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三崎坂を登り切って、その先を左へ少し入ると谷中霊園参道です。<br />今回は、谷中霊園の周辺を回って、三崎坂を下って行くコースでのご紹介です。<br />前回同様、10日間くらいの間に取材したものを、編集致しました。<br /><br /><br />                  (2020.10.7記)<br />

つれづれに/谷中寺町その2 曼珠沙華そして六地蔵菩薩

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2020/09/23 - 2020/10/02

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旅行記グループ つれづれに 谷中寺町

2

36

紅映

紅映さん

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三崎坂を登り切って、その先を左へ少し入ると谷中霊園参道です。
今回は、谷中霊園の周辺を回って、三崎坂を下って行くコースでのご紹介です。
前回同様、10日間くらいの間に取材したものを、編集致しました。


                  (2020.10.7記)

旅行の満足度
4.0
同行者
一人旅
交通手段
徒歩

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  • 谷中霊園の桜並木<br />紅葉にはまだ早く、うっそうとして緑一色です。<br />

    谷中霊園の桜並木
    紅葉にはまだ早く、うっそうとして緑一色です。

    谷中霊園 寺・神社・教会

  • 天王寺<br />谷中霊園桜並木の突き当り、日暮里駅寄りにある天台宗のお寺です。<br />奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂は昔ながらの寺院建築、そして近代建築の上善堂(講堂)と客殿とが見事に調和しているところが特長と言われます。<br />

    天王寺
    谷中霊園桜並木の突き当り、日暮里駅寄りにある天台宗のお寺です。
    奈良の十輪院を模した古風で優美な姿の本堂は昔ながらの寺院建築、そして近代建築の上善堂(講堂)と客殿とが見事に調和しているところが特長と言われます。

    天王寺 寺・神社・教会

  • 天王寺/毘沙門堂<br />放火によって炎上した五重塔は、かろうじて下層部が焼け残り、その残材を使って戊辰戦争で焼失した毘沙門堂を境内に再建し毘沙門天を安置したといわれます。<br />現在では谷中七福神めぐりの札所となっています。<br /><br />        (参考写真 撮影日:2020.4.4)<br /><br />

    天王寺/毘沙門堂
    放火によって炎上した五重塔は、かろうじて下層部が焼け残り、その残材を使って戊辰戦争で焼失した毘沙門堂を境内に再建し毘沙門天を安置したといわれます。
    現在では谷中七福神めぐりの札所となっています。

           (参考写真 撮影日:2020.4.4)

  • 天王寺/釈迦如来坐像<br />通称「谷中大仏」<br /><br />大仏様の正面に六面六地蔵石幢(せきどう)が祀られています。<br />

    天王寺/釈迦如来坐像
    通称「谷中大仏」

    大仏様の正面に六面六地蔵石幢(せきどう)が祀られています。

    天王寺 寺・神社・教会

  • 天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)<br />高さ2.5m、四角い台石に六角の台石、敷茄子、蓮台、六角の胴柱、笠、宝珠からなっている石幢です。<br />胴柱の各面に浮彫りの立像が蓮台に乗った姿で刻まれています。像は宝珠・錫杖、宝珠・施無畏印(せむいいん)、柄香炉、合掌、幢幡(どうばん)、数珠の六態です。<br />どなたかの十三回忌冥福のために建立されたもののようです。<br />

    天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)
    高さ2.5m、四角い台石に六角の台石、敷茄子、蓮台、六角の胴柱、笠、宝珠からなっている石幢です。
    胴柱の各面に浮彫りの立像が蓮台に乗った姿で刻まれています。像は宝珠・錫杖、宝珠・施無畏印(せむいいん)、柄香炉、合掌、幢幡(どうばん)、数珠の六態です。
    どなたかの十三回忌冥福のために建立されたもののようです。

  • 天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)<br />宝珠・施無畏印(正面)柄香炉(右)<br />

    天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)
    宝珠・施無畏印(正面)柄香炉(右)

  • 天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)<br />合掌(左)幢幡(正面)<br />

    天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)
    合掌(左)幢幡(正面)

  • 天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)<br />数珠(左)宝珠・錫杖(右)<br />

