2010/06/14 - 2010/06/14
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frau.himmelさん
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2010年10月3日は、東西ドイツが統一してから20年となります。
ブレーメンでメルケル首相やヨーロッパの要人を招いて記念式典が開催されました。当日はパレードやコンサートなども開かれ、ドイツは祝賀ムードに包まれたそうです。
20年経た今、経済力や失業率、生活水準など東西格差は克服されたとは言いがたいですが、それでもここ数年は格差にも改善の兆しが見え始めたということです。
私が6月にドイツを訪れた際、アレキサンダー広場では東西ドイツ統一20年のパネル展をやっていました。私の勉強を兼ねてここにその一部をお見せしたいと思います。
写真のコメントも、私なりに一応調べて付けたつもりです。
間違いや勘違いがありましたら、ぜひご教示ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
-
2009年ベルリンの壁崩壊20周年記念のスローガンは
「Wir sind das Volk!」だった。
われわれこそが人民だ!
今回のスローガンは何と訳すればいいんでしょう?
*追記
今回のスローガン 「対峙ではなく共存を!」というコメントをいただきました。
正にそうですね、今まで対峙していた東西ドイツが統一を機に共存していこうという、これ以上ない素晴らしいスローガンです。
近鉄バッファローズ様ありがとうございました。 -
-
1945年第二次世界大戦でドイツは無条件降伏。
ベルリン近郊のポツダムで戦後処理が話し合われることになった。
ポツダム会議。1945.6 -
ドイツは戦勝国、米・英・仏・ソの思惑で東西に分断されることになった。
西ドイツ首相ヴィリー・ブラントが、1970年12月、ワルシャワ訪問の際、ゲットー犠牲者追悼慰霊碑の前でひざまずいた。 -
東ドイツ(DDR)は1971年からホーネッカーが書記長となり、ソ連を後ろ盾に権力を振るう。
ソ連の指示で、ドイツ社会民主党(SPD)と共産党が合併して、ドイツ社会主義労働者統一党(SED)となった。
事実上ホーネッカーの独裁と言っても過言ではなかった。 -
DDRの下部組織には次のような団体があった。
一つは、FDJ(Freie Deutsche Jngend)自由ドイツ青年団。
ヒトラーユーゲントと同じような、ホーネッカーが作った14歳から25歳の青年団組織である。
ホーネッカーの写真を先頭にDDRの幹部の写真を掲げてパレードしているFDJの隊員。 -
もう一つは、FDGB。
DDR唯一の労働組合で、議会にも52席の割り当てを持ち大きな発言力があった。
写真は1982年4月22日、共和国宮殿で開かれたFDGBの幹部が終結しての大会議。 -
忘れてならないのがシュタージ(秘密警察)の存在。
この力は絶対的なもので皆に恐れられていた。
そんな中で、簡単な印刷方法でDDR批判の草の根運動を続けていたUmwelt-Bibliothek(環境図書館)・上
草の根運動を支持していると言う疑いで突然真夜中に家宅捜査を受けた教会・右下
などシュタージの弾圧を受けながらも反体制活動は根強く続けられていた。 -
パネルではなく実際に展示してあったもの。
シュタージ(秘密警察)からの弾圧の危険にさらされながら、地下で抗議運動のチラシを作ったり、東西分断時代の東ドイツの環境汚染問題を告発したりするのに、使われた簡単な印刷機。 -
シュタージの目を欺いて、タイプライターやカーボン紙を使って複写されたDDRの批判文や、告発内容をメモした手帳など、見つからないようにするのは大変なことだった。
変色してボロボロになっている手帳や文書類。 -
東側から西側への亡命者が後を絶たなかったので、東西を隔てる壁が東側サイトで作られた。
それでも東ドイツの人々は、命からがら手に持てるだけの荷物を持って、比較的警備が緩かったチェコの国境を越えます。
