2019/10/03 - 2019/10/04
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frau.himmelさん
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10月3日はベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一した統一記念日です。
2019年はたしか30年目の記念日のはず、と思いこみこの日に合わせてベルリン滞在を決めました。
統一20年目の年にベルリンを訪れた時は、アレキサンダープラッツ広場では記念のパネル展をやっていましたし、街中でも統一20年に湧いていました。
30年目の記念の年にもたぶん何か歴史的な催し物をやっているはずだと。
ところが「嗚呼・私の勘違い」、2019年はベルリンの壁崩壊から30年、だったのですね。
でも昨年(2019年)行っておいてよかった。今年は、たとえ記念の年であろうとも、コロナ禍でベルリンに行くことは叶わなかったのですから。
また、2019年の10月3日はベルリンのテレビ塔が完成してちょうど50年の記念日でした。
そして2020年にはソニーセンターがオープンして20歳を迎えるのです。
壁の崩壊後、統一ドイツの象徴としていち早く再開発されたポツダム広場。とりわけソニーセンターはポツダム広場の象徴として多くの観光客を呼び、ベルリンの発展に大きく貢献してきました。
私たち日本人にとっては、ベルリンにあって日本企業ソニーの名を冠したソニーセンターは特別に思い入れがあります。
しかし現在このソニーセンターは、日本のソニーのものではないのです。
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東ドイツ時代から引き継がれた少年たちが運行する子供列車と、「世界のトラム100選」に選ばれた路面電車68番に乗り、ケーペニックからポツダム広場にやってきました。
お昼がまだでしたから昼食をとるためにです。
と言っても時間はもう既に3時過ぎ。 -
ポツダム広場と言えばソニーセンターですね。
日本のソニーの名を冠していますが、今はソニーの所有ではありません。
そのソニーセンターが2020年で開業20周年を迎えます。 -
ベルリンに来たら必ず一度は立ち寄りたいところソニーセンター。
その一画にあるレストラン「リンデンブロイ」にやってきました。
時間が時間だからかいつも満席のテラス席はガラガラ。
こんなことも珍しい。 -
小雨交じりの天候で、ちょっと肌寒いせいもあるのでしょうか。
私たちも中に入ります。 -
こんな時間でも、店内はそこそこに客が入っているのはさすがにリンデンブロイ。
自家製ビールのタンクが存在感を放っている傍は人気の場所。 -
私たちはカウンターが見える窓側に席をとりました。
壁に掛けてある、穴がいくつも空いた細長い板は、ビール飲み比べセット用(メータービール)。
8つ穴が空いていますから8種類のビールが一度に出てきます。 -
夫も好みのビールがありますし、私はベルリンに来たら必ず一度は飲みたいベルリナーヴァイセ、今日は赤をいただきます。
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お料理はまたもやアイスバインです。
ベルリンに到着した夜も、ベルリンのホーフブロイハウスでいただきましたが、夫はこれが大好物。
これに大皿のサラダを取って二人でシェア、いつもの流れです。
アイスバインの付け合わせはカトーフェルン(じゃがいも)とグリンピースをつぶしたもの、それにザウアークラウトです。
凄い量です。 -
食事を終えて外に出ます。
ここは「カフェ・ヨスティ」。
「Little BIG City」でもご紹介しました黄金の20年代の有名なカフェです。 -
そしてここには同じく黄金の20年代を代表する豪華ホテル、エスプラナーデの案内。
第二次世界大戦での空爆で、ベルリン市内は大きな被害を受けました。
このエスプラナーデも90%が破壊されました。 -
しかし取り壊すに忍びなくてか、その後の壁の建設に影響されてか、そのまま廃墟の状態で残っていました。
そしてベルリンの壁の崩壊。
1991年にポツダム広場の再開発が決まり、日本のソニーも参画することになりました。しかしその区域にはエスプラナーデの跡地も入っていました。
市民からはホテルの取り壊し反対の要望がソニーに出されました。
ソニーは市民の意を汲んで、残っている「カイザーザール」を特殊な作業で慎重に吊り上げて75m移動させました。
皇帝ヴィルヘルム2世が晩餐会を開いたという豪華絢爛なこの「カイザーザール」。今はレストランになっています。