    天王寺/六面六地蔵石幢(せきどう)
    数珠(左)宝珠・錫杖(右)

  • 天王寺本堂と六面六地蔵石幢(せきどう)<br />

    天王寺本堂と六面六地蔵石幢(せきどう)

  • 天王寺 山門<br />

    天王寺 山門

  • 天王寺/地蔵堂<br />天王寺の外に置かれている地蔵堂にはお地蔵さまと六腑合掌青面金剛像が祀られています。<br /><br />青面金剛<br />帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとる。病魔を退散させる威力があるとする。後世、道家の説が加わり、庚申信仰の本尊とされます。<br /><br />

    天王寺/地蔵堂
    天王寺の外に置かれている地蔵堂にはお地蔵さまと六腑合掌青面金剛像が祀られています。

    青面金剛
    帝釈天の使者の金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとる。病魔を退散させる威力があるとする。後世、道家の説が加わり、庚申信仰の本尊とされます。

  • 安立院 山門<br />久し振りに通りかかってみると、山門が立派に造り替えられていました。<br /><br />後ろに見えるビルは日暮里駅の向こう側のマンション<br /><br />

    安立院 山門
    久し振りに通りかかってみると、山門が立派に造り替えられていました。

    後ろに見えるビルは日暮里駅の向こう側のマンション

  • 安立院 本堂<br />天王寺山門前の細い道を右手に進んだところにある曹洞宗系の単立寺院です。創立当時は天王寺の支院であったとか。<br />

    安立院 本堂
    天王寺山門前の細い道を右手に進んだところにある曹洞宗系の単立寺院です。創立当時は天王寺の支院であったとか。

  • 安立院 本堂前に咲く曼珠沙華<br />

    安立院 本堂前に咲く曼珠沙華

  • 境内左手に並ぶお地蔵様<br />

    境内左手に並ぶお地蔵様

  • 六地蔵<br />左から金剛幢(宝珠・錫杖)、金剛悲(数珠)、金剛宝(柄香炉)、金剛願(幢幡)、放光王(合掌)、預天賀(宝珠・施無畏印)の各地蔵です。像高は80cmといいます。<br />

    六地蔵
    左から金剛幢(宝珠・錫杖)、金剛悲(数珠)、金剛宝(柄香炉)、金剛願(幢幡)、放光王(合掌)、預天賀(宝珠・施無畏印)の各地蔵です。像高は80cmといいます。

  • 安立院近くの供養塔のようです。<br />

    安立院近くの供養塔のようです。

  • 谷中霊園では、こうした鳥居のある墓地を幾つか見かけます。<br />

    谷中霊園では、こうした鳥居のある墓地を幾つか見かけます。

  • 谷中霊園は山手線や京浜東北線の走る線路沿いまで墓地になっています。<br />線路際にも曼珠沙華が・・・<br />

    谷中霊園は山手線や京浜東北線の走る線路沿いまで墓地になっています。
    線路際にも曼珠沙華が・・・

  • 彼岸花小話<br />彼岸花の名前には曼珠沙華、天蓋花などいろいろありますが、その中の一つに「葉見ず花見ず」と言うのがあります。<br />茎が伸び花が咲く間は葉が無く、花がすっかり枯れた頃に葉が出始めます。花と葉はお互いを見ることが出来ないことからついた名前です。<br />また「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という名前は、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味するのだそうです。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からついた名前のようです。<br />(写真:谷中霊園の彼岸花)<br />

    彼岸花小話
    彼岸花の名前には曼珠沙華、天蓋花などいろいろありますが、その中の一つに「葉見ず花見ず」と言うのがあります。
    茎が伸び花が咲く間は葉が無く、花がすっかり枯れた頃に葉が出始めます。花と葉はお互いを見ることが出来ないことからついた名前です。
    また「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」という名前は、サンスクリット語で「天界に咲く花」を意味するのだそうです。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典からついた名前のようです。
    (写真:谷中霊園の彼岸花)

  • 曼珠沙華が見事な了俒寺(りょうごんじ)<br />寛永元年(1624)に現在地に草創された天台宗のお寺です。<br />谷中霊園の駐在所横の道を谷中5丁目方面へ進んだ右手にあるお寺です。<br />