1989.9月 -
1989年10月1日、チェコの西ドイツ大使館につめかけた東ドイツからの亡命者を乗せた初の特別列車は、ついに西ドイツ国境を越えました。
歓声をあげている亡命者達。
チェコに流れこんだ亡命希望者は5,500人もいたそうだ。 -
1989年10月7日、東ドイツ建国40周年記念式典が東ベルリンのの共和国宮殿で開催された。
写真はカール・マルクスアレーで軍隊パレードが行われ、謁見しているホーネッカーや、ソ連のゴルバチョフ首相。
式典でホーネッカーが「西ドイツは雇用も不安で失業者も多いし、治安も悪い。それに比べて東ベルリンは豊かだ」と演説して東ドイツ国民を牽制した。
その後、ゴルバチョフが「世界は変化しつつある」と痛烈な批判を浴びせた。 -
同じ日、赤の市庁舎前広場では若者を中心とした抗議デモが起きた。
5年に1度の統一選挙でホーネッカー率いるSPDが98%という驚異的な得票率で圧勝した。
不信に思った市民団体が不正を暴き、それが西側メディアから、東の市民に伝わった。
市民の党への失望感・不信感は一気に増していった。
それが抗議デモに繋がった。 -
そのことがキッカケで5月から10月の毎月7日は若者を中心に抗議デモが起こされた。
それが結果として、東ドイツ終焉に近づくことになった。
40周年記念式典では、警官がずらーっと並んで共和国宮殿への通りを封鎖した。 -
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けが人も大勢出た。
デモの趣旨はホーネッカーの退任、旅行の自由などであった。 -
-
1989年10月9日、ライプティヒの7万人のデモ。
このデモがベルリンの壁崩壊へとつながった。
10月18日、ついにホーネッカーの辞任。
後任は社会主義統一党政治局員 エゴン・クレンツだった。 -
Walter Jankaは、国家反逆罪で起訴された。だが、無実を証明してくれる知識人が口をつぐんだため投獄された。
彼は、国家と知識人を告発する書「沈黙は嘘」を発表した。
出獄した彼が、東ベルリンの劇場で講演をして拍手喝采をあびた。
1989年10月28日 -
1989年11月4日、ライプティヒの無暴力デモがきっかけとなり、ベルリン近郊のポツダムで2万人から3万人の市民が参加する抗議デモが起きた。
そしてその波は東ドイツ全土に波及した。 -
同日、マクデブルクのデモでは40000人の人々が集まった。
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同じ11.4日、東ベルリンでも大規模デモがあり100万の人がアレキサンダー広場に集まった。
東ベルリンの人口は当時1600万人だったので、16人に1人が参加した勘定。 -
アレクサンダー広場での100万人のデモ。
プラカードにはエゴン・クレンツの似顔絵を赤ずきんの童話に見立ててある。
「おばあちゃんの歯はどうしてそんなに大きいの?」
(それはお前を食べるためだよ!!) -
「Der Spiegel」ドイツ週刊誌(東ドイツの実情を暴いて世界に発信していた)と
エゴン・クレンツ。 ホーネッカーの後任のDDR評議会議長。 -
1989年11月9日、ベルリンの壁は思いもよらない形で崩れることになった。
夕刻の記者会見で地域相(?)ギュンター・シャボンスキーが誤って、「旅行制限を今すぐ解く」と発言したことから、ベルリン市民が大勢国境検問所に押しかけた。
写真は崩壊当日の様子。 -
ベルリンの壁が崩壊して全世界のメディアが大挙して押しかけた。
騒然としているブランデンブルク門前で実況中継している西側のメディア。 -
1989年11.18 EGの代表がパリのエリーゼ宮殿に集まって、DDR及び東ヨーロッパ諸国の今後の問題を話し合った。
-
ベルリンの壁に続いて民衆が壊そうとしたものはシュタージ(秘密警察)だった。
ライプティヒで、決起した民衆が秘密警察とにらみ合っている。
1989.12.4 -
1990年1.15
東ベルリンの中央シュタージに、東ドイツ人権活動家らが突入し占拠した。
