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トイレのマークがあったので立ち寄った江別河川防災ステーション。<br />「屋上展望デッキ」に「展示室」、この建物何だろう、少し見ていくことにした。<br /><br />石狩川に渡船場がいくつか在ったことは知っていたが、石狩川に「汽船」が航行していたなんて初めて知った。<br />海から離れた内陸の江別に「江別港」という港まであり、鉄道、航路の合流点で繁栄した時代もあったらしい。<br /><br />江別と言えば煉瓦の町だと思っていた。<br /><br />ジオラマの写真を選びながら旅行記を作成していると、現存する建物も発見できた。<br /><br />豪雨で堤防が壊れ水害になる悪いイメージしかない川。<br />昔の暮らしには無くてはならないものだった。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

見聞録(2) 江別

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2020/09/21 - 2020/10/07

37位(同エリア55件中)

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softail

softail さん

トイレのマークがあったので立ち寄った江別河川防災ステーション。
「屋上展望デッキ」に「展示室」、この建物何だろう、少し見ていくことにした。

石狩川に渡船場がいくつか在ったことは知っていたが、石狩川に「汽船」が航行していたなんて初めて知った。
海から離れた内陸の江別に「江別港」という港まであり、鉄道、航路の合流点で繁栄した時代もあったらしい。

江別と言えば煉瓦の町だと思っていた。

ジオラマの写真を選びながら旅行記を作成していると、現存する建物も発見できた。

豪雨で堤防が壊れ水害になる悪いイメージしかない川。
昔の暮らしには無くてはならないものだった。


















旅行の満足度
4.5

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  • 国道12号線を岩見沢方面に走ると、江別市街を抜けるとこの建物がある。

    国道12号線を岩見沢方面に走ると、江別市街を抜けるとこの建物がある。

  • 江別河川防災ステーション。<br />水防資機材の備蓄、水防活動の拠点基地や災害時の避難場所として活用されるらしい。

    江別河川防災ステーション。
    水防資機材の備蓄、水防活動の拠点基地や災害時の避難場所として活用されるらしい。

  • 1階には売店、2階に展示室と休憩コーナー、屋上は展望デッキ。

    1階には売店、2階に展示室と休憩コーナー、屋上は展望デッキ。

  • 鉄道が整備され採算が取れなくなり有志が厳しい状況の中営業していた石狩川舟運は、道路整備が遅れていた右岸住民にはなくてはならない交通路だった。<br />北海道庁は石狩川を、北海道で唯一の「命令航路(補助金を出して郵便物や旅客を運ぶように命じる)」に指定した(明治35年)。<br />「命令航路・石狩川線」は、「石狩~江別」「江別~月形」「月形~札的内(さってきない)」の3航路だった。

    鉄道が整備され採算が取れなくなり有志が厳しい状況の中営業していた石狩川舟運は、道路整備が遅れていた右岸住民にはなくてはならない交通路だった。
    北海道庁は石狩川を、北海道で唯一の「命令航路(補助金を出して郵便物や旅客を運ぶように命じる)」に指定した(明治35年)。
    「命令航路・石狩川線」は、「石狩~江別」「江別~月形」「月形~札的内(さってきない)」の3航路だった。

