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写真は10月8日に礼文島から利尻島へ向かう<br />稚内フェリーから撮影した真っ青な秋空を背景に<br />海から聳え立つ利尻富士の美しい姿です。<br />山頂は昨日の初冠雪で薄っすらと白く薄化粧を<br />しているのが見えました。<br />私たちにとっても初雪です(雪がコロナを浄めて欲しい!)。<br />これは“旅の予感”(   prophecy for travel、旅への予言)<br />なのでしょうか。<br /><br />私の旅人生の始まりは北海道からでした。<br />学生時代、1970年、夏休みに初めて<br />遠くへ旅をしました。<br />もう50年も前のことです。<br /><br />当時はフォークシンガー加藤登紀子さんの「知床旅情」<br />(森繁久彌氏作詞作曲)という歌が流行っていました。<br />「知床の岬にハマナスの咲くころ…」という甘く物哀しい<br />メロディーと詩情あふれた歌詞に誘われて<br />私の旅心は北海道へと向かいました。<br />「知床旅情」<br /><br /><br />(1960年の森繁久彌氏主演の名作<br />「地の涯に生きるもの」も思い出します)<br /><br />周囲には所謂「カニ族」といわれる横長の<br />大きなリュックサックを背負った若者たちの群れが<br />まるで旅の熱に浮かされた巡礼者のように<br />溢れていました。<br />そして、その群れの流れの中に私もいました。<br />その時の若者には北海道旅行がブームでした。<br />“暇はあるが金がない”彼等は貧乏旅行をしながら<br />北海道の有名な観光地ではなく利尻・礼文のような<br />「離島」、あるいは知床や襟裳岬といった「地の涯」を<br />聖地のように目指して旅立って行ったのです。<br />(このあたりの文章の書き出しは4トラのノスタルジアさんの<br />ブログを参考にさせて頂きました。ありがとうございます。)<br /><br />思い起こせばこれが私の旅人生の始まりでした。<br />(あぁ~、また遠くへ行きたい…)<br />「旅の重さ」(1972年映画、少女の四国遍歴)<br />高橋洋子さん主演、<br />主題歌:「今日までそして明日から(吉田拓郎歌)」<br />の歌詞も懐かしく思い出します。<br />「私は今日まで生きてみました。<br />そして今、私は思っています。<br />明日からもこうして生きて行くだろうと…。」<br />「今日までそして明日から(吉田拓郎歌)」<br /><br />ところで「遠くへ…」という言葉は<br />いつも私の心の奥底で懐かしく響いています。<br />私が22歳の時のことです。<br />(当時は世界中の若者たちが回遊する魚たちの様に<br />世界を旅して歩いている時代でした。)<br />私は夜汽車でパリからスペインとの国境にある<br />ピレネー山脈の麓のホスピタリテという<br />小さな鉄道駅を目指していました。<br />そこから路線バスで国境の小国アンドラを経由し<br />スペインに入る計画でした。<br />夜汽車の満席で薄暗いコンパートメントは<br />蒸し暑く、<br />私は微熱にうなされながらウトウトと<br />夢を見ていました。<br />前日の夜、エッフェル塔の展望台から<br />大きく輝く秋の満月と、それを切り裂き飛んで行く<br />夜間飛行機のコントラストの美しさに見とれて<br />冷たい夜風にさらされたため風邪を引いて<br />しまったのです。<br />窮屈なコンパートメントの中で<br />寝ているのか覚めているのか定かではない<br />虚ろな状態でした。<br />その時、突然私の耳元で誰かが何かを<br />囁いたような気持がしました。