
2020/08/02 - 2020/08/02
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かつのすけさん
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この旅行記スケジュールを元に
江戸東京たてもの園で思った以上に写真が多くなってしまったため、2冊に旅行記を分けての投稿となりました
武蔵小金井からお隣国分寺に移動して殿ヶ谷戸庭園から武蔵国分寺まで
小金井と合わせて28,996歩のお散歩となりました
【写真】殿ヶ谷戸庭園
- 旅行の満足度
- 3.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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ようやく梅雨も明け、小金井公園にある江戸東京たてもの園を訪れました
https://4travel.jp/travelogue/11637486
建物の中にはほとんど入れなかったけど、パンフレットに載っている建物なんかを欲張って全部載せたら写真が100枚を超えてしまったので、続きを別の旅行記にしました江戸東京たてもの園 美術館・博物館
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その後、武蔵小金井まで歩いて中央線で1駅
武蔵小金井駅 駅
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それでは、改めて・・・国分寺駅からスタートします
国分寺駅 駅
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駅前の大戸屋さんで昼食
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大戸屋風チキン南蛮定食
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この日は猛暑!
55円(消費税別途)とうこともあって、食後のデザートにアイスもいただいちゃいました -
駅前から歩いて1分ほどで到着!都立殿ケ谷戸庭園です
都立殿ヶ谷戸庭園 公園・植物園
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殿ケ谷戸庭園は大正4年に江口定條(後に三菱合資会社総理事・満鉄副総裁・貴族院議員)の別荘として作庭され、昭和4年三菱財閥創業家の岩崎彦弥太が別邸として買い取り、津田鑿の設計で洋風邸宅、数奇屋風の茶室(紅葉亭)などを追加整備、昭和40年台に再開発計画が持ち上がったが、保存を求める住民運動をきっかけとして昭和49年東京都が買収、公園として整備の後に昭和54年有料庭園として公開しています
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それでは入園します
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少し進むと大芝生
他の庭園は池を配した回遊式庭園が多いですが、こちらの庭園は入ると広い芝生があり、池は崖を降りたところにあります -
進んで行って南側の端にある萩のトンネルをくぐる
萩の見ごろは9月ころだそう
その先の -
藤棚
こちらの見ごろは4月下旬です
ということで、この時期あまり見ごろの植物がありませんが~ -
花木園を抜けて
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竹林の脇の竹の小径を進んで行きます
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その先にあるのが次郎弁天池
敷地内にあるハケ(崖線)から湧く水を利用して造られた池だそう -
紅葉亭のそばの滝
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次郎弁天池には大きな錦鯉が泳いていましたよっ!
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橋を渡る
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崖を上り詰めると先ほどの大芝生の東側
芝生の中は入れないので、先ほど通ってきた西側には行けません -
芝生の隅には国分寺市内に11基残る馬頭観音のひとつ
かつて生活に欠かせなかった馬を供養するために祀られた観音様です -
この先は行き止まり
よって池の方へと戻ります -
ここから水が湧いてます
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紅葉亭
数寄屋造りの茶室で名前の通りイロハモミジの紅葉がを見下ろせるそうです -
紅葉亭の裏には鹿おどし
いまいち音の響きが良くないので雅さに欠けます
やっぱり鹿おどしは「コーンっ」っていうあの響きがいいですね -
本館は岩崎彦弥太の別邸として昭和9年に建てられた洋館です
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中は展示室になっています
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昔懐かしい(って、かつのすけは現役ではありませんが)電話
「デルビル磁石式甲號卓上電話機」と言うそうです -
殿ケ谷戸庭園の別名 「随宜園(ずいぎえん)」
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殿ヶ谷戸庭園を出て、国分寺の方へ歩いて行きます
駅前から南へと坂を下りた一里塚の交差点そばの野川にかかる不動橋 -
その前に「石橋供養塔」
以前不動橋は石橋だったそう
この供養塔は天保3年に建てられたものだそうで、単に石橋を供養するというだけでなく、石橋を渡って村内に疫病などが入り込むのを防ぐ意味があるそうです -
お鷹の道を西へ
「お鷹の道」は江戸時代に尾張徳川家の御鷹場だったことに由来して名付けられた散策道です -
この川には蛍が棲んでいるいるそうですよ
