2020/09/15 - 2020/09/15
1359位(同エリア1500件中)
ちふゆさん
2020年9月15日(火)4時半前、宇治川沿いの朝霧通りに戻る。さわらびの道が分かれるところの先(南東)にあるのが、京都府茶業会館。京都府茶業会館は1928年に建てられた昭和初期の入母屋造瓦葺の木造2階建て近代和風建築の建物で、2009年までは府茶業会議所の事務所として使われていた。国が選定する重要文化的景観「宇治の文化的景観」の重要構成要素の一つで、京都の茶産業のシンボル的な建物。2016年に大規模修理が行われ、当初の姿に近いものに戻っている。宇治茶道場「匠の館」が隣にあり、インストラクターによるお茶の淹れ方を聞いて自分でお茶入れられるほか、お茶の淹れ方教室や茶香服(聞き茶ゲーム)の体験もできる。
宇治橋方向へ少し進んだところにある正覚院はとくに有名な観光寺院ではない。朝霧通りに開運不動尊の碑が建つ。真言宗のお寺で、ご本尊は不動明王。由緒は不明だが、江戸初期の宇治名所絵巻に記載があるそうだ。宇治川はかつては暴れ川と呼ばれ、航行する際にはこのお寺で安全祈願したことから交通安全の寺となり、さらに新たな道を歩もうとする人々を導くと云われるようになった。「結びわらじ」と呼ばれる願いを込めた草鞋を奉納する慣わしが残っているそうだ。石段は13段あり、この石段を上ることで衆生の世界から13の仏様とご縁を結びながら修行を積み上げ、清らかな身体でご本尊「開運不動尊」とご縁を結び、その智恵を持って衆生の世界にもどり、日々の生活を精進するという意味があるそうだ。
宇治橋のたもとに近いところまで来るとあるのが橋寺。正式には放生院常光寺と云う真言律宗のお寺で、山号は雨宝山。ご本尊は鎌倉中期の地蔵菩薩立像。橋寺の由来はかつては宇治橋を管理していたことによる。寺伝によれば、604年に聖徳太子の命を受けた側近の秦河勝(はたのかわかつ)が宇治橋を架けた折に開創されたと云う。ただし、境内にある日本三古碑のひとつと云われる宇治橋断碑の碑文によれば、宇治橋は奈良の元興寺の僧・道登によって646年に架けられたとある。
鎌倉時代後期の1286年に勝宝山西大寺(奈良の西大寺)の再興などで知られる僧・叡尊によって、再興されたが、1479年に兵火に遭う。ちなみに放生院は、叡尊がこの寺で捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式である大放生会(ほうじょうえ)を営んだことからこう呼ばれるようになった。
その後、室町幕府の援助などにより復興されたが、江戸時代の1631年にも火災に遭って焼失し、その後再建された。境内は、四季折々の花に彩られ、とくに9月中旬から10月上旬に楽しめる酔芙蓉は美しい花をさかせるそうだが、時間も遅くなったので入ってない。
あとは帰るだけだが、歩き疲れたので、宇治橋のたもとのお茶の通園で一休み。吉川英治の「宮本武蔵」にも登場する茶屋で、平安時代末期の1160年創業。日本の長寿企業第10位。源頼政の家臣だった古川右内が隠居後に、頼政公の一字を賜って太敬庵通円政久と名乗り、宇治橋東詰に結んだ庵がルーツ。その後子孫代々、通円の姓を名乗って宇治橋の旅人に茶を提供してきた。
現在の建物は、1672年に建てられた江戸時代の町家の遺構を残す建物で、正面から見ると深い庇と、間口が広いわりに柱を少なくした建物となっている。これは往来する人々が出入りし易いようにしたためで、太い梁を使ってはね木を押さえている江戸時代初期の建築方法。太平洋戦争末期の1945年に強制立ち退きを迫られ、柱にロープが掛けられ、まさに解体されようとした8月15日に終戦となり難を逃れた。
店の間には数百年を経た茶壷が並び、室町8代将軍義政の同朋衆とした仕えた8代目や豊臣秀吉の信任を受けて宇治川から茶の湯用の水を汲み上げた10・11代目が水汲みに使った千利休作の釣瓶もある。また、7代目と親交があった一休和尚作の初代通円像が祀られている。義政、秀吉そして家康などの諸大名が、この茶屋でお茶を召し上がって行かれたことが記録に残っている。