<br />(男性の声だったと記憶していますが)<br />「Where are you going…? Where do you go?」<br />(君は一体何処へ行こうとしているのかい?)<br />と囁いています。<br />私は眼をつぶったまま実際に声に出してつぶやきました。<br />「Far away…, Far away….」<br />(遠くへ、ただ遠くへ行きたいんだ…。)<br />(何故英語で質問してきたのだろう?<br />よく英語で応えることができたなぁ?)<br />私が自分の声に驚いて目を開けると<br />周りには旅をする異国の若者たちが<br />死んだように眠りこけていました。<br />私の心の奥底の「無意識」が<br />旅の意味を問いただしてきたのかもしれません。<br />(それとも隣で寝ていた若者の寝言に<br />私が応えただけなのかな?)<br />今となっては事実は遠い忘却の彼方に有ります。<br />しかし今でもその時の微睡むような不思議な感覚を<br />思い出すときがあります。<br /><br />「遠くへ…」という言葉は私の旅の主旋律です。<br /><br />今回はこれも旅好きな人生のパートナー(家内のこと)と<br />二人で利尻・礼文島を訪れました。<br />(思えば遠くへ来たもんだ)<br /><br />以下で旅の顛末を報告いたします。<br /><br /><br /> スケジュール<br /><br />GOTO適用 秋の利尻・礼文島 全23室の最北の<br />オーベルジュ「プチホテルコリンシアン」に泊まる3日間<br /><br />2020年10月7日	9:55集合、空港に向かって右端でした。<br />羽田空港(10:45発)12:35着<br />稚内空港==○稚内公園(約20分)==稚内港==<br /><ハートランドフェリー・2等船室/約115分>==<br />14:45-16:40着<br />[礼文島]香深港=バス=礼文島(泊/17:30頃着)<br />[バス走行距離:62km]<br />【ご宿泊先:プチホテル コリンシアン/指定 】<br />昼食×夕食:「あわびステーキ」「ボタンエビ」宗谷牛」<br />「いくら」などの礼文海鮮御膳<br />2日目	<br />礼文島9:00発スコトン岬 最北端の絶景スポット/約20分<br />島の人でお土産タイム 地域クーポン可能<br />○スカイ岬(海の色が神秘的で青く澄んだ岬/約20分)<br /><br />○北のカナリアパーク(映画のロケ地になった場所約30分)<br /><br />○桃台・猫台展望台(約20分)<br />昼食(約50分)=香深港=13:25-14:10着<br /><ハートランドフェリー・最新のアマポーラ2等船室/約45分><br />混雑していました。<br />密にならない様に椅子の2等指定席が無料で開放されていました。<br />降りそこなうと稚内迄行ってしまいます。<br />利尻島 鴛泊港○オタトマリ沼(利尻富士を望むポイント20分)<br />○仙法志御崎公園(奇岩が並ぶ利尻島最南端/約20分)<br />鴛泊港==フェリー・2等船室/約100分><br />16:40-18:20稚内着<br />稚内港「車屋・源氏」にて「たこしゃぶ」のご夕食(60分)<br />稚内(泊/20:00頃着)[バス走行距離:88km]<br />宿泊先:サフィールホテル稚内<br /><br /> 朝食:3日目ホテルで和洋食選びレストランの場所も分かれる。<br />稚内(9:00バスで出発)北海道遺産○北防波堤ドーム(約15分)<br />○JR最北端・稚内駅、隣の北市場でお土産(60分)<br />○バスで宗谷岬(約30分)<br />稚内空港13:15発=羽田空港(15:10着)雨でした。<br />到着後も行きと同じラウンジで時間つぶしてバスで帰宅。<br /><br /><br />