写真は2016年に撮影したカイザーザール。
さすがに世界のソニーですね(その頃は)。 -
ポツダム広場駅からいったんホテルに戻ります。
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アレクサンダープラッツ駅に降り立ったらパトカーが何台も停まっており、ものものしい雰囲気。
さっき車窓から大勢のデモ隊が行進しているのが見えましたね。
今日はドイツ統一記念日です。 -
今回、ベルリン後半の2日間宿泊するホテルは「アレクサンダープラザ・ホテル」。
貧乏旅行の私たちにはお高めのホテルですが、今回ここに拘りをもって宿泊しました。
その理由は別記で。 -
湯沸かし器やコーヒーマシーンも付いていますから助かります。
ホテルで少し休憩してもう一度出かけます。
今日はドイツ統一の日ですから。 -
その前に・・・。
ここは中央駅のライゼビューロー。
後日乗車するICEの座席指定をとりました。 -
今日は休日なのですが、そんなに混雑していませんでした。
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中央駅の地下鉄55号線で・・・。
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私たちが向かった先はブランデンブルガー門駅。
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今日10月3日は30年目の統一記念日だと思いこんでおりました。実際は2019年は壁が崩壊して30年目だったのですね。
20年目の統一記念の年にもベルリンを訪れていましたので、30年目も是非行かねばと。それでわざわざこの日をベルリン滞在にしたのですが、勘違いをしておりました。年ですね~~。
写真は20年目の2010年に訪れた際のアレキサンダープラッツ駅のパネル展。
旅行記はこちら↓
2010 初夏のヨーロッパ No.20 ☆東西ドイツ再統一20年記念パネル展☆
https://4travel.jp/travelogue/10507138 -
地上に上がると、想像したように大勢の人人人・・・。
今日はドイツ統一の日ですから、ブランデンブルク門ではきっと何か開催されているだろうと、非日常の広場を期待してやってきました。
向こうの6月17日通りにライトアップされた観覧車が見えますが、あちらでは何かあるのでしょうか? -
こちらでは人は多いけど、別に今は何もやっていない感じ。
それとも、もう終わったのかしら? -
ブランデンブルク門の下の通行止めは解除されたようだし、もう終わったのでしょうね。
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何にしても、こんな夜遅くブランデンブルク門に出かけることは、私たちシニア夫婦には滅多にないことですから、今夜はこの雰囲気を楽しみます。
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ホテルアドロンの前もこんなに賑やか。
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東西ドイツ統合の象徴であるブランデンブルク門のクアドリガ、勝利の女神は統一された今は「鉄十字」の杖を持っています。
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アレキサンダープラッツの方からパトカーが隊列をなして走ってきます。
先ほどのアレキサンダープラッツ駅周辺でのデモ隊も解散し、やっとお役目が終了。
パトカーも帰路の途につくのですね。 -
私たちもホテルに帰ります。
地下鉄55号線、ブランデンブルク門駅の壁には歴史的な写真が。
下左:1963年、西ベルリンを訪問したケネディ米大統領とヴィリーブラント西ベルリン市長、アデナウアー西独首相。
下左:1986年東独を訪問したソ連のゴルバチョフ書記長 -
ベルリン中央駅の売店でカリーヴルストとビールを買ってお持ち帰りです。
ホテルには湯沸かしポットがありますし、日本から持参したカップラーメンもそろそろ消化しなければ。今夜の食事はこれで決まり。
お昼にリンデンブロイでいただいた大きな肉の塊がまだお腹に持たれています。 -
翌10月4日
朝テレビを付けたら、昨日のドイツ統一の日の式典でメルケル首相が演説しているところを放映していました。
今年は北ドイツのキールで開催されたようです。 -
毎年、統一の日にはドイツ国内の違った都市で式典が開催されます。
2019年はキール。
メルケル首相は昨日はベルリンは不在だったのですね。