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しばらく進んでちょっと北に入ったところ
嘉祥元年(848年)重病に苦しんだ玉造小町が国分寺の薬師如来に祈りに来た時に現れた童子に池の水で体を洗うように言われ、体を洗ったところたちまち病気が治り元の美しい姿に戻ったという伝説から「真姿」の池と呼ばれるようになったそうお鷹の道・真姿の池湧水群 名所・史跡
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ここ真姿の池から水が湧いていて、野川の源流にもなっています
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ここからも水が湧いていますね
ひんやりとした水で水遊びしている子供がいっぱいいました
梅雨が明けてから暑い日が続いてますからねぇっ! -
さらにお鷹の道を歩いて行きます
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こちらは武蔵国分寺跡資料館
入口は旧本多家住宅長屋門 代々国分寺村の名主だった本多家の表門と千代当主の隠居所を兼ねて江戸末期に建築されたもの武蔵国分寺跡資料館 美術館・博物館
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庭にはこんなのも建ってました
おたかの道湧水園 公園・植物園
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しばらく歩くと目の前に武蔵国分寺の楼門が出現です
聖武天皇の詔により建てられた国分寺は分倍河原の戦いにより焼失し、その後新田義貞により薬師堂が再建されるも、その後衰退し、江戸時代に本堂や薬師堂が再建されたのが現在の国分寺だそう
こちらの楼門は東久留米の米津寺から明治に移築したものだそうです武蔵国分寺 寺・神社・教会
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その裏にあるのがこちら武蔵国分寺
境内を訪れている人はなく、ひっそりとしたお寺でした -
境内には名前が記された札が添えられている植物がいっぱい
故星野亮勝前国分寺住職が昭和25年から38年の間に万葉集に歌われた植物160種を集めて造った植物園だそうで、「万葉植物園」というそうです万葉庭園 公園・植物園
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少し西に行ったところには仁王門が建っています
ちょっと離れていますが、こちらも先ほどの国分寺の境内なんですよ
こちらの仁王門は宝暦年間に建造された八脚門ですが、木材の一部は新田義貞が再興した薬師堂の古材を使用しているともいわれているんだそうです -
門に立つ仁王像(阿吽像の阿像)は享保3年の作
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門の奥には崖を上る階段があって
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階段を上ると薬師堂があります
建武2年に新田義貞が寄進して別の場所に建てられて、現在のものは宝暦6年頃に現在の場所に建てられたそう国分寺薬師堂 寺・神社・教会
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薬師堂の裏に回ってみるとズラリとお地蔵さまが並んでいます
四国八十八カ所巡り石仏群です -
上から仁王門を見下ろしてみると結構高いですね
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仁王門を抜けてそのまままっすぐ進んで行ったところには武蔵国分寺の跡があります
奈良時代に聖武天皇の詔勅により建てられた武蔵国分寺の跡です
こちらは復元された講堂の基壇だそうで・・・武蔵国分寺跡 名所・史跡
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金堂・講道館の通路と幢竿遺構
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子供たちが遊んでいるこの場所には鐘楼があったそうです
地元の人にとってはあまりに身近なのか、特別な「遺跡」や「史跡」ではないんですね -
『史跡 武蔵国分寺址』の石碑 金堂跡
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中門跡です
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東に少し離れたところには七重塔跡
国分寺建立の詔には国ごとに七重塔1基を造り、金字金光明最勝王経を安置するよう示されていたそうで、七重塔は伽藍の中でも特に重要視されていたものだそうです -
さきほどの真姿の池湧水群のところから階段を上に登って行きます
さっきここに来た時に上へ登っていく人たちがいて、何があるのかなぁ~と思っていましたが、、、 -
ここも昔の国分寺の敷地(僧寺北東地域)だったようです
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伽藍地北辺の区画遺構
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武蔵国分寺公園に到着です
公園には入らず交差点から東の方へと進んで行きます都立武蔵国分寺公園 公園・植物園
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この道を東へ10分ほど歩くと
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国分寺駅に到着です
国分寺駅 駅
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本日は西武国分寺線で帰ります
西武国分寺線 乗り物
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