2020/08/05 - 2020/08/05
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たびたびさん
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魚津市は、富山県の東部、日本海に面した都市で、人口は16千人ほど。富山県でも7番目の小さな都市にしかすぎません。
私が魚津の名前を初めて意識したのは、NHK大河ドラマの「天地人」。妻夫木聡演じる上杉家の家老、直江兼続が直面した魚津城の戦いは、圧倒的な兵力差で潮のように攻め寄せる信長軍にまさに飲み込まれんとする間際の必死の戦い。それは、最大の宿敵、武田家を滅亡させ、すでに天下人の地位をほぼ手中に収めていた信長軍の勢いを考えれば絶望的な戦いとも感じるものでした。ただ、物語はそこで終わらず、風前の灯だった上杉家は、本能寺の変による信長の死去により、存亡の危機を切り抜け、新たな覇者、秀吉との関係強化によってむしろその地位を高めていく。その劇的な転換の潮目になった戦いでもあったんですけどね。死地を逃れ、起死回生の新たな活路を開く。ただ、その攻防の地は街の中心市街地のなんでもないような場所。また都から相当に離れたこんな場所で、信長と反信長包囲網の有力な切り札であった武田家、上杉家に思いを寄せることができたのはちょっと不思議なことのようにも思えました。
そして、魚津城に限らず、この小さな町には米騒動、蜃気楼と埋没林、たてもん祭りとわが町自慢が目白押し。富山にあって、かなり異彩を放つ観光地ではなかったかと思います。
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今日は魚津がメインなんですが、せっかくなので朝の富山市も少し散策します。もう何度も来ている富山市ですが、少し気になる場所が残っているんですよね。
ということで、まずは護国神社に向かいますが、その途中。
竹林堂分家は、平和通り沿い。 -
早朝からお店が開いていて、名物の酒饅頭をいただきました。
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イチオシ
甘酒まんじゅうと銘打っていますが、これは大きさもあって見事な酒饅頭。ふっくらした酸味を含んだ生地にスキッと甘い餡子の組み合わせは完璧です。そういえば、本家の方も行ったことがありましたね。酒まんじゅうなのになんでわざわざ甘酒まんじゅうなんて言うのか。酒まんじゅうの名前の方が価値があるように思うんですが、そんなこととか話したのを思い出しました。
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ついでに、鱒の寿し まつ川にも寄ってみます。こちらは、富山市街にあるます鮨のお店でもかなり上位の人気店。
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店内はすっきりした感じで、確かに人気のお店だという雰囲気は分かります。ただ、もしかしてと思った一人で食べ切るサイズはなくて。まあ、そういう店は多いんですけど、購入はあきらめました。また機会があれば考えたいと思います。
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さて、これが富山県護国神社ですね。富山市街ですが、富山駅から歩くとけっこう遠いかな。
大通りの突き当りみたいなロケーション。 -
境内はこうしてただっぴろい感じなんですが、
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イチオシ
この拝殿が
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格天井で奥が深い立派な構え。独特のスタイルだし、ここまで立派な拝殿はあんまりお目にかかったことがないような気がします。いいですねえ。
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護国神社から神通川の方に向かってすぐ行ったところには磯部の一本榎。
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早百合観音祠堂の境内に立つ榎です。
ちなみに、この早百合というのは佐々成正に愛された女性なのですが、身に覚えのない不義を責められ、一本榎につるされて斬られたという悲しい話が残っているよう。農家の出の娘だったのですが、佐々成正が例のざらざら越から帰ってきた直後のこと。胸が痛むお話です。
佐々成正は、ざらざら越も結局は秀吉の下なんかには立ちたくないという依怙地さも感じるし、肥後の国人衆に反抗され、その詰め腹を切らされるという最期の経緯もなにか釈然としない。その辺りは政治的なセンスがなかったと言ってしまえばそれだけのことなのですが、ここの悲話までくると救いようがないレベルになってくるかなと思います。 -
磯部の一本榎から神通川に出ると松川磯部堤防遊歩道。この道は神通川の東岸の松川沿いに約1kmにわたって続く堤防の道。
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松川水門から川沿いにはソメイヨシノの古木の並木。市街中心部からは少し外れているので、ちょっと荒れた感じもなくはないですが、まあまあの風情かなと思います。
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イチオシ
ついでに、神通川の河川敷まで出てみます。
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こうしてのどかな風景なんですが、
しかし、神通川という響きにはカドニウム汚染のイタイイタイ病の記憶がまだかすかに残っていて、富山の負の遺産という一面も持っているかもしれません。 -
ここから富山城まで戻りますが、鱒寿しのお店もちょこちょこあるんですよね。朝飯に鱒寿しなんていいじゃないですか。ただ、ちょうどいい小さいサイズはなかなかないんですよね。
吉田屋鱒寿し本舗は、富山市街の西の端。 -
