2020/07/07 - 2020/07/11
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xiaomaiさん
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1999年から4年間、台南に住んでいた。彼の地を離れた後も台南へは数度行っているが、台南市の中心部(府城)を訪れたのは17年ぶり。当時を懐かしみながら街歩きと台南美食を楽しんだ。
「府城」というのは、旧時代(清朝)に最高行政機関が所在していた場所のことで、台湾で府城といえば、台南のことを指す。より具体的には、現在の中西区、東区、南区、北区、安平区が概ねそれに該当する。
3日目:
飛虎将軍廟、安平(徳記洋行、樹屋、台湾塩業日式宿舎、盧経堂故居、開台天后宮、、安平古堡、老街、周氏蝦巻)、七股鹽山、國華街、正興街、神農街
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旅の3日目。ゆっくりすべき旅なのに、6時半前に目覚めてしまう。神農街には誰もいなく、静まり返っている。しばらくノスタルジックな部屋の中でのんびりする。
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8時半ごろ出発。画像は民宿とその内部を貫通しているガジュマル「神榕」。
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朝食を求めて街をうろうろしていると、台北のU-bikeならぬ、T-bikeに遭遇。
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使用は難しくないんだけど、日差しが強い、35度の暑さでは自転車を漕ぐ気にはなれず。
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スマホを入れるポーチ付き。
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海安路にあるこの店で朝食をとることにした。
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お父さんらしき人はいるものの、厨房は姉妹と思しき二人の女の子がやっている。
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前日の朝食と類似するラインアップ。
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結局、サバヒーを丸ごといただくお粥に。初めてのサバヒー粥としてこれを食したのであれば、満足のする味なんだけど、やはり阿堂の方がおいしい。でも、持ってきてくれたときの少女の笑顔、食べ終え去ろうとしたときに見せてくれたフレンドリーさが、店の印象を引き上げる。
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成功路まで歩き、バスを待つ。APPであと何分で到着するかがわかる。住んでいた20年前にはこのようなサービスは当然なかった。それどころか、バスはボロボロで、手を挙げても停まらずに行き過ぎてしまうことが度々あった。
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新しくて清潔な車内。乗客は地元民が3名と若い白人1名、そして自分。台北同様、コロナウィルス対策のため、乗車中はマスクの着用が義務付けられている。
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15分もかからず、降車地の同安路口に到着。台北で普段使っているEASY CARDを使って乗車金支払い。
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同安夜市というものがあるようだ。でも、前日に訪れた武聖夜市と比べると、その規模はとても小さい。
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やってきたのは飛虎将軍廟。台湾在住の頃からずっと訪れたいと思っていた場所で、20年思い続けて、やっと来ることができた。
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「日本のみなさん、ようこそ参拝においでくださいました」このような横断幕を掲げている台湾の廟はきっとここだけだろう。
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中では男性高齢者がお掃除をなさっていた。
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こちらの御祭神は、日本海軍の杉浦茂峰兵曹長(殉職戦に少尉昇進)。
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こちらが在りし日の杉浦少尉。
詳しくは杉浦少尉の出身地である水戸市が制作した映像を参照。
https://www.youtube.com/watch?v=BdS1F0s5DyY -
杉浦少尉に関する展示物。
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創建された当時(1971年)の廟。一時期は日本人を神として拝むことが政府当局にバレないよう、弥勒菩薩を拝んでいると偽っていた時期もあったそうだ。将軍は保生大帝(福建省閩南と台湾で広く信仰される神)の唯一の日本人弟子となっている。
中国語が分かる方はこちらを参照:
https://www.youtube.com/watch?v=5IOlPBLQLwA -
杉浦少尉の略歴。あと1月で21歳になろうとしていたときに命を落とされた。
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杉浦少尉は台湾の布袋劇(人形劇)の主役にもなっている。
https://www.youtube.com/watch?v=jMbNW_EtNWw
基本的に台湾語を使用しているが、「すぎうらさん」「とうさん」「かあさん」「ありがとうございます」などの日本語がたまに聞かれる。戦死する場面は9分頃から。 -
飛虎将軍廟を出た時、入れ替わるように、二十歳前後と思しき地元男性が廟に入り、将軍に手を合わせていた。廟内の清掃をされていたお年寄りと言葉を交わしていたから、よく来ているのだろう。
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スマホで調べると、台南駅へ戻るバスの待ち時間は27分。
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セブンイレブンで蜂蜜レモンティーを飲みながら時間を過ごした。
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帰りのバスには多くの地元の方が乗られていた。
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台南病院の前を過ぎ......