お茶屋の通円が宇治橋供養に来た300人の旅人にお茶を点(た)てまくって死んでしまうと云う舞狂言「通圓」もある。これは、能の「頼政」のパロディで、能では、平氏政権下の重臣であった源頼政が後白河天皇の皇子である以仁王(もちひとおう)と結んで平家打倒に立ち上がるが、宇治平等院の戦いに敗れ自害した話が、狂言では、源頼政を通円に、宇治平等院の戦いを宇治橋供養に、平家の軍勢を300人の旅人に、討ち死にを茶の点て死にに置きかえている。
その他、江戸時代の「出来斎京土産(できさいきょうみやげ)」、「雍州府志(ようしゅうふし)」、「都名所図会(みやこめいしょずえ)」などの書物にも登場している。
暑かったので、2人で税込み890円の宇治金時のかき氷を食べ、それぞれ税込み500円のホットとアイスのコーヒーを。何年振りのかき氷やったろうか。この夏、最初で最後のかき氷になったが、うまかった。店内の雰囲気もなかなかいい。
店の中からも見える宇治橋は瀬田の唐橋、山崎橋と並ぶ日本三古橋の一つ。大化年間の646年に飛鳥時代の僧で遣唐使で唐にも渡った道登が、民間や地元豪族の協力を受けて掛けたが洪水などで流出し、667年に第38代天智天皇が大津宮に遷都した時に、近江朝廷の支援を受けて法相宗の僧である道昭が大津と飛鳥を結ぶ官道として架橋したようだ。
古今和歌集や紫式部の源氏物語に登場しているほか、能の「鉄輪」で登場する橋姫伝説でも有名。
現在の橋は、1996年に架け替えられたもので、長さ155.4m、幅25m。宇治橋が持っている歴史的なイメージと、周りの風景に合ったデザインを採用しており、桧造りの高欄は、橋の姿が宇治川の自然や橋周辺の歴史遺産と調和するように、擬宝珠を冠した木製高覧という伝統的な形状を使用している。
上流側には張り出した場所を設けてあるが、これは橋の守り神である橋姫を祀る三の間。豊臣秀吉が、ここから茶の湯を汲ませたという逸話がある。現在でも毎年10月初旬に橋の周辺で行われる「茶まつり」では、ここの水を汲んでいる。
5時頃、帰路に就くが、帰りは京阪宇治線で帰る。宇治と京阪本線の中書島間の起終点駅含む8駅を結ぶ全長7.6㎞の線で、全線複線電化。1913年に開業しているが、その前年の7月に崩御された明治天皇が桃山御陵に葬られたため、その御1年祭の参拝者輸送のためにわずか4ヶ月の突貫工事で完成したもの。2000年までは京阪本線の三条方面との直通列車が走っていたが、現在は線内折り返しのみ。確かに昔は宇治行走ってたわ。急行もあった。あと、臨時電車で大阪の淀屋橋からの直通電車が運転されたこともあったようで、最近では2014年秋に「宇治・伏見おうじちゃまEXPRESS」が運行された。
京阪宇治駅は正式には宇治駅なのだが、JRにも宇治駅があるので、通称でこう呼ばれる。2つの駅は宇治川を挟んで1㎞近く離れている。1913年の宇治線開業と共に出来た駅だが、元々は現在の駅前ロータリーの場所にあった。そう云えば、最初に来た時にはそうだった気がする。91年末から宇治橋の移設架け替え含む府道の拡幅工事が開始され、それに伴い駅の移設工事も始まり、1995年に現在の駅となった。この工事により、以前はJR奈良線は、ホームの上を跨いでいたのが、線路のすべてが北側に移転し、駅舎と駅ビルがJR線の南北にまたがって建てられた。
円を基調とした現駅舎は南海の特急ラピートのデザインも手がけた若林広幸の設計で、1996年に私鉄の駅としては初めてとなるグッドデザイン賞を受賞した。1997年には駅コンコースと商業施設が入る京阪宇治ビルが開業した。入口には巨大なステンドグラス障壁画「飛翔」が飾られている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4596041853799136&type=1&l=223fe1adec
以上、今回の宇治探索終了
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