
2021/04/03 - 2021/04/03
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この旅行記スケジュールを元に
10万人感染率が国内で一番高くなってしまい、県独自の緊急事態宣言が出され、隣県の知事からもからは『来ないで!』と言われてしまいます。感染者が多い割には死者がとても少なかったのに、最近では毎日亡くなる人がいて驚くばかりです。
ドライブには最高の季節が訪れてきたのにおとなしくしていなくちゃならない。でもね、気を付けて県内の中でおでかけすることに。
宮城県の気仙沼・登米町は2021年前期NHK朝ドラの舞台となっているんです。登米町は『宮城の明治村』と言われ、大好きな建物がいくつもあるので行ってみよう。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
観光物産センター・遠山之里
車でのんびり走って観光物産センターに到着。
ここに車を停めて町内を歩きます。 -
観光物産センター・遠山之里
登米町は2021年前期朝ドラの舞台となっているんですよ。
観光物産センターの入り口に、パネルが飾られています。 -
パネルと同じ内容のパンフレットが置かれていて、こちらを撮ったほうが写りが良かったのでこちらをアップ。
ヒロインは清原果耶さん。
まだ10代なのに演技力バツグン、在感のある女優さんです。
大好きな女優さんの一人なので、宮城県を舞台にした朝ドラのヒロインを演じてくれるのはとても嬉しく今からとても楽しみにしています。 -
『私、10分先の未来を予測したいです!』
『海の町』宮城県・気仙沼に生まれ育ち、『森の町』宮城県・登米で青春を送るヒロインが、気象予報という『天気』にとことん向き合う仕事を通じて、人々に幸せな『未来』を届けてゆく、希望の物語なんですって。 -
『海の町』・宮城県・気仙沼
宮城県気仙沼湾沖の自然豊かな島で、両親・祖父・妹と暮らしていた永瀬百音。
2014年春、高校卒業と同時に気仙沼を離れ、ひとり内陸の登米市へ移り住むことに。大学受験に失敗し、祖父の知り合いで登米の山主である名物おばあさんの元に身を寄せます。 -
観光物産センター・遠山之里
将来を模索し、林業や山林ガイドの見習いの仕事を始めます。
ある日、東京からお天気キャスターとして人気の天気予報士がやってきます。
彼と一緒に山を歩く中、『天気予報は未来を予測できる世界』と教えられ、深く感銘を受け、『自分も未来を知ることができたら』と、気象予報士の資格を取ろうと猛勉強します。 -
難関を突破し上京し、民間の気象予報会社で働き始めます。
その仕事は多岐にわたることを知り、天候次第で人の人生が大きく左右されることを痛感し、失敗と成功を栗帰り成長していきます。
2019年、天気予報士として一人前になった百音は、大型台風が全国の町を直撃するのを目のあたりにします。これまで得た知識と技術で何とか故郷の役に建てないかと、家族や友人の待つ気仙沼へ向かう決意をするーー。
というストーリです。 -
昨年、まだコロナ感染がひどくない状況での現地ロケで良かった。
遠山之里で教育資料館・警察資料館・水沢県庁記念館・登米懐古館・伝統芸能伝承館・高倉勝子美術館の6施設共通観覧チケットを購入しました。1000円。購入日から1か月有効です。 -
教育資料館
物産観光センターのすぐそばにある町のシンボル・教育資料館から見学しましょう。 -
どんなにコロナ感染が増加しても花はキレイに咲いています。
『私たちを見て心癒てね!決して心折れないでね!』って言ってくれているようです。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
明治21年(1888)年に建てられ、明治の洋風学校を代表する建築物として、昭和56年に国の重要文化財に指定されました。
全体を写そうとすると建物が小さくなっちゃうよ。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
設計監督は宮城県技師(県庁職員)山添喜三郎によるものです。
山添氏は明治5年、ウイーンで開催された万国博覧会に大工棟梁として、政府から出張を命じられ、現地に日本家屋を建築しました。明治9年、米国のフィラディルフィアで米国独立百周年記念万国博覧会が開催された時も渡米し、この時期に欧米の建築について見分を広めたと言われています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
左右対象の東西昇降口は六角形を半割にしたトラス工法をもちい、屋根は寄棟瓦葺きのシンプルさで全体を機能的にまとめあげた建築です。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
入り口を入ると左右に靴箱、正面にパネルが飾られています。
