2019/11/03 - 2019/11/03
45位(同エリア600件中)
滝山氏照さん
越前福井城(ふくいじょう・福井県福井市大手)は戦国大名朝倉義景(あさくら・よしかげ、1533~1573)を滅ぼし越前平定を果した織田信長の重臣である柴田勝家(しばた・かついえ、1522~1583)が天正3年(1575)足羽川を外堀とする北ノ庄に城を構えたのが始まりで、勝家没落後は羽柴秀吉に屈した丹羽長秀支配となります。
関ヶ原合戦にて戦功を挙げたとして当地に入封した徳川家康の二男である結城秀康(ゆうき・ひでやす、1574~1607)は慶長11年(1606)に勝家構築の北ノ庄城地を引き継ぐと共に城域を北方に拡げ築城したものです。
本丸跡辺りに設置された説明板には城郭跡の一端が次の通り紹介されています。
「ここは、福井城の本丸跡で、周囲の内堀は往時のままsです。福井城は慶長6年~11年(1601~06)に徳川家康の次男、結城秀康によって築城されました。秀康時代の福井城の建物は寛文9年(1669)に焼失してしまいましたが、図は焼失以前の福井城本丸の様子を復元したものです。
藩の権威を象徴していたのが本丸の北西隅に聳えていた天守で、高さ約30mという壮大な建物でした。中央は藩政において最も重要な本丸御殿がありました。北東・南東・南西の各隅には3つの櫓が建っていました。南側の御本城橋が本丸への正式な通路で、この橋を超えると、本丸の正面である瓦御門がありました。西側には屋根付御廊下橋がかかっていました。現在の御廊下橋は平成20年に史料に基づいて再建されたものです。平成30年には御廊下橋につながる山里御門が明治時代の古写真や史料に基づいて復元されました。」
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西二の丸(御座所)跡・西三の丸(山里丸)跡
現在は中央公園となっていますが当時は手前から西二の丸(御座所)、堀を経て西三の丸(山里丸)が配されていました。 -
福井城二の丸・三の丸説明板
見取図にあるように二の丸と三の丸の間には堀が施されていました。 -
御廊下橋方向
城郭跡は福井駅から徒歩5分の都市部中心部にあったので市街化され、往時の遺構らしきものは残っていません。 -
福井城御廊下橋説明板
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福井城石垣
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福井城石垣
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御廊下橋(おろうかばし)
藩主が本丸と三の丸御座所への往復に用いた藩主専用の橋で、福井城築城400年を記念して明治初期に撮影された古写真をもとに復元したものです。 -
福井城天守説明板
四代城主の時に城下から失火し天守とともに櫓など多数の建物が焼失し、翌年再建に取りかかったが天守は再建されず三層の巽櫓をその代わりとしました。 -
山里口御門
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本丸跡の石垣
本丸跡には県庁・県議会・県警察本部の建物が配されています。 -
本丸石垣
階段を利用して石垣の上を歩くことが可能です。 -
福井城説明板
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御本城橋(ごほんじょうばし・大手門)方向
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結城秀康鎧姿像
家康の後継候補でありながら弟秀忠に将軍職を譲らざるを得ず、不遇な武将でありました。 -
結城秀康説明板
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