1999/08/05 - 1999/08/05
5位(同エリア66件中)
はんけんさん
新型コロナウィルス禍により、しばらく海外旅行はできないので、旅行記の新ネタは当面ありません。なので、アナログカメラ時代の写真を引っ張り出してきました。2003年にデジカメを購入して以降、2002年以前の訪問地はほとんどデジカメを携えて再訪しているのですが、再訪できてない場所もあるので、是非ともお伝えしたい場所を旅行記作成して報告いたします。
1999年の夏はイタリアを旅行しました。翌年の2000年はミレニアム祝賀でイタリアは大混雑すると聞いていたので、その前に行っておこうと考えたのです。が、これが大失敗で、ミレニアムに向けてどこの観光地も改修中の場所が多かったです。
この旅行ではローマに3泊、フィレンツェに4泊、ミラノに1泊しました。その中で、フィレンツェから日帰りで訪れたフェラーリの地元マラネロを報告します。
フェラーリの本社やフェラーリ博物館を訪れ、フィオラノのテストコースでエディ・アーバインのF1テストランを見ることができた、とっても思い出深い訪問です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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イチオシ
フィレンツェから鉄道でモデナへ。マラネロは鉄道が通っていない。ので、モデナからバスで、フェラーリの本社があるマラネロへ。バスに乗る際、英語も通じず不安だったので、「マラネロ?」と何度か問うたが通じなかった。で、「フェラーリ!」と言ってみた。バスの乗客が一斉に「マラネッロ!」と反応してくれました。マラネロ(マにアクセント)よりも、現地では「ネッロ」にアクセントが置かれるわけですね。
バス代は、4000リラ(600円)
約30分で、フェラーリ本社正門前に到着。 -
フェラーリ本社の待ち合わせ室。
博物館の場所は手元のガイドで分かるが、あえてフェラーリ本社で場所を聞いてみる。中を覗きたかったため。と、受付の人は英語を話せなくて、少しそこで待ってて と英語を話す人を呼びに行った。
束の間フェラーリ本社の待ち合わせ室に入れたのはラッキーこの上ない。 -
フェラーリ博物館、入館料15万リラ(約2250円)。
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この年に販売開始した、モデナ360のパーツ。
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750モンツァ。フェラーリのネーミングでよくあるのですが、750は1気筒あたりのおおよその排気量。エンジンは4気筒で2953ccです。
1954年、モンツァでのデビューレースをいきなりワンツーフィニッシュで飾りました。 -
エンジン、Tipo 033/E(Tipoとは英語のType)。
1988年、F1用の1.5リッター、V6ターボエンジンです。
1989年からF1はターボが禁止されるので、最後のターボエンジンですかね。 -
F1の歴代ドライバー(84年以降)のヘルメット。
左から、アルボレート、ヨハンソン、ベルガー、マンセル、プロスト、アレジ、カぺリと続き、(その時点で)現在のシューマッハ、アーバインそして一番奥が当時テストドライバーだったバドエル。 -
F40、1987年に発売されたフェラーリ40周年記念車。約1300台と販売台数が少なかったため、バブル全盛期の日本では、2億5000万円もしてました。「走る不動産」などと揶揄されていましたねぇ。
今は、1億円ぐらいらしいです。 -
ピンボケですが、この年に販売開始されたモデナ360。
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エンジン、Tipo 046/1B。1998年、F1用のV10エンジン、2998cc。
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イチオシ
フェラーリ博物館は、12:30から15:00が昼休み。その間に昼食も兼ねて周囲を見学。
ここはジル・ビルニューブ通り。ジル・ビルニューブの銅像があります。
フェラーリF1の歴史で最も愛されたフェラーリドライバーでしょう。そして今後も不変でしょう。
F1では6勝しか挙げていませんが、「記録よりも記憶に残る」タイプです。戦闘力の劣るマシンでカウンターあてまくりの激烈ドライビングが印象的です。
ようやく速いマシンを手にした1982年のF1ベルギーGP(グランプリ)の予選で不幸な事故死。享年32歳。82年と83年のフェラーリは本当に速かったので、この事故がなければ(というかピローニの裏切りがなければ)チャンピオンになれたはず と思うと残念でなりません。 -
イチオシ
フィオラノサーキット。フェラーリのテストコースです。
運よくテストランを見ることができました。ヘルメットから判断するとアーバインですね。
実は、イタリアに着いて2日目にドイツGPの決勝レースがあったので、ローマ観光を一時中断し、ホテルのテレビでF1中継を観ていたのです。この年は、マクラーレンのミカ・ハッキネンとフェラーリのミハエル・シューマッハのガチンコ対決と思われていたのですが、イギリスGPの事故でシューマッハがまさかの骨折。フェラーリのチャンピオン獲得は消えたと思ったのですが、セカンドドライバーだったエディ・アーバインが奮起し、オーストリアGPとドイツGPに連勝。シューマッハの代役、ミカ・サロの好サポートもあり、ドイツGPでワンツーフィニッシュを飾り、アーバインが52ポイントで44ポイントのハッキネンを上回りポイントリーダーに躍り出たのです。
当時は、現在ほどテストに対する規制が厳しくなかったのでシーズン中にもテストを実施していました。木曜日のこの日あたりにテストをやっているのでは?と思い、この日にマラネロに来たのでした。フェラーリ16年ぶりのチャンピオンを狙うアーバインのテストランを観られたのは貴重な思い出です。
フェラーリ博物館を見学中、F1走行と思われる爆音が聞こえてきたので、早く見に行きたくてウズウズしていました。 -
フェラーリのF1ファクトリー。
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一般道を走る、フェラーリテスタロッサ。
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さすがフェラーリのお膝元マラネロ、頻繁に一般道をフェラーリが走ります。青山よりも高頻度!!