登米町は『みやぎの明治村』と言われているんです。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
正面右側の階段からスタートとなります。
6施設共通観覧チケットにスタンプを押してもらい、見学の順番などの説明を受けます。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
『あの頃の自分に出会う旅 みやぎの明治村』 ノスタルジックな言葉にちょっとセンチになったりして。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
明治から昭和の初めにかけて、北上川を利用した舟運が盛んに行われていて登米は河口の石巻内陸とを結ぶ荷の中継地として発展しました。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
宮城県北東部に位置する登米市は、2005年の合併で誕生『とめし』と読みます。登米市にある登米町は『とよままち』と読みます。同じ字なのに日本語って難しいね。なぜ、市と町の読み方が違うかと言うと、昔、役人の間違いだと言われています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
登米町は江戸時代に仙台藩登米伊達家が治める二万一千石の城下町として栄え、武家屋敷などの建造物も残っています。 -
イチオシ
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
トイレ案内表示がとても可愛くて思わずパチリ。
この姿で建物内を歩く姿を想像して楽しくなっちゃう。
見つけたら後をついていっちゃいそう。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
明治16年宮城県学校教育建築心得により廊下側の壁に折りたたみ式の傘だてが設置されました。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
南を正面にコの字型をとり、1・2階ともに吹き抜けの片廊下式になっています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
この建物の特徴的なのが2階バルコニーで、校舎全体の中心的な位置にあり、シンボル的な役割を果たしています。バルコニーの柱の頭にあたる部分には、ギリシャ風の建築のパイオニア式を模した意匠で飾られています。柱の薪模様は『長生きするように』とのおまじないだそうです。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
昭和48年まで使用されていた教室をそのまま残した再現教室となっています。
教室は長方形を良とする、巾四間、長さ五間中に三十人までという教室の大きさの標準が示されています。俗に言う二十坪の教室です。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
教室の両側にガラス窓を贅沢に使用しています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
当時としては貴重な板硝子を使用していましたが、東日本大震災で多くのガラスは壊れてしまいました。ゆがんで見える窓ガラスが建設当時の物で、その窓ガラスは数枚残っていて、きちんと表示されています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
この建物は明治21年に建てられましたが、現在、同様のものを建築するとしたら、どのくらいの建築費になるのか?当時の総建築費は6287円、うち校舎建築費は3500円だったと言われています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
明治18年の大卒初任給が10円、令和元年で21万円とすると、21000倍。ということは7350万円。でも、どう考えてもしこの金額では出来ないよね。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
登米小学校は明治6年に開校し、15年後の明治21年に登米高等尋常小学校が完成しました。校歌は開校60周年事業の一つとして、昭和9年9月に制定されました。登米町在住の方が土井晩翠氏と懇意にされていたことから作詞をお願いしたようです。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
なぜか教室内には『タラちゃんが使った机』があって、これはどういうことなの? -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
なんと『波平さんと舟さんが使った机』もあったよ。
『サザエさん』って実写版でドラマか映画があったのかな?
