2020/10/19 - 2020/10/19
63位(同エリア624件中)
ishigantouさん
- ishigantouさんTOP
- 旅行記142冊
- クチコミ89件
- Q&A回答4件
- 106,247アクセス
- フォロワー38人
大阪に出張に行っても奈良や京都に寄ることが多く、今まで大阪の観光はしていなかった。今回改めて歴史あるこの地にヤマト時代の痕跡を探してみた。
第一回目は、仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群と聖徳太子が立てた四天王寺を訪ねる。
その前に宿泊ホテルがあるオフィス街には不釣り合い、いや溶け込んでいた2か所の見どころを写真に収める。残念ながらコロナの関係で入る事は出来なかった。
そこは、蘭学者「緒方洪庵」が開いた<適塾>と徳川時代に銅の流通をコントロールした<銅座跡>。重要文化財になっていて今や木造建てで日本最古の幼稚園になっている。
そのまま淀屋橋駅に向かうと百年以上続いた私学の学問所<懐徳堂跡>などもある。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- ANAグループ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
PR
-
宿泊したのは「京阪ホテル」この当時はまだ仕事でもGo to Travelが使えたので、お得に宿泊。
ホテルから駅に向かう途中にあった、緒方洪庵が開いた「適塾跡」 -
緒方洪庵が開いた「適塾跡」
-
塾生の勉強ぶりは、他の塾と比べ様がないくらい熱烈だったとか。
-
緒方洪庵は備中出身で大阪で蘭学を学び、長崎で学んだあとこの適塾を開く。種痘所を開き、天然痘蔓延を防ぐなどの貢献者。
-
イチオシ
重要文化財の「銅座跡」
-
当時、銅を全国から集め長崎で洗練した。それをコントロールした役所跡。
-
銅座跡は今も現役の愛珠幼稚園。道を渡ると不思議なオブジェが・・
-
江戸中期、富裕町人の出資で出来た漢学塾「懐徳堂跡」身分に関係なく受講出来た。
-
碑は日本生命のビルに埋め込まれている。
-
JR阪和線で百舌鳥駅に到着。世界文化遺産に登録されている「百舌鳥・古市古墳群」
4世紀末から5世紀後半に築かれた古墳が点在。古墳は全国にあるが、仁徳天皇陵や履中天皇陵とされる大型な古墳が集まっているのが、ここ百舌鳥古墳群だ。
初めに、「収塚古墳」仁徳天皇陵の倍家(従臣の墳墓)の一つ。元は前方後円墳だった。 -
日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳」正式名は「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵(にんとくてんのうもずのみみはらのなかのみささぎ)」と言うそうだ。
-
世界三大陵墓の一つと言われている。(エジプトのクフ王、秦の始皇帝陵)
周壕は2000mを超え、この陵墓造りに一日2000人が15年8か月かかったと言う。 -
名前の由来となった鹿と百舌鳥を抱く仁徳天皇像。
墳墓を作っている最中に鹿が作業員の前で倒れ、耳の中から百舌鳥が飛び立ち、耳の中を食いさかれていたので、この辺りを百舌鳥耳原と名付けられたそうだ。 -
古墳群は大山公園の中にある。
-
イチオシ
大山公園内にある「旗塚古墳」前方部が短い前方後円墳。作り出し(祭祀を行ったとされる、少しせり出した部分)もある。
-
旗塚古墳
円筒埴輪、形象埴輪(人物、家、動物、器材などをかたどった埴輪)なども出土された。 -
七観音古墳
履中天皇陵の陪家古墳とされる -
履中天皇陵古墳裏側
仁徳天皇陵、応神天皇陵に続いて3番目に大きい前方後円墳。 -
イチオシ
履中天皇陵古墳表側
ミサンザイ古墳とも呼ばれている。全長約365m、築造5世紀前半とされる。 -
履中天皇陵古墳
当時国内、海外の使者などが訪れた際、海から壮大な墳墓を見る事が出来、権力の象徴を見せつけたようだ。 -
次に訪れたのは、1400年以上前の推古天皇元年(593年)に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺である「四天王寺」(もちろん今は鉄筋コンクリートによる再建物)
極楽門 -
入ってすぐの親鸞聖人堂
まずは周りをぐるりと -
丸池
-
イチオシ
仏足石もある
-
北鐘堂と亀の池
-
石舞台 舞楽が舞われる
-
六時堂
昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名がある -
六時堂
-
英霊堂
明治39年に建立されたときには大釣鐘堂と呼ばれ、当時世界一大きい大梵鐘が釣られていた。 -
亀井堂
その昔聖徳太子が井戸に姿を映し、楊枝で自画像を描いたという楊枝の御影が安置されている。 -
用明殿
聖徳太子400年御聖忌記念事業として建てられた。聖徳太子の実父である用明天皇を祀っている。 -
イチオシ
境内
-
午王尊
推古元年(593)創建(復元)
四天王寺が建立される時、建築資材である石や材木を運搬した牛が、伽藍が完成するや否や化して石となったと伝えられ、堂内には牛(ご)王(おう)尊(そん)の巨石が安置されている。 -
亀遊嶋辯才天
池の中央に島があり、辯才天を祀るお堂が辯才天。この姿が、池に遊ぶ亀の甲に似ていることから名付けられた。 -
太子殿の門
-
太子殿
聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、正式には「聖霊院」と言い、太子信仰の中心となっている。 -
南鐘堂
-
万灯院
紙衣仏(かみこぶつ)をお祀りしているため紙衣堂とも言う。 -
いよいよ拝観料を払って、四天王寺へと入る。入口は西重門から。
-
反対側の東重門
-
聖徳太子が創建するにあたり四箇院制度を整える。
四箇院とは、敬田院(きょうでんいん)、施薬院(せやくいん)、療病院(りょうびょういん)、悲田院(ひでんいん)の4 つのことで、敬田院は寺院そのもので、施薬院と療病院は薬局・病院にあたり、悲田院は病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設にあたる。 -
イチオシ
伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つ。
この造りに韓国の「景福宮」を思い浮かべ、当時朝鮮半島からの影響が多大だった事を知る。 -
仁王門
-
仁王門
那羅延金剛力士 -
仁王門
密迹金剛力士 -
五重塔
聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」と言う。 -
金堂
聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護している。 -
金堂と五重塔
-
回廊
-
回廊
-
回廊
-
講堂内部
経典を講じたり法を説いたりする七堂伽藍の一つのお堂。講堂内陣は中央を境に、東を冬堂、西を夏堂と呼ぶ。冬堂には現世の人々の悩みや、苦しみを救う十一面観世音菩薩、夏堂には来世極楽に人々を導く丈六阿彌陀如来をお祀りしている。 -
東重門
-
四天王寺
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
堺(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 大阪
0
54