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東京十社めぐり2日目です。今回のルートは、神田明神、根津神社、白山神社、王子神社。<br />まだ桜の花も残る東京。躑躅の花も咲き始めています。<br />秋葉原駅からスタートし、神田明神、根津神社とめぐりました。<br /><br />春の東京十社めぐり1日目(前半)☆品川神社・芝大神宮☆松島屋☆2021/03/24<br />https://4travel.jp/travelogue/11684142<br /><br />春の東京十社めぐり1日目(後半)☆日枝神社・赤坂氷川神社☆新橋ときそば☆2021/03/24<br />https://4travel.jp/travelogue/11684441<br /><br />春の東京十社めぐり2日目(前半)☆神田明神・根津神社☆2021/03/31<br />https://4travel.jp/travelogue/11685332<br /><br />春の東京十社めぐり2日目(後半)☆白山神社・王子神社☆石鍋商店☆2021/03/31<br />https://4travel.jp/travelogue/11685855<br /><br />春の東京十社めぐり3日目(前半)☆亀戸天神☆オールプレス エスプレッソ 東京ロースタリー&amp;カフェ☆2021/04/06<br />https://4travel.jp/travelogue/11686586<br /><br />春の東京十社めぐり3日目(後半)☆富岡八幡宮☆人形町 志乃多寿司總本店☆2021/04/06<br />https://4travel.jp/travelogue/11687261<br /><br />「東京十社めぐり」<br />元准勅祭社である、神田神社(神田明神)、亀戸天神社、富岡八幡宮、芝大神宮、品川神社、赤坂氷川神社、日枝神社、白山神社、王子神社、根津神社をめぐります。<br />

春の東京十社めぐり2日目(前半)☆神田明神・根津神社☆2021/03/31

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2021/03/31 - 2021/03/31

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

東京十社めぐり2日目です。今回のルートは、神田明神、根津神社、白山神社、王子神社。
まだ桜の花も残る東京。躑躅の花も咲き始めています。
秋葉原駅からスタートし、神田明神、根津神社とめぐりました。

春の東京十社めぐり1日目(前半)☆品川神社・芝大神宮☆松島屋☆2021/03/24
https://4travel.jp/travelogue/11684142

春の東京十社めぐり1日目(後半)☆日枝神社・赤坂氷川神社☆新橋ときそば☆2021/03/24
https://4travel.jp/travelogue/11684441

春の東京十社めぐり2日目(前半)☆神田明神・根津神社☆2021/03/31
https://4travel.jp/travelogue/11685332

春の東京十社めぐり2日目(後半)☆白山神社・王子神社☆石鍋商店☆2021/03/31
https://4travel.jp/travelogue/11685855

春の東京十社めぐり3日目(前半)☆亀戸天神☆オールプレス エスプレッソ 東京ロースタリー&カフェ☆2021/04/06
https://4travel.jp/travelogue/11686586

春の東京十社めぐり3日目(後半)☆富岡八幡宮☆人形町 志乃多寿司總本店☆2021/04/06
https://4travel.jp/travelogue/11687261

「東京十社めぐり」
元准勅祭社である、神田神社(神田明神)、亀戸天神社、富岡八幡宮、芝大神宮、品川神社、赤坂氷川神社、日枝神社、白山神社、王子神社、根津神社をめぐります。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
  • 秋葉原駅からスタートです。