そこで使用していたのかな? -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
『PTAの歌』があり、作詞者は登米町に居住していた春日紅路氏、作曲者はNHK朝ドラ『エール』のモデルになった古関裕而さんですって。毎日新聞社とNHKが共催で募集したもので、レコード化もされています。 -
教育資料館(旧登米尋常小学校)
『PTAの歌』には教育は学校だけでするもの、教員が全責任を持つべきものとか、誤ったあなた任せの古い考えは捨てよう。家庭が暗かったら決して立派に子供は成長しないのだということが書かれています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
伊達家の方が代々使用されていた勉強机。
その中に東大に現役で合格された方もおられそうで、この机に座って見たらご利益があるかも。 -
教育史料館(旧登米高等尋常小学校)
机の高さがかなり低いけど、昔の人は姿勢が
よかったからかなり目が良かったんだね。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
地方の町に天皇陛下・皇后陛下が訪れることは、町中の大きな出来事です。
両陛下にお出しした茶碗はしっかりと保存さし展示されています。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
この校長室は、平成2年8月2日皇太子殿下行啓のおりに、ご歓談なされたところで、展示されている家具はそのときに使用されたものです。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
教育資料館では企画展『学校日誌から見るスペイン風邪』が開催されていました。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
昨年からのコロナ感染で心が痛んでいる中、この企画展は心にとても響くものでした。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
大正7年から大正10年にかけて流行したスペイン風邪。
今から約100年前に世界的に大流行し、多くの感染者や死亡者数が出ました。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
コロナ感染が少しも落ち着く様子がない今、スペイン風邪のときはどうだったんだろうと考えたりもしていたので、この企画展を見学できたことはとても良かったなと思います。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
『学校日誌』を廃棄せずに、今も現存しているからこそ、歴史資料として展示できています。 -
イチオシ
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
今も昔もマスクをかけることは大事なんですね。
おそるべし『ハヤリカゼ』の『バイキン』!
マスクをかけぬ命知らず!
この言葉が胸に響いて、涙が出そうになります。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
日本人はコロナ感染が発生する前から、マスクをかけることの重要さを知っていました。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
海外へ行くとウイルスが流行している時でも、マスクをかけている人を見かけることはほとんどありませんでした。機内から降りてマスクをはずして過ごし、復路の機内でマスクをかけた思い出があります。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
マスクをしていてホテルでチェックインをしたら、よほど悪い状態の人に思われるんじゃないのかとさえ思うほどでした。 -
教育資料館(旧登米高等尋常小学校)
最近、海外の様子を見るたびにマスクをかけていない人が全くおらず、世界の人々のマスクの浸透率にマスクの重要性に驚いています。 -
武家屋敷通り
三門一戸の四脚門は町内最古の四脚門です。
中世の豪族葛西邸の裏門を移築したものだそうです。 -
武家屋敷・春蘭亭
江戸時代中期以降の武家屋敷として登米町で唯一、一般公開している建物です。
1604(慶長9)年に白石宗直が移住した『鈴木家』が所有していた建物です。
鈴木家は紀伊の国(現在の和歌山県)、熊野の鈴木氏から分かれた一族です。 -
武家屋敷・春蘭亭
春蘭亭と言う名前はこの地に自生する春蘭の花を加工した『春蘭茶』を提供することから名づけられました。 -
武家屋敷・春蘭亭
春蘭亭は江戸時代中期から後期にかけての建物で、200年以上前に竣工したと言われています。1989(平成元年)までは実際に持ち主が住んでいましたが、町に寄贈されました。 -
武家屋敷・春蘭亭
登米伊達初代藩主の相模宗直公が慶長(1604)年に、岩手県水沢城から登米に移る際に、ともに移住した鈴木家の屋敷です。 -
武家屋敷・春蘭亭