    曼珠沙華が見事な了俒寺(りょうごんじ)
    寛永元年(1624)に現在地に草創された天台宗のお寺です。
    谷中霊園の駐在所横の道を谷中5丁目方面へ進んだ右手にあるお寺です。

  • 了俒寺(りょうごんじ)本堂<br />両脇に立派な雨水桝 があります。<br />

    了俒寺(りょうごんじ)本堂
    両脇に立派な雨水桝 があります。

    了俒寺 寺・神社・教会

  • 観音寺<br />新義真言宗の寺院で、慶長年間に神田北寺町から移転してきたお寺のひとつです。<br />赤穂浪士ゆかりで、討入りの会合にもよく使われ、討入り後には赤穂浪士供養塔が建立されました。<br />六地蔵があるとのことで訪ねてみましたが、現在は工事中にて、移設保管されているそうでした。<br />

    観音寺
    新義真言宗の寺院で、慶長年間に神田北寺町から移転してきたお寺のひとつです。
    赤穂浪士ゆかりで、討入りの会合にもよく使われ、討入り後には赤穂浪士供養塔が建立されました。
    六地蔵があるとのことで訪ねてみましたが、現在は工事中にて、移設保管されているそうでした。

    観音寺 寺・神社・教会

  • 海蔵院<br />一見お寺さんとは思えないようなこじんまりとした臨済宗妙心寺派の寺院です。<br /><br />

    海蔵院
    一見お寺さんとは思えないようなこじんまりとした臨済宗妙心寺派の寺院です。

    海蔵院 寺・神社・教会

  • 海蔵院の六地蔵<br />像容は左から数珠、幢幡、施無畏印・宝珠、柄香炉、宝珠・錫杖、合掌。蓮台込みで95cmといいますから、六地蔵としては大きめのお地蔵様です。<br />真新しい毛糸で編んだ帽子をかぶっていらっしゃいました。<br /><br />

    海蔵院の六地蔵
    像容は左から数珠、幢幡、施無畏印・宝珠、柄香炉、宝珠・錫杖、合掌。蓮台込みで95cmといいますから、六地蔵としては大きめのお地蔵様です。
    真新しい毛糸で編んだ帽子をかぶっていらっしゃいました。

  • 東漸寺觀智院<br />真言宗豊山派のお寺です。<br />敷地内に幼稚園があるので、境内は園児の遊び場なので、一般の人は入れないみたいです。<br /><br /><br />

    東漸寺觀智院
    真言宗豊山派のお寺です。
    敷地内に幼稚園があるので、境内は園児の遊び場なので、一般の人は入れないみたいです。


  • 觀智院の初音六地蔵<br />門前脇、三崎坂に面している六地蔵は、六道(罪を償う地獄道、困った人を見捨てた罰としての餓鬼道、動物として生まれ変わる畜生道、常に戦いを強いられる修羅道、煩悩を抱える人間道、天人が住むとされる天道)のどこにいても救済の手をさしのべてくださるという地蔵菩薩です。<br />お地蔵さまは煩悩に苦しむ衆生を救ってくださるそうです。それは、仏教における考え方、「六道」すべてで行われているといわれます。<br />

    觀智院の初音六地蔵
    門前脇、三崎坂に面している六地蔵は、六道(罪を償う地獄道、困った人を見捨てた罰としての餓鬼道、動物として生まれ変わる畜生道、常に戦いを強いられる修羅道、煩悩を抱える人間道、天人が住むとされる天道)のどこにいても救済の手をさしのべてくださるという地蔵菩薩です。
    お地蔵さまは煩悩に苦しむ衆生を救ってくださるそうです。それは、仏教における考え方、「六道」すべてで行われているといわれます。

  • 觀智院の延命地蔵尊と子育地蔵<br />手前の延命地蔵尊はかつて不動堂に住していた行者が、不動尊の霊告によって境内から掘り出したものだそうです。<br />奥の子育地蔵は昭和58年秋の像立と言われます。<br />

    觀智院の延命地蔵尊と子育地蔵
    手前の延命地蔵尊はかつて不動堂に住していた行者が、不動尊の霊告によって境内から掘り出したものだそうです。
    奥の子育地蔵は昭和58年秋の像立と言われます。