    秋葉原駅からスタートです。

  • 万世橋を眺めながら歩きます。

    万世橋を眺めながら歩きます。

  • 神田明神に着きました。 <br />天野屋と一の鳥居。

    神田明神に着きました。
    天野屋と一の鳥居。

  • 隋神門。<br />昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。

    隋神門。
    昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。

  • 桜の下のだいこく様

    桜の下のだいこく様

  • 御神殿<br />昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿です。

    御神殿
    昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿です。

  • 文化財指定の獅子山<br />江戸時代に関東三大獅子の一つとして奉献されました。

    文化財指定の獅子山
    江戸時代に関東三大獅子の一つとして奉献されました。

  • 隨神門と桜

    隨神門と桜

  • 訪れる人もけっこういます。

    訪れる人もけっこういます。

  • 千代田区指定有形文化財 神田の家<br />江戸時代より続く材木商の遠藤家。江戸城築城のために招集され、鎌倉材木座より神田鎌倉町(現在の内神田1丁目)に移り住みました。<br />現在の建物は1927(昭和2)年に建設。1972(昭和47)年の府中市移築を経て、2009(平成21)年に千代田区有形文化財の指定を受け、神田の地へ再移築されました。

    千代田区指定有形文化財 神田の家
    江戸時代より続く材木商の遠藤家。江戸城築城のために招集され、鎌倉材木座より神田鎌倉町(現在の内神田1丁目)に移り住みました。
    現在の建物は1927(昭和2)年に建設。1972(昭和47)年の府中市移築を経て、2009(平成21)年に千代田区有形文化財の指定を受け、神田の地へ再移築されました。

  • 宮本公園の桜<br />三谷長三郎胸像があります。<br /><br /> 三谷長三郎氏は、神田在住の実業家です。明治2年(1869)2月1日に神田塗師町に生まれ、幼名は銀次郎といいます。三谷家は、紀伊国屋の屋号を持ち、万治3年(1660)の創業以来銅・真鍮を商っていた商家です。長三郎氏は、明治19年(1886)に10代目を襲名してから大いに経営手腕を発揮し、財をなしたといわれています。<br /> 三谷氏は、財団法人三谷報恩会を結成して、神田区の学校教育のために多大な貢献をしています。例えば、列車を仕立てて毎年、春には鎌倉・由比ヶ浜へ遠足を、夏には箱根で林間学校を開催するほか、神田区内の学校に映写機・ピアノなどを寄贈しています。今川小学校には市内では初めてとなるプールを建設しました。また、進学優良児童には奨学金を贈っています。<br /> 像の作者である北村西望氏(明治17年・1884~昭和62年・1987)は、長崎の平和祈念像の作者として著名です。<br /> この胸像は、当初は隣接する神田神社の裏側、東北隅にあった大銀杏のそばにありましたが、神社境内の整備のため、昭和36年(1961)に現在の宮本公園へと移設されています。<br /> この胸像は教育に関する人物を顕彰したものであり、千代田区の教育史を考えるうえで欠くことのできない資料です。<br />  平成15年(2003)3月 千代田区教育委員会

    宮本公園の桜
    三谷長三郎胸像があります。

     三谷長三郎氏は、神田在住の実業家です。明治2年(1869)2月1日に神田塗師町に生まれ、幼名は銀次郎といいます。三谷家は、紀伊国屋の屋号を持ち、万治3年(1660)の創業以来銅・真鍮を商っていた商家です。長三郎氏は、明治19年(1886)に10代目を襲名してから大いに経営手腕を発揮し、財をなしたといわれています。
     三谷氏は、財団法人三谷報恩会を結成して、神田区の学校教育のために多大な貢献をしています。例えば、列車を仕立てて毎年、春には鎌倉・由比ヶ浜へ遠足を、夏には箱根で林間学校を開催するほか、神田区内の学校に映写機・ピアノなどを寄贈しています。今川小学校には市内では初めてとなるプールを建設しました。また、進学優良児童には奨学金を贈っています。
     像の作者である北村西望氏(明治17年・1884~昭和62年・1987)は、長崎の平和祈念像の作者として著名です。
     この胸像は、当初は隣接する神田神社の裏側、東北隅にあった大銀杏のそばにありましたが、神社境内の整備のため、昭和36年(1961)に現在の宮本公園へと移設されています。
     この胸像は教育に関する人物を顕彰したものであり、千代田区の教育史を考えるうえで欠くことのできない資料です。
      平成15年(2003)3月 千代田区教育委員会