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台南駅に到着後、99番のバスで安平へ向かう。
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車窓から見える台南の空。
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美しくて、いつでも撮影できるようスマホが常時スタンバイ状態だった。
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安億橋空通過時の景観
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40分程度で降車地に到着。降りたのは自分1人だけだった。
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日差しを遮ることのできない炎天下を歩き、まずは夕遊出張所へ。ここは台湾総督府専売局台南支局安平分室があったところ。台湾製塩株式会社の庁舎で、1922年に建てられた和洋折衷の建物。
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内部には366種類の色の塩。2月29日を含めた1年366日分の色がある。
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訪れた7月9日は白。
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自分の誕生日は、白と対照的な焦げ茶色のような黒。多くの夢と希望を持つ情熱家であることが特徴で、神秘的で強固な意志と独立心を有すると書かれてある。
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お土産として購入することが可能で、良心的な価格。見た目がかわいいから、女性へのお土産によいかもしれない。
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畳の部屋も大事に管理されている。
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1922年当時からある「夕遊夫婦の木」。恋人同士がこの木の下で願い事をすると、それが叶えられると言われているらしい。
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次に向かったのは旧英商徳記洋行。1858年の天津条約で台湾の港が開放されるようになり、淡水、鶏籠(現在の基隆)、打狗(現在の高雄)と開港されていった。1865年に安平が開港されると、英米独が商社を設立。徳記洋行は茶葉の輸出のほか、保険銀行業務の代理も行っていた。日本統治期に入り、外国商社は撤退を余儀なくされ、徳記洋行は台湾製塩株式会社に売却された。
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暑さをふと忘れる美しい回廊。
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空にはひつじ雲あるいはうろこ雲?。
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館内には当時の貿易などに関する資料が展示されている。苦力(中国人肉体労働者)の賃金は3リオで、商務員は23リオ。
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当時の貨幣価値。馬が1.5リオで、1担の米が3リオ。
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江戸時代に流通していた日本の小判なども展示されている。
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鹿の皮は日本に、角は中国に漢方薬の材料として輸出されていた。
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その他の貿易品目はこちらの通り。
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徳記洋行だった建物の裏手におもしろものがある。
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元々徳記洋行の倉庫だったところが、のちに大日本塩業株式会社の倉庫となり、戦後は台湾製塩工場の所有となった。しかし、台湾製塩の事務局が移転後、倉庫は荒れ果て、ガジュマルが生い茂り、建物を呑み込んでしまった。
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ガジュマルの根は石灰岩を溶かす酸を分泌し、その特性をうまく利用して、レンガの壁を這い上がって絡みついたようだ。
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樹木の生命力の強さを感じる。
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ウォールアート。確かにツリーハウスにはトトロが潜んでいそうだ。
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有料レンタル自転車あり。
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これは旧台湾製塩株式会社(大日本塩業株式会社とは別会社)の日本時代の宿舎。
日本時代、安平地区には、大日本塩業、総督府専売局・安平分室、台湾製塩、南日本化学工業が内地から進出し、一大製塩事業の拠点となっていた。 -
宿舎の間取りはこの通り。
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非常にきれいに保たれている。靴を脱いで上がってもよさそうだった。以前は浴衣のレンタルと着付けサービスがあったようだ。
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確かに、この建物をバックに浴衣姿の撮影をしたら、インスタ映えする画像が撮れる。
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ドイツの旧東興洋行。日本統治開始後は安平支庁として使われた。
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1738年創建の安平西龍殿(龍の正確な字体は画像参照)
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安平西龍殿のすぐ近くにあった立派な建物。
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台湾固有の昔の建物も健在。
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清朝から日本時代にかけて商売で財をなした盧經堂(1858年7月7日-1926年12月27日)の邸宅。2003年5月に台南市古蹟に指定された。
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盧經堂は行燈の油売りから始め、英国商社の蝋燭や石炭、石油の代理業を手がけるようになり、台南維新製糖合股会社を創設。黒糖を生産し南洋へ輸出し、大富豪となった。
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この輿を見るだけでも、富裕さの程度がわかる。
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安平地区の建造物として、歴史的な高い価値を有する。
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こんなに立派な寝台の展示もされているのに、スタッフらしき人の姿はなかった。
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このテーブルで山海珍味で食されていたのだろうか。
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置かれている家具1つ1つがすばらしい。
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赤ちゃんの揺りかごまである。
天后宮のすぐ隣で入場無料なのに、見学者は自分1人だった。なお、中国時代劇の簡易衣装の有料レンタルが行われていた。 -
旧盧經堂邸宅に描かれていた魔除の剣獅。安平地区の屋根や壁などに多く見られ、現在ではこの地域のマスコットになっている。
