2019/10/06 - 2019/10/07
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frau.himmelさん
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2019年は日本とオーストリアが国交樹立をして150年の記念の年。明治政府とハプスブルク帝国の時代です。
大好きなウィーンですからこれは行かないわけにはいきません。
まずはウィーン大学を訪れました。
ウィーン大学はドイツ語圏最古で最大の大学です。多くのノーベル賞学者を輩出しています。
また中庭にはウィーン大学に関係ある154名もの著名人の胸像が記念碑として顕彰されています。
その中にも明治政府の日本と関係の深い人物の胸像を見つけました。
今回私が発表したウィーン大学の学者さんの胸像は、一般の方には馴染みのない方ばかりだと思います。しかしこの4トラベルの会員さんの中には、いろんな分野の専門家の方が多くいらっしゃるとお聞きしています。
そんな方の目に留まって、オーッ!と思ってくださる方がお一人でもあるといいなと思っています。
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ニュルンベルクから16:30発のICEでウィーンに移動します。
この旅行記は1年半前のメモを頼りに書いていますが、この時もスムーズに列車は動かなかったようです。
『軒並み列車に遅れが出て、どの列車も満員。
私たちのウィーン行きもホームが3回変更になり、時間になってもなかなか出発せず』とあります。
この写真にも8番ホームから13番ホームへ移動、との案内が。
え~また~~!って感じで撮ったのでしょうね。 -
ようやく出発したけれど車内は満員だった。
幸い私たちは座席指定をとっていたからよかったものの、いつものようにのんびりするつもりで4人掛けを指定したのが間違いだった。
私たちの隣には、不機嫌そうなおばさまと、もう一人は寡黙な若い女性。
私たち二人でお喋りするのも憚られる。
長~い長~いウィーンまでの5時間もの苦難の時間だった。 -
それに外が暗くなると窓の景色も楽しめない。
窓に映るのは自分の疲れた顔、見たくもない。
ICEはライン川を越え、昨年シニア3人組で楽しい思い出がたくさんできたレーゲンスブルクを通る。 -
パッサウを抜けるとオーストリアに入る。
車窓の風景はここまでしか撮っていない。
メモには、気分が悪くなった、と書いているので、寝てしまったのでしょうね。
列車は1時間ほど遅れてウィーン中央駅に到着。 -
ホテルは、2015年に引き続き今回もモーテルワン・ウィーンハウプトバーンホフ。
この系列のホテルは駅から近いので、他の都市でもよく利用しています。
朝から気分がよくない。風邪でも引いたのだろうか。
朝食会場に行くのも億劫でしばらくダラダラして過ごす。
夫に促されてようやく腰を上げる。
食欲もない。 -
せっかくウィーンに来たのに、ホテルでグダグダしていてもしようがない。アリナミンを飲んで重い腰を上げる。
ホテル出発。時間は既に10時40分。ウィーン中央駅。 -
中央駅で24時間チケットを買い求め、トラムD線に乗り込みました。
トラムの中から眺める洗練されたウィーンの街並み。
昨年に引き続き今年もウィーンにやってきました。
私ってやっぱりウィーンが好きなのだと思う。車窓の街並みを見ているだけで体調の悪さが軽減されるのを感じます。 -
宮殿のようなフランス大使館、こちらはもっと大きな宮殿みたいな商工会議所。商工会議所の奥に見える青いドームはカールス教会。
ここはシュヴァルツェンベルク広場です。 -
シュヴァルツェンベルク広場にはカール・フィリップ・シュヴァルツェンベルク候の騎馬像。
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私たちはオペラ座(ウィーン国立歌劇場)で降りました。
昨年(2018年)のシニア3人組では、この近くの同じモーテルワン系統のシュターツオーパー・モーテルワンに宿泊しました。 -
やっぱりウィーンに来たらここには一度は足を運びますね。
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今回のウィーンでは、オペラ劇場の見学ツアーに参加したいと思っていました。
そのために、何時にツアーが催行されるか、その時間を確認するために来たのです。
今日は10月6日、14:00と15:00の2回催行されるようです。
その20分前に並べば、予約しなくてもいいとのこと。遅れないようにしましょう。 -
