1998/08/22 - 1998/08/30
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Tagucyanさん
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最近昔の海外旅行記シリーズばかりになっております・・・
私にとって3回目となる海外は、普段の「鉄」の趣味とは離れて、モンゴルでした。
単純に何もない一面の草原とか砂漠とかの中にいたら、人生観が変わるかな、などと思いまして。行きたかった理由はそれだけです(笑)
実は、モンゴルには前年に行こうと考えていました。その後「海外出張」扱いのスイス行きが決まり、さすがにひと夏に2回海外ってのは・・・と思いまして(今だったらそう思わないですが 笑)、1年繰り越しとなりました。
ちなみのこのモンゴル行きまでがツアーでの渡航です。ツアーだとやっぱり制約が多く、この次以降は個人旅行専門となるのですが、逆にモンゴル国内での移動は団体の方が動きやすいところもあったですね。
しかも今回は航空券の手配の関係で、出発が急遽名古屋空港(しかも当時は小牧)になりまして(笑)
モンゴルに夜中に着いて、翌日さっそく国内線の飛行機に乗って、南部のダランザドガドというところのツーリストゲルに泊まりました。
そして、そこから南ゴビに向かいます。
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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最初の写真、いきなり小牧空港です(笑)
出発の直前になって、旅行会社からチケットの手配の関係で名古屋出発になってしまった旨の連絡があり、名古屋までの移動の代金も送付されてきた。
内心、「これはおいしい」と思いましたね(笑)
こんなことで文句を言うような堅物は放っておきましょう。
モンゴルへ行くのに、東海道新幹線で西へ向かうという、楽しい行程。
名古屋駅からバスに乗って、小牧空港までやってきた。
まだセントレアができる前の話です。 -
現在では、モンゴルの首都ウランバートルから、成田への直行便がある。当時も日本便はあったが、関西空港行きだった。
今回は往復ともソウル乗り継ぎ。ソウルまではアシアナ航空だった。 -
たしか、このソウル行きの飛行機は満席で、搭乗ロビーも混雑していた。
居場所がないので、テレビの近くに立って、高校野球を見ていた。
この日は、夏の甲子園の決勝戦。あの横浜高校の松坂大輔が、ノーヒットノーランで優勝した伝説の試合でした。 -
約1時間半のフライトで、ソウルの金浦空港に到着。
当時は仁川空港ができる前。ソウルと言えば金浦の時代。 -
このあと何度も行く韓国ですが、この時が初めて。
当然この時はハングルが読めずにちんぷんかんぷんでした。 -
メモによると、ハングルしかしゃべれない係員についていき、バスに乗って第2から第1ターミナルに移動したらしい。
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ソウルから乗るのは、MIATモンゴル航空の飛行機。
これはボーイング727ですね。かつて全日空にいた機体だそうです。 -
ソウルは日本よりもだいぶ西にあるのだが、日本とは時差がないので、夏のこの時間はまだ全然明るい。
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ソウルから約3時間のフライトで、モンゴルの首都・ウランバートルのボヤントオハー国際空港に到着。
現在は「チンギスハーン国際空港」と名称が変わっている。 -
もうこの時点で夜の11時半近く。
このあと、地元旅行社のマイクロバスに乗って真っ暗な道を約20分、ウランバートル市内のホテルに到着。
部屋に入ってシャワー浴びてすぐに寝た。 -
2日目。
昨晩夜中に着いたのに、なんと翌朝5時過ぎ起きで、ホテルで朝食を食べて、再びマイクロバスに乗ってボヤントオハー空港にやってきた。
この時点でまだ朝の7時前。モンゴルに到着してから8時間も経ってません。チンギスハーン国際空港 (ULN) 空港
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これから向かうのは、モンゴル南部にある、ダランザドガドというところ。そこへ行く飛行機の出発が定刻8時なので、こんな行動になった。
ところが、今朝は風が強く、出発が1時間遅れるとのこと。 -
空港の屋上から。
こちらは国内線向けの小さい飛行機。 -
こちらは国際線向けのジェット旅客機。
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空港の周辺。
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近くに箱形のアパート群が見える。
このあたりはロシアの影響を受けている。 -
まだ時間があるので、空港の周辺をウロウロ。
これは何の碑だろ(たぶん三脚にセルフタイマーで撮ってる)
奥にあるのが空港の建物。
現在は名称は変わっているが、建物はまったく変わってないようだ。 -
予定より1時間半遅れ、ようやくダランザドガド行きの飛行機に搭乗。
アントノフ24というソ連製の飛行機だった。 -
まるでマイクロバスのような雰囲気の機内。
機内は自由席だった。 -
たぶん客席と操縦席の間の扉が開いていたから撮ったと思う。
この頃は、日本でも離島便とかの小さい飛行機では、開いていることが多かった。 -