首相、可愛い!(笑) -
続けてテレビを見ていたら、2019年10月3日はベルリンのテレビ塔ができて50年目の記念の日でもありました。
今やベルリンの最も有名なランドマーク、どこからでも見えるテレビ塔です。
建設当時は東ドイツが西ドイツに対して力を誇示するものだったのです。 -
ドイツ民主共和国(東ドイツ)建国20周年を記念して、1969年10月3日、国家元首ウルブリヒトにより建設されたものです。
高さは365mあり、西ドイツの一番高いテレビ塔、シュツットガルトのテレビ塔より220mも高い塔になりました。
こっちの方が高いよー!って威張りたかったのでしょうかね(笑)。 -
確かに下から見上げると、天にも届くような高さですね。
ベルリンの壁が崩壊した今は、東西ドイツ統一の象徴として、世界中から大勢の人が訪れています。 -
アレキサンダープラッツにあるもう一つの東ドイツの象徴、ウラニア世界時計。
これもテレビ塔の3日前、1969年9月30日に完成したものだそうです。
前のホテル廊下に飾ってあったテレビ塔と地球時計の写真。 -
そう言えば、ホテルのこの部屋からもテレビ塔が見えるんですよ。ちょっぴり、頭だけですけどね(笑)。
50歳の誕生日、おめでとう! -
私たち日本人に大変親近感のあるソニーセンターも2020年には開業20周年を迎えます。
また昨日に戻ります。
リンデンブロイで食事をした後、地下鉄に乗るために、今まで使ったことがなかったソニーセンター入り口から入ってみました。
壁にはソニーセンターの歴史が年代順に飾られていました。
日本の企業ソニーの名を冠したソニーセンター、私たち日本人には少なからず興味惹かれる展示だと思いますので、すこしばかり触れてみます。 -
黄金の20年代、1930年ごろのポツダム広場。
ベルリンのど真ん中にあり、当時ヨーロッパで最も交通量が多かった地域。
市電やバスが何台も行き交い、凄い数の人の波。
手前にはヨーロッパで初の信号機が見えます。 -
黄金の20年代のベルリンで最も有名な「グランドホテルエスプラナーデ」。
当時チャーリー・チャップリン、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒなどが宿泊しました。
また、1944年7月のヒトラー暗殺未遂の前には、シュタウフェンベルク大佐ら、共謀者たちはここで何度か集まり作戦を練ったそうです。そして7月10日のシュタウフェンベルクからの暗殺の結果をここで待っていました。
1944年から1945年の冬、空爆による攻撃でホテルは大部分が破壊されましたが、皇帝ヴィルヘルム2世が晩餐会を開いた「カイザーザール」は残りました。 -
1945年の連合軍の空爆によりポツダム広場の多くの建物は破壊された。
-
1961年8月に東ドイツ政府は東西ベルリン間の境界に壁を造り封鎖した。
ポツダム広場はちょうど境界線上に位置していた。
写真は廃墟が撤去された後の1975年ごろのポツダム広場。
壁の向こう側は東ベルリン。 -
1989年11月ベルリンの壁の崩壊。
そして1990年10月3日、ドイツはついに統一された。 -
ポツダム広場はベルリンの中心部という魅力的な場所のため、注目を集めた。
ベルリン市はこの地域を4分割し、それぞれのデベロッパーに売却した。
一番広い地域はダイムラーに、そして二番目に広い地区はソニーが担当し、ソニーのヨーロッパ本社を建設することになった。 -
1996年ごろ。
ポツダム広場はヨーロッパで最大の工事現場となった。 -
ソニーセンターの地区にはホテル・エスプラナーデの遺構をとり込む形で含まれていた。
再開発が決まると、ベルリン市民からはホテル取り壊し反対運動が起きます。ソニーは市民の意を汲んで残っていたカイザーザールを、特殊な吊り上げ作業で移動させて保存しました。
さすが我らがソニー。 -
1997年ごろのソニーセンターの工事現場の様子。
何本もの巨大なクレーンが所狭しと林立しています。
手前にはも1963年に建設されたベルリン・フィルハーモニーのコンサートホールが見えます。 -
1998年。
この頃にはヘルムート・ヤーンによる設計のソニーセンターは形体を現してきます。
26,000㎡の敷地に7つの建物、その中には半円の形をしたドイツ鉄道の高層ビルもあります。 -
1999年。
ソニーセンターの中庭の広場はソニーフォーラムと呼ばれます。
フォーラムを覆うテントを設置している作業員。宇宙飛行士のように見えます。 -
同じく1999年。
周りの高層ビルも完成を待つばかり。 -
2000年1月9日、ついにソニーセンターがオープンします。
テナントにはレストランや映画館、ショップ、オフィス、住居などが入り、ベルリンで最も賑やかな広場となりました。 -