ついでにオペラ劇場裏の観光案内所に寄ってウィーンの地図をいただきました。
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やっぱりウィーンね。
観光案内所の前には鮮やかな黄色のサイトシーイングバス。
車椅子でも乗れるようです。 -
こちらには観光ジープ(?)。
ウィーン名物のお馬さんが引っ張るフィアカーは無くなったのかしら? -
ここはカフェ・モーツアルト。
昨年はここでシニア3人組、優雅に朝食をいただきましたね。
今回は夫の希望で朝食付きのプランにしたので、カフェで朝食を・・・のチャンスはありません。 -
再びトラムに乗り込みます。
目的地は近いのですが、朝から気分がすぐれない私は少しの距離でもトラムに頼ります。 -
リンク沿いにあるウィーン大学へやってきました。
夫の希望です。
ウィーン大学は1365年創立のドイツ語圏最古の名門大学。
本館は1877年から1884年にルネッサンス様式で建てられました。 -
夫はどこで調べたのか、ウィーン大学に多くの有名な学者の像があるそうです。それを見たいと。
-
大学の入口を入ると、早速夫の興味を引く写真が展示してあります。
この大学から数々のノーベル賞受賞者を輩出してきました。
その方たちの顔写真です。
ノーベル賞受賞者( )内は受賞年
ローベルト・バーラーニ - 医学者(1914)
ルートヴィッヒ・ボルツマン - 物理学者、哲学者
ビクター・フランツ・ヘス - 物理学者(1936)
ユリウス・ヴァーグナー=ヤウレック - 医学者(1927)
エルフリーデ・イェリネク - 作家
ハンス・フィッシャー - 化学者(1930)
カール・ラントシュタイナー - 生物学者(1930)
エルヴィン・シュレーディンガー - 物理学者(1933)
オットー・レーヴィ - 薬理学者(1936)
コンラート・ローレンツ - 動物行動学者(1973)
フリードリヒ・ハイエク - 経済学者(1974)"
(私は昨年、シニア3人組で訪れて知っていました。) -
ノーベル賞受賞者の写真の横には小部屋があり、その壁にはびっしり文字が刻まれています。
ウィーン大学が1365年に創立した当時からの、歴代学長の名前が刻まれているのです。
これも知っていました。昨年の復習をします。 -
ところがよく見ると、1938年から1945年までは空白になっています。
というより無理に消されたあとがあります。
ウィーン大学もオーストリア・ファシズムの台頭や、アンシュルスによるナチスによる強制政治の波に大きく飲み込まれていくのです。
多くのユダヤ人や、政治的に服従しない教授たちは大学を解雇されたり、追放されました。強制収容所に送られた人も少なくありませんでした。
その当時の学長は、もちろんナチの息がかかった人やナチ党党員が任命されました。 -
壁をよく見ると、1938年に消された場所には「Fritz Knoll」の名前が見えます。
1938年から1943年まで学長に就きましたが、彼はナチス党員であり、SS(ナチス親衛隊)の制服を着用して学生の前で講義したそうです。
また1943年には「Eduard Pernkopf」が学長に就きました。
彼は医学者でナチス党員でもありました。
ナチスによって処刑された遺体を人体実験に使ったという疑惑ももたれています。 -
名誉のプレート。
これは昨年見なかったので知りませんでした。
ウィーン大学で学んだ有名な人物の名前が学部ごとに彫られているそうです。
左:神学部、右:法学部。
この他にも医学部、哲学部があります。 -
階段室入り口の豪華な丸天井。
夫の探しているのはこの先のようです。 -
ここは大学の中庭アルカーデンホーフ。
この中庭に面したアーケードに、ウィーン大学に関係ある154名の著名な人物の胸像があるそうです。 -
早速、柱に展示されたお顔が見えました。
上:カール・フォン・ツィラルツ(1833-1914)。ローマ法の教授、ウィーン大学学長。
下:カール・メンガー(1840-1921)。ウィーン大学政治経済学教授。ルドルフ皇太子の教師を務める。 -
このようにずらりと並んでいます。
素材は大理石や青銅、ガラスもあります。また胸像、全身像、額に入った像、プレートなど様々な形の像が有名なアーティストによって制作されました。
それぞれの像は制作が完了すると、功績を称えて盛大な除幕式が執り行われたそうです。
全てを羅列するわけにはいきませんので、私が興味をもった人物を適当に撮影して、帰国後に調べました。 -
ローレンツ・フォン・シュタイン(1815-1890)、法学者。
ヨーロッパを訪れていた伊藤博文にドイツ式の立憲体制を薦め、大日本憲法制定のきっかけを与えた人物。
まずはジャパン発見! -
ここにもジャパン!