店内はおばちゃんが切り盛り。一人で食べれるサイズはないか尋ねると、半分のサイズがあることもあるんですけどねの答え。ただ、この日はないので諦めました。
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滝廉太郎修学の地は、富山城址公園の西側のビルの敷地内。滝廉太郎の父が今でいうところの県の副知事で富山に1年8か月滞在していたことから、この地に縁ができたのだそう。しかし、それだけの縁でもこんなに立派なものを作ったんですね。ある意味すごいなと思います。
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そこからほど近くの元祖 せきの屋は、富山城址公園の西側。ます鮨のお店が何軒かあるエリアの中の一つです。
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大きなビルの店構えなんですが、なんか活気は今一つ。ちょっと寂れた感は否めないような。ます鮨をどこにしようか探して訪ねたのですが、この雰囲気ではなと思ってやめておきました。
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続いての川上鱒寿し店。
老舗の鱒寿しはたいてい丸い容器に入った大型のものしかないのですが、巻き寿司と組み合わせた詰め合わせの弁当がありました。 -
やっと見つけましたよ~
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イチオシ
これだと一人でも食べれるからいいですよね。そのまま近くの富山城址公園で、朝飯代わりにいただくことにしましょう。ちょっと濃いめの味付けですが、すとんと胃に収まりました。お手軽でお勧めです。
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佐藤記念美術館は、富山城址公園の中にあるちょっと立派な美術館。近場なんですが、これまで時間が合わずに寄れてなかったんですよね。
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常設展示だと思いますが、地元財界の有力者であった佐藤家から寄贈された焼き物のコレクション。静かな空間で楽しみましたが、これはかなり渋い。私はそれなりに落ち着いた個性も感じましたが、基本的に焼き物やお茶に興味を持っている人じゃないと楽しむのは難しいかもしれません。
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イチオシ
さて
美術館前の日本庭園はいつも美しい眺めです。 -
富山駅に戻って。
とやマルシェに入ってる梅かまです。 -
店内には鮮やかな色彩の細工かまぼこが並んで、見ているだけでもとっても楽しい。味はプリンとしていてそれはまともなんですが、やっぱりこの見た目が強烈。なんにせよ、一見の価値ありのかまぼこです。
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富山駅から魚津駅に到着。
魚津市役所は魚津駅が最寄りなんですが、旧市街は電鉄魚津駅の方かな。これから歩いて回りますが、けっこう広い範囲です。 -
魚津駅を出てすぐのお土産品のお店はミラマルシェ。まだオープンして間がない施設のようですが、地元の名物、尾崎かまぼこの細工かまぼこもたくさんの種類を置いていて、とっても楽しいですね。カフェスペースなんかもあって、余裕です。なお、魚津駅の周辺には意外にこれといった施設がないので、そういう意味でも貴重な存在かなと思います。
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ちなみに、尾崎かまぼこは、経営する尾崎かまぼこ館では製造現場の見学なんかもできるんですが、魚津駅からは少し距離があるし、商品だけなら、ここで十分かと思います。
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魚津駅前観光案内所は、駅前の独立建物。
これから魚津の町歩きをするつもり来ましたが、改めてどこまでなら歩けるのかとかの情報をここでいただきました。しんきろうロードは全部歩くと9キロとか10キロらしくそれはさすがに断念しましたが、予定していた範囲ならまあまあ歩けることを確認して、安心して出発できました。 -
駅周辺では、例によってちょっとスイーツチェック。
竹酔堂は、魚津駅から市役所の包囲向かってほど近い昔ながらの甘味処。 -
焼きそばやお好み焼きもやっています。
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いただいたのは、黒蜜ときなこを掛けた寒天。あんみつの簡易バージョンですね。しかし、これで十分満足。暑い中、ここで一服して元気を回復できました。
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そこから、今度はありそドームに向かいまして。
ぱてぃしぇ・のっきは、ドームにもほど近い洋菓子屋さん。 -
建物は奥が深くてちょっとした工場みたいに大きいです。
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いただいたのはクリームパイ。注文すると焼き色が美しい四角いパイの中にたっぷりのカスタードクリームを詰めてくれます。なるほどー。シュークリームよりしっかりボリュームがあっていい感じ。パイ生地のシュークリームはないことはないんですが、私の経験だと味的に成功している例はほとんどない。それに対して、ここのは大成功。落ち着いた味わいでOKです。
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そして、これがありそドーム。
各種イベントなんかも行われるようですが、巨大なスポーツ施設。たんぼの真ん中に突然現れる雄姿はかなりインパクトが強いです。 -
ホールは、広々。
