![コロナのおかげで年末年始は引きこもり。<br />そろそろお出かけしたい気分になり、1人旅で山形県北部の肘折温泉というところに行きました。<br />紀行鉄道作家の故宮脇俊三さんが「名前に惹かれる」と記したところです。<br /><br />途中冬の最上川沿いの清川というところにも立ち寄りました。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/67/43/650x_11674358.jpg?updated_at=1614598751)
2021/01/23 - 2021/01/23
60位(同エリア153件中)
あおしさん
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コロナのおかげで年末年始は引きこもり。
そろそろお出かけしたい気分になり、1人旅で山形県北部の肘折温泉というところに行きました。
紀行鉄道作家の故宮脇俊三さんが「名前に惹かれる」と記したところです。
途中冬の最上川沿いの清川というところにも立ち寄りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
東京発7時過ぎの山形新幹線・「つばさ123号」で出発。
普段の土曜日ならとても混雑している列車ですが、この時期なので乗車率は3割程度。
コロナのおかげで鉄道会社は大変です。山形新幹線 乗り物
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関東はこの週末は雪も降るかもしれないという天気でしたが、山形県に入ると天気がよくなってきました。
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新庄駅に10時54分到着。
観光客も少なくさびしい雰囲気です。新庄駅 駅
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この駅から陸羽西線に乗り換え。
左が陸羽西線の2両編成のデイーゼルカー、右は奥羽本線・秋田行の電車です。JR陸羽西線 (奥の細道最上川ライン) 乗り物
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陸羽西線は観光客などでまずまずの乗客です。
東北地方内の旅行者は結構いるようでした。
11時15分、新庄駅発。 -
陸羽西線は最上川沿いに走ります。
車窓には冬の最上川。
天気がいいのでとても美しい雪の最上川です最上川 自然・景勝地
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新庄駅から約30分、清川駅で途中下車します。
清川駅 駅
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清川は現在は小さな町ですが、かつては最上川の舟の発着所と関所があり、この一帯の中心地として栄えました。
関所の建物が復元されていましたが、冬季は休業で雪に埋まっていました。 -
松尾芭蕉は新庄から舟に乗り最上川を下り、この清川に上陸しました。
関所の前には松尾芭蕉の銅像が建てられていました。
有名な「五月雨を 集めて早し最上川」の俳句もこの時のものでしょう。
現在でも最上川を観光舟に乗るとその急流に驚きます。
さぞかし芭蕉も驚いたことでしょう。 -
この地は幕末の志士・清河八郎の出身地です。
清河八郎を祀った清河神社は雪に埋まっていて、近くまで行けませんでした。
隣には清河八郎記念館があります。
冬季休業でしたが、たまたま事務のおじさんが仕事をしていて特別に中に入れてもらいました。
清河八郎は倒幕の志士の先頭ランナーだった人です。
彼は西国へ倒幕のため立ち上がるべし、と遊説にまわりました。
これにより若き志士たち、薩摩の有馬新七、西郷従道(西郷隆盛の弟)、大山巌(日露戦争の最高司令官)、長州の久坂玄端、高杉晋作、土佐の吉村寅太郎、坂本龍馬などが京都に次々に上京してきました。
ただ、この倒幕の計画は薩摩藩主の父・島津久光の弾圧(寺田屋事件)で失敗しました。清河八郎記念館 美術館・博物館
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清河八郎の銅像も雪に備えておおわれていました。
西国の志士たちによる倒幕計画が失敗すると、今度は東国にまわり多くの浪人の集めて京都に戻ってきました。
ところが清河が倒幕のために集めた浪士たちは、近藤勇、土方歳三、沖田総司などの新撰組になってしまいました。
清河八郎によって、幕末のスターたち、倒幕側の志士たちと幕府側の新撰組の多くが歴史に登場してきたのでした。 -
この町の中に広い雪に生まれた空地がありましたが、ここが清河八郎の生誕地。
彼はここの庄屋、名主だった斎藤家の御曹司でした。
彼はここから江戸に出て、名前を清河八郎と名乗り、歴史に登場しました。
斉藤家は明治以降もこの地の清川村の村長になっています。 -
清河八郎のお墓のある歓喜寺。
清河神社のすぐ近くにありました。 -
清河八郎とその妻・お蓮の墓。
清河は江戸で幕府見廻組の佐々木只三郎に斬られ(佐々木は後に坂本龍馬も斬りました)、江戸にお墓がありましたが、明治以降清河の母の願いでここに移されたそうです。
妻・お蓮は幕府に捕われ、拷問死しました。
清河八郎記念館には清河が「お蓮には不憫なことをした。十分に弔ってください」という母宛ての手紙が展示されていました。 -
清川駅から歩いて15分のところにある松山温泉。
身体が冷えたのでここで一休み。
浴場からは最上川がよく見えました。 -
列車の関係で清川駅からまず隣の狩川駅へ。
レトロな駅舎が残っていました。狩川駅 駅
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駅の待合室には、大正3年に陸羽西線が開業したときの新聞が展示されていました。
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昭和47年天皇陛下がこの駅で降りたときの写真もありました。
この時期にはおそらくこの駅も大変にぎわったことでしょう。
自動車時代になり、今ではこの駅は運転免許のない高校生と高齢者くらいしか利用者はいないようです。 -
この駅の周辺もかつては賑わった面影がある街並みです。
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今では空き家になっている店舗。
「やまがた屋」と「山形屋百貨店」の看板がありました。
かつてはこの店でも多くの人でにぎわったのでしょう。 -
狩川駅から快速「最上川」で新庄駅へ戻り、駅前から肘折温泉行のバスに乗ります。
宮脇さんが肘折温泉に向かった際には山形交通の大型バスだったようですが、今はその山形交通のバスは廃止になり、肘折温泉のある大蔵村がマイクロバスを運行しています。大蔵村営バス 乗り物
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肘折温泉のある大蔵村は日本でも有数の豪雪地帯。
雪の壁も数mありました。 -
新庄駅から約1時間で肘折温泉に到着しました。
肘折温泉郷 温泉
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肘折温泉にある郵便局。
宮脇さんがここに訪れた時は営業していたと思いますが、今は郵便局は移転して、建物のみが保存されています。旧肘折温泉郵便局 名所・史跡
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肘折温泉は古くから湯治場として栄えました。
旅館も多くは江戸時代からの老舗で、屋号と人名の列記「三浦屋半三郎」「亀屋半助」というようになっています。
今日の宿泊は「若松屋 村井六助」という旅館です。若松屋村井六助 宿・ホテル
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今日のお客さんは3組。
食事はコロナ対策なのか部屋食でした。
山の幸も多い料理です。
特にお米のおいしいこと! -
肉厚な牛肉の入ったすき焼き。
地元の料理とのことですが、どこの牛でしょう。 -
夜の肘折温泉街。
レトロな雰囲気の残っています。
ただ、どこもお客さんは少ないようで部屋のあかりがほとんど消えていました。 -
この旅館だけは部屋の明かりが多く点いていました。
和風の雰囲気のいい旅館です。 -
ゆっくり温泉に入って一晩過ごし、翌9時50分のバスで帰ります。
旅館の前のバス停には、私とその前の旅館の三浦屋さんに宿泊したカップルの3人がバスに乗りました
その際、それぞれ旅館の女将さんとご主人がお見送りに来ました。
宮脇さんの紀行文にも同じことが書いてあり、バスに乗るお客さんを見送るのはこの温泉地の伝統かもしれません。
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