ハンス・モーリッシュ(1856-1937)、植物学者、ウィーン大学長を務めた。
日本との縁が深く、東北帝国大学教授も務めている。 -
ハインリッヒ・ランマッシュ(1853-1920)。政治家。
最後のオーストリア皇帝カール1世(フランツヨーゼフ1世の後継者)時代のオーストリア首相。
最後の首相としてオーストリア=ハンガリー帝国の解散の後始末をしました。 -
えっ、この人も?
トマーシュ・ガリーグ・マサリク(1850-1937)、哲学者・社会学者。チェコスロヴァキア共和国の初代大統領で「建国の父」と呼ばれています。
チェコで彫像をみかけました。 -
大理石に同色の浮彫、ボケボケのプレートの中には?
この方は有名です。
アントン・ブルックナー(1824-1896)作曲家 -
ルドルフ・ヴェグシャイダー(1859-1935)化学者。
オーストリア学派の創始者。
30年近くウィーン大学で学部長を務めた。 -
カール・ラントシュタイナー(1868-1943)、医学者。
ABO式血液型を発見した人物。 -
ジークムント・フロイト(1856-1939)。誰もが知っている精神科医です。
名前の下に刻まれている年号「1885-1934」は彼がウィーン大学で教育活動にあたった期間、約50年。
しかしユダヤ人であるフロイトは、ヒトラーのユダヤ人迫害により身の危険を感じ1938年6月にロンドンへ亡命しました。そして翌年9月ロンドンで84歳の生涯を終えます。 -
フロイトの胸像の足元に何か貼ってあります。
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貼り紙の黄色いキャラクターの中に書かれていた文字、
「Schnitzeljagt」(シュニッツェル・ハンター)で調べると、ウィーン大学生が主催するゲームらしい。
大学内にあちこち置かれているこういうカードを見つけて、書いてある問題を解いていくもの、らしい。 -
ユリウス・フォン・シュロッサー(1866-1938)、ウィーンで最も重要な美術史家。
ジークムント・フロイト像の隣にありました。 -
珍しい二人並んだ像。親子関係でした。
左:ヨハン・フォン・オプポルツァー(1808-1871)、医学者、学長を務めた。
右:その息子、テオドール・フォン・オプポルツァー(1841-1880)物理学者。 -
エドゥアルト・アルベルト(1841-1900)、外科医。
手術中の場面でしょうか。
他の像と比べて立派なので、思わず撮ってしまいました。 -
これは珍しいガラスの中に入った胸像(?)。
ベルタ・カルリック(1904-1990)、物理学者
ウィーン大学初の女性教授。 -
こちらのアーケードにも像は並んでいるのですが、前で古本市をやっていて写真を撮ることができません。
残念ながらここから先は諦めよう。 -
真剣に古本を品定めしている学生さん。
-
写真や絵が多くて面白そうな本はないかしら?