  • 神田明神から根津神社をめざします。<br />東大旧加賀屋敷御守殿門(赤門)の前を通過します。

    神田明神から根津神社をめざします。
    東大旧加賀屋敷御守殿門(赤門)の前を通過します。

  • 東大の正門です。

    東大の正門です。

  • 根津神社に着きました。<br />楼門です。

    根津神社に着きました。
    楼門です。

  • ベンチに座り、花を眺める人たちがいます。

    ベンチに座り、花を眺める人たちがいます。

  • 唐門

    唐門

  • 社殿でお参りをし、ミニ絵馬をいただきました。

    社殿でお参りをし、ミニ絵馬をいただきました。

  • 乙女稲荷の千本鳥居<br />躑躅がもう咲いています。

    乙女稲荷の千本鳥居
    躑躅がもう咲いています。

  • 千本鳥居を通り抜けます。

    千本鳥居を通り抜けます。

  • 徳川家宣胞衣塚<br />六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてあります。<br /> この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文二年(1662)四月五日ここで生まれました。<br /><br /> <br />

    徳川家宣胞衣塚
    六代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、十数箇の割り石が雑然と積み重ねてあります。
     この根津神社の境内は、もと五代将軍綱吉の兄綱重(家光の第二子)の山手屋敷(別邸)で、綱重の長子家宣は寛文二年(1662)四月五日ここで生まれました。

     

  • 桜も早く咲きましたが、躑躅も早いです。

    桜も早く咲きましたが、躑躅も早いです。

  • 乙女稲荷神社は小高い所に位置し、社殿の前が広くせり出しています。

    乙女稲荷神社は小高い所に位置し、社殿の前が広くせり出しています。

  • 根津裏門坂<br /><br />根津神社の裏門前を,根津の谷から本郷通りに上る坂道である。<br /> 根津神社(根津権現)の現在の社殿は,宝永3年(1706)5代将軍綱吉によって,世継ぎの綱豊(6代家宣)の産土神として創建された。形式は権現造,規模も大きく華麗で,国の重要文化財である。<br /> 坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に,夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。『吾輩は猫である』を書き,一躍文壇にでた記念すべき所である。(家は現在「明治村」に移築)

    根津裏門坂

    根津神社の裏門前を,根津の谷から本郷通りに上る坂道である。
     根津神社(根津権現)の現在の社殿は,宝永3年(1706)5代将軍綱吉によって,世継ぎの綱豊(6代家宣)の産土神として創建された。形式は権現造,規模も大きく華麗で,国の重要文化財である。
     坂上の日本医科大学の西横を曲がった同大学同窓会館の地に,夏目漱石の住んだ家(“猫の家”)があった。『吾輩は猫である』を書き,一躍文壇にでた記念すべき所である。(家は現在「明治村」に移築)

  • 根津神社を出て、日本医科大学付属病院の近くに、夏目漱石旧居跡(猫の家)。<br /><br />文豪夏目漱石(1867~1916)の旧居跡。<br />ここには、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ。<br />この間、東京大学英文科・第一高等学校の講師として活躍する一方、処女作『我輩は猫である』を執筆し、この旧居は作品の舞台となった。<br />『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』等を次々に発表したところでもある。<br />なお、家屋は愛知県犬山市にある「明治村」に移築され公開されている。

    根津神社を出て、日本医科大学付属病院の近くに、夏目漱石旧居跡(猫の家)。

    文豪夏目漱石(1867~1916)の旧居跡。
    ここには、イギリスから帰国後の明治36年から3年間住んだ。
    この間、東京大学英文科・第一高等学校の講師として活躍する一方、処女作『我輩は猫である』を執筆し、この旧居は作品の舞台となった。
    『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』等を次々に発表したところでもある。
    なお、家屋は愛知県犬山市にある「明治村」に移築され公開されている。