「あぁ、遠くへ行きたい!」1日目50年ぶりに稚内、離島利尻・礼文島を訪れた (2020年10月7日~9日)

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2020/10/07 - 2020/10/09

163位(同エリア899件中)

2013tomo

2013tomoさん

この旅行記スケジュールを元に

写真は10月8日に礼文島から利尻島へ向かう
稚内フェリーから撮影した真っ青な秋空を背景に
海から聳え立つ利尻富士の美しい姿です。
山頂は昨日の初冠雪で薄っすらと白く薄化粧を
しているのが見えました。
私たちにとっても初雪です(雪がコロナを浄めて欲しい!)。
これは“旅の予感”( prophecy for travel、旅への予言)
なのでしょうか。

私の旅人生の始まりは北海道からでした。
学生時代、1970年、夏休みに初めて
遠くへ旅をしました。
もう50年も前のことです。

当時はフォークシンガー加藤登紀子さんの「知床旅情」
(森繁久彌氏作詞作曲)という歌が流行っていました。
「知床の岬にハマナスの咲くころ…」という甘く物哀しい
メロディーと詩情あふれた歌詞に誘われて
私の旅心は北海道へと向かいました。
「知床旅情」


(1960年の森繁久彌氏主演の名作
「地の涯に生きるもの」も思い出します)

周囲には所謂「カニ族」といわれる横長の
大きなリュックサックを背負った若者たちの群れが
まるで旅の熱に浮かされた巡礼者のように
溢れていました。
そして、その群れの流れの中に私もいました。
その時の若者には北海道旅行がブームでした。
“暇はあるが金がない”彼等は貧乏旅行をしながら
北海道の有名な観光地ではなく利尻・礼文のような
「離島」、あるいは知床や襟裳岬といった「地の涯」を
聖地のように目指して旅立って行ったのです。
(このあたりの文章の書き出しは4トラのノスタルジアさんの
ブログを参考にさせて頂きました。ありがとうございます。)

思い起こせばこれが私の旅人生の始まりでした。
(あぁ~、また遠くへ行きたい…)
「旅の重さ」(1972年映画、少女の四国遍歴)
高橋洋子さん主演、
主題歌:「今日までそして明日から(吉田拓郎歌)」
の歌詞も懐かしく思い出します。
「私は今日まで生きてみました。
そして今、私は思っています。
明日からもこうして生きて行くだろうと…。」
「今日までそして明日から(吉田拓郎歌)」

ところで「遠くへ…」という言葉は
いつも私の心の奥底で懐かしく響いています。
私が22歳の時のことです。
(当時は世界中の若者たちが回遊する魚たちの様に
世界を旅して歩いている時代でした。)
私は夜汽車でパリからスペインとの国境にある
ピレネー山脈の麓のホスピタリテという
小さな鉄道駅を目指していました。
そこから路線バスで国境の小国アンドラを経由し
スペインに入る計画でした。
夜汽車の満席で薄暗いコンパートメントは
蒸し暑く、
私は微熱にうなされながらウトウトと
夢を見ていました。
前日の夜、エッフェル塔の展望台から
大きく輝く秋の満月と、それを切り裂き飛んで行く
夜間飛行機のコントラストの美しさに見とれて
冷たい夜風にさらされたため風邪を引いて
しまったのです。
窮屈なコンパートメントの中で
寝ているのか覚めているのか定かではない
虚ろな状態でした。
その時、突然私の耳元で誰かが何かを
囁いたような気持がしました。
(男性の声だったと記憶していますが)
「Where are you going…? Where do you go?」
(君は一体何処へ行こうとしているのかい?)
と囁いています。
私は眼をつぶったまま実際に声に出してつぶやきました。
「Far away…, Far away….」
(遠くへ、ただ遠くへ行きたいんだ…。)
(何故英語で質問してきたのだろう?
よく英語で応えることができたなぁ?)
私が自分の声に驚いて目を開けると
周りには旅をする異国の若者たちが
死んだように眠りこけていました。
私の心の奥底の「無意識」が
旅の意味を問いただしてきたのかもしれません。
(それとも隣で寝ていた若者の寝言に
私が応えただけなのかな?)
今となっては事実は遠い忘却の彼方に有ります。
しかし今でもその時の微睡むような不思議な感覚を
思い出すときがあります。

「遠くへ…」という言葉は私の旅の主旋律です。

今回はこれも旅好きな人生のパートナー(家内のこと)と
二人で利尻・礼文島を訪れました。
(思えば遠くへ来たもんだ)

以下で旅の顛末を報告いたします。


 スケジュール

GOTO適用 秋の利尻・礼文島 全23室の最北の
オーベルジュ「プチホテルコリンシアン」に泊まる3日間

2020年10月7日 9:55集合、空港に向かって右端でした。
羽田空港(10:45発)12:35着
稚内空港==○稚内公園(約20分)==稚内港==
<ハートランドフェリー・2等船室/約115分>==
14:45-16:40着
[礼文島]香深港=バス=礼文島(泊/17:30頃着)
[バス走行距離:62km]
【ご宿泊先:プチホテル コリンシアン/指定 】
昼食×夕食:「あわびステーキ」「ボタンエビ」宗谷牛」
「いくら」などの礼文海鮮御膳
2日目
礼文島9:00発スコトン岬 最北端の絶景スポット/約20分
島の人でお土産タイム 地域クーポン可能
○スカイ岬(海の色が神秘的で青く澄んだ岬/約20分)