  • 明王院<br />新義真言宗のお寺で寺号を歓福寺といいます。ご本尊は阿弥陀如来。<br />

    明王院
    新義真言宗のお寺で寺号を歓福寺といいます。ご本尊は阿弥陀如来。

    明王院 寺・神社・教会

  • 明王院の六地蔵<br />山門からすぐ左のところに六地蔵様が祀られています。<br />こちらはだいぶ小さめで可愛らしいです。お赤いお帽子と涎掛けがすっかり色あせていますね~<br />

    明王院の六地蔵
    山門からすぐ左のところに六地蔵様が祀られています。
    こちらはだいぶ小さめで可愛らしいです。お赤いお帽子と涎掛けがすっかり色あせていますね~

  • 全生庵<br />山岡鉄舟が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年に建立したお寺です。鉄舟との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されています。<br />

    全生庵
    山岡鉄舟が徳川幕末・明治維新の際、国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年に建立したお寺です。鉄舟との因縁で落語家の三遊亭円朝の墓所があり円朝遣愛の幽霊画五十幅 明治大正名筆の観音画百幅が所蔵されています。

    全生庵 寺・神社・教会

  • 山岡鉄舟<br />江戸生れ。幕末・明治の剣術家・政治家。旧幕府大監察を勤め、朝廷に徴されて侍従に任じ累遷して宮内少輔となりました。<br />千葉周作の門に入り、のち無刀流を開きます。また槍術を山岡静山に学び、その妹と結婚し山岡家を継ぎます。<br />義兄高橋泥舟らと江戸治安維持にあたった幕末三舟の一人。「江戸無血開城」の陰の主役であることは余りにも有名です。<br />高橋泥舟のお墓は谷中6丁目の大雄寺 にあります。<br /><br />山岡鉄舟のお墓<br />明治21年(1888)没、53才。ご自身の建立したここ全生庵に立派な墓所があります。<br />法名 全生庵殿鉄舟高歩大居士<br />

    山岡鉄舟
    江戸生れ。幕末・明治の剣術家・政治家。旧幕府大監察を勤め、朝廷に徴されて侍従に任じ累遷して宮内少輔となりました。
    千葉周作の門に入り、のち無刀流を開きます。また槍術を山岡静山に学び、その妹と結婚し山岡家を継ぎます。
    義兄高橋泥舟らと江戸治安維持にあたった幕末三舟の一人。「江戸無血開城」の陰の主役であることは余りにも有名です。
    高橋泥舟のお墓は谷中6丁目の大雄寺 にあります。

    山岡鉄舟のお墓
    明治21年(1888)没、53才。ご自身の建立したここ全生庵に立派な墓所があります。
    法名 全生庵殿鉄舟高歩大居士

    全生庵 寺・神社・教会

  • 全生庵の観音霊苑に建つ谷中大観音<br />墓地の一部の高台になっているところに金色の谷中大観音が建っていますが、その観音様の下が一個人づつ納骨出来る納骨堂となっているそうです。昨今、後継者問題や墓地の維持管理の負担を解消する新しい形のお墓のようです。宗派は問わないとか・・・<br />

    全生庵の観音霊苑に建つ谷中大観音
    墓地の一部の高台になっているところに金色の谷中大観音が建っていますが、その観音様の下が一個人づつ納骨出来る納骨堂となっているそうです。昨今、後継者問題や墓地の維持管理の負担を解消する新しい形のお墓のようです。宗派は問わないとか・・・

  • 奇遇ながら小学校時代4年間担任をして頂いた恩師ご夫妻がこの大観音納骨堂に眠っていらっしゃいます。ご夫妻にはお子さんがいらっしゃらなかったからのようです。<br /><br />恩師のご一家のお墓は大観音様のすぐそばにあって、折しも曼珠沙華がきれいに咲いていました。<br />