  • 光源寺に来ました。

    光源寺に来ました。

  • 駒込大観音は、東京大空襲で焼失しましたが平成5年に復興したものです。<br /><br />江戸の鰹節問屋・丸屋宗閑(吉兵衛)の寄進という初代の駒込大観音は、元禄10年(1697年)造立の一丈六尺(5m/境内掲示には2丈6尺=約8m)の十一面観音像でした。

    駒込大観音は、東京大空襲で焼失しましたが平成5年に復興したものです。

    江戸の鰹節問屋・丸屋宗閑(吉兵衛)の寄進という初代の駒込大観音は、元禄10年(1697年)造立の一丈六尺(5m/境内掲示には2丈6尺=約8m)の十一面観音像でした。

  • 蓬莱梅<br />「野梅性(やばいしょう)白梅、樹齢約300年」<br /> かって、この大観音堂の傍らに梅の古木があったが、昭和20年5月25日の空襲で、観音堂と共に焼失した。<br /> この度、大観音再建にあたり、代替りの梅の木を各地に探し求めたが、榛名山の麓でこの梅を見付け出し、昔を偲ぶ思いをこめて、ここに移植した。<br /> 蓬莱梅の名称は住居表示改正前、ここの町名であった駒込蓬莱町に因んで名付けたが、明治末頃迄、駒込辺りは梅や桜の花木の産地として有名であった。

    蓬莱梅
    「野梅性(やばいしょう)白梅、樹齢約300年」
     かって、この大観音堂の傍らに梅の古木があったが、昭和20年5月25日の空襲で、観音堂と共に焼失した。
     この度、大観音再建にあたり、代替りの梅の木を各地に探し求めたが、榛名山の麓でこの梅を見付け出し、昔を偲ぶ思いをこめて、ここに移植した。
     蓬莱梅の名称は住居表示改正前、ここの町名であった駒込蓬莱町に因んで名付けたが、明治末頃迄、駒込辺りは梅や桜の花木の産地として有名であった。

  • 庚申待百万遍講中庚申塔<br /><br />文京区指定有形民族文化財 平成23年(2011)3月1日指定<br /> 青面金剛立像を主尊とする笠付角柱型の庚申塔である。紀年銘から明和9年(1772)9月に造立されたものと考えられる。基礎の上に塔身・笠、最上部に宝珠を載せる。地面からの高さは250cmを超える、極めて大型の庚申塔である。<br /> 塔身正面に一面六臂の青面金剛立像を浮き彫りし、その下には青面金剛に踏まれた邪鬼や岩座の中に三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)を浮き彫りする。塔身向かって身側面および左側面には施主銘「庚申待百万遍講中」や願文が、裏面には「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれる。また、上段の基礎の四面すべてと下段の基礎の正面には200名を超える人名が刻まれている。これらは、本庚申塔に造立に関係した人々と考えられる。<br /> 本庚申塔は、保存状態が良好であり、かつ造作・規模などの点から極めて優品の庚申塔である。江戸時代中期における庚申信仰のあり方を伝える貴重なものである。<br /> 文京区教育委員会 平成24年(2012)3月

    庚申待百万遍講中庚申塔

    文京区指定有形民族文化財 平成23年(2011)3月1日指定
     青面金剛立像を主尊とする笠付角柱型の庚申塔である。紀年銘から明和9年(1772)9月に造立されたものと考えられる。基礎の上に塔身・笠、最上部に宝珠を載せる。地面からの高さは250cmを超える、極めて大型の庚申塔である。
     塔身正面に一面六臂の青面金剛立像を浮き彫りし、その下には青面金剛に踏まれた邪鬼や岩座の中に三猿(見ざる・言わざる・聞かざる)を浮き彫りする。塔身向かって身側面および左側面には施主銘「庚申待百万遍講中」や願文が、裏面には「南無阿弥陀仏」の六字名号が刻まれる。また、上段の基礎の四面すべてと下段の基礎の正面には200名を超える人名が刻まれている。これらは、本庚申塔に造立に関係した人々と考えられる。
     本庚申塔は、保存状態が良好であり、かつ造作・規模などの点から極めて優品の庚申塔である。江戸時代中期における庚申信仰のあり方を伝える貴重なものである。
     文京区教育委員会 平成24年(2012)3月

