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2020年11月13日(金)朝の11時半前、滋賀県大津市のほぼ中心部に位置する三井寺、正式には長等山園城寺に到着。三井寺は1867年(明治9年)に統合されるまで唐院・金堂などの中院、観音堂を中心とした南院、新羅善神堂・法明院などの北院の三院で構成されていたが、北院は中院から北に直線距離でも500m以上離れているので、この日は中院から南院を回る(下の写真1)。<br /><br />中院への正面玄関となるのが、境内の北東部にある仁王門。大門とも云う。三井寺の表門で、三間一戸、入母屋造、檜皮葺の二階建ての楼門。元は現在の湖南市石部町にあった天台宗常楽寺に室町時代の1452年に建てられた門で、豊臣秀吉が伏見城に移し、さらに1601年に徳川家康が三井寺に寄進した。全国でも有数の美しい楼門として知られている。<br /><br />大門の両脇には室町時代の運慶作と伝えられる仁王像が鎮座している。組物などに群青、緑などの彩色があり、蟇股や木鼻などの彫刻文様、斗きょうなど組物には室町中期の特色がよく表れている。国の重要文化財。<br /><br />仁王門の南横にある拝観受付所で金堂の特別拝観含む拝観料1人1000円(入山だけなら600円)を払って境内に入る(下の写真2)。<br /><br />境内に入ってすぐ右手奥にあるのが釈迦堂。元は多くの僧侶たちのいた大寺院の食堂(じきどう)だった。桁行七間、梁間四間、入母屋造、桧皮葺の簡素な構造で、室町後期の天正年間(1573年から1593年)造営の京都御所の清涼殿を下賜されて移築されたものとも伝えられる。国の重要文化財。<br /><br />全体としては簡素な建築で、後世の改造も多く、唐破風の向拝(下の写真3)は江戸時代に付けられたものだが、内陣部分や須弥壇には古い手法が残されており、特に須弥壇に精巧な彫刻が施されている。建築年代は室町初期と推定され、正面一間通りが開放となっているところや、扉口が両端の間のみにあるところは、かつての食堂の形式を伝えているものと考えられている。<br /><br />本尊の釈迦如来像は、「三国伝来の釈迦」として信仰を集めてきた京都嵯峨・清涼寺ご本尊の模刻像で、釈尊のお姿をそのまま写したとされ、その独特の尊容から「清涼寺式」と呼ばれている。<br /><br />釈迦堂の前、釈迦堂に向かって左手には小さな池があり、石橋の先に小さなお堂。八臂(はっぴ)弁財天を祀る弁財天社。八臂とは8本の腕を意味し、宝珠・剣・戟・鉤・輪宝・宝棒・弓・矢を持つ。弁財天は能弁で、学問、技芸の徳をそなえる女神で、人に対して無礙弁財を授け、福知与え、延寿及び財宝を与える神。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4890795797657072&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />金堂に進むが、続く

滋賀 大津 三井寺 仁王門(Niomon Gate, Miidera Temple, Otsu, Shiga, JP)

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2020/11/13 - 2020/11/13

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旅行記グループ 三井寺

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年11月13日(金)朝の11時半前、滋賀県大津市のほぼ中心部に位置する三井寺、正式には長等山園城寺に到着。三井寺は1867年(明治9年)に統合されるまで唐院・金堂などの中院、観音堂を中心とした南院、新羅善神堂・法明院などの北院の三院で構成されていたが、北院は中院から北に直線距離でも500m以上離れているので、この日は中院から南院を回る(下の写真1)。

中院への正面玄関となるのが、境内の北東部にある仁王門。大門とも云う。三井寺の表門で、三間一戸、入母屋造、檜皮葺の二階建ての楼門。元は現在の湖南市石部町にあった天台宗常楽寺に室町時代の1452年に建てられた門で、豊臣秀吉が伏見城に移し、さらに1601年に徳川家康が三井寺に寄進した。全国でも有数の美しい楼門として知られている。

大門の両脇には室町時代の運慶作と伝えられる仁王像が鎮座している。組物などに群青、緑などの彩色があり、蟇股や木鼻などの彫刻文様、斗きょうなど組物には室町中期の特色がよく表れている。国の重要文化財。

仁王門の南横にある拝観受付所で金堂の特別拝観含む拝観料1人1000円(入山だけなら600円)を払って境内に入る(下の写真2)。

境内に入ってすぐ右手奥にあるのが釈迦堂。元は多くの僧侶たちのいた大寺院の食堂(じきどう)だった。桁行七間、梁間四間、入母屋造、桧皮葺の簡素な構造で、室町後期の天正年間(1573年から1593年)造営の京都御所の清涼殿を下賜されて移築されたものとも伝えられる。国の重要文化財。

全体としては簡素な建築で、後世の改造も多く、唐破風の向拝(下の写真3)は江戸時代に付けられたものだが、内陣部分や須弥壇には古い手法が残されており、特に須弥壇に精巧な彫刻が施されている。建築年代は室町初期と推定され、正面一間通りが開放となっているところや、扉口が両端の間のみにあるところは、かつての食堂の形式を伝えているものと考えられている。

本尊の釈迦如来像は、「三国伝来の釈迦」として信仰を集めてきた京都嵯峨・清涼寺ご本尊の模刻像で、釈尊のお姿をそのまま写したとされ、その独特の尊容から「清涼寺式」と呼ばれている。

釈迦堂の前、釈迦堂に向かって左手には小さな池があり、石橋の先に小さなお堂。八臂(はっぴ)弁財天を祀る弁財天社。八臂とは8本の腕を意味し、宝珠・剣・戟・鉤・輪宝・宝棒・弓・矢を持つ。弁財天は能弁で、学問、技芸の徳をそなえる女神で、人に対して無礙弁財を授け、福知与え、延寿及び財宝を与える神。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4890795797657072&type=1&l=223fe1adec


金堂に進むが、続く

  • 写真1 境内図

    写真1 境内図

  • 写真2 拝観受付所

    写真2 拝観受付所

  • 写真3 釈迦堂の唐破風の向拝

    写真3 釈迦堂の唐破風の向拝

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