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たてもん祭りの山車も常設展示。建物が大きいので、こんなものでもすっぽり入ってなんでもない。
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イチオシ
ちなみに、たてもん祭りは、諏訪神社の夏季祭礼。毎年8月の第1金・土曜に行われて、「山・鉾・屋台行事」としてユネスコ無形文化遺産に登録された33件の一つです。
このたてもんの山車は、獲れた魚を載せ、神様に捧げる帆掛け舟を模したものと言われます。 -
建物の正面は、海側のこっちかなあ。建物の外観もあっちから見たり、こっちから見たりと楽しめます。
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ありそドームから海の方に出て、そこから海の駅蜃気楼に向かうのがしんきろうロード。観光案内所で伺いましたが、全長だと約8kmもあるんです。
海岸線を南北に走る見晴らしの良い道路なので、ドライブだと気持ちがよさそう。ここから蜃気楼が見えるかもと思うとまたそれで気分がいいと思います。 -
海の駅蜃気楼まで歩いて、蜃気楼展望地は、その敷地の一角。
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名前の通り、ここから蜃気楼を望む場所ということでしょうが、蜃気楼は出ればどこからでも見えるのでここじゃないといけないというものでもないでしょう。ただ、小高い丘で、きれいに整備されているので、それなりに気分は出ると思います。
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海の駅蜃気楼のメイン施設はこれ。
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ほぼ道の駅みたいな施設で、
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お土産物の売り場と奥にはレストラン。
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幻魚房は、地元の漁師さんの奥さんとかがやっている海鮮のお店。
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あんまりお腹も空いていなかったので、
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1000円足らずの簡単な海鮮丼をいただきました。値段が値段だけにまぐろと地物の魚が少し乗っているだけでしたが、これはいい。素直な魚のうまさがそのまま伝わってきました。
なお、名物はしろえび丼のようですが、ここでもしっかり2000円してました。 -
海の駅蜃気楼から少し移動して
これも魚津が誇る施設の一つ、魚津埋没林博物館。 -
魚津の蜃気楼ともう一つの名物である埋没林の遺跡を保存・展示する博物館です。
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どんどん奥に進みましょう。
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いったん外に出て、埋没林はこの先です。
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イチオシ
館内の巨大プールには杉の大木がダイナミックに根を張った姿がそのまま展示されていて、なかなかの迫力ですね。
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ちなみに、魚津埋没林は、約2,000年前に片貝川の氾濫によってスギの原生林が土砂で埋もれたもの。そして、その後、海面が上昇して水没。
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原生林が丸ごと密封された状態で残ることとなりました。
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説明によればその丸ごと残ったところが貴重というのですが、そうは言っても杉は杉なので、その貴重さがどれほどのものなのかはイマイチ分からないような気もしますけどね。
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これは乾燥した方。
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心なしか、水中で保存されている方が迫力を感じます。
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建物の屋上は展望台。
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さっき歩いてきたしんきろうロードや海の駅蜃気楼が見えています。
ここから蜃気楼は見えませんが、別途、蜃気楼のビデオを拝見。きらきら光る青い海のはるか向こうに工場群や船がゆらゆら映っている姿はとっても幻想的。砂漠に見える蜃気楼とは違って、これもいいもんだなあと感じました。 -
魚津埋没林博物館から魚津の市街は少し距離がありますね。海岸沿いにどんどん歩きますよ~
諏訪神社は、魚津の旧市街に入ってすぐ。さっき触れたたてもん祭りの神社です。本殿の黒い瓦がちょっと個性的ですが、それ以外は、全体としては意外に小ぶりだしあまり古さも感じないかな。 -
むしろ、海に面しているので、明るい印象。
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ちょうど神輿を整備していて、少し見せてもらいました。
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さらに海岸沿いに歩いて
これが米騒動発祥の地。 -
大正7年7月23日、米騒動が起きた当時の建物、旧十二銀行米倉がそのまま残っていて、貴重な史跡となっています。