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安平4大廟の1つと言われる開臺天后宮。1668年に創建された歴史あるものだが、日本時代に破壊され、今あるのは後に再建されたもの。
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非常に大きな媽祖廟でひっきりなしに参拝者が訪れていた。
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内部の造りも非常に豪華。
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小学生の課外学習。緑、赤、オレンジなど、色とりどりな各学校の制服。
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天后宮のすぐ後ろにあるのが安平古堡。
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安平古堡といえば、鄭成功。
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なかなか立派なお姿。
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元は17世紀初頭にオランダが安平を占領し、その防御要塞として1634年に建てたZeelandia城。1662年に鄭成功により駆逐されるまでオランダの拠点地だった。今ある展望台は1975年に設けられたもので、他の建造物と比較すると、歴史的価値は高くない。
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でも、展望台から見る景色はよい。
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眺めていて心が晴れ晴れする。
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これは展望台最上階の手すりにかけられたLove Rock。ただし、定期的にスタッフにより外されてしまうようだ。それでは意味がない......。
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展望台の階段を上から見下ろす。
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下から見上げる。
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プルメリア。花は太平洋上の島々でレイにされるほか、ラオスの国花にもなっている。
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最も古い時期の壁が残されている。
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安平古堡内にある Fort Zeelandia 博物館。この城をさらに知ることができるのに、多くの入場者はここを見学しない。せいぜい小学生の団体が来ているだけ。
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Zeelandia 城はそもそもこのようなものだった。
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城の背後に町も形成されていた。
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城と街の間に刑場。
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現在の地図に元あった城を重ね合わせたもの。
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まじめに展示物の説明を読んでいたのは、この白人さんと自分だけ。
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次に向かったのは「周氏蝦巻」。セルフ食堂のような気軽なレストラン。安平に来て、ここに行かないのは、台南に来て旬のマンゴーを食べないのと同じ。台南に住む知人もそう言っていた。
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この日の昼食。左手に蝦巻、右手にイカボール。白いのは杏仁豆腐。中央のは蝦巻の甘辛ソース。
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一般的には揚げたものを食べるんだけど、自宅で茹でて食べたことがあり、とてもおいしかった。
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杏仁豆腐は火照った体を癒してくれた。日本の杏仁豆腐と異なり、アーモンドの味が強い。
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店内の様子。14時に近い頃に行ったから、それほど混んではいなかった。
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厨房後方にも席がある。
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安平老街散策。この通りは実に多くの観光客で賑わっていた。
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初めは妖怪かと思ったけれど、口に剣を加えているのを見て、剣獅だとすぐわかった。
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各種健康バンド発売中。遠目に見ると、ドキッとする。
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暑い中を歩いて、汗をたっぷりかいた。疲れを感じていたから、台南中心部へ戻ろうと思っていた時、七股鹽山へ行くバスが来た。真夏の台南旅行では、日差しが強い酷暑の中を歩くことになるから、クーラーの効いたバス移動は、クールダウンできる良い休憩時間になる。それで、バスに飛び乗った。
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先客はほんの数名しかいなく、皆安平の観光スポットで下車し、自分1人になってしまった。その後、マングローブ観光船で有名な四草で台湾人女子が1人乗車。そのまま2人だけの乗客を乗せて終点の七股に到着。
四草観光船もおもしろそうだったけれど、東マレーシアで大規模なマングローブを見ているので、今回はパス。
4度目の馬來西亞ーMulu編(2)
https://4travel.jp/travelogue/10541328 -
バス車内から眺めた天空。
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雄大さを感じさせる空。
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絵画を見ているようだ。
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安平から1時間弱バスに揺られて、七股鹽山に到着。
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七股は過去において台湾最大の製塩場だったけれど、2002年5月に338年に及ぶ製塩史を閉じた。塩の堆積場だったところには、3万トンの塩で高さ6階相当の鹽山が今でもあり、1億元の価値があるらしい。
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頂上からの景色
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ゴールデンレトリーバーとまだ一緒に暮らしていた頃、ここに連れてきたことがある。あれから10数年の時が流れた。
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ここには台塩公司の売り場があり、その会社が初めて作った塩辛いアイスキャンディーが売られている。
台塩公司の前身は、日本時代の製塩業を引き継ぐ形式で1952年に創設された「臺灣製鹽總廠」という国営企業。現在のハヤシ百貨店に本部が置かれていた。台塩は1995年に民営化され、臺鹽實業(股份)公司と改名。台塩は略称。 -
これはシアノバクテリアブドウ味。葡萄と言うよりは海藻の味をメインに感じた。他にも、黄卵味、梅味、アーモンド味がある。
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売店内部に入ってみる。。塩入り石鹸や......