膨大な秘密文書、盗聴器、電話器などを取り押さえた。 -
シュタージ(秘密警察)に押しかけた人々。
プラカードには、
シュタージは・殴る・踏みつける・盗聴する・スパイする・拘留する
とある。 -
シュタージの膨大な資料を窓から投げ捨てている。
-
シュタージに突入したベルリン市民が、記念のプレートをはめ込んでいる(?)。
-
さようならDDR。
1990年1月23日、東ドイツのシンボルが取り外されることになった。 -
1990年2月24日
コール首相はドイツ再統一に向けて、アメリカのブッシュ大統領とキャンプ・デイビッドで会談した。
会談で、統一ドイツがNATOに留まること、現状の国境を維持することを条件に統一に同意した。
ブッシュは早くからドイツ統一を支持していた。 -
ドイツ再統一に強く反対していたイギリスのサッチャー首相が、コワい夢を見たという風刺漫画。
東西ドイツが統一されると、政治や経済の面でも再び強大な国になるのではないかと恐れたからだ。 -
1990年6月22日
国境検問所チェックポイント・チャリーで、関係各国が集まっての解散式(?)が執り行われた。 -
チェックポイントチャーリーのお別れ会(?)が開催された様子を、窓から見ているベルリン市民
-
1990年7月15日 ソ連・コーカサスにて
ゴルバチョフと、西ドイツのコール首相、ゲンシャー外相との間で会談が持たれた。
東西ドイツ統一に反対だったゴルバチョフもようやく賛成に。
この時ドイツ軍の兵力削減と、東ドイツに駐留するソ連軍の撤退などが話し合われた。 -
明日(7月1日)からの通貨統合を前日に控えて、東ベルリン市民の間で映画館でDDRお別れ会が開かれた。
独裁者ホーネッカーよさようなら! -
旅行の自由が認められた東ベルリンの市民。
「やっと待ちに待った旅行ができる、どこへ行こうか!」
アレキサンダー広場の旅行店の前には長蛇の行列が出来た。
1990年7月 -
店先には魅力的な旅行地のポスターが。今まで抑圧されていた東ベルリンの人々に、西側への旅の夢をかき立てた
-
東ドイツに西ドイツタバコの「West」(笑)の広告ポスターが貼られた。
-
未来の消費者となってくれる東ベルリン市民にコーラを無料配布している。右
1989年11月 ハインリッヒ・ハイネ通りで -
荒れ果てたまま放置されている家屋を前に、憧れの西ドイツの飲み物を飲んでいる東ベルリン市民。
1990年 -
東西を隔てていたベルリンの壁を壊して、これから開発が始まろうとしているポツダム広場。ポツダム広場はヨーロッパで最大の工事現場となった。
1990年7月 -
西側に逃亡しようとして大勢の人が亡くなったベルナウアー通りを散歩している人々。
所々が壊されて、荒涼とした姿をさらしている。 -
経済が疲弊していた東ドイツの状況は無惨なものだった。
閉鎖された工場、事務所、家屋は放置されたままだった。
「武器を使わずに瓦礫の山を作り出す方法」
東ベルリン市民の自嘲の声だった。 -
再統一後の東ドイツにはいろいろな難問が山積していた。
トロイハイト(旧東ドイツ信託公社)東ドイツの国営企業を民営化するための公社や、DDRに土地を徴収された所有者に、元通りの土地を返還する手助けをする会などもできた。
そのための争いもいろいろ起きたようだ。 -
1990年10月3日午前0時。
東西ドイツが再統一された記念すべき日。
ベルリン国会議事堂の前広場では、国歌が流れ花火が上がり、今や東西ドイツの旗となった国旗を振って、統一記念日を祝っているベルリンの100万の市民 -
1990年12月2日 東西統一後初めて開催された連邦議会選挙では、旧東ドイツでも、CDU(キリスト教民主同盟)がSPD(社会民主党)に勝利する。
-
初めての選挙ポスター
-
1990年12月20日
ドイツ連邦議会の前で国旗掲揚式が執り行われた。
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この旅行記へのコメント (7)
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- kiju-jiさん 2020/09/22 01:16:02