写真には撮れていませんが、一般道でフェラーリ同士がすれ違うのも見ました。(人生で一度きり) -
昼食時に地元のファンが、先ほどの場所よりも「もっとよく見える場所があるよ」と教えてくれました。
フィオラノテストコースとアーバインが駆るF1マシン。 -
15:00に再開、フェラーリ博物館に戻りました。残念ながら、再入場はできないとのことで、また入館料15万リラ(約2250円)払いました。
1989年F1、ナイジェル・マンセルのマシン。 -
1990年F1、プロストのマシン641。
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イチオシ
1981年F1、126CK、カーナンバー27、ビルニューブのマシン。フェラーリ初のターボエンジン搭載車。
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1991年、F1のギアボックス。
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1995年、F1のV12エンジン。
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1981年、512BBのエンジン。512とは、5リッター12気筒を意味します。
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トロフィーもいっぱい飾られていました。デジカメなら全トロフィーの写真を撮ったかもしれませんが、なにしろアナログカメラなので厳選して撮影しました。記憶が曖昧ですが、おそらくここ10年(1989年以降)のトロフィーのみ展示されていたのだと思います。そうでなければ、1987年の日本GPと1988年のイタリアGPのトロフィーは撮影しているはず。
1989年開幕戦ブラジルグランプリ(GP)の優勝トロフィー。
フェラーリに移籍してきたマンセルのフェラーリデビューレース。この年からターボ禁止のため3.5リッターのNAエンジン、かつF1史上初のセミオートマ。ともに信頼性に乏しく、開幕前のテストでレース距離をまともに走ることさえできず、完走不可能と思われた開幕戦で、マクラーレンのプロストを2度もぶち抜いての優勝、感動的でした。
酷暑のリオ、表彰台で疲労困憊フラフラのマンセルは、優勝トロフィーで手を切って、血が滴っていました。なので、マンセルの血痕を探したが、さすがにそれは拭き取っていますよね。 -
1996年イタリアGPの優勝トロフィー。
ミハエル・シューマッハのフェラーリ移籍初年、戦闘力の無いマシンながら彼は「公約」通り、この年3勝を挙げる。特に、フェラーリの地元イタリアGPでは、ベルガーの1988年以来の優勝、ティフォシ―(熱いフェラーリファン)も熱狂しました。 -
1997年日本GPの優勝トロフィー。
この年、全17戦の16戦目。ウィリアムズのジャック・ビルニューブがフェラーリのミハエル・シューマッハを9ポイントリード。ビルニューブがシューマッハより1ポイントでも多く獲得すれば、最終戦を待たずヴィルニューブのドライバーズチャンピオンが決定する状況。僚友アーバインの眼を惹く大活躍と献身的なサポートで、シューマッハ優勝し、ビルニューブは失格。シューマッハが1ポイントリードで最終戦に挑むこととなった印象深いレースです。 -
1997年モナコGPの優勝トロフィー。左がコンストラクター(フェラーリ)、右がドライバー(シューマッハ)。
世界三大レースのモナコGP、フェラーリとして1981年の"あの"ジル・ビルニューブ以来、16年ぶりの優勝でした。
モナコGPの市街地コース訪問記は、こちらでどうぞ。
2015GW 南フランス05:モナコ 世界三大レースのひとつF1コースを辿る
http://4travel.jp/travelogue/11011683 -
1989年ハンガリーGPの優勝トロフィー。
とにかく抜きにくいハンガロリンクサーキットで、予選12番手に沈んだナイジェル・マンセルが決勝レースで眼を見張る抜きまくり。第三コーナーから第二ストレートにかけての抜きっぷりは素晴らしかった。そしてついには誰も抜けないはずの「全盛期のマクラーレンホンダのセナ」をもぶっちぎるという奇跡的な痛快激烈優勝! -
1995年カナダGPの優勝トロフィー。
ジャン・アレジ、31歳の誕生日に悲願の初優勝。憧れのジル・ビルニューブの名を冠したサーキットで、憧れのカーナンバー27(ビルニューブ(カナダ人)の往年のカーナンバー)での優勝にカナダの観客も総立ちで祝福しました。 -
1996年F1 F310、シューマッハのマシン。
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1998年F1 F300、シューマッハのマシン。
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マラネロ、フェラーリの世界を堪能して、バスでモデナに戻りました。
モデナのドゥオーモ(大聖堂)、世界遺産です。 -
モデナの市庁舎。
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