ベルリン・フィルハーモニー側から見たソニーセンター。
日本のソニーが造ったソニーセンターは、私たち日本人にはやはり富士山の雄大な姿に見えますね。
しかし一風変わったこのベルリン・フィルハーモニーのフォルムにマッチするような設計にしたとも言われます。
なにしろ、当時ソニーは、世界的なバリトン歌手だった「大賀典雄氏」が社長・会長を務めた時期でしたからね。また大賀氏は、かのカラヤンの友人であり、彼の最後に立ち合った人としても有名です。
ベルリンフィルハーモニーは「カラヤンのサーカス小屋」とも呼ばれています。 -
ソニーフォーラムの中庭を、押広げたもの。
この図法、なんていうのでしょうか。 -
ベルリンで最も人気の広場、ソニーフォーラムではいろんなことが開催されました。
2002年、スパイダーマンがテントに張りついています。 -
2005年。
ポツダム広場で開催された「第55回ベルリン映画祭」で、日本のデザイナー山本寛斎氏が企画した着物と日本舞踊のパフォーマンスが披露され、人気を博しました。 -
2006年。
ドイツで開催されたFIFAワールドカップドイツ大会の決勝戦はベルリンで開催された。
ポツダム広場ではパブリックビューイングが置かれ、大勢のサッカーファンが声援を送りました。 -
2000年のオープン以来、ポツダム広場、とりわけソニーセンターは年間の訪問者800万人を数え、ベルリンで最も活気ある名所として、ベルリンの発展に大きく貢献してきました。
しかし2008年2月、ソニーは全株式をモルガン・スタンレーに売却して撤退してしまうのです。
持ち主は変わっても、長年親しまれてきた「ソニーセンター」という名前は残すという条件だそうです。
2018年の写真 -
そして2010年には韓国の国民年金組合がモルガンスタンレーからソニーセンターを購入しました。
私は2016年にベルリンを訪れた時、ソニーセンターの看板に韓国のハングル文字があったのを違和感をもって眺めたことを思い出します。 -
その後、韓国の年金組合は大幅に値上がりしたソニーセンターを、購入した時の倍の金額で売却したそうです。
今はこのソニーセンターはどこのものなのか調べることはできませんでした。
ソニーセンターの名は当分は残るでしょうが、早く日本の経済が立ち直って、日本の企業ソニーがもう一度ここを買い戻し、名実ともに世界のソニーセンターになることを願ってやみません。
2016年の写真 -
あの華やかなソニーセンターからは想像もできない、天井の低い地下鉄への通路、
東京の新橋か有楽町のガード下の飲み屋さんが集まる通りのようで懐かしさを覚えます。
その片隅に1軒のSushi屋さんがありました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- あの街からさん 2021/07/11 07:40:26
- ベルリン その愛
- 僕も列車の旅は好きです。国境越えも。アメリカのサンディエゴから
車でメキシコのティファナへの往復はまさに行きは良い良い。
帰りは・・なんとやら。でした。
チューリッヒやミュンヘンの物価高を乗り越えようと6時間かけて
かけて通うこれも旅愛。ですね。
旅の日程をほぼ決めてしまってから、通過地点のその街がお祭りなど
にぶっかってHotelが確保出来ない時等このアイデア良いですね。
ただし、6時間というのはhimmelさんの余裕の旅程なせる技!
僕のように、そこ迄行くならここも、そこもと欲張りな旅は(⌒-⌒; )
近頃は、滞在型に憧れるのですが、いざ日程を組む過程で
忘れてしまいますぅ。
久しぶりにベルリン編の旅を見返しながら
今度行けるチャンスに恵まれたら
ベルナウァー通りの H + Hotelで静かで東ドイツぽい雰囲気を味わいつつ
Hotelに滞在してみたい。とか、ジオラマで見るベルリンの歴史
博物館(Little BIG City)や前回通っただけでほとんど記憶に無い
himmelさんの追っかけている王宮殿も訪ねたい。
あと自分的には、ベルリンに点在する近代建築をじっくり回りたい。し
と、3日の滞在で足りないかなぁ。昨年、himmelさんとベルリンの話を
やりとりした後、ベルリンに興味が沸き、図書館へ行って何冊か手に取り
ました。その中で『洪水前のベルリン1920』と
『ベルリンのカフェ 黄金の1920年代』で1920から1930年
そして、第二次世界大戦の始まる直前まで世界最先端の文化が花開いて
いたベルリンに思いを馳せたりしていました。
コロナ禍 少しずつ灯りが見えてきたように思われますが
ご自愛ください。
あの街から
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