でもこんな厚い本、持って歩くのは大変よね。まだ旅は一週間ほど残していますし。
本が好きな夫も真剣に眺めていましたが、諦めた様子。 -
古本屋で立ち読みしてる男性の先に、ちょっと気になる彫刻を見つけました。
なにやら女性がぶら下がっている像。
男性の背後から写真を撮ります。
エルンスト・ヴィルヘルム・フォン・ブリュッケ(1819-1892)生理学者。
プロテスタントとしてはウィーン大学最初の学長。
ミューズの像が月桂樹の枝をもって支えています。
その隣の像は、ヨーゼフ・クアリン(1733-1814)。医師。
ウィーン大学学長に数回選出されている。マリア・テレジアやヨーゼフ2世から信頼されていた。 -
探していた方はこんなところに隠れていらっしゃいました。
中央の人物は、
クリスティアン・ドップラー(1803-1853)「ドップラー効果」で有名な物理学者。
その右隣りは、エルヴィン・シュレーディンガー(1887-1961)、物理学者、ノーベル賞を受賞しています。
ついでに(失礼!)ドップラーの左隣は、セオドア・メイナート(1833-1892)精神科医 -
他にも、せっかく写真を撮って、経歴も調べましたので紹介いたします。
左上から
フランツ・クライン(1854-1926)、法学者
カールアントン・フォン・マティーニ(1726-1800)、法学者・弁護士
エルンスト・シュペート(1886-1946)化学者
右上:レオグラフトゥーンとホーエンシュタイン(1811-1888)、政治家兼作家、
下:レオポルトハスナー・フォン・アルタ(1818-1891)弁護士
みなさんさすがに厳めしいお顔をなさっています。 -
ここが最後のようです。
○ヒューゴ・ヴァイテル 漏斗を扱っている学者の像、
左のプレート:ヨーゼフ・ベーム(1831-1893)植物生理学者、
カトリック神学者ハインリッヒ・スウォボダ(1861-1923)ウィーン大学学長を務めた。 -
ウィーン大学の背後に聳える二つの大きな尖塔、ヴォティーフ教会です。ここにも是非行きたいと思っていました。
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いつもこの高い尖塔は見ているけど、なぜかここまで来たことはない。
ネオゴシック様式の美しい教会。
シュテファン寺院に次いでウィーンで2番目に大きい教会だとか。
フランツ・ヨーゼフ1世がテロの暗殺から奇跡的に助かったことを神に感謝して1879年に建てられた教会です。 -
教会の周りは工事中ですが、入り口はここですね。
-
ファサードの見事な飾り。
上にも横にも聖人や聖女。
お一人おひとり調べてみたい思いに駆られるけど、長くなるので止めておきます。 -
鉄飾りのついた堅牢な木製の扉。
手をかけて中に入ろうとしたら、扉が開かない。
そして入り口の貼り紙には・・・
月曜日はゲシュロッセン!(閉まっている)。
博物館ではないのに、月曜日がお休みとは・・、ついていない。 -
ドジだねぇ~
扉の横の奇妙な仮面がパネルの中で笑っている。
この不気味な仮面見たことがあります。
ローテンブルクの中世犯罪博物館にあった「恥辱のマスク」ですね。
お喋りや人の悪口を言ったかどで罪になり、この恥ずかしい面を被って人前に晒されたのでしたね。 -
さて、ヴォティーフ教会を出て、リンクストラーセ沿いを歩きます。
フランツ・ヨーゼフ1世の命によりウィーン都市改造が行われ、城壁を取り壊して環状道路が建設されました。それがリンク大通り。
そしてリンクの両脇には様々な様式の建物や美しい広場、庭園などが造られ、国内外にハプスブルク帝国の威信を誇示しました。160年ほど前のことです。 -
両端に写っている建物は、自然史博物館と美術史博物館。
-
その中央にはハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアの像。
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リンクを挟んで対面はブルク門。
-
ここにもロイヤルエコカーの観光ジープ。
もうフィアカーは廃止?。
フィアカーはウィーンの風物詩でしたから、これがなくなるとさびしい。と言っても乗ったことはないのですが・・・。 -
ブルク門をくぐって英雄広場にやってきました。