○北のカナリアパーク(映画のロケ地になった場所約30分)

○桃台・猫台展望台(約20分)
昼食(約50分)=香深港=13:25-14:10着
<ハートランドフェリー・最新のアマポーラ2等船室/約45分>
混雑していました。
密にならない様に椅子の2等指定席が無料で開放されていました。
降りそこなうと稚内迄行ってしまいます。
利尻島 鴛泊港○オタトマリ沼(利尻富士を望むポイント20分)
○仙法志御崎公園(奇岩が並ぶ利尻島最南端/約20分)
鴛泊港==フェリー・2等船室/約100分>
16:40-18:20稚内着
稚内港「車屋・源氏」にて「たこしゃぶ」のご夕食(60分)
稚内(泊/20:00頃着)[バス走行距離:88km]
宿泊先:サフィールホテル稚内

 朝食:3日目ホテルで和洋食選びレストランの場所も分かれる。
稚内(9:00バスで出発)北海道遺産○北防波堤ドーム(約15分)
○JR最北端・稚内駅、隣の北市場でお土産(60分)
○バスで宗谷岬(約30分)
稚内空港13:15発=羽田空港(15:10着)雨でした。
到着後も行きと同じラウンジで時間つぶしてバスで帰宅。


旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
交通
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス ANAグループ 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社

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この旅行記へのコメント (6)

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  • willyさん 2021/07/29 10:45:22
    今頃ですが・・
    2013tomoさん

    こんにちは。今頃ですが旅行記拝見しています。
    その後北海道に行かれたのですね。
    自分のことのように嬉しく拝見しております

    世界は相変わらずですがすこし希望もでてきたかんじでしょうか。
    人生の残り少ないと思うと、気持ちは焦りますが
    いまできることをして毎日を充実させたいと思います。
    ワクチンパスポートでもなんでもいいから
    早く自由になる日がくるといいですね。

    それでは丁寧で上品で楽しい旅行記の続きを拝見させていただきます~

    willy


    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2021/07/29 11:58:55
    Re: 今頃ですが・・
    willy様

    2013tomoです。

    お便りいただきありがとうございます。

    「朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや」
    という言葉がありますが
    旅の友からお便りをいただくことは本当に
    心の励みになります。
    いまは旅に出ることはできませんので
    季節の移ろい行く空の色や雲の流れを見て
    旅の中空(なかぞら)を懐かしく思っています。
    オリンピックで日本を訪れている外国スポーツマン達
    を家内と一緒に見ながら
    「あの国にも行ったよね…。」と旅の記憶を
    思い起こしています。
    また旅に出る機会は必ずやってくると思っています。
    そのチャンスが到来するまで
    身体(心も一緒かな)の健康維持と
    旅の道具(小さなリュックと最低の生活用具)の準備
    そして旅への熱い想い
    を大切にしたいと考えています。

    それにしても旅に出たい!
  • fuzzさん 2020/10/17 00:19:50
    晴れ男魂
    2013tomoさん、こんばんは~

    遠くへ行きたい・・・今年は海外旅行には行けそうにないので、国内旅行の年ですね。
    その国内旅行もGoToの恩恵で我が家も何度も利用しています。
    旅好きな人生のパートナー・・・素敵な言葉ですね。
    私も主人と、ずーっと仲良く旅をしていきたいです。
    旅の友「人生論ノート」を拝見すると、文学青年のtomoさんを思い浮かべます。
    しかし、とても良い天気でしたね。
    晴れ男を自称するだけあります。

    fuzz

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2020/10/17 06:53:15
    Re: 晴れ男魂
    fuzz様

