2020/10/01 - 2020/10/01
240位(同エリア300件中)
ミールさん
この日は宮城県の宮野宿から岩手県の一関宿までの約27キロを歩く予定が、いつも通り寄り道ばかりしていたら結局29キロも歩いてしまいました。午前中の二つの宿場町はひっそりとしていましたが、宮城県最後の有壁宿は何とか宿町らしさがあって安心しました(旅行記的にも)。また宮城県内の山沿いの地域ではけっこう近くで銃声が鳴り響き、熊との遭遇や熊と間違われて撃たれる危険などにびくびくしながら歩きました。
午後には岩手県一関市に入り、奥州街道を歩き終えた後の郵便局での風景印集めを楽しみすぎて、かなり歩きすぎてしまいました。そして空腹で倒れそうになったところで、一関名物の餅料理を堪能。餅はお正月に食べるくらいで普段は滅多に食べることがありませんが、8種類の味を楽しめるもち膳はおいしくて、飽きることなく完食できました。この日はタイミングが合わなくて食べられませんでしたが、別のお店の餅パフェもいつか食べてみたいです。
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シライシパンのコッペパンと蔵王の飲むヨーグルトという、とても東北らしい朝食をとって街道歩きスタートです。
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宿場町らしい表示が全くないので、とりあえず道路標識でご勘弁を。
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遠い目をして物思いにふけっている猫に遭遇しました。
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猫がいた向かい側には照明禅寺というお寺がありました。
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さすが栗原市!市のゆるきゃらの「ねじりほんにょ」が、着ぐるみではなく生の姿で集まっていました。
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沢辺宿の手前で見つけたマンホール。昭和30年に沢辺村が近隣の村と合併して金成町になり、その後、栗原郡内の全町村が合併して栗原市になったそうです。ホタル推しのマンホールがかわいいです。
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この日最初の宿場町の沢辺宿。人っ子一人いませんでした(ちなみにここはメインストリートです)。
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沢辺宿のメインストリートにあった八幡神社。
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沢辺宿を過ぎたところで、廃線になったらしい線路を発見しました。何だか哀愁が漂っていますね。
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農産物がてんこ盛りの金成元気くん。素敵すぎます。
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素朴な看板に和牛の奥ゆかしさを感じます。
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この日二つ目の金成宿に着きました。やはりこちらのメインストリートにも人影は見えず…。
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和牛の里で見つけた洋風な建物は金成ハリストス正教会です。
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金成宿のメインストリートに戻り、金成郵便局の風景印をゲット。ゲンジボタル、水田、小迫の延年の舞、栗駒山などが描かれています。
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歴史とロマンと和牛のまち、金成。
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先ほどとはちょっと違う、でもやっぱりホタル推しのマンホールを発見。
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旧奥州街道は田園地帯に入りました。
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かろうじて見える道案内の看板。
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この辺りで地元のおじいさんに、「熊とか猪が出るから気をつけな!」と温かいアドバイスを受けました。不審者と思われた可能性が高いので、聞かれてもいないのに「旧奥州街道を歩いているんです」と元気よく言っておきました。
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幸い、熊や猪には遭遇しませんでしたが、大量の太陽光パネルには遭遇しました。
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東北自動車道の下を通り抜けます。
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鬱蒼とした旧道は熊や猪や不審者がいつ出てくるかわからず、かなりびくびくしながら歩きました。
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道は合っているようなので一安心♪
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金成宿を出て5キロ、鬱蒼とした道ともおさらばです。
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新鹿野一里塚跡。今もちょっとだけこんもりとしていますね。
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「快活農村すえの」の看板を眺めていたところ、どこからか銃声の音が何発も聞こえてきました。
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道は合っているけれど銃声の音が止まないため、気が気ではないミール君。
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この案内板の通り、旧奥州街道は十万坂という坂を通ります。しかし地図で見る限りこの道は山林の中を通るようだったので、熊と遭遇するか、熊と間違われて銃で撃たれるかの二択を選びたくなかったミール君は、ちょっと遠回りして県道を歩くことにしました。
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こちらがその県道ですが、危険さはあまり変わらなかった気がします。ちなみに田園地帯ですれ違ったパトカーにこの道で追い越されましたが、たぶん不審者と思われたんだと思います。
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明治天皇が休憩した場所。次の有壁宿ののぼりも立っていて、少し元気が出てきました。
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有壁宿まであと0.9キロ!