    奇遇ながら小学校時代4年間担任をして頂いた恩師ご夫妻がこの大観音納骨堂に眠っていらっしゃいます。ご夫妻にはお子さんがいらっしゃらなかったからのようです。

    恩師のご一家のお墓は大観音様のすぐそばにあって、折しも曼珠沙華がきれいに咲いていました。

  • 不忍通りの団子坂下交差点から谷中方面へ向かう道の、ひとつ目の信号から4つ目の信号まで辺りをさす坂です。<br />先の全生庵などはこの坂に面しています。<br />この標識を少し下がった谷中小学校前辺りから坂の正面にスカイツリーを見ることが出来ます。<br />

    不忍通りの団子坂下交差点から谷中方面へ向かう道の、ひとつ目の信号から4つ目の信号まで辺りをさす坂です。
    先の全生庵などはこの坂に面しています。
    この標識を少し下がった谷中小学校前辺りから坂の正面にスカイツリーを見ることが出来ます。

    三崎坂 名所・史跡

  • 時は移り、すでに萩の花が散り零れる頃となりました。<br /><br />寺町と呼ばれる谷中に住んで40年近く。こんなご時世になって、外出自粛となって、はじめて町内の六地蔵菩薩を訪ねるきっかけを頂きました。<br />折しも曼珠沙華の咲く時期でしたが、10日ほど経つうちに季節は萩の季節へと移り変わって来ていました。<br /><br />遠出、外食の皆無はもちろんのこと、買い物すらもすべてネットでという生活の中で、運動を兼ねての気晴らしの散歩の拙い備忘録ですが、最後までお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。<br /><br />いつもご訪問頂きありがとうございます。<br /><br />           ・・・☆紅映☆・・・<br /><br />               (写真:萩寺こと宗林寺にて)<br />

    時は移り、すでに萩の花が散り零れる頃となりました。

    寺町と呼ばれる谷中に住んで40年近く。こんなご時世になって、外出自粛となって、はじめて町内の六地蔵菩薩を訪ねるきっかけを頂きました。
    折しも曼珠沙華の咲く時期でしたが、10日ほど経つうちに季節は萩の季節へと移り変わって来ていました。

    遠出、外食の皆無はもちろんのこと、買い物すらもすべてネットでという生活の中で、運動を兼ねての気晴らしの散歩の拙い備忘録ですが、最後までお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。

    いつもご訪問頂きありがとうございます。

               ・・・☆紅映☆・・・

                   (写真:萩寺こと宗林寺にて)

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この旅行記へのコメント (2)

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  • pedaruさん 2020/10/08 04:27:23
    谷中にお住まいでしたか
    紅映さん おはようございます。

    全生庵というお寺は、以前谷中を訪れたときの記憶にあります。幽霊画展をやってました。
    丁寧な解説で各お寺の紹介、たいへん参考になりました。どの寺も奥ゆかしく、歴史も感じられてまた行ってみたくなりました。歩ける範囲で見て回れる場所にお住まいとは羨ましいと思いました。
    曼殊沙華はお寺に似合いますねー、曼殊沙華のスケッチをで「旅スケ」にお願いします。
    pedaru

    紅映

    紅映さん からの返信 2020/10/08 09:55:20
    RE: 谷中にお住まいでしたか
    pedaruさん、おはようございます。

    全生庵では毎年夏に、確か円朝まつりとして円朝遣愛の幽霊画展を開催しています。
    ずっと以前に一度だけ拝見しました。
    pedaruさんもご覧になられたとは、すごいですね!!

    お寺さんとお墓ばかりですが、住めばなんとやらです^_^;
    幸い(?)我が家のある一角にはお寺さんがないので、お墓などは見えませんが、除夜の鐘はあちこちから聞こえて来ます。
    寒念仏なども、どこからか聞こえるんですよ!!

    猛暑の疲れか自粛の疲れか、気持ちが落ち着かなくて、絵筆を持つという気分になれなくて、こうしてパソコンに向かう時間が増えています^^;
    毎年11月に開催していた絵画教室の展示会を中止にしたので、余計に描く気力がなくなったように感じます。
    こうしてばかりではいけないとは思いつつ、困ったものです。
    いずれ描きましたら、ご披露させて頂きます。

    いつもご丁寧にメッセージを頂きありがとうございます。

    いつの日か、谷中散策にお出かけ下さいませ。


                  ・・・☆紅映☆・・・

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