    おはようございます、2013tomoです。
    Fuzzさんからお便りいただき感謝いたします。

    お言葉の通り海外へ行けない私たちの旅は
    国内旅行へとシフトいたしました。
    国内旅行はもっと歳を取ってから
    (もう充分年をとっていますが)と考えていた
    のですがコロナのお陰で前倒しすることになり
    ました。
    勿論、Go Toキャンペーンの恩恵を少しでも
    楽しみたいという世俗的な考えも大きいです
    (特に「地域共通クーポン」はありがたい)。

    「旅好きな人生のパートナー・・・素敵な言葉ですね。」
    というお褒めのお言葉を頂きありがとうございます。
    海外旅行で仲の良いカップルと出逢った時に
    「奥様ですか?」と聞くと
    「彼女は私のパートナーです。」という回答が多く返って
    きます(日本語の「連れ合い」というニュアンスに近い
    のではと感じています)。
    人生の最終楽章を旅している私たちにとってこの
    「パートナー」という言葉は旅の連れ合いとして
    “丁度良い加減の緊張感”を維持できるキーワードかな
    と思っています。
    因みに中国では連れ合いに対して「愛人(あいれん)
    という言葉を使うようです。
    最初にこの言葉に出逢った時に私のパートナーは
    「彼女は不倫相手なの?」と怪訝な顔をしていました。
    中国語では「夫」にもこの「愛人(あいれん)」を
    使っています。
    次回中国旅行をしたときはこの「愛人(あいれん)」を
    連発しようと考えています。

    最後に私の「晴れ男」は結果として天気が晴れていた時に
    使う、あくまでも「自称」です。
    「運が良い人」になる秘訣として
    「何が起きても“これは運が良い!”と言える人に
    幸運はやってくるものだ。」と何かの本で読んだ
    ことがあります。
    私の自称「”ほぼ”完全晴れ男」もこれに近い考え方です。
    ありがたいことに私のパートナーは実際に本当だと信じて
    くれています。

    今年も、来年も良い旅を続けたいですね。
    それでは、また。
  • ノスタルジアさん 2020/10/16 09:33:50
    ノスタルジアです。
    どきどきしながら読みましたよ。利尻富士の雲、心配しましたがタイトルの画像を見る限り翌日には吹っ飛んでいたのですね。さすが晴れ男ですね。
    稚内から香深まで2時間弱、50年前は3時間から4時間くらい掛かったような気がします。
    「思えば遠くに来たもんだ」宜しければご覧ください。
    昭和55年GW 下北半島 仏ヶ浦~津軽半島~みちのくの小京都 角館の旅 Vol.3 「思えば遠くへ来たもんだ」 角館の旅
    https://4travel.jp/travelogue/11306639

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2020/10/16 17:21:25
    Re: ノスタルジアです。
    2013tomoです。
    私たちのブログに訪問頂き感謝いたします。

    また、Vol.3 「思えば遠くへ来たもんだ」 角館の旅
    (https://4travel.jp/travelogue/11306639)の
    ブログを拝見いたしました。

    ブログの中では村治弘美さんの美しい笑顔を
    堪能致しました。

    海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」は
    私の大好きな歌のひとつです。
    利尻・礼文島旅行では私は山本コータローさんの
    「岬めぐり」を無意識に口ずさんでいました。
    (倍賞千恵子さんの「岬めぐり」も好きです)
    懐かしい歌は忘れていた青春時代の記憶を
    皮膚感覚で呼び覚ませてくれます。

    みちのくの小京都 角館には今年の9月に
    家内と一緒に訪問いたしました。
    でも武家屋敷がある美しい町並みはコロナ禍の
    ために観光客が少なくて可哀そうでした。
    今後、ノスタルジアさんのお写真のような美女達が
    集う撮影会が有って大勢の観光客で賑わうように
    なればと心から思います。
    街の方々は
    「いままでこの街は仮死状態の状況であったが、
    Go Toトラベルキャンペーンで観光客が戻って
    来てうれしい。」と仰っていました。
    旅の楽しさを通じて”お互い様”という助け合いの
    気持ちになります。

    これからも旅を楽しみたいですね。
    それでは、また。

2013tomoさんのトラベラーページ

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