  • 光源寺の桜

    光源寺の桜

  • 清林寺です。<br />

    清林寺です。

  • 栄松院です。<br />初代松本幸四郎(1730没)が眠っています。

    栄松院です。
    初代松本幸四郎(1730没)が眠っています。

  • お美津地蔵<br />お美津は幼い子供で、海で亡くなってしまったので、両親がこのお寺にお地蔵様を作って供養したそうです。

    お美津地蔵
    お美津は幼い子供で、海で亡くなってしまったので、両親がこのお寺にお地蔵様を作って供養したそうです。

  • 瑞泰寺

    瑞泰寺

  • 江戸六地蔵(東都歳時記)の第一番の銅造地蔵がありましたが、関東大震災で破損し、第二次大戦の戦火によって焼失した為に現在は石造を代仏(壇陀地蔵)としています。

    江戸六地蔵(東都歳時記)の第一番の銅造地蔵がありましたが、関東大震災で破損し、第二次大戦の戦火によって焼失した為に現在は石造を代仏(壇陀地蔵)としています。

  • 円乗寺に来ました。<br />八百屋お七の墓があるお寺です。<br /><br />お七の生家は駒込片町(一説によると本郷追分とも)の有数な八百屋であった。<br />天和2年(1682)12月の天和の大火で家が焼け、菩提寺の円乗寺に避難したが、避難中に円乗寺の小姓山田佐兵衛と恋仲になった。<br />やがて家は再建され戻ったが佐兵衛会いたさに付け火をした。<br />放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月火あぶりの刑にされた。

    円乗寺に来ました。
    八百屋お七の墓があるお寺です。

    お七の生家は駒込片町(一説によると本郷追分とも)の有数な八百屋であった。
    天和2年(1682)12月の天和の大火で家が焼け、菩提寺の円乗寺に避難したが、避難中に円乗寺の小姓山田佐兵衛と恋仲になった。
    やがて家は再建され戻ったが佐兵衛会いたさに付け火をした。
    放火の大罪で捕らえられたお七は、天和3年3月火あぶりの刑にされた。

  • 古くから「指ヶ谷」或いは「さすがい」(砂子)と呼ばれていたそうです。指ヶ谷の由来は、三代将軍家光がこの地を「あの谷」と指差したことによるといわれています(紫の一本)。

    古くから「指ヶ谷」或いは「さすがい」(砂子)と呼ばれていたそうです。指ヶ谷の由来は、三代将軍家光がこの地を「あの谷」と指差したことによるといわれています(紫の一本)。

  • 円乗寺の前は、浄心寺坂。<br /><br />「小石川指ヶ谷(さすがや)町より白山前町にをへて東の方,本郷駒込東片町へのぼる坂あり,浄心寺坂といふ 云々」(新撰東京名所図会)<br /> 浄心寺近くの坂なので,この名が付いた。また坂下に「八百屋於七」の墓所 円乗寺 があることから「於七坂」の別名もある。<br /><br />ここから、白山神社に行きます。

    円乗寺の前は、浄心寺坂。

    「小石川指ヶ谷(さすがや)町より白山前町にをへて東の方,本郷駒込東片町へのぼる坂あり,浄心寺坂といふ 云々」(新撰東京名所図会)
     浄心寺近くの坂なので,この名が付いた。また坂下に「八百屋於七」の墓所 円乗寺 があることから「於七坂」の別名もある。

    ここから、白山神社に行きます。

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