような情報を説明下さいました。
たまたま同日夜には、蝶々夫人を鑑賞しました。
まだ今よりも若くて体力もあったことなども含めて、himmelさんの旅行記から
思い出しています。
mistral
- frau.himmelさん からの返信 2021/04/22 22:15:49
- RE: ステージツアー
mistralさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
mistralさんの、「地元の魅力を発掘する旅行記」拝見しています。奥が深くて、とても楽しいです。
旅行記を拝見して、先日、「花の美術館」に行ってまいりました。
どうして何年も行かなかったのだろうーー、って後悔しました。
えっ、あのオペラ座のステージに上がられたのですか!
羨ましい〜〜。いい経験をなさいましたね。
そういえば、他のサイトでオペラ座ツアーのブログを見ますと、舞台裏の様子が詳しく紹介されていましたが、あの場面はステージの上からしか見れないのですね。
私たちのときはツアーの数が多かったせいか、ステージには上がることができませんでした。日本語のツアーもなかったし・・・(泣)。
あの劇場を見たら、やはり本場モンのオペラを観たいと思いましたね。
言葉が判らないから・・・と思っていましたが、ちゃんと座席に字幕がでるのですね。
mistralさんは蝶々夫人をご覧になったのですね。
素敵ですね。
私たちもその前の年はシニア3人旅でオペレッタ「こうもり」を観たのですが、やはり重みが違いますものね。
次回ウィーンに行ったら必ず!!
でも、いつになるのでしょうね・・・。
himmel
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