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塩入りフェイスマスク、塩入り洗顔料などが売られていた。
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せっかくなので、塩入り石鹸を購入。断捨離中だけど、石鹸は消耗品なのでOK。帰宅後、さっそく使ってみると、さっぱりつるつるな洗い心地だった。
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塩で作られた高雄熊(高雄市のマスコット)とクロツラヘラサギ。クロツラヘラサギは越冬のため、七股に飛来する。だいぶ前に見に行ったことがあるけれど、いるのが遠過ぎて、よく見えなかった。
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滞在時間は1時間ほどだったけれど、鹽山観光は15分もあれば十分。1キロぐらい離れたところに七股台灣鹽博物館というのがあるから、それも一緒に見学したら、いいかもしれない。
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魚養殖池のために引かれた水路
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バス停の裏手で釣りをする人。餌をつけなくても、攻撃的な魚が引っかかるそうだ。
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来るときに乗ったバスに再度乗車して台南市中央部へ戻る。
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しばらく走ると、故宮を思わせる建物群が見えてくる。
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媽祖を主神とする正統鹿耳門聖母廟。1918年に落成した前身の保安宮が、1941年に現在の名称に改められ、1976年から1981年にかけて現存する廟殿が建造された。
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車窓から見た、四草に近い大衆道での景観
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車窓から見た、四草大橋からの景観
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七股鹽山からバスに乗って73分。中正路商圏で下車し、18時過ぎに夕食を食べることにした。向かったのは国華街。民権路と交わるところにある「黄家鱔魚意麵」で食べたかったんだけど、臨時休業のようだった。それで、他に鱔魚意麵が食べられる店はないかと探して見つけたのが「福昇小食」。鱔魚意麵が専門の店ではないけれど、基本的に台南の食堂はどこも一定以上のレベルであるから入店。
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鱔魚とは田鰻のこと。片栗粉を入れてとろみをつけて仕上げるタイプとスープのない炒めるタイプがあるけれど、台南で一般的なのは前者。台南の人はとろみのある料理が好きで、辛いものより甘い味付けを好む。初めて食した時は、あまり好きではなかったけれど、食べているうちにおいしく感じるようになり、今ではニンニクの後味を楽しむようになった。90元という安さも魅力的だ。
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食後に向かったのは正興街。グルメ通りである国華街と交差する通り。
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この通りにある店舗のオーナーを猫を使ってイラスト化。
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例えば、左のは「ロマンチックな宝くじ売りの亮兄さん」。
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マカロンのショップ
「台南に来たら、裏の道を歩きなさいよ」 -
「お客さん、日本語も大丈夫だよ」
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「散歩をしている人が一番偉い」
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猫だけでなく、犬のウォールアートも。
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正興街はエリアとしてはそれほど広くない。
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国華街へ戻り、スイーツを食べることにした。「台湾全国でトップに輝いた愛玉(愛玉子で作るゼリー)」と看板に掲げてある。
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愛玉は余計なものを入れないで、シンプルに食べるのが一番いい。
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19時ごろ訪れた水仙宮市場
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営業しているのは基本的に早朝から昼ごろまで。
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神農町入口にある店のぼんぼり
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この日も夜に神農街へ来る観光客が多かった。
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平日だからか、それほど人は多くなく、ひっそりした感じがあった。
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これからもずっと大切に残していってほしい。
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興味はあったんだけど、ここでうなぎを食べることはついになかった。台南はおいしい地元のものが多いから......。
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19時18分に民宿帰還。バス移動も多かったけれど、炎天下での徒歩も多い1日だった。
(続)
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