  • 石狩川で大活躍していた上川丸。<br />外輪式の蒸気船。

    石狩川で大活躍していた上川丸。
    外輪式の蒸気船。

  • 中央部の両側にある車輪を動かして進み、航行速度は、上りは早足、下りは駆足ぐらいの速さだった。<br />

    中央部の両側にある車輪を動かして進み、航行速度は、上りは早足、下りは駆足ぐらいの速さだった。

  • 水車のような水かき。

    水車のような水かき。

  • 船の底は平らになっていて、水深1m前後の所でも航行できた。<br />

    船の底は平らになっていて、水深1m前後の所でも航行できた。

  • 船の前部は船員たちの船室。

    船の前部は船員たちの船室。

  • 船室の後ろは食堂・休憩室。<br />船の中央部は機関室、甲板には、操舵室と船長室。

    船室の後ろは食堂・休憩室。
    船の中央部は機関室、甲板には、操舵室と船長室。

  • 後部は荷物置き場と客室。<br />流れに逆らわない下りは、上りより運賃が2割ほど安かった。

    後部は荷物置き場と客室。
    流れに逆らわない下りは、上りより運賃が2割ほど安かった。

  • 石狩川では「川上丸、空知丸、神威丸、安心丸」の4隻が活躍した。<br />初めての就航は1884年(明治17年)、石狩?-樺戸間に神威丸と安心丸が樺戸集治監へ因人と生活物資を運ぶために就航した。<br />

    石狩川では「川上丸、空知丸、神威丸、安心丸」の4隻が活躍した。
    初めての就航は1884年(明治17年)、石狩?-樺戸間に神威丸と安心丸が樺戸集治監へ因人と生活物資を運ぶために就航した。

  • 渡船(重兵衛渡し)。<br />1889年(明治22年)から1971年(昭和46年)まであった石狩川第一原野渡船場。<br />昭和46年って札幌オリンピックの前の年だ。

    渡船(重兵衛渡し)。
    1889年(明治22年)から1971年(昭和46年)まであった石狩川第一原野渡船場。
    昭和46年って札幌オリンピックの前の年だ。

  • 史跡重兵衛渡し。<br />札幌に地下鉄が開通した年まで渡船があったとは。

    史跡重兵衛渡し。
    札幌に地下鉄が開通した年まで渡船があったとは。

  • 江別港・会社通ジオラマ。<br />

    江別港・会社通ジオラマ。

  • 明治末期から大正初期にかけての江別港と会社通りを想像復元したもの。

    明治末期から大正初期にかけての江別港と会社通りを想像復元したもの。

  • 蒸気機関車と雑穀船。<br />1882年(明治15年)札幌~幌内間に鉄道が開通し、江別駅もできた。

    蒸気機関車と雑穀船。
    1882年(明治15年)札幌~幌内間に鉄道が開通し、江別駅もできた。

  • ステーション屋上から見た現在の鉄道。<br />

    ステーション屋上から見た現在の鉄道。

  • 現在の鉄橋。

    現在の鉄橋。

  • 1890年(明治23年)末までには完成していた上川道路。<br />札幌~岩見沢間は囚人が開削した道路ではない。<br /><br />橋の手前の杭は宇治橋にあった木除杭だ。

    1890年(明治23年)末までには完成していた上川道路。
    札幌~岩見沢間は囚人が開削した道路ではない。

    橋の手前の杭は宇治橋にあった木除杭だ。

  • 当時の写真パネル。

    当時の写真パネル。

  • 雑穀船をひいて農産物を倉庫へ運ぶ「川上丸」。

    雑穀船をひいて農産物を倉庫へ運ぶ「川上丸」。

  • 荷揚げ中の「空知丸」。

    荷揚げ中の「空知丸」。

  • 農産物を江別駅へ運ぶ馬車鉄道。<br />煉瓦倉庫、どこかで見た。

    農産物を江別駅へ運ぶ馬車鉄道。
    煉瓦倉庫、どこかで見た。

  • これだ、窓や入り口も同じ。

    これだ、窓や入り口も同じ。

  • 石狩汽船。<br />後ろの石積の倉庫は。

    石狩汽船。
    後ろの石積の倉庫は。

  • これだ。

    これだ。

  • 石狩汽船の後ろ岡田雑穀店の間にある川と平行に建つ倉庫。<br />

    石狩汽船の後ろ岡田雑穀店の間にある川と平行に建つ倉庫。

  • 岡田だ。

    岡田だ。

  • 史跡に間違いない。

    史跡に間違いない。

  • 岡田雑穀店。

    岡田雑穀店。

  • 大久保商店。<br />

    大久保商店。

  • 高崎雑穀商店。

    高崎雑穀商店。

  • 倉庫の位置からすると上川道路は駅前通り。<br />旧国道は駅前を通っていた?