ここは新王宮。
実質的最後のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によって1881年に着手されましたが、内装工事が完了したのは1923年、すでにハプスブルク帝国が消滅したあとでした。 -
新王宮前にはオイゲン公の騎馬像。
オイゲン公(1663-1736)はオーストリアに仕えた確かフランスの軍人です。
そしてオイゲン候の背後、新王宮のバルコニーで、1938年3月19日、大ドイツ帝国を唱えるヒトラーは、大勢の群衆を前にして、オーストリア併合(アンシュルス)の宣言をしたのです。 -
こちらの騎馬像はカール大公、ナポレオン軍と戦った英雄です。
カール大公の背後の尖塔はウィーン市庁舎。 -
国旗が所狭しとはためいているのは催事用ホールとして使われている(現・大統領府)。
-
新宮殿のアーケードにはいろいろな土産物屋さん。
クリムトやエゴンシーレの陶器、錫細工の最後の晩餐や天秤を持った正義の女神像、繊細なプチポアンのバッグ、美しいアクセサリー・・・。
前はいろいろと買ったものだが、今は全く欲しいと思わない。
いつの間に、集めるより整理をしなければならない齢になってしまいました。 -
王宮の中庭。
中央には、神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世の像、彼はオーストリア皇帝フランツ1世でもあります。 -
正面の宰相宮は「シシーミュージアム」となっています。
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左手には「スイス門」
1200年代に建てられた王宮内最古のもの。
1552年、皇帝フェルディナンド1世によって現在のように改修された。
門の名前は、マリアテレジアの時代に王宮の警備にあたっていたスイス傭兵に由来する。 -
ヘラクレスの像が立っている豪華な門を入ると・・・。
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シシーミュージアムの入り口。
シシーはいつも人気がありますね。 -
王宮を出てミヒャエル広場に出ます。
宮殿の角には「海の力」と呼ばれる素晴らしい噴水。
「第三の男」でも出てきます。 -
そしてミヒャエル教会。
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ここは、ロースハウス。
1911年にアドルフ・ロースによって設計された、可能な限り装飾を排除したウィーンの有名な建築物です。 -
当時の市民からは、畏れ多くも王宮の前なのに、そのシンプルな建物は失礼だろう!というクレームが付いたそうです。
-
続いて、ヨーゼフ広場へやってきました。
中央にはヨーゼフ2世の騎馬像が建っています。マリア・テレジアの息子です。
ヨーゼフ2世を囲むように建っている豪華な建物は宮廷図書館。
この中のプルンクザールの内部は豪華絢爛、世界一美しい図書館と言われています。昨年(2018年)シニア3人旅で訪れました。 -
あら懐かしい。プルンクザールの創設者カール6世(左端)。
昨年はちょうどオーストリア国立図書館ができて650年の記念の年でした。
そのお隣はマキシミリアン1世(中央)。
そう言えば、2019年はマクシミリアン1世の没後500年を記念して、プルンクザールで特別展が開催されるといっていましたね。 -
ヨーゼフ広場の前は、パラヴィッチーニ・フリース宮 (Palais-Pallavicini-Fries)。
2016年「第三の男」の撮影現場を探しているとき、この宮殿を見つけて感激したのでした。あの映画で大変重要な役割をはたしています。 -
アウクスティーナ教会の外壁にはポーランド王ヤン・ソビエスキー3世の記念碑。
1683年ウィーンがオスマン・トルコの大軍に包囲され、まさに陥落寸前だったとき、援軍にやってきたソビエスキー3世は、カーレンベルクの丘から一気に駆け下りトルコ軍を蹴散らしました。
ウィーンにとっては彼は救世主なのです。
その記念の碑なのだそうです。 -
ぶらぶらと散策をしながらオペラ座へ向かいます。
長くなりましたのでオペラ座編は次回に。
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