駐機場からトラックに引っ張ってもらい出発。
滑走路の入口で電源をもらってエンジンをスタート。
そして離陸。 -
約1時間半のフライトで、ダランザドガドの空港に着いた。
ダランザドガドは首都ウランバートルから南へ約520km、ウムヌゴビ県の県庁所在地。といっても人口は18,000人くらい。
ちなみにウムヌゴビ県のさらに南は、中国の内モンゴル自治区。 -
飛行機は、向こうにある未舗装の草原に降りてきた。
モンゴルの地方空港はこれがスタンダード。
この空港では現在は舗装されているらしい。 -
駐機場からターミナルの建物へ。
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駐機場を振り返る。
飛行機が停まっているところだけ、舗装されている感じ。 -
そして、これが空港ターミナルの建物。
今も大して変わってないと思いますが・・・ダランザドガド空港 (DLZ) 空港
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空港から、地元旅行社のマイクロバスに乗る。
ちょうど雨が降ってきて、未舗装のどろんこ道路を45分ほど走って、本日の宿に着く。
宿。そうです、今晩はゲルです。
ゲルとは、遊牧民が生活する移動用の住居のことで、それが体験できるように、ツーリスト用のゲルが国内にはいくつもある。
こういうところに泊まってみたかったんですよ。 -
着いたら部屋割りならぬ「ゲル割り」をする。
私が泊まるゲル。たしか3人ぐらいの相部屋。 -
内部。こんなところで寝ます。
ツーリスト・ゲルなので、敷地の中にはレストラン棟があり、そこで昼食。
写真には撮ってないけど、さっそくマトンが出た。というか、これからマトン三昧の日々が続く。 -
昼食後、再びマイクロバスに乗って出発。
ラクダの群れ。 -
草原の中にあった遊牧民のゲル。
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立ち寄ったらその辺の人たちが寄ってきた。
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さらに進むと、草原の中にいきなり砂漠が現れた。
モルツォク砂漠というらしい -
さっきまで雨だったのに、一気に晴れてきた。
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こういうところに来たかったんですよ~
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360度こんな景色。
とにかくそのあたりを歩き回った。 -
帰り道。
一面の草原の中にて。 -
同じく草原の中にて。
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ラクダがいた。
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乗せてもらった。
ラクダのこぶ、結構固かったです(笑) -
夕食もレストラン棟にて。
食事中、地元の音楽大学の演奏があった。 -
3日目。
まだ夜明け前のゲルの前にて。
このあと敷地内のレストラン棟で朝食。
メモによると、手元の温度計で7.5℃。8月下旬なのに結構冷えた。 -
朝7:20、日の出。
それをみんなで見届けてから、マイクロバスに乗ってキャンプを出発。 -
ダランザドガドの空港にやってきた。
昨日は飛行機が1時間半遅れたが、今日は定刻だったようで、すでに来ていた。
それの折返し便に乗る。 -
ダランザドガドの空港を離陸。ウランバートルに戻る。
フライト中はずっとこんな感じ、草原の中を飛ぶ。 -
ウランバートル・ボヤントオハー空港に着いた。
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マイクロバスに乗って空港を出発。
ウランバートルの街の中に向かう。
ホテルに到着後、近くのレストランで昼食。 -
市内を一望できる、ザイサン丘というところに来た。
一昨日は夜着いて早朝出発してしまったので、実質ウランバートルの街を初めて見ることになる。 -
このあたりは近所の子供達の遊び場にもなっていた。
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そのふもとにある、ボクドハーンという宮殿。
ボグドハーン宮殿博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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内部の門。
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中の建物の中には、いろいろな仏像などが展示されていた。
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宮殿の横にあった博物館。
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内部には、たぶん宮殿の中で使われていたと思われる日用品。
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この豪華なゲルも使われていたのかな。
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博物館の外にて。