- frau.himmelさん。今晩は。kiju-jiと云います。
- 初めまして、この旅行記は私が知らないことばかり大変参考になりました。
私が行ったのは2014年11月1日で、ベルリンの壁崩壊25年目の数日前?でした。
この日は、ブランデンブルク門の前でNHKのクローズアップ現代の国谷裕子さんの取材中に出くわしました。ああ取材の現場はこういう風にやるんだと!。スタッフは10名ぐらい。国谷裕子さんが、ペタ靴からハイヒール靴に履き替えるところも写真に!。
ポツダム広場は、今は賑やかですが連合軍に徹底的に空爆を受けたドイツの復興はすごい!。これを肌で感じるための旅行でしたが・・・。
frau.himmelさんの旅行記を見て行けば良かった?。今はブログを見るようになりましたが2014年当時はブログの存在さえ知りませんでした。
私は、3歳の時に長崎で原爆に被爆。ポツダム会談が行われたツェツィリーエンホーフ宮殿に行くことも目的でした。ポツダム宣言を受けて受諾するまで3週間も、どこかに忖度しほっといた鈴木貫太郎内閣。ドイツ人の奥さんの東郷茂徳。もっと早く受諾をしていれば、原爆投下も、ソ連参戦のシベリア抑留などもなかった。
ちょっと愚痴をこぼしました。
最後に私の拙いブログにイイネを有難う。ではまた。
- frau.himmelさん からの返信 2020/09/22 20:34:33
- RE: kiju-jiさん、コメントありがとうございます。
- kiju-jiさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
少しは私の方が若いかも知れないけど、同じ世代の方が次々と旅行記を発表していらっしゃる、それもどれも充実した読み応えのあるものを・・・、
と先日来いくつか拝見させていただいています。まだ途中です。
Kiju-jiさんは、2014年の11月1日にベルリンを訪れられたのですね。壁が崩壊したのが25年前の11月9日でしたから、本当に数日前ですね。
NHKのクローズアップ現代の国谷裕子さんが取材にきておられたとか、いい時にいらっしゃいましたね。そんなことがあると深く印象に残り、忘れませんから。
私も同じ年の10月初めに訪れています。kiju-jiさんもご覧になったかと思いますが、壁崩壊25年ということであちこちで展示をやっていました。
そして昨年、2019年の10月にも30周年の特別展を目指して行ったのですが見事に拍子抜けでした。私の方の勘違いもあったのですが。
kiju-jiさんは長崎で被爆なさったとのこと、大変でしたね。
私もツェツィーリエンホフ宮殿に行き、広島と長崎に落とされた原爆の写真を見て参りました。
またトルーマン大統領が原爆投下命令を下した、ポツダム郊外のアメリカ宿舎にも行ってまいりました。そこには広島や長崎から運ばれた石で造られた碑がありました。今更・・・ですね。
ほんとうですね。1945年7月26日にポツダム宣言を表明しているのですから、もうその時は日本の敗戦は決定的だったのですから、その時受諾していれば原爆は投下されることはなかった。大勢の被害者を出すこともなかった。本当にそう思います。
私は鹿児島県にある東郷茂徳の記念館を訪れたことがあります。
開戦に反対だったと聞いておりましたし、また外務大臣として戦争終結に奔走したがA級戦犯で処刑されたという彼の人生を見て参りました。
また旅行記の続き、拝見させていただきますね。
このコロナ禍の時代ではありますが、元気に海外に旅行できる日まで、身体に気を付けて頑張りましょう。
himmel
-
- 近鉄バッファローズさん 2011/02/02 12:29:45
- Alexanderplatzのパネル展について
- frau.himmelさん、こんにちは。
近鉄バッファローズです。
今、旅行記を拝見中です。
「Wir sind miteinander, nicht gegeneinander」ですが、
「我々は、対峙せず、共にある。」という感じで訳してはどうでしょうか?