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有壁宿に近づいてきた頃、馬が描かれたかっこいいマンホールを発見しました。でもこの馬、大量の荷物を背負わされているようにも見えます。
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こちらが宮城県最後の宿場町、有壁宿の入口です。門らしきものも残されていました。
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有壁宿に着いたところでお昼の時間になっていたので、宿場町らしい名前の「そば処 本陣」でそばを食べました。
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腹ごしらえをしたところで街道歩きを再開。
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午前中に通り過ぎた二つの宿場町に比べると、有壁宿は「ここは宿場町ですよ~!」というアピールが強かったです。
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こちらは1619年に伊達政宗によって建造された旧有壁宿本陣。
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本陣の端っこ。
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別角度から見た本陣。
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これは有壁宿の入口にあった門と同じものみたいですね。ここが有壁宿の端だと思われます。
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先ほどの門があった道を行くのが本来の旧奥州街道なのですが、そちらだと本格的な山道(地図なし)を歩くことになるため、遭難するのを避けるためにも迂回ルートで次の一関宿を目指すことにしました。
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貨物列車に追い越されながらも、黙々と歩くミール君。
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とうとう岩手県に入りました!
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実際には広めの歩道なのに、元気な草のおかげでだいぶ歩きにくくなっていました。
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やっぱり山道を選ばなくて良かったと、心から思ったミール君なのでした。
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こちらは一関市のマンホール。厳美渓(一関市の観光スポット)、オシドリ(市の鳥)、モミジ(市の木)が描かれています。
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一関宿に入って最初の風景印は、一関台町郵便局でゲットしました。菜の花(市の花)、オシドリ(市の鳥)、須川岳が描かれています。
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こちらは一関八幡神社の社殿です。延暦年間(782~806)に坂上田村麻呂がこの辺りに陣営を敷き、諏訪の大神(長野の諏訪大社)に勝利を祈願したのが紀元とされます。
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一関八幡神社の境内にある竹駒神社。商売繁盛の神様として崇敬されているそうです。
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駅のほうに行ってみようと思い、立ち寄ったのが一関駅前郵便局。こちらの風景印には、一関市に縁のある大槻三賢人像、芭蕉紀行の道碑、東北新幹線(一関駅に停車します)、須川岳などが描かれています。
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こちらが一関駅前。
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工事の看板には岩手のゆるきゃら、「わんこきょうだい」がいました。
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この日の街道歩きを終えて風景印集めのために歩いていたところ、こんなに立派な電話ボックスを発見しました。
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図書館と文化センターがある場所に、なぜか蒸気機関車が展示されていました。
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こちらは一関田村町郵便局の風景印。時の太鼓、菜の花、須川岳が描かれています。
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一関田村町郵便局から道路を挟んだ向かい側にはやぐらの広場があり、風景印に描かれている時の太鼓のレプリカがありました。
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こちらは一関郵便局の風景印。上の橋親柱の時の太鼓、リンドウ、栗駒山が描かれています。
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公園というよりはお金持ちのお屋敷、といった感じの浦しま公園を通りすがりに見つけたので入ってみることにしました。
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やっぱりお金持ちの庭園という感じでした。
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こちらは世嬉の一酒造の建物です。レストラン、カフェ、直売所など、敷地内にはいろんな施設があります。
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世嬉の一酒造の敷地内にあった仕込樽。大きいですね。
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世嬉の一酒造のそばを流れる磐井川を渡り、一関中央町郵便局の風景印をゲット。ブナ(市の木)、白鳥、磐井川、須川岳などが描かれています。
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一関中央町郵便局から約2キロ歩いて、三関郵便局の風景印ももらってきました。北上川、田園の中を走る新幹線、そして一関の風景印ではおなじみの須川岳が描かれています。
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この日の夕食はホテルの近くの「三彩館ふじせい」で、名物のひと口もち膳を食べました。一関市では冠婚葬祭や季節の節目などでも餅を食べるのが一般的で、餅料理を出すお店も多いようです。2007年に一関市が市民と隣の平泉町民に行ったアンケートでは、自宅に餅つき機があると答えた人が60.4%に上ったとか。
ちなみにこの日の餅は真ん中の大根おろしを囲むように、ショウガ、あんこ、納豆、くるみ、じゅうね(エゴマの実)、ずんだ、えび、ごま味でした。
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