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街の中心にある「スフバートル広場」に来た。
(現在は「チンギスハーン広場」に改名したらしい)チンギスハーン広場 広場・公園
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モンゴルの国民的英雄といわれるスフバートルの像。
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バックの空と合わせて、個人的に「モンゴル的な眺めだなあ」と思った。
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その後ろにある国会議事堂。
政府宮殿 (国会議事堂) 城・宮殿
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国会議事堂の横にある国立銀行。
建物の上には「モンゴル万歳」と書かれているらしい。 -
広場周辺をブラつく。
中央郵便局。記念切手をいろいろ購入。
モンゴルでは、記念切手が結構外貨の収入源となっている。 -
郵便局の中には新聞雑誌のカウンターもあった。
読めもしないのに新聞を買う(笑)
これは、週刊のテレビ番組に関する新聞ですね。
モンゴルでは、通常はモンゴル文字は使わないで、モンゴル語をキリル文字に当てはめて使用している。
日本で言えば、日本語をすべてローマ字で表現しているような感じ。 -
中央郵便局の前の様子。
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実際現地に立ってみると、距離感覚がおかしくなってくる景色。
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トロリーバスが走ってますね。
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デパートのような雑貨店のような店に立ち寄る。
4階に両替コーナーがあり、現地通貨に両替していろいろお買い物。
モンゴルの通貨はトゥグルグという。
でも、大きな店ではドルも普通に使える。ただ、そういう店でも、おつりはトゥグルグで返ってくることが多かった。 -
4日目。泊まっていたホテル。
(現在は改装されているようです)フラワー ホテル ホテル
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ホテルの前の道。
スフバートル広場からだと、歩いて15~20分くらい。 -
今日はこれから、ずっとこんな道を走って、約280km離れたバヤン・ゴビというところに向かいます。
【その2】につづく。
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旅行記グループ
1998年8月 一度行ってみたかったモンゴル
この旅行記へのコメント (6)
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- マプトさん 2020/06/27 20:47:49
- モンゴル!
- おばんでした。今週、道北は雨ばかりで寒かったです。ただ、畑には有難い雨で、馬鈴薯がぐんぐんおがりました。
1998年8月のモンゴル旅、読みました。実は時同じく(1998年8月上旬)、ウランバートルに行っていました。私は、関空からMIATで往復しました。ボヤントオハー空港、スフバートル広場の時代でしたね。今のウランバートルは様変わりしたんでしょうね。
モンゴル力士のパイオニアである旭鷲山、旭天鵬の頃で、スフバートル広場を歩いていたら、地元の放送局にインタビューされました。私をモンゴル人と思ったようです。あの頃、ツアーでなく一人でモンゴルに乗り込むなんて、物好きですね。
- Tagucyanさん からの返信 2020/06/28 00:08:23
- 時期が近かったですね
マプトさま
こんばんは
私が住む関東地方も現在梅雨まっただ中で、2〜3日おきぐらいに雨。それ以外の日も(今日も含めて)はっきりしない天気。ただ、気温だけは上がって、湿度も高いのでかなり蒸し暑い。家にいるとクーラーなしでは熱中症になりそうです。
ほとんど同じ時期にモンゴルに出かけられていたとは、世間も狭いですね(笑)
関空から飛んでいた直行便に乗ったんですね。空港名や市内の広場名など、時代を感じます。ウランバートルの街もあれからたぶん、かなり近代化したのではないかと思います。でも、スコーンとして距離感覚がおかしくなるような感じは変わらないのかなあ、とも思ったりして。
あの時私は、まだ海外旅行3回目の初心者だったのでツアーだったのですが、ツアーだと行動に不自由な点が多々ありまして、この次からは個人旅行専門になりました。
ただ、モンゴルに関しては地方への移動など、個人だとそれなりに大変かも知れないですね。
街角で、といえば私は国際空港ができる前の韓国・仁川の街の中で、新興宗教の勧誘を受けたことがあります。あの時は困りましたねえ(笑)
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Tagucyan
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- OE-343さん 2020/06/25 13:36:10
- イースタン航空?
- こんにちは。ご無沙汰しております。OE-343でございます。
帰りのプロペラ機の機材、ソ連製とは違う気がしますし、イースタン航空と書いていますがあれ何なんでしょう。。。?