    倉庫の位置からすると上川道路は駅前通り。
    旧国道は駅前を通っていた?

  • 写真左上から「岩田百貨店、薬屋、寺川せともの店」。

    写真左上から「岩田百貨店、薬屋、寺川せともの店」。

  • 写真右上から「十二銀行、島金物店、寺川せともの店、薬屋」。

    写真右上から「十二銀行、島金物店、寺川せともの店、薬屋」。

  • 角の十二銀行。<br />

    角の十二銀行。

  • 旧北陸銀行江別支店、十二銀行札幌支店営業所として1919年(大正8年)に建設された。<br />国登録有形文化財。<br />

    旧北陸銀行江別支店、十二銀行札幌支店営業所として1919年(大正8年)に建設された。
    国登録有形文化財。

  • 左上から「越後屋、越後屋呉服店」。

    左上から「越後屋、越後屋呉服店」。

  • 地図の左側は現在、JRのアンダーパス。<br />ほぼ同じ地形。

    地図の左側は現在、JRのアンダーパス。
    ほぼ同じ地形。

  • 火の見櫓と半鐘。<br />江別大火、1897年(明治30年)江別村の川沿いにあった旅館から出火した火災により、市街130余戸のうち105戸を焼失した。

    火の見櫓と半鐘。
    江別大火、1897年(明治30年)江別村の川沿いにあった旅館から出火した火災により、市街130余戸のうち105戸を焼失した。

  • 炭屋。

    炭屋。

  • 左上「江別病院」。

    左上「江別病院」。

  • 鉄工所もある。

    鉄工所もある。

  • タイムスリップしたような風景。

    タイムスリップしたような風景。

  • 精巧にできてる。

    精巧にできてる。

  • 昔の街並み。

    昔の街並み。

  • 製紙工場のジオラマ。<br />1908年(明治41年)当時を想像復元したもの。

    製紙工場のジオラマ。
    1908年(明治41年)当時を想像復元したもの。

  • 1908年(明治41年)富士製紙第5工場(現王子製紙江別工場)が操業を始めた。<br />

    1908年(明治41年)富士製紙第5工場(現王子製紙江別工場)が操業を始めた。

  • 森林から伐採された原木は、雪解けで増水した石狩川の本流をイカダに組まれて流送された。<br />その引き揚げ場を「網場」という。<br />石狩川流域の河川は江戸時代から木材の運搬に利用されていた。

    森林から伐採された原木は、雪解けで増水した石狩川の本流をイカダに組まれて流送された。
    その引き揚げ場を「網場」という。
    石狩川流域の河川は江戸時代から木材の運搬に利用されていた。

  • 網場から引き揚げられた原木は馬で貯木場に運ばれた。<br />原木の皮をはがし紙の原料とする作業は一日数百人の作業員を要した。<br />1919年(大正8年)、川を傷めるなどの理由から原木の流送は禁止された。

    網場から引き揚げられた原木は馬で貯木場に運ばれた。
    原木の皮をはがし紙の原料とする作業は一日数百人の作業員を要した。
    1919年(大正8年)、川を傷めるなどの理由から原木の流送は禁止された。

  • 網場の写真パネル。

    網場の写真パネル。

  • 1911年(明治44年)の製紙工場。

    1911年(明治44年)の製紙工場。

  • 昭和初期の製紙工場。

    昭和初期の製紙工場。

  • 1911年(明治44年)網場内での水切り作業。

    1911年(明治44年)網場内での水切り作業。

  • 現在の製紙工場。

    現在の製紙工場。

  • 江別にはヤツメ漁の漁業組合がある。

    江別にはヤツメ漁の漁業組合がある。

  • 江別で石狩川に架かる一番新しい橋。<br /><br />防災ステーション、また一つ北海道の歴史が解った。

    江別で石狩川に架かる一番新しい橋。

    防災ステーション、また一つ北海道の歴史が解った。

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