もっと意訳すれば、「対峙でなく、共存しよう」という感じでしょうか。
あと、ポツダム会談は、1945年です。
写真の説明が「1946.」となっていましたので。
何かの御参考になれば幸甚です。
- frau.himmelさん からの返信 2011/02/02 14:21:24
- RE: Alexanderplatzのパネル展について
- 近鉄バッファローズ様 いつもありがとうございます。
> 「Wir sind miteinander, nicht gegeneinander」ですが、
> 「我々は、対峙せず、共にある。」という感じで訳してはどうでしょうか?
> もっと意訳すれば、「対峙でなく、共存しよう」という感じでしょうか。
素晴らしい!
旅行記にも追加いたしました。
「対峙ではなく、共存を!」と。
まさに東西ドイツ統一にふさわしい言葉だと思います。
> あと、ポツダム会談は、1945年です。
> 写真の説明が「1946.」となっていましたので。
これもお恥ずかしいー!
パネル写真の説明にもちゃんと1945.って書いてありましたのに…。
タイプミスですね。指摘してくださってありがとうございます。
これからもいろいろご教示ください。
-
- パンジーさん 2010/10/09 00:31:52
- ベルリン再統一20年
- frau.himmmelさま、こんばんわ。
10月3日はベルリン再統一20年でしたね。
毎年この日は違った都市で式典があるそうですが
今年はブレーメンの当番(?)で、メルケル首相も来て演説をされたと
ドイツ語の先生が授業の冒頭で話されました。
タイムリーにベルリンのパネル展をアップしていただき
興味深く拝見しました。
現地でのパネル展、やはり迫力がありますね。
昔見て衝撃を受けた映画、「善き人のためのソナタ」を
思い出しました。
パンジー
- frau.himmelさん からの返信 2010/10/09 09:40:15
- RE: ベルリン再統一20年
- パンジーさん おはようございます。
お久しぶりです。
しばらくお見えにならなかったので、心配しておりました。
おおっ、ついにドイツ語を始められましたか?
いよいよ次回の旅に向けての始動ですね。
(かくいう私は、教室に行かなくなって早1年半…。トホホ)
> タイムリーにベルリンのパネル展をアップしていただき
> 興味深く拝見しました。
> 現地でのパネル展、やはり迫力がありますね。
まだ作成中なんです。パネルについての説明を調べるのに時間をとられて…。
近いうちに、時系列に並べて編集しなおしますので、また見てくださいね。
追伸
なかなかシャーフベルクには行き着きません。
忘れてしまいそうです(笑)。
- パンジーさん からの返信 2010/10/09 23:17:56
- RE: RE: ベルリン再統一20年
- さっそくのお返事ありがとうございます。
> しばらくお見えにならなかったので、心配しておりました。
>
ま!心配をおかけしてすみません<(_ _)>
この秋は行きたい展覧会が目白押しで
仕事の合間にせっせと通っておりました。
空いた時間にびゅっと一人で行って 気兼ねなく自分のペースで
見て回るのが何よりの楽しみでございます(^_^)v
> おおっ、ついにドイツ語を始められましたか?
> いよいよ次回の旅に向けての始動ですね。
> (かくいう私は、教室に行かなくなって早1年半…。トホホ)
>
ドイツ語クラスは個性豊かないろいろな方々がいて楽しいのですが
私の上達はカメの歩みのごとくであります。
> なかなかシャーフベルクには行き着きません。
> 忘れてしまいそうです(笑)。
ちょっと、ちょっとhimmelさん、
忘れないでくださいね〜
楽しみに待っていますね(^。^)y-.。o○ パンジー
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