- Tagucyanさん からの返信 2020/06/25 23:27:44
- 実は奥にいたんです
OE-343さま
こんばんは。
細かく説明しなかったのですが、帰りは飛行機が2機並んでいて、奥にいた飛行機に乗ったんです。行きに乗った飛行機と同じマークの尾翼だけ見えています。
手前に停まっていた「イースタン航空」が謎なんですよね。いくら調べてもモンゴルでそんな飛行機が飛んでいたことが出てこないんです。アメリカにありましたけど、この時代は存在してませんでしたし、そもそもこんなところに来ないでしょうし。
一方で、私が乗った飛行機のロゴも、航空会社の名前がいくら調べても出てこないんですよ(笑) メモにも残ってないし、航空券も残っていませんで・・・
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Tagucyan
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- Akrさん 2020/06/25 07:23:47
- 今度はモンゴル!
- Tagucyanさま
おはようございます。Akrでございます。
今度はモンゴルですか~、このシリーズ、サハリン、スイス、モンゴルとマイナーシリーズですね。なので見る側は行ったことない所ばかりで楽しいです。
98年というと平成10年か。松坂大輔の試合は私もテレビ観戦してましたね。
発地の空港が変更になるのは仕事柄、お客にそれを伝える側で何回も経験しましたが、大抵は怒られます(笑) 旅行記ありきの今ならば、私はネタになって大喜びでしょう。
それも小牧時代ですか。。。懐かしいです。
アシアナの旧塗装に時代を感じますが、それよりソウルからの飛行機、B727じゃないですか。またしても3発機登場ですね。727は仙台~グアム線でコンチネンタル機でかろうじて乗れました。そして現地では滑走路が未舗装からアントノフ24で離陸とか、なにかのアトラクションでしょうか(笑)私ならチビりますよ~(笑)
ゲルに泊まられたのですね。貴重な体験ですよね。居心地は如何でした?
気になるのは水回りと空調。朝晩は冷え込むだろうし、なにか秘密があるのでしょうか。日本でもゲル風な所に泊まる宿泊施設がありますがあれは日本向け仕様だと思いますし。
表紙がジオラマのミニチュアに見えました。
-Akr-
- Tagucyanさん からの返信 2020/06/25 23:17:26
- フツーの人が行かないようなところへ
Akrさま
こんばんは
昔の旅行シリーズその3は、モンゴルです。
みんなが行くようなところに行ったって面白くないじゃないですか。
私が今まで行った国を羅列すると、言われてみればメジャーな国はそんなにないですね。でもこの前年に行ったスイスはメジャーですよ。「なんでお前が」とさんざん言われましたから(笑)
もう22年前の話なんですよね。現地ももうだいぶ変わってしまったでしょう。そういう意味でも全然参考にならない旅行記です^^;
出発地が突然変更になって、きっと怒る人はいるんでしょうね。なんとまあ皆さん、ネガティブなんでしょうかね〜。私なんか、「新幹線にも乗れる、パスポートにNAGOYAのスタンプが押される」と、考えただけでウキウキしましたけどね。
モンゴル行きの飛行機、ボーイング727ですね。たしかに3発機ですね。MD-11といい、これに反応するとは、ひょっとして「3発機を愛でる会」会員でもあるのでしょうか(笑)
アントノフ24には、この何年か後にも、別の国で乗ったことがあります。ソ連製の飛行機、座席が安っぽいんですよね。この飛行機もバスの補助席みたいな座席でした。
あと、未舗装の草原に降りちゃう定期便の飛行機。ウワサには聞いてましたが、これかあ、という感じでした。まだ残っているんでしょうね、きっと。
ゲルですが、基本的に水回りはありません。ツーリスト・ゲルですから、同じ敷地の中にあったレストラン棟というか管理棟にトイレとかシャワーがありました。
また、ゲルの内部には薪ストーブがありましたね。ゲルって、てっぺん部分が開閉できるようになっていて、晴れたら開けたり、それ以外の時は煙突だけ通して閉めたりできるんです。
電気は、裸電球程度はありましたが、遊牧民が使っている本物は、草原の中にポツンとあるわけで、どうなんでしょうね。
表紙の写真は、近くに砂でできた丘があって、そこに登って撮った写真です。
たしかに言われてみればジオラマみたいにも見えますね(笑)
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Tagucyan
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旅行記グループ 1998年8月 一度行ってみたかったモンゴル
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