他の武家屋敷が別棟として書院座敷を本屋の全面に配しているのに対して、書院座敷に相当するものを別棟とせずに、直接本屋の上手へ取り込んだ『直ご家形式』となっています。この形式は上層家中侍住宅としては珍しく貴重な侍遺構住宅です。 -
武家屋敷・春蘭亭
囲炉裏カフェとして春蘭茶、抹茶などが楽しめ、見学の合間のお休み処となっています。先ほどの座敷でもお茶が出来るんです。初め座敷の席にしようと思いましたが、暖炉の方に移動しました。 -
イチオシ
武家屋敷・春蘭亭
6施設共通観覧チケットを提示すると、春蘭亭での飲み物代が50円割引されます。カフェメニューには春蘭茶、抹茶&菓子セットやコーヒーなどがありますが、冷たいものが飲みたかったので登米産リンゴジュースをお願いしました。300円が50円割引され250円。 -
登米懐古館
昭和36年に開館しましたが、令和元年9月に武家屋敷通りの一角に新築移転しました。武家屋敷通りの表門から日本庭園を通りエントランスへ向かいます。 -
イチオシ
登米懐古館
登米ではストレート砕石がされていて、強度と表面の美しさから東京駅舎の屋根にも使われているそうです。(現在ではストレートは砕石されていません。)
庭園のアプローチは小端立て(こばだて)と敷石で構成されています。ストレートを縦に使われた斬新なつくりとなっています。 -
登米懐古館
檜皮葺の屋根の上に、時の経過とともに苔が生え、緑になっていく様子にヒントを得て、地元産のスレートで葺かれた屋根と緑化ルーフとを組み合わせ、町並みに溶け込むような施設を目指しました。
この建物を見た時、隅研吾さんの設計だと思うよね。 -
登米懐古館 庭園
庭園の設計はイギリス王立植物園などを手掛けた山口陽介氏。
周囲の建物に調和するように設計されていて、春には桜、初夏にはつつじや紫陽花など四季を感じられます。 -
登米懐古館
可愛い男の子は懐古間館のオリジナルキャラクターなんですって。
建物の外壁には登米で使われていた板倉をヒントに、羽目板を再現しています。 -
登米懐古館
天井の木製の梁。
心地よい空間を醸しだしています。
土壁には登米の土が使われ、時間の経過とともに風合いが変化していくように仕上げられています。
登米伊達家ゆかりの甲冑『鉄黒漆塗五枚胴具足』、刀剣『太刀備中長船恒弘』、絵画『古歌咲く時は』、伊達政宗、狩野探幽など城下町であった当時を偲ばせる貴重な品々を展示しています。 -
隅研吾氏は登米で、『伝統芸能伝承館 森舞台』も設計しています。
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登米懐古館
企画展として『浮世絵の空もよう』が開催されていました。
名所江戸百景、東都雪見八景など。展示室は写真はNGで、各所で浮世絵クイズがあって、クイズに答えるとプレゼントがもらえるんだって。 -
登米懐古館
毎年9月の第3日曜日のから行われる『とよま秋祭り』に各町内会では山車を制作していて、展示されていた山車は2019年に風流大賞を受賞したものです。
山車はお祭りが終わると解体されますが、建物を設計する段階で山車が入る高にしたそうです。 -
とよまだんご
茅葺屋根のだんご屋さんは有名で、帰りに買おうと思っていたら14時には完売していてお店は閉まっていました。お店の中でも食べられるようです。
毎朝、一つずつ手作りをしていて無くなり次第営業終了します。 -
人間や動物はコロナに感染するけど、お花は影響はないのかとバカなことを考えてしまいます。
-
武家屋敷通り 清野家
主屋は木造平屋建て、寄棟、茅葺の母屋があり隣接する旧鈴木邸(春蘭亭)とあわせて素敵な登米町の町並みになっています。 -
イチオシ
武家屋敷・清野家
清野家は一門一戸、棟門、塀は木造、真壁造り白漆喰仕上げです。 -
武家屋敷・清野家
シダレザクラは元禄年間(1688~1704)に植えられたと推定されています。 -
武家屋敷通り 春蘭亭
武家屋敷に桜。
絵になるね! -
イチオシ
武家屋敷通り
漆喰壁の塀が連なります。
誰も歩いていないから、ちょっと寂しげに見えるかな? -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
明治2(1869)年廃藩置県に先駆けて『登米県』となりました。
明治4年県庁舎の建設に着工して翌年完成しました。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
その間に『水沢県』と名前が変わり、水沢県庁舎として明治8年まで使用されました。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
『水沢県』の範囲は旧仙台藩領内であった現宮城県北部と岩手県南部を管轄する地域を言います。建物は純和風の日本建築で、県内官公庁建築の県政史上貴重な建物です。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
幾度かの改修をしながら、小学校、裁判所として長く使われました。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