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ところで、米騒動は、直接の原因はシベリア出兵に触発された米投機の動きだといわれるのですが、その背景には第一次世界大戦の勃発により輸入米が減少したことや資本主義の進展で都市部の人口が増加。あわやひえではなく米中心の食が普及したこと、農業人口が流出したことなどいくつかの要因が重なっていたこともあるようです。しかし、いずれにしても、結果として、長州閥の寺内内閣は退陣し、平民宰相、原敬内閣が誕生。大正デモクラシー期における市民の力が示されました。
魚津の米騒動は、直接的には北海道に米を移出するのを止め、廉価で米を販売するよう要求する女たちの抗議行動ですが、この小さな町の出来事が発端となって世の中、日本を動かした。その場所に建つ黒い倉庫。なんでもない庶民の力でも時代を動かせることを示した象徴なのだと思います。そして、それは明治の近代化以降、為政者がすっかり忘れていたことでもある。ただ、本来であれば、こうしたことをきっかけに庶民の力が大きくなるという流れも可能性としてはあったのでしょうが、それは一時。実際の歴史は全体主義の国家体制が強まり、戦争への歩みをひた走る。日本の長い歴史の中でも最も不幸な時代へと突入していくことになるのです。 -
万灯台は、米騒動発祥の地からもほど近い魚津の旧市街。もう少し大きなものかと思っていたのですが、実物はけっこう小さいですね。
これは、江戸時代末期、慶応元年(1865年)に町奉行士方与八郎が加賀藩に願い出て、魚津港最初の灯台として建立したもの。魚津港は北海道や大阪まで往来する北前線の寄港地。越中米や新川木綿などの取り扱いで賑わっていたようです。 -
さて、魚津の市街でもう一つのお目当ては、魚津城跡。
しかし、なんですかあ。魚津城跡といっても城跡の感じは全然ない。大町小学校の敷地内に石碑があるだけのものですよ~
私としては、それなりに期待していただけに、すっかり肩透かしを食ってしまいました。 -
ただ、傍らには、天正10年(1582年)上杉軍と織田軍が戦った魚津城の戦いの解説があって、落城の前日、信長が本能寺で倒れたため織田軍が撤退。上杉軍がすんでのところで魚津城を奪還することができたとか。翌年には佐々成正が魚津城を攻略するのですが、戦国時代の末期に激しい攻防のあった城だということはよく分かりました。
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ところで、
上杉謙信の時代だと信長軍との戦いは天正5年(1577年)の手取川の戦い。この戦いでは上杉軍が信長軍を圧倒しています。ただ、謙信も天正6年(1578年)没。上杉家では景勝と景虎の内紛、御館の乱が起き、その求心力は弱まっていた状態です。
一方で、武田勝頼との攻防との関係では、長篠の戦が天正3年(1575年)。武田家の滅亡は天正10年(1582年)3月で、この同じ月に信長軍は魚津城を囲んでいます。そして、魚津城の落城が6月3日。本能寺の変が6月2日という目まぐるしさ。信長と武田家、上杉家。この辺りの運命の分かれ目は本当に僅かかもしれません。 -
これで、魚津は終了なんですが、ここから魚津駅の戻りがてら、改めて、B級グルメのチェックです。
まるきんたいやき屋は、電鉄魚津駅前の名物店。 -
この時期はかき氷が大人気。壁にはかき氷の種類がトッピングまで含めてびっしりと書いてあって、見ているとあまりの多さに混乱します。
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イチオシ
「なんでも好きなものを言えばいいのよ~全部乗っけてくれるから」常連さんからそんなことも言われて、スイカのレモン氷を注文。黄色い氷を食べ進めると底の方に大量のスイカ。これで320円って、大丈夫なのかなあ。破格の値段にもちょっとびっくりです。
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高谷製パンは、電鉄魚津と新魚津の間の住宅地。小さなパン屋さんです。
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すべてビニール袋に入っているのでコンビニのパンみたいな印象になってしまうのですが、
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いただくとこのふっくら感はやっぱり老舗の味。個性があって、インパクトを感じます。見た目で判断すると間違える。ちゃんとしたパン屋さんです。
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そして、楽しみにしていたのはこちらの魚づ鱒寿し店。新魚津駅の南側とはいえ、正直便利な場所ではないのですが、遠くからも含めて、お客さんが次々やってきて、その人気のほどがうかがわれます。
さっそく予約していた鱒寿しをいただいて、ここから今夜の宿の宇奈月温泉へ直行。宿でいただくとしましょうか。 -
さてさて、
ここの鱒寿しは本来の製法なんだそうですが、 -
桶を開けて
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笹を外していきますが、
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鱒は見えず。
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なんと鱒の方は底の側にあって、通常のタイプからすると、ここの鮨はひっくり返った状態なんですね。こんなの初めてですよ~
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イチオシ
ただ、肉厚の鱒はしっかり身が締まって、これも程よい固さのすし飯によく合っています。でいて、両方が溶け合ったふわんとした味わいもあるし、ちょっと別次元の仕上がりかと思います。
今日もそれなりの一日でしたね。明日は今回の旅の最終日。宇奈月温泉街の探索と黒部峡谷の観光です。
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