当時の建物を保存するために、保存修理を行い明治22年の治安裁判所時代の姿に復元。平成3年から水沢県庁記念館として公開されました。 -
水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
歴史を感じ、厳粛な気持ちになります。 -
武家屋敷・四脚門
家老職を務めた家柄の門。
周りの塀は新しく復元されたようです。 -
町屋ミュージアム
伊達政宗の狙いは、領内の新田開発で収穫されたコメを北上川を利用し、廻船する巨大プロジェクトでした。江戸・明治時代、北上川中流の交易の要として栄えた登米。平田舟で石巻まで穀物・繭・生糸を運び仙谷船で江戸深川・横浜へと取引を広めた『廻船問屋菅野屋勘兵衛』を今に伝える資料館です。 -
蔵通り
見学できるみたいだけど、ちょっと敷居が高い気がしてパスしちゃった。 -
蔵通り
白い壁が目に鮮やかには行って来ます。 -
中町通りに面した武者隠しの家
建物正面が鋸の歯のようにジグザグになっていて、敵が攻めてきたときに足軽が迎え撃ちます。 -
武者隠しの家
城下町づくりの軍事的手法が垣間見られます。 -
武者隠しの家
隠れて敵を撃つ軍事的手法で作られた町並み、武者隠し。
敵が攻めてきた時、弓矢や鉄砲を持った兵士数人が隠れて敵を迎え撃つために、道路に対し各家ごとに玄関部分がノコギリの葉のようにジグザグに構成されています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
警察関係を展示した日本唯一の警察資料館です。
この建物の設計も日本で初めて西洋建築を学んだ大工として知られる山添喜三郎です。和と洋を取り混ぜた美しい外観は、当時とほとんど変わらない形で保存されています。 -
イチオシ
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
土台には石巻から取り寄せた『稲井石』、隙間を埋めたレンガ、土壁に真っ白な漆喰壁、窓ガラスは明治の輸入品。全体にギリシャ建築の様式をみせる建物です。 -
玄昌石の館
北上川下流さ採れる黒色粘板岩・玄昌石の生産工程を展示しています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
明治に旧警察庁舎として建てられた洋館をそのまま利用して資料館としています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
-
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
ふれあいコーナー
昭和55年に配備されたパトカーや白バイが展示されています。
白バイの右側にパトカーがあり、『乗ってみてください』と言われました。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
警察官の制服も展示されています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
昔はこんな器具で消火活動をしていたんですね。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
昭和20年代の警察のお仕事がパネルで説明してあります。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
この留置場は昭和22年建築当時のものを復元したもので、複数人が収容された雑居房です。中に入ると四角い石があり、それが当時のトイレで、下には瓶が埋まっています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
復元工事中に明治時代の留置場の基礎が発見されたことから、全国でも珍しい明治時代の留置場も再現されています。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
人の心情や危険を省みないで、馬車を早く駆けさせて通行人に迷惑をかけた者。
人力車を引くものが無理に車に乗ることを勧めて無礼な言葉をかけるもの。 -
警察資料館(旧登米警察署庁舎)
他人の庭の木の果実を取って食うもの。
柿泥棒だ! -
警察資料館
人家が建て混んでいる場所で、いたずらに火遊びをするもの。
火事になったら大変だよね。 -
警察資料館
階段がすり減っているのは、おまわりさんの靴底にびょうが打ってあり、土足で昇り降りしていたからです。 -
蔵通り 七十七銀行登米支店
町づくりの一環として新しい建造物にも、蔵や明治期の建物をイメージしたものが取り入れられています。 -
蔵通り 商いの蔵
医薬品総合商社(株)バイタルネット(旧サイエンス(株)登米営業所の店舗蔵。
屋根には旧社名(株)鈴彦(スズヒコ)の看板があります。この地で創業しこの地を拠点として発展しました。現在はヤマカノ醸造(株)営業所です。 -
蔵通り 伊新薬局
明治27(1891)年に建てられた薬屋で、2階はアンティーク資料館になっています。伊東家は江戸時代から続く商家で、蔵に眠っていた金看板、ポスターやのぼり、人形など薬や度量はかりに関する多数のコレクションを展示しています。 -
登米町は北上川を利用した舟運が盛んで、川沿いの通りは商店街として賑わい多くの蔵が造られています。
-
海老喜
味噌・醤油の醸造元。 -
海老喜
天保4年創業。
明治41年までお酒を仕込んでいた蔵を『海老喜 蔵の資料館』として公開しています。 -
海老喜の味噌アイス。
観光物産センターまで戻り外の椅子に座って食べようっと。
美味しいね! -
登米市高倉勝子美術館『桜小路』
平成21(2009)年に設立した登米町の出身で独自の表現を追求し続けた日本画家高倉勝子(1921~2015)の作品を展示しています。
太平洋戦争中、高倉先生は登米町から広島へ移住し原爆を体験し、力強い絵や文章で、後世に原爆の悲惨さを後世に伝えています。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
地域文化活動拠点として、本格的な能舞台を備え平成8(1996)年にオープンしました。伝統芸能を伝えていくために設立されました。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
登米町には江戸時代から伝わる『登米能』をはじめ『岡谷地南部神楽』などの伝統芸能が今日まで町民の手で大切に受け継がれてきました。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
絵画『登米能・羽衣』
現在、仙台在住の佐々木昭三氏。
平成19年9月17日の登米薪能を鑑賞し、その芸術文化に感動し演能されました。羽衣の作品を地域の活性化のために寄贈されたものです。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
三光尉(さんこうじょう)
庶民の老人の相だが皺の数の多さ額の張り方に特長があります。
越前平泉寺僧三光坊が作った尉の面にと名付けられ、頭部、あごの他、鼻の下に植毛があり、一般的に皺が5本掘られています。皺の彫り方が写実的で、庶民的な要素と神秘的な要素を併せ持っています。
能面は平成26年に登米市中田町出身の面打師・佐藤松弘氏により寄贈されたものです。 -
建築家・隅研吾は自然と一体となった場所では能は表現されるものとの思いから能舞台造りに取り組んだそうです。
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伝統芸能伝承館『森舞台』
小面(こおもて)
能面のうち最も多い女性の面です。
『小』には年が若いというだけでなく、可憐な或いは優しく美しという意味も含まれています。16・7歳の最も若い面です。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
俊寛(しゅんかん)
鬼界島に流罪になり、一人赦免から漏れた孤独や屈折を表しています。
現実の男性に面を用いるのは、能面の用法としては例外的なんだそうです。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
猩じょう(しょうじょう)
祝事の能曲の専用面で、中国での想像での動物で酒を嗜み酔っ払って舞い戯れる
海中に住む酒好きの妖精なんですって。妖精? -
伝統芸能伝承館『森舞台』
平太(へいた)
武勇の国こえ高い城東武者荏杓の平太の顔を写したものです。
壮年の武将で歴戦の勇者らしく、力強さを表現しています
はね眉、八字髭が特徴で勇猛な武将の面。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
邯鄲男(かんたんおとこ)
人生の意義を模索する憂愁の青年として制作されました。
邯鄲専用の面。寄せ眉で眉根に二重じわがあるが、口が大きめで頬にやつれくぼみがあるのが特徴です。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
設計者は建築家隅研吾氏、舞台正面の鏡板作成は日本画家千住博氏、展示室デザインはアートディレクター原研哉氏。
舞台の床下には甕が置かれていますが、音を共鳴される目的で置かれています。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
演能は地元の謡曲会が年を通して稽古を重ね、毎秋の『登米薪能』として上演されています。能に限らず各種伝統芸能のための施設として市民に愛されています。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
能を鑑賞したことは一度もないので、是非、鑑賞してみたいな。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
左側には敷物が敷かれ、ここで座って鑑賞するのかな。 -
伝統芸能伝承館『森舞台』
5月17日放送スタート、NHK朝ドラ『おかえりモネ』の放送を